閑話 巫女の憂鬱
私にとって世界はとても小さいものでした。
生まれた時から育てられたお屋敷。その周囲を取り囲む壁の内側が私の行動範囲です。
朝起きたら精霊様へのお祈り、朝食を頂いたら精霊の巫女としてのお勉強。お昼を跨いでお勉強。そして夕食の後は身を清めて夜のお祈り。そうして一日が終わります。これが私の見習い時代の日常でした。
私にとって必要なことはこれだけで、これ以外のことは認められていません。
最初は立派な巫女になるために頑張りました。いろんな事をお勉強して、精霊様の声が聞こえる様に必死にお祈りをしました。
でも、努力は実りませんでした。精霊様の声は聞こえません。代わりに大人たちの落胆の声が聞こえました。
歳が十を超えると私は巫女として皆さんの前に姿を表します。
私には生まれつきに能力がありました。その為、巫女見習いとして修行をしてきました。
すべてを癒す世界樹の祝福。どんなに傷ついても私は死にません。どんなに痛くて、どんなに苦しくても、私は死ねません。
お屋敷には精霊様にお祈りするために色々な人がやってきます。その方たちに精霊の祝福を見せるため、私は刃を突き立てられました。なんでそんなことをするのと聞くと、それが巫女としてのお仕事だと言われました。
皆さんはこれを祝福と言いました。とても名誉なことなんだよと私に言います。
名誉ってなんでしょうか? 死なないことが名誉なのでしょうか? 苦しいことが名誉なのでしょうか? 私にはわかりません。何もわかりません。分からないから考えることをやめました。
何も考えなければ楽でした。
それから毎日、私の身体には剣が突き立てられました。そのうち痛みを忘れました。これも祝福なのでしょうか?
そして痛みと一緒にそこからの記憶も忘れられました。
気がつくと私は馬車で運ばれていました。
あれからどれくらい経ったのでしょうか?
近くには私と同じような歳の女の子が何人もいました。
話を聞いてみると私は人買いの人に連れて来られたみたいです。
しばらくすると小さな家につきました。中に入ると私の首に輪っかが取り付けられました。そして私は奴隷なんだと教えられました。
それから奴隷としての心得を教えられました。失敗するとムチで打たれました。でも私は何も反応しません。その態度に怒ったのか教育係と言う女性は更にムチを叩きつけます。皮が裂け、血が出ました。でもそれだけです。傷はかってに治ります。
女性はとても驚いていました。それに気づいた周りの人たちも同じように驚きます。その反応は祝福を見た信仰の人たちと同じでした。
それから私は他の人と違う扱いをされました。最初は同情的に話しかけてきた女の子たちも遠くから私の様子を窺うだけでした。
待遇は巫女だった頃とあまり変わりません。巫女のお勉強の代わりに奴隷のお勉強。小さな家に閉じ込められているのも、大きなお屋敷に閉じ込められているのも気持ちは一緒です。だた無闇に傷つけられない分、奴隷の方が楽でした。
基本的なことを覚えると次は立派な建物に案内されました。
夜になってもお昼のままのようなとても明るい建物です。
次はここでお勉強をするみたいです。私に教えてくれるのはとても綺麗なお姉さんでした。なんだか凄い人気のある人みたいです。
お姉さんは私の祝福のことを聞くととても悲しい顔をしました。そんな顔をする人は初めてでした。気になった私はどうしてそんな顔をするのか聞いてみました。するとお姉さんは何も言わずに私の頭を撫でました。
それからお姉さんに付いて、ご主人様が喜ぶことや望むことを勉強しました。
お姉さんがしていることを私は見ているだけでしたが、お客さんにはそれが良かったみたいです。私にはよくわかりませんでした。
お姉さんはとてもよくしてくれました。今までで一番嬉しかったです。
でもしばらくするとお姉さんは売られていきました。奴隷じゃないのになんで? と近くの人に聞いてみると、幸せになるために売られたんだよと言われました。お姉さんが幸せになれるならそれは良いことだと思います。
それからすぐに私達も売られる日がやって来ました。この街よりもっと大きな街で売られるみたいです。
馬車に乗るために街の広場に向かいました。広場はとても大きくて、人がたくさんいました。
早く進めと商人さんが怒鳴りました。他の人たちが慌てて歩き出しました。私もそれに習います。
人がいっぱいいる中を歩いていると、やがて私たちが乗る馬車が見えてきました。馬車の周りには数人の男の人がいました。私たちを護衛する冒険者さんでした。
商人さんが冒険者の人たちに声をかけていきます。私は何故か冒険者さんの中の一人が気になりました。なんだか懐かしい感じがしました。
思わずじっと見つめていると、冒険者さんもこちらに気づきました。そしてなんだか慌てて目をそらされてしまいました。ちょっとショックです。
それからその冒険者さんをずっと見ていました。自分でもよくわからないのですが、気づくと見つめていました。
商人さんと冒険者さんが何やら話していました。どうやら私の祝福についてみたいです。商人さんの話が進むにつれて何故か冒険者さんが怒っているのを感じられました。顔は普通なのに、なんででしょう? でも私のことで怒ってくれたのはなんだか嬉しかったです。
夜に魔物が襲ってきました。冒険者さん達が頑張って倒してくれたので安心です。でもあの冒険者さんがひどい傷を負って運び込まれました。全身血だらけでした。私ならすぐに治るのに。
しばらく様子を見ていると冒険者さんが気づきました。目の前に私がいることに驚いてまた目をそらされてしまいました。
何故かはわかりませんが、私は冒険者さんの傷が治せると思いました。私の祝福は私にしか効かないのになんででしょうか。でもそう思えたので冒険者さんに声をかけました。冒険者さんは驚きましたが私の声にちゃんと耳を傾けてくれました。
導かれるままに冒険者さんの胸に手を当てました。そして気づいたら精霊様への祝詞を上げていました。
私の手が光ったと思うと――様々な感情が私の中に流れ込みました。
子どもの頃の巫女になるために頑張ろうとした気持ち。ちゃんと勉強して褒められて嬉しかった気持ち。精霊様の声が聞けずに悲しかった気持ち。様々な感情が私の中から溢れてきました。
ああ、なんて懐かしい。
今までの感情と沸き上がってきた感情にうまく整理をつけられません。
でも何故こうなったのかはわかりました。蘇る感情とともに精霊契約について思い出しました。決して漏らしてはいけない里の秘密。それは精霊、そしてその巫女達と魂を繋げる契約。
目の前の冒険者さんは精霊を受け入れられるだけの魂を持っていました。その見えない輝きに私は惹かれたのでした。
冒険者――いえ、契約者様は驚いていました。
そしてその理由を求められました。
私は覚えている知識を契約者様に伝えました。
そして願わくば私も連れて行ってほしいと。
契約者様は頷いてくれました。
今、私の心に生まれたこの感情。
それは魂をつなげばきっと芽吹くことでしょう。
その感情はとても暖かく、とても気持ちのいいものでした。