第五十一話 少年と毒蛇
久々のベッドは快適だった。
いくら部屋が狭かろうが、ベッドの上にいれば関係はない。起きた時に部屋を占領している黒騎士に驚いてしまったが、それは些事だ。窓から差してくる日さえも邪魔しているので、若干部屋が暗い。
「おはようございます」
俺の起床に気付いたシルヴィアが挨拶をしてくる。どうやら先に起きていたようである。同じベッドの上で、窓の方を見ながらぼうっとしていた。しかし、シルヴィアのベッドは隣のはずなのに、何故俺のベッドを占領しているのだろうか。まだ寝ぼけているのかもしれない。
反対側のベッドを使っているマルシアはまだ夢の中だ。日は昇ったばかりである、シルヴィアに習ってゆっくりするとしよう。
俺は窓を開け放つ。今日も気持ちのいい風が吹き抜けていった。皮袋の中にある冷魔石は既に無用の長物と化しているのかもしれない。
視線を宿の裏手へと向けると、そこにウルスの姿が飛び込んできた。何やら大きな革鞄に色々詰め込んでいるようだ。何故外でやっているのか気になり、俺は窓枠を飛び越えた。
「何してんだ?」
背後から掛けた俺の声に、ウルスは少しだけ飛び上がって驚いた。
「……って、おっちゃんかよ。姉ちゃんかと思ってビックリしただろ」
ウルスの手にある革鞄には、様々な冒険雑貨が入っているようだ。
「それは親父さんのか?」
「ああ! でもオレが揃えたものも入ってるんだぜ」
誇らしく胸を張り、ウルスは鞄のクチを思いっきり開いて見せた。
鞄の中にはウルスが集めたであろう瓶詰めの薬草類、見た目からして年季の入った使えるかどうかわからない魔石類、剥ぎ取り用の短剣などがごちゃごちゃと入っていた。
「薬草が見分けられるなら取り敢えずは冒険者としてやっていけるな」
冒険者は魔物を倒し、魔石を集める者というイメージが強いが、その最中に発見する薬草類の買い取りも行っている。わざわざ魔物が居る場所に護衛を連れて採集に行くよりは効率的だからだ。レベル1ではゴブリン程度しか相手にできないため、思ったほど金は入ってこない。薬草類の知識もあれば、収入の一助となるだろう。
「へへっ、父ちゃんにしっかり教わったからな。魔物と戦うことは禁止されてたけど、あれから十分鍛えたし、今じゃ十分戦えるさ!」
ウルスは腕に力こぶをつくる。
「自信があるのは結構だが、先ずは自分の実力を知ってから戦えよ」
「つったって、そんなの戦わなきゃわかんねーじゃん」
確かに、この程度の村の規模じゃ競い合う仲間もあまり居ないだろう。
「魔物と戦うのは冒険者に登録してからにするんだな。それまでは手を出さないことだ」
幸いなことにテレシアはそう遠くない距離である。ギルドに行けば同じようなレベルの奴もいるし、仲間もできる。何も知らない子どもが一人で魔物に挑むのは無謀過ぎる。
「ちぇっ、おっちゃんも俺の実力信じてないんだろ! こう見えても強いんだぜ、オレ!」
ウルスはかなり不機嫌になってしまった。こういう場合、実際に痛い目を見ないと解らないだろう。俺が相手をしてやろうかと思ったところ――。
「あ、おはようございます」
背中に声が掛かった。眼の前のウルスが慌てて革鞄を後ろに隠す。声からしてウルスの姉、ルーリィだろう。
先日、酒場の場所を聞く際に色々と話したのだが、どうやらこの宿は姉弟が経営しているとのことだ。荒くれ冒険者たちの相手をするのは大変じゃないかと思ったが、いざと言う時は周囲の住人が協力してくれているので問題ないらしい。
振り返ると、ルーリィは手にいっぱいの洗濯物が入った籠を抱えていた。
「イグニスさんたちはこれから食事……ですよね?」
「ああ、連れが起きたら取り敢えず何かを食べに行こうかと思っている」
俺は自分の部屋を親指で差す。昨日の食事はしっかり消化しており、腹は次の獲物を求めていた。
「あの……食事が済んだら村長の話を聞いて欲しいのですが」
籠を下ろし、ルーリィはなんだか躊躇いがちに聞いてきた。
「俺たちに何か用があるのか?」
「何でも魔物が出たみたいで……冒険者さんの手を借りたいと」
宿泊している冒険者といえば俺たちしか居ない。小さな宿なので、馬車組が多数きていたら宿泊出来なかったかもしれない。その点は助かったのだが……。
「取り敢えず話だけは聞いてみよう」
何れにせよ内容を聞いてみないことには何も言えない。俺はルーリィに向けて頷いた。
「ありがとうございます」
ルーリィは深く頭を下げた。
俺は「気にするな」と手を上げ、声をかける。その言葉にルーリィは顔を上げ、もう一度軽く会釈する。そして足元にある籠を持ち直し、洗濯物を干す準備を始めていった。
しばらくその姿を眺めていたが、マルシアが起きるまでは食事にも行けない。それまでウルスの相手でもしてやるかと振り返ったが……そこには誰も居なかった。ルーリィと話しているうちに何処かへ行ったのだろうか。
……なんだか嫌な予感がした。さっきの革鞄、あれは冒険の準備に思える。身の程をわきまえない誰かに似た性格。そしてちょうど良く出た魔物。
「ルーリィ!」
俺は大声を上げた。
「は、はい! なんでしょう!?」
いきなりの呼びかけにルーリィは驚き、勢い良く振り返った。
「俺は今から村長の話を聞いてくる。出来ればウルスを捕まえておいてくれ」
「ど、どういうことですか?」
「あいつは……魔物退治に行こうとしている可能性がある」
俺は急いで準備を整え、村長宅へ向かって魔物の情報を集めた。
現れたのはヒュージバイパー。レベル4の魔物だ。出会ったことはないが、ギルドの資料室で見たことはある。見た目は大きな蛇で、スティンガーと同様に毒を持っている。浄化が使える神官が居ない、このような村ではかなり危険な敵だ。
幸いというか、毒はシルヴィアの能力でなんとかなる。俺たちに問題はない。
話を聞き終わり、外へと出たちょうどその時、シルヴィアとマルシアが黒騎士と共にやって来た。二人にはルーリィと共にウルスを探し、俺のところに報告しに来るように指示しておいた。
「や、やっぱり見当たりません、でした……お父さんの剣も、なくなっていた、ようです」
息を切らせながらマルシアが報告する。やはり予感は当たったか。
「魔物の出現場所は村の裏道を一刻と少し進んだところだ。相手は毒を持っているので必要以上に近づくな。俺は生体活性で先行する。後から追ってこい」
そう言うと二人の返答を待たず、俺は駆け出した。
生体活性・脚!
