第六十五話 招かれざる客とついてない日
俺の目の前にはガーゼフが居た。
テーブルをはさみ、反対側の席から黙って俺を見ている。相変わらず重そうな騎士鎧姿だが、いつも着ているのだろうか。
今日はお供を連れていないのか、一人だけだ。
俺は手にしている食器を置く。手元には食べかけの昼食があるが、手を付ける気がなくなってしまった。もともと惜しくはない程度の食事ではあるが、無駄にするというのは好ましくない。
しかし……なんでこんな状況に陥っているのだろうか。
はぁと溜息をついて、俺は今までの出来事を思い返した。
その日は朝からついていなかった。
寝床から抜けだした俺は、脇にある光魔石へと手を伸ばす。しかし、魔力切れを起こしたのか、うんともすんとも言わなかった。
薄暗いながらも小さな天窓から差し込む朝日で、見えないわけではない。しょうがないと諦め、あくびを噛み殺す。
この宿に泊まってからは朝風呂の習慣が出来つつある。俺はゆっくりと衣服を脱いでいった。やはり朝は肌寒い。
そのまま部屋の隅にある小さな浴場へと向かい。
――冷てぇ!
寝ぼけていた頭が一気に冴える。桶から被ったものは水だった。頭と一緒に体がどんどん冷めていく。そして理不尽な怒りが湧き上がった。確認をしなかった俺も悪いが、この憤りを何処にぶつければいいのだろう。
風呂場の魔石口から何故か水が出てくる。何度確認してもお湯は出てこない。これは火魔石の方が魔力切れでも起こしたのか。
水分により垂れ下がった前髪をさっと掻き上げると、さっさと浴場から出て水分を拭き取っていく。それと同時にため息が出ていった。
出かけ際に老婆にそのことを告げておいたが、何とも微妙な反応だった。これで直ってなかったら怒鳴りこんでやる。
まあそれだけなら偶然が重なったとでも思えた。
朝食に行くと食堂は混んでいた。それだけならまだしも、注文した俺の料理だけこない。店員に言うとどうやら忘れていたようだ。
今日は銀糸の仕立てに向かうため、シャンディが部屋へとやって来る。ちょうどいいのでシャンディとマルシアにシルヴィアを任せ、俺は魔石の補充など別行動を取ることにした。
「あんた、これはもうダメじゃな」
切れた光魔石を手に取り、魔石屋の爺さんが言う。
どうやら劣化が激しく、魔力漏れが起こっていたらしい。小さな携帯用魔石だから、持つ期間も短いのは仕方ない。俺は新しいのを手に入れるついでに、暖魔石も購入しておこう。
それは文字通り周囲を暖める魔石だ。冷魔石の対になるものと思えばいいだろう。これからの季節、これがないと厳しい場面も出てくる。
他にもひと通り魔石の補充を頼み、提示されたその金額に思わず驚く。……そういえばリスタンブルグではグラスに安価でやってもらっていたんだった。どうにも金銭感覚にズレが生じている。
魔石屋を出て道を歩いていると、何かを形容しがたいものを踏み込んだ。ああ、靴を何処かで洗いたい。
空の曇天模様が俺の心を映し出しているかのようだ。
そして極めつけが昼飯の時。
表通りのほとんどの店が混んでいるのは仕方ない。時間も時間であるし、客も途切れることはあまりないだろう。
その時の俺は、何故か隠れた名店を探そうなどという気分になっていた。人が少ない、どこか落ち着ける場所を探していたということもある。
そうやってふらふらと彷徨う俺は、ひとつの店に辿り着いた。そこは大通りの裏、住人路の中程にある、こぢんまりとした普通の店だった。正直、最初は閉まっているのかと思ったくらいだ。やはり表通りに比べて、ここらへんは活気が無い。
外から察することが出来た通り、内部にも人はほとんど見当たらない。俺と同じように、一人で席に付いている者が二、三人居る程度だ。落ち着くにはいいかもしれないと、その時は思っていた。
その店の料理もやはり想像通りだった。決していい意味ではない。
可もなく、不可もなく。値段も普通。これといった売りが全くない。
こんなものかと食を進めていると、ガランと入店を知らせる音が響く。入り口から新たな客がやってきたのだ。
俺はふと、そちらを向いた。
これが今日一番のついていない出来事だろう。
「安心しろ。ここで剣を抜くつもりはない」
重苦しい雰囲気の中、ガーゼフがようやく口を開いた。
それは見ていれば分かる。以前の別れ際と比べたら驚くほど落ち着いていた。本当に感情の上下が激しい奴だ。
「くくっ。いやなに、よく考えれば貴様も被害者なのだろうと思ってな」
「……被害者、だと?」
意図が全く見えない発言に、俺は眉をひそめる。
「ふははははっ。やはり何も気づいていないようだな! これを滑稽だと笑わずに要られるだろうか!」
……やはり喧嘩を売りに来たのか、こいつは。剣を抜かないとは言ったが、拳を振るわないとは言っていない。まあ、わざわざそんな含みを持たせて喋るような男ではないだろうが。
ガーゼフは盛大に笑い、何時の間にやら運ばれてきた酒を一気に煽った。
「ならば教えてやろうっ! 貴様には実力以上の力が備わっているな! だがな、それはマヤカシなのだっ!!」
その言葉に息が詰まった。
――こいつっ! 精霊契約のことを知っているのか!? 何故だ。ガーゼフの周りに巫女らしき者は居なかった筈だ。
「くはははっ! やはり思い当たることがあるようだな! そして思い上がっているだろう!」
黙りこむ俺をみて笑うと、ガーゼフは更に捲し立てていく。
「いくらシャンディが貴様に力を与えようと、アイツの気紛れ一つでその力は消え失せるのだぞ!」
……シャンディ?
