第六十九話 追跡者と暗殺者
「何故お前たちがここにいる?」
俺たちを一瞥した後、獣人が呟いた。
「冒険者がここにいるのは不思議な事じゃないと思うのだが」
一応の言い訳を並べる。こんなもの通じるわけがないだろうが。
「……これが普通の冒険者だったらそうだろうな。しかしお前たち、そしてそこの女が居る時点で、答は一つしか無いと思うが」
「だとしたら、『裏』はどう出る?」
「……ここでお前たちと争っても仕方あるまい」
少しの間考え込み、そう結論付けると獣人は踵を返した。やはり、冒険者と事を構える様なことはしないだろう。
「ねぇ! ちょっとまって!」
そこにシャンディが静止をかける。「まだ何かあるのか」と面倒臭そうに獣人が振り返った。
「ガーゼフのこと……教えて欲しいの」
「正確な居場所なら、まだ我々にも掴めていない」
獣人は即答する。実際にわかっていても素直に教える気は無いだろう。
「……そうじゃないわ。『裏』に来てからの彼のこと……出来れば教えてくれないかしら」
「……そんなことを聞いてどうする。貴様と奴に接点があるのは見ていれば分かる。しかし『裏』に所属した以上、表での事は全て捨てているのだぞ」
腕を組んで獣人は訝しむ。ガーゼフの過去について語る気は無いようだ。
「……何故、彼は呪われているの?」
「強さを求めた結果だ」
簡潔な理由にシャンディは驚いた。
「強さを手に入れるためだけに呪いを受け入れた……の?」
「裏に生きるものは少なからず同じようなものだ。『裏』は実力がモノを言う世界。強くなれるというのであればそれを望む者は多い」
フェルデンには此処死者の園があるため、他の場所と比べたら呪い装備も出回りやすいのかもしれない。しかし、普通に考えれば、自らその呪いを受けようとするものは少ないだろう。命を削るようなやり方だからだ。
「あなたも?」
「残念ながら俺には耐性はなかった」
「……耐性とはなんだ?」
気になった単語が出たので、俺も口を挟んだ。獣人は「お前もか」と言うような視線を送ってくる。
「文字通り、呪いに対する耐性だ。だからこそ長期間ガーゼフは呪われたまま活動出来ていた」
俺は黒騎士を横目でみる。あれは耐性というよりは能力だ。確かに昔から呪いを受けにくい人物が居るという話は聞いたことがある。それをガーゼフが持っていたということなのか。
「呪いか……しかし耐性があるというのに、何故こんな状況に陥っているんだ?」
「耐性と言えども完璧では無い。少なくとも今までは小さな諍いは合ったものの、大きな問題に発展することはなかった。……そこの女と会うまでは、な」
獣人がシャンディへと視線を向ける。
「……シャンディに会って箍が外れたということか?」
「無意識に抑え込んでいた感情が引き金となった……大方、その様なところだろう」
「……そう」
シャンディは小さく呟いた。しかし、そんな危ない代物を今まで『裏』が放っておいたのだろうか。いや、話を聞くに呪い装備は『裏』ではある程度一般的な筈。ならば、今回の事は予想外の出来事なのか?
