第七十話 血溜まりと虚ろなる騎士
『裏』の獣人に会ってから早三日が過ぎようとしていた。
死体そのままのゾンビに、骨だけのスケルトン。魂となり辺りを彷徨うウィルオウィスプ。相も変わらず、様々な怨念が俺たちに牙を向けてくる。
しかし、俺の手には聖銀の片手半剣。シャンディの体内魔術と体外魔術が複合した魔術が冴え、黒騎士とマルシアの足止めもあって苦戦という苦戦は未だに経験していない。
いや、一つだけ言うのであれば、この場所自体が強大な敵である点だろうか。
先ずは精神。重苦しい怨念が辺りに渦巻いているだけあり、徐々に気力が削られていくため、継続的に戦闘を行うのがなかなか難しい。その為、シャンディの提案により、いつもより多めに休息をとっている。シャンディは何度かここに足を運んだこともあり、その経験は大きな武器だ。
歩く速度にあわせて、腰のランタンが揺れる。
陽も届きにくい大きな森の中、更に空からの光量を分断する霧のお陰で、足元すら危うい。
「あたっ」
後ろを歩いていたマルシアが、何かに足を引っ掛けたのかつんのめる。そのまま俺の腰に抱きつき、完全にコケることはなんとか避けられた。
「気をつけろよ」
俺は上から見下ろす形で注意をする。
「あはは……ごめんなさい」
マルシアは恥ずかしさを誤魔化すように笑うと、ゆっくりと離れていった。
死者の園で過ごした時間が重なっていくにつれ、慣れから緊張感の欠如が起こりかけている。俺がそれを注意しようとしたその時、視界の端に気になるものが飛び込んだ。
俺たちが進んでいる先の奥。うっすらと霧に包まれている場所をよく見ると、誰かが倒れている。
「……人が倒れている。確認するぞ」
仲間たちに警告を発する。これが一番厄介だからだ。
普通の魔窟であれば、大体の場合死体である。もしくは稀に生存者の可能性があるかも知れないと言った程度だ。どちらにしろ危険は少ない。
しかし、この死者の園を始めとする不死者の巣窟ではそうはいかない。先ほどの可能性に加え、既にゾンビ化をしている冒険者の成れの果てかもしれないのだ。まあ、その分聖銀武器であったり、貴重な品を持っている可能性も十分にある。リスクは上がるがその分リターンも大きい。
俺たちは慎重に近づいていく。
既に感覚強化のお陰で、生きている人間でないことは確認済みだ。となると、残る可能性は二つに一つ。
死体の振りをして襲いかかるゾンビは、俗にトラップなどと呼ばれたりもするが、生前が高レベル冒険者であることも多い。それは生前の知識なのか、ただの偶然なのかは分からないが、まあその分期待を持てると言えなくもない。
片手半剣を構え、何時でも対応出来るようにしながら側まで寄ってみたが、どうやら杞憂だったようだ。それはただの不運な冒険者だった。
魔窟の犠牲となった憐れな冒険者に、しばしの黙祷を捧げる。そして冒険者証の回収をしようかと、手を伸ばしたところで、ふと気づく。
この死体、一撃で殺されている。その傷から見るに、後ろから心の臓を一突き。明らかに人の手によるものである。最初はあの仮面の暗殺者が頭に過ったが、冒険者を狙う理由が見当たらない。寧ろ冒険者ギルドとの摩擦を避けるためにわざわざ出張ってきているのだ。
証の回収を終え、冒険者の荷物を確認していくと、一つだけ見当たらないものがあった。
それは食糧。聖銀の武器や魔石、その他の何物にも手を付けず、ただそれだけを奪い去っている。
「……ガーゼフの仕業ね」
隣で確認していたシャンディが小さく呟く。
街からの補給が望めないガーゼフにとって、冒険者たちは生命線だろう。
「……多分な」
確証はない。が、状況的に考えてそれが一番可能性が高い。
