第六十七話 裏と逃走劇
「それじゃあ、説明してもらおうか」
俺の言葉が部屋に響く。事態を飲み込めていないシルヴィアとマルシアは、俺たちを交互に見比べていた。
「……やっぱり気づいていたのね。最近どうも視線が鋭くなったから、もしかしたらって思っていたのだけれど」
シャンディは笑みを作る。その洞察力はさすがだった。
「あの……どういうことですか?」
マルシアがよくわからないといった顔をして問いかけてきた。隣のシルヴィアも同じように、黙ってシャンディを見つめている。
「それをこれから話してくれるのだろう?」
俺の言葉にシャンディが「ええ」と頷く。大きく深呼吸すると、少し間を置いて口を開いた。
「――イグニスの察しの通り、私は巫女よ。精霊族であるシルフの巫女、シャンドラ・アウラ・シルフィード」
同じ巫女であるマルシアが「ええっ」と驚きの声を上げる。シルヴィアは未だに沈黙を守っていた。
シルフ。それは主に高山に住むと言われている精霊族で、ベリアント王国ではあまり見かけない種族である。その外見が人間とほとんど変わりなく、判別方法が難しいことも大きいだろう。まあ、エルフも耳さえ隠してしまえば、人間と然程変わりはしないのだが。
おもむろにシャンディが服を脱ぎ始める。
「え、あ、あのっ!?」
突然の行動にマルシアが慌てふためき、止めに入ろうか迷っていた。横で俺が真剣な表情をしているのを見て取ると、一歩退いてシルヴィアと共に黙り込んだ。
「これが証拠よ」
下着姿になり、背中をこちらに向けるシャンディ。そして長い薄水色の髪を掻き上げると、そこには肩甲骨の内側辺りから小さな羽が顔を出した。
シルフの判別方法はその背中の羽になる。昔は空をその手に収めていたと言われるように、その証である羽が生えていた。しかしその羽は、ほぼ確実に服の中に隠れてしまう上、先程のシャンディのように長い髪の毛に隠れてしまうほどに小さく、わかりにくい。
「ふふ、お風呂で隠すのはちょっと苦労したけどね」
そう言うと服を着直し、シルヴィアとマルシアに向かって微笑んだ。視線を向けられた二人は、どう反応していいのか困っている。それはそうだろう。俺だってガーゼフとの一件がなければ同じような反応をしていたことだろう。
「……シャンディが精霊族の巫女であることは分かった。それで俺たちに協力して欲しい事と言うのはなんだ?」
「そうね、一言で言うなら死者の園の協力依頼ってところ……かしら」
「……それはわざわざ正体を明かしてまで頼むことじゃないだろう?」
今まで秘密にしてきたのだ。それはお互い様の部分ではあるが、何故今になって打ち明けるのかが謎である。
「一つは、貴方たちが信頼に値する人物だとわかったこと。もう一つは、今までみたいな能力の出し惜しみをして欲しくないこと。そして最後に……契約者、ガーゼフに関わること、だから」
「それじゃ、ここ最近忙しそうに見えたのは……」
「ええ。ここのところ、ガーゼフの事を調べていたの。様子がおかしいのは何かあるんじゃないかって」
「……幾ら昔の仲間だったとしても、今のあいつは『裏』の関係者だぞ」
仲間の獣人も言っていた。俺たちには関わるなと。
「もちろん、正面から堂々と調べてなんかいないわよ。歓楽街の賭博場とか酒場とかで少しずつ話を……ね」
歓楽街は『裏』の庭だ。当然、情報は色々と転がっているのだろうが……。
「皆、噂をしていた……ガーゼフは呪われているって。ここ最近は、何処へ言ってもトラブルを起こしていたらしいわ」
例の食事処での騒ぎを思い起こす。ああいったことを各地で行っているとしたら大問題だろう。
呪い。俺は端に立っている黒騎士を見やる。シルヴィアだからこそ使いこなせているが、この鎧に掛かっているのは命に関わる呪いだ。
「それが本当ならば、このままだとあいつは……」
ガーゼフが発した、人ならざる気配。今思えば、あの気配は魔物の発するそれに近い気がする。
「……ええ、その話は真実。既に取り返しの付かないところまで来てしまっている」
そこでシャンディは言葉を切ると、少し間を開けた。
「……昨夜、『裏』からガーゼフの……処分命令が出されたわ」
「『裏』はガーゼフに見切りをつけたのか?」
処分命令とは穏やかではない。なにか決定的な事を起こしたのだろうか。
「……先日、歓楽街で諍いを起こして……数名を殺害したそうよ」
シャンディが顔を伏せ気味に言う。その表情はどこかやりきれないといった感じだ。
……昨夜の出来事はガーゼフが起こしたものだったのか。
「……それは『裏』が黙っているわけないな」
これがまだ街の外ならともかく、自分たちのお膝元での事件であり、身内が引き起こした以上、ケジメはきっちりと付けなければならないだろう。『裏』にとって何より大事なのは面子だ。
「刺客は既に放たれているんだろう、俺たちが出る幕はないんじゃないか?」
いくらガーゼフが手練であろうと、隙を狙って襲い掛かってくる暗殺者たち全てを倒すと言うのは無理な話だ。個人対組織である以上、結果は見えているようなものである。
「それが……逃げ込んだ先が、死者の園らしいのよ」
なるほど、ここに来てようやく話が繋がった。不死者を目眩ましとして逃げているのか……しかし、そんな状態はいつまでも続かないだろう。単純に食糧の問題もある。つまり、ガーゼフが次に狙うのは魔窟に来る冒険者か?
どの道、死者の園に逃げ込んでいる以上、このままだと冒険者ギルドも巻き込んでの騒動に発展するだろう。それは『裏』にとっても芳しくない出来事だ。
「……それで、シャンディはどうしたいんだ?」
これを聞かなければ始まらない。
「彼を止めたいの。出来ることなら私の手で」
皆で話し合った末、俺たちは一時的に精霊契約を結ぶことになった。
ガーゼフが契約者であること、そして元々その力を得ていたことを考えると、俺たちの手で決着を着けておくに越したことはない。
もちろん、これらが全て徒労に終わる可能性も十分にあるのだが。
よく考えてみると、シルヴィアに契約方法については教わったが、解除方法については全く触れていなかった事を思い出す。まあ、シャンディは解除したことがあるし、特に問題はないのだろう。
薄暗い部屋に光が溢れる。
また一つ、俺の中へと何かが入ってくる。
部屋に響くのは馴染みのある祝詞。巫女が紡ぐ、精霊への賛美歌。その声に導かれ、光の奔流が俺の胸へと収束していった。
光とともに声も消え、部屋はいつもの静寂を取り戻していく。
その中心に残るのは胡座をかいて床に座りこむ俺と、その俺の胸に手を当て、ゆっくりと深呼吸をしているシャンディ。そしてその光景を遠巻きに見守るシルヴィアとマルシア。
息を整えると、シャンディは床に三指をついて頭を下げた。長い薄水色の髪が大地を這う。
「契約者様。これにて契約は完了致しました」
これが巫女の正式な儀式なのだろうか。マルシアはともかく、シルヴィアの時も勢いばかりだったので、こういう雰囲気はなんだか新鮮だ。
「しかし、そろそろ普通に戻ってくれないか。ずっとその様子だと調子が狂うぞ」
何やら少し考え、シャンディはいつもの態度に戻った。
「……そうね。それじゃイグニス。よろしくお願いね」
その言葉に、俺は「ああ」と頷いた。




