第五十三話 おっちゃんと稽古
二人に俺が見た光景を伝えると、不思議そうな顔をされてしまった。
どうやら俺が魔石に触れた瞬間、光が発生したところまでは一致している。だがそれはすぐに収まり、気がついたら俺が床に倒れこんでいたらしい。魔石は光とともに消えてしまったとのことだ。
像だったものは砂つぶとなり、辺りに散らばっている。それを掬ってみたが特に何も感じられない。例の気配も光とともに消失してしまった。その分、礼拝堂の温度が下がったように感じられる。ステンドグラスから差し込む日もどこか寒々しい。今まで神聖に感じていたこの空間が、あっという間に元の廃墟へと変わったようだった。
隣の二人も不思議に思い、俺と同じように砂を触っていた。さらさらと指の隙間を砂がこぼれ落ちていく。
俺は頭を振る。あの光景は一体なんなのか、白昼夢でも見ていたというのだろうか。
再び、あの女性の姿を思い起こしてみる。しかし、中々の美人だった。人間中身が大事だとは思うが、やはり見た目も良いに越したことはないだろう。
「どうしたのですか?」
目を瞑って想像力を発揮していると、シルヴィアが聞いてきた。別段、思考を読み取ったわけではなく、ただ単純に俺が唸っていたから興味がわいたのだろう。背後にかかるマルシアの視線とは温度に明確な差があった。
「ん、ああ、いや……あの像は一体何だったのだろうかとな」
腕を組んで悩む振りをする。その姿をシルヴィアがじっと見つめていた。どうやら純真な視線のほうが俺には効果があるみたいだ。
「……あの像に似たものなら見たことがあります」
そこに思いもよらぬシルヴィアの言葉が飛び込んだ。
「見たことある? どこでなんだ」
驚いてシルヴィアの顔を覗き込む。
「……私の里。精霊様を模した像になんとなく似ていました」
シルヴィアは俯き、小さく呟く。出会った頃に聞いた里の話。それはあまり思い出したくないことだろう。俺はその頭に手を載せると、軽く撫でた。
「でも……あのような気配は初めてです」
ゆっくりとシルヴィアが話を続けていく。果たしてそれは、見た目だけで似て非なるものなのか、それとも別の理由があるのか。
「あの魔石らしきものは見たことないか?」
シルヴィアは黙って首を横に振る。それ以上のことはわからなさそうだ。
何か手掛かりは無いかと更に礼拝堂を調べていく。壊れかけの長椅子に落ちたシャンデリア、そして荒らされた祭壇。あるのは当たり前のものでしかなく、特に気になるものはなかった。
結局なんの成果も上げられず、俺たちは帰還の途についた。
道すがら三人で色々と話し合ってみるが、マルシアいわく、俺が像に見とれてみた幻想という案を押してくるため、なんだかそれが正しいような気がしてくる始末だ。
村の裏口まで来ると、ほとんど日が落ちていた。
予定では今日のうちに村を出るはずだったのだが、色々な事が重なり、今日もこの村で世話になることになってしまった。
俺たちが歩いていると村人たちが礼を言ってくる。依頼を終えたことが広まったのか、村人たちの警戒も薄れ、よそ者扱いもほとんど無くなっていた。
村人たちの話から察するに、思った以上にあの姉弟は慕われているようだ。二人の親父さんが立派な冒険者に加え、引退した後も村に色々尽くしたことに起因するらしい。
宿に戻る前に夕食を酒場で取る。またも料金はいらないと女将は言ってきたが、さすがに何度も世話になるつもりはない。報酬も既に貰っているのだ。これ以上は逆に俺たちが戸惑う。
問題が解決したことにより、酒場は活気を取り戻していた。まさか村人たちもこんなに早く解決できるとは思っておらず、再び何度も感謝されてしまった。おまけに代わる代わる酒を薦めに席までやって来る。
酒が入ると場が緩む。進められるままに呑んでいたマルシアが上機嫌になり、生来の人当たりの良さも手伝って、いつの間にやら大人気になっていた。
俺とシルヴィアはどちらかというと店の片隅が似合っている。人の対応はマルシアに任せておくことにしよう。
宴もたけなわ。しかし明日は出立の予定だ。マルシアがぐでんぐでんに酔っ払う前にとっとと切り上げなければ。
キリの良い所で俺はマルシアを連れ出し、宿へと戻っていった。
「いいところだったのにー」
不満を述べるマルシアだが、俺は取り合わない。
「おかえりなさい」
宿の受付ではルーリィが椅子に座り、帳簿をつけながら帰りを待っていた。
「すまない、酒場に寄っていたら遅くなってしまった」
「いいえ、村の人たちが引き止めたのでしょう? 普段は良い人たちなのですが、お酒が入ると……申し訳ありません」
「酒と言うのはそんなものだ。いちいち気にしてはもたないぞ」
俺たちは挨拶もそこそこに部屋へと戻っていく。
さっきからマルシアはずっと撓垂れかかったままだ。ルーリィが何となく恥ずかしそうにしていたので、自分の足で立つように言っているのだが聞く耳を持たない。
「それじゃ一緒に寝ましょう!」
そう言うと、マルシアは俺のベッドに潜り込んできた。