脚を強化すると裏道を疾走していく。
ウルスがどれだけの情報を得ていたのかはわからない。場所を知らなければ別方向へ行ったとも考えられる。この場合ヒュージバイパーの手にかかる心配はないが、別の魔物に遭遇する危険性はある。腕が立つという本人の言を信じるのであれば、ゴブリン程度ならなんとかなるかも知れない。しかしオークやコボルトとなるとどうしようもない。果たしてどちらがいいのかわからないが、先ずは目先の脅威を取り除くことから始めるしか無い。
ある程度距離を稼ぐと感覚強化で辺りを窺う。ウルスも魔物もどちらも引っかからない。
俺は再び生体活性を掛け直すと、更に裏道を進んでいった。
感知スキルがなく、子供の足だ。例え情報が正しくても追いつける可能性は高い。
二回目の感覚強化に反応がある。地を擦るような音。そして――ウルスの小さな悲鳴。
やばい。既に接敵しているようだ。
目標に向かって全力で走る。眼の前の邪魔な木々を抜けた先で、ウルスとヒュージバイパーが対峙していた。
接近しながら片手半剣を構える。
襲いかかろうとするヒュージバイパーに対し、微動だにしないウルス。今まさにその牙が突き立とうというところに、俺は突っ込んでいった。そして勢いを殺さず、ヒュージバイパーの頭部近くへと片手半剣を突き入れた。剣は根元深くまで侵入していく。
突然の攻撃に驚いたヒュージバイパーが暴れだし、俺に絡みついてくる。その勢いに押されるように、ウルスが後退った。
頭部は抑えているので噛み付かれる心配はないが、全体を使った締め付けに俺の身体は悲鳴を上げる。このままでは骨まで砕けそうだ。
生体活性・腕!
腕を強化し、突き刺さったままの剣を全力で斬り上げた。ヒュージバイパーの上半分が斬り裂かれ、緑の血が吹き出す。そして強化したまま、今度は剣を振り下ろした。
断裂している場所に、下方向に剣が滑りこむ。肉が裂けていく感触を手に残したまま、力任せに頭部を斬り取った。
ヒュージバイパーの頭部が勢い良く落ち、締め付ける力も弱まった。俺はそこから強引に抜けだしていく。
しかし次の瞬間、木の影に隠れていたもう一匹のヒュージバイパーがウルス目掛けて襲いかかってきた。
一匹だけじゃなかったのか!
感覚強化でしっかり確認する暇がなく、情報から勝手に一匹だと思い込んでいた。
俺は慌てて固まっているウルスを突き飛ばした。ウルスはそのまま少し後退すると、地面に尻餅をついた。
ウルスという目標を失い、ヒュージバイパーがそのまま俺の腕に噛み付いていく。それと同時に再び生体活性・腕を掛け、片手半剣を切り上げた。
もう一匹と同じように、ヒュージバイパーが頭部付近から押し上げられるように斬り裂かれた。そこで終わりに見えたのだが……頭部だけになっても噛む力はなかなか衰えない。俺は生体活性を掛けたまま、頭部を引き離しにかかる。口先下部を脚で抑え、上部を持って思いっきり開く。そこでようやく俺の腕が解放された。
「……手甲をつけていて助かったな」
ヒュージバイパーが噛み付いたところは、ちょうど手甲で守られていた部位だ。胸鎧とともに薦めてくれたヨンドに感謝しよう。お陰で毒を受けることもなかった。
直ぐ様、感覚強化で周囲を窺っておくことを忘れない。しばらく集中していたが、どうやらヒュージバイパーは二匹だけのようだ。俺は安心して一息ついた。
そして、地面に座り込んだまま固まっているウルスに声を掛けようとした時――ふと、不思議な気配を感じた。