予想外の名が出てきた。シャンディが俺に力を与えただと……どういうことだ?
話の流れから察するところ、こいつはもともと力を持っていた。それは、俺と同じ精霊契約なのだろうか。そしてそれを与えたのはシャンディ。……となると、つまりシャンディは巫女ということになる。
「……シャンディは精霊族なのか?」
「あ? 何故シャンディが精霊族という話になる?」
俺の言葉に、ガーゼフは訝しげな目を向ける。
話がまったく噛み合っていない。なんだ、このチグハグな会話は。
「お前はシャンディが力を与えた……と言ったな?」
「ああ! そうだとも!!」
次の瞬間、いきなりガーゼフが激昂した。
先程からこちらを窺っていた数少ない周りの客は、その豹変ぶりに嫌な顔をして立ち上がっていく。どうやら、ガーゼフが店内で暴れそうだと認識したらしい。被害を被らないうちに避難しようと外へと出て行った。こちらとしても、その方が好都合だ。もしかしたら精霊契約の話が漏れ出るかもしれないからだ。
「そう! アイツには変な力がある! 人の能力を引き上げる力がな!!」
そう言いながら、ガーゼフはドンドンとテーブルを叩き始めた。
変な力。こいつにも詳細はわかっていないのか?
「だがしかし! アイツのせいで私はっ! アイツがっ! アイツが去らなければっ!!」
最後の一際大きな叫びと共に、眼の前のテーブルがかち割れる。皿が大地に叩きつけられ、食べかけの食事が辺りに散らばっていく。
その行動に俺は思わず身構えた。今の状態の奴は最初の約束など忘れていることだろう。それほどまでにその眼には憤怒が満ちていた。それはまるで人の一線を越えてしまった何かに見える。
「やれやれ、聞覚えのある叫び声が聞こえたかと思えば……」
そこに声が割って入る。ややあって入り口から姿を見せたのは、ガーゼフの仲間である獣人だった。
「……貴様もつくづくちょっかいを掛けたいようだな」
獣人は俺の方に気付くと、若干不機嫌そうな表情をする。
「……食事中に勝手に割り込んできたのはこいつだ」
「……そうか。我々は『裏』の末席に名を連ねる者。あまり関わらないほうが身のためだぞ」
その言葉に俺は思わず顔を顰める。やはり『裏』も噛んでいるのか、これはますます関わり合いになりたくはない。
「その表情から察するに、理解はしているようだな。コイツがこんな風になったのもお前たち……正確にはあの女に会ってからだ。コイツとあの女の関係はよく知らんが、顔を合わせないようによく言っておけ」
獣人はガーゼフに近づくと二言三言会話を交わす。そのお陰でガーゼフの異様な怒気が落ち着いた。そして俺に一瞥くれると、そのまま入り口へと去っていく。
やっと一息つける。街中で、こんな緊張感を味わうとは思っていなかった。気づけば冷たい汗をかいていた。
俺も店員に代金を払い、さっさと帰ろうとする。
「……どうした?」
金を受け取った店主が、まだ何やら言いたそうだった。先ほどの光景から、俺たちを恐れているのは見て取れる。このまま黙って出て行くのも気が引けるので、何かあるのかと促した。
「あの……テーブルの修理代と先ほどの方の酒代を」
――くそっ! やはり今日はついていない!