「何をしているのですか?」
不意に、辺りから声が響いた。
俺は思わず身構えてしまう。その声の主の気配を全く感じなかったからである。
「……驚かせてしまったようで、申し訳ありません」
霧の奥からやってきたのは、何とも奇妙な格好をした人物だった。最初に目につくのは真っ白な仮面。その奥から覗く双眸は、まるで氷のような冷たさだ。
仮面の人物は俺たちの側まで来ると、おもむろに頭を下げた。
俺の眼の前に居る『裏』の獣人と比べ、かなりの軽装だ。聖銀、銀糸装備は元より、普通の皮装備すら着けていない。ただ、その仮面と、複数箇所から顔を覗かせる短剣だけが異彩を放っていた。
――暗殺者。
仮面の人物を見るなり、頭に浮かんだ単語。そしてそれは外れていないだろう。
今、その存在を視覚で認識しているにも関わらず、実際にそこに居るという感覚がまるでない。なんだか薄ら寒い感覚が俺の中を通り抜けていった。
……これが『裏』の刺客か。こいつから襲撃を受けたら、何か反応をする前に殺されてしまいそうだ。
「いや、単に見かけた冒険者と情報を交換していただけだ」
戸惑っている俺を察したのかは定かではないが、獣人が仮面の男に向けて言葉を発する。
「そうですか、それでは集合場所に戻ると致しましょう」
仮面の人物は軽く頷き、獣人に戻るように促す。獣人は黙ってその支持に従い、霧の奥へと戻っていった。
「あなた方も、お気をつけになりますように」
その言葉を残し、仮面の人物もまた風の様に去っていった。
なんとも言えない重圧から開放され、俺は大きく息を吐きだした。
その後、十二分に不死者たちの相手をし、俺たちは少しずつ奥へと進んでいった。幾つか感覚強化に引っかかる生者は居たものの、そのどれもが『裏』の関係者と思わしき人物だった。
相手はこちらの事をただの冒険者だと判断しているのか、一瞥するなり、さっさと姿を眩ましていく。こちらとしても、無駄に顔を覚えられるよりは好都合だ。
そうこうしているうちに一日目は終了し、俺たちはこの死者の園の中で夜を明かすことになる。
「ううううううぅ……」
死人の怨嗟の声宛ら、マルシアの口から唸り声が漏れていく。どうやら無意識でやっているらしく、注意すると一旦は収まるのだが、少しすると再び響き始めてくる。どっちが不死者かわからんぞ。
死者は光や火を恐れる傾向にあるので、野営の最中に襲撃されることは思ったよりは少ない。だがしかし、今回はガーゼフが居る。仮に食糧を求め、冒険者に手を出してくるとしたら、警戒を怠る訳にはいかない。
番は二人一組の二番制。レベル5の俺とシャンディを別々に分け、俺にはシルヴィア、シャンディにはマルシアが共をすることになった。
先に休むのはシャンディ組。俺たちは火の側に寄っていく。光源だけなら光魔石で十分だが、やはりそろそろ暖魔石と併用しなければ辛くなってくる。この魔窟の雰囲気も、寒さを助長するのに一役買っていることだろう。その為、出来るなら枯れ木を集めて火を起こしたほうが安上がりだ。火は調理に灯りに暖を取ると万能である。普段魔石に頼っていると、こうした自然の大切さというものをしみじみと実感する。
シルヴィアは火の際で縮こまり、両手の平を前へと向けていた。
俺もその焚き火をじっくりと見つめる。統一性のないその揺らめきは、見ているだけでも何か引き込まれそうになってくる。火に入る虫の感覚と言うのは、このようなものなのだろうか。
「……悲しい場所ですね」
小さくシルヴィアが呟いた。
「そりゃ、死んでもこの場所に捕らわれ続けているのだからな」
パチッと炎が爆ぜ、火の粉が舞う。それがゆっくりと空中へと消えて行った。
「……この場所に群がる死者たちと、私。何が違うのでしょうか」
シルヴィアは眼の前の炎から視線を上げ、薄暗い森の奥をじっと見つめて呟いた。俺はシルヴィアのすぐ近くへと立ち、そしてそのまま火の前で腰を屈めた。
「ここは暖かいだろう。それを感じられるということは生きているということだ」
そしてシルヴィアの頭を撫でる。
死後の世界や怨念などを語る際、暗くて寒いという言葉がよく使われる。つまり、明るく暖かければ生きていると言うことで良いだろう。
「……そうですね」
単純な俺の理屈に、シルヴィアは何処か困ったような顔をする。
しかし、手から伝わるシルヴィアの温もりは、確かにそこに存在している。