「となると、先日まではココら辺に居たことになるな」
俺は辺りを見回す。死体の状況から考えて、一日、二日程度前だろうか。そういうことに詳しいわけではないが、他の冒険者に発見されておらず、かつ不死者化化の兆候も見られていない。ごく最近、殺されたと言うことだ。
「ここからは、更に気を引き締めていくぞ」
俺の言葉に仲間たちが頷いた。
死者の園に来たばかりの頃は、顔を合わす事もそれなりにあった『裏』の人間たちも、今日は朝から全く見かけていない。
既にガーゼフを発見して処分したのか。それとも何か別の意図があって帰還したのか。蚊帳の外に居る俺たちには見当がつかない。
俺たちの探索も時間制限がある。単純な話、保存食が持つまでの間だ。シャンディの用意した食糧は、かなり多めであった。しかし、何れそれも尽きるだろう。
他の魔窟などでは食糧になる魔物が居たりもするが、死者しか居ないこの場所でそれを求めるのは酷な話である。
過ぎゆく時間に若干の焦りを感じつつ、しばらく辺りを調べ回っていると、また新たな死体を発見した。
踏みつけられた大地に薙ぎ払われた草、木々につけられた剣撃の軌跡に魔術の痕跡。そして何より――血の匂い。こちらでは戦闘が行われたらしく、その証拠が辺りに刻まれていた。
ざっと見回してみても、犠牲者が『裏』かどうかの判断がつかない。生前であれば気配の隠し方や、対応の仕方でおおよその見当はついたものの、こうして物言わぬ肉塊に成り果ててしまっては、何も感じ取ることは出来ない。先日出会った仮面の暗殺者のような、違和感のある格好であればともかく、ここに並んでいるのはまさに冒険者といった風体だ。
傍らには聖銀装備が転がり、魔術師らしき人物は銀糸を纏っている。やはり、死者の園へ来るにあたり、こういったものは欠かせないだろう。
いつもと同じように弔うと、俺たちは使えそうな物の回収に勤しむ。
しかしこの様な行為、罪悪感が全くないと言えば嘘になる。端から見れば墓荒しの様なものである。これもまた、冒険者が外から見ればゴロツキ扱いされる一因だろう。
結局、それぞれの荷物の中に冒険者証は見当たらなかった。
更に日を跨ぎ、死体は徐々に増えていく。
交戦を重ね、余裕がなくなってきたのか、死体が原型を留めているものが少なくなってきた。
しかし、おかしい。何故こんなに犠牲者が出ているのだろうか。相手は個人である。死体の状況、交戦の回数から現状を鑑みるに、既に『裏』の情報網にガーゼフの居場所は特定されていると見ていいだろう。
「……なあ、ガーゼフはそんなに強かったのか?」
隣を歩くシャンディへと聞いてみた。さすがに俺の認識が追いついていない高レベルならおかしくないのかもしれない。
「……そうね。最盛期、私が力を与えて冒険者のレベル6になったわ。……個人の限界はレベル5、だったはずよ」
シャンディは少し考え込むと、微妙な表情で情報を口にする。やはり俺と同様、おかしいと思っているのだろう。自分の情報にいまいち自信を持てない様子だ。
レベル5。確かに俺の基本スペックと比べれば、十分な実力の持ち主だ。しかし、『裏』の精鋭、しかも複数人を相手に、こうも一方的に勝てるものではないはずだ。
嫌な予感がする。
その予感に導かれるように、俺たちは開けた場所へと迷いこんだ。
――赤い。
真っ赤な血溜まりの中、一人の男が立っていた。
元は立派であった大柄の騎士鎧も、今では血糊がベッタリと付着し、赤黒く表面を塗り固めている。
男の表情は虚ろだ。しかし、それがこの場所では当たり前のように感じてしまう。
「……ガーゼフ!」
シャンディの叫び声が森に響いた。