若干身体に違和感を覚えつつ、朝を迎えた。
先日の生体活性が許容量を少し超えていたのだろう。体を動かすと微妙に痛みが走る。振り返ってみると、いつもより長時間使用していた気がするので仕方がない。まあ、これくらいなら旅に支障はないだろう。
隣にはマルシア。そしていつの間にかにシルヴィアも居る。どうやら今日は俺が一番早く起きたようだ。
ふと、ブンブンと何かを振る音が聞こえてきた。
静かに寝床を抜けると窓を開ける。開かれた視界の先には、昨日の恐怖を振り払うかのように一心不乱に木剣を振るうウルスの姿があった。本人が言うだけのことはあり、その鋭さは中々のものだ。親父さんのスタイルを真似ているのだろうか、小さな身体には不釣り合いな動きも混じっていた。
足音を立てずに俺は部屋を抜け出す。そして受付奥、姉弟たちの居住空間へと顔を出した。
「おはようルーリィ。不躾で悪いが木剣ってあるか? あるなら借りたいのだが」
朝食の準備だろう、奥の台所にはシダ芋の皮を剥いているルーリィが居た。
「あ、おはようございます。……木剣ですか? 確か父の部屋にあったと思います。ちょっと待っててくださいね」
腰のエプロンで手を拭うと、ルーリィはぱたぱたと奥の部屋へ入っていった。少しすると、俺の願いどおり、木剣を持って戻ってきた。
「これですね、どうぞお使いになってください」
そして木剣を差し出してくる。俺はありがたくそれを受け取った。
「すまない、少し借りるぞ」
「はい。……ウルスのこと宜しくお願いします」
そう言って頭を下げられてしまった。どうやらお見通しのようだ。
俺は「ああ」と返答し、台所奥の扉から裏手へと出て行く。
「よう、精が出るな」
木剣の刀身を肩に乗せ、ウルスに声をかけた。
「あ、おっちゃん!」
声に気づき、ウルスは俺の方に振り返った。その顔には驚きと戸惑いがある。そして手を止めると、若干まごつきながら俺の前までやってきた。
「その……昨日は、助けてくれて……ありがとうございました!」
ゆっくりと息を吐くと姿勢を整え、ウルスは深々と頭を下げた。どうやらしっかり反省しているようだ。昨日の今日で頭を切り替えるのはなかなかに難しい。なんだ、俺のガキの頃よりよっぽどマシじゃないか。
俺は思わず笑ってしまった。
「今回の経験を無駄にするなよ」
「……はい!」
顔を上げたウルスは真剣な表情したまま、再び頷いた。
「それじゃ、少し稽古の相手をしてやろう」
木剣を下ろすと、ウルスの前に持っていく。一瞬驚いたウルスだったが、言葉を理解すると顔をほころばせた。
「えっ、いいの!? やった!」
先ほどの雰囲気はどこへやら、ウルスはいつも通りの子どもっぽい声を上げて喜んだ。
生体活性の反動が多少あったところで、少年一人の相手に難はないだろう。
俺たちは距離を取ると、互いに木剣を構えあう。そしてしばらくの間、木剣の打ち合う音が辺りに響いていった。
「いただきます!」
ウルスが眼の前のパンに齧りついた。かなり激しく動いていたので腹が減っているのだろう。
二人が起床したので食事に向かおうとしたところ、ルーリィが「ご一緒にどうですか」と朝食を薦めてきた。是非にと言われて、相伴に預かることにした。
眼の前のテーブルに並ぶのは、パンとスープという家庭的な朝食だ。薄めの味付けだったが、朝にはちょうどいい。普段酒場の様なところで食べ慣れていると、こういう食事はありがたいものだ。
ゆっくりとした時間が流れていく。ウルスは二杯目のスープに取り掛かっている。ルーリィに薦められたので俺もおかわりを頂くことにした。
「良かったら昼食に食べてください」
食事も終わり、そろそろ出立する旨を伝えると、ルーリィは台所から布に包まれたものを持ってきた。俺たちのために作っておいた、パンに肉と野菜を挟んだサンドイッチらしい。
「ありがたく頂くよ」
俺は礼を言い、それを受け取った。
「また近くに来たら寄ってくださいね」
旅の支度を終え、俺たちは村の入口前に立つ。それを見送るルーリィとウルス。
「お前たちも元気でな」
「お世話になりました!」
「……ありがとうございました」
それぞれ返答をすると、俺たちはゆっくりと歩き出した。
段々と村が小さくなっていく。
「イグニスさん、あれ」
マルシアに呼ばれ、俺は振り返る。そこには駆けて来るウルスの姿があった。
「おっちゃん、ありがとう! 俺、頑張って絶対冒険者になる!」
俺が振り向いたことに気づくとウルスは立ち止まり、大きく手を振っていた。
「しかしおっちゃんか……」
ウルスの姿も見えなくなり、村からも遠く離れたところで俺は小さく呟く。自分が「兄ちゃん」などと呼ばれるほどでないことはわかっているが、「おっちゃん」と呼ばれるのもまた微妙な気分である。
「大丈夫です! イグニスさんはまだ若いですよ!」
呟きを耳にしたマルシアがフォローしてきた。
「……お前が言うと嫌味に聞こえるのはなんでだろうな」
影でウルスに「マルシアねーちゃん」と呼ばれて喜んでいたことを俺は知っているぞ。




