第五話 精霊の巫女と契約者
心地良いゆるやかな振動。どうやら馬車に乗っているようだ。
ゆっくりと目を開ける。視界がぼやけて状況がよくわからない。
それでも誰かが覗きこんでいるのはわかった。その眼は覚えがある気がする。
光を宿さない、虚ろな眼。
そう、この眼は確か。
「――っ」
意識が覚醒した。ああ、目覚めは最悪だ。
自分の身体を確認してみる。上半身は裸で包帯が巻きつけられていた。
どうやら治療して貰えたらしい。冒険者の誰かがやってくれたのだろう。心得のある、しっかりとした応急処置だった。
さっそく身体を動かしてみる。全身痛みが走り抜けた。やはりまだ大人しくしていたほうが良さそうだ。
未だ向けられる視線を無視しつつ、辺りを見回してみる。
馬車の中にいる全員に見覚えがある。やはりここは奴隷商人の馬車の中か。
一人を除き、周りの人間の視線に怯えを感じる。大の男が上半身裸な上、血まみれで担ぎ込まれたのだ、無理もない。
一瞬、俺まで奴隷にされてしまったのかと思ったが首輪は無い。どうやら杞憂だったようだ。疑って悪かった、奴隷商人よ。
怪我をして倒れこんだ俺を置いて行く訳にはいかず、放り込んだのだろう。護衛の冒険者を見捨てたりしたことがバレたら商人としての信用もガタ落ちだからな。
今の状態じゃ歩くのも億劫だし甘えることにした。
「……けがしてます」
なんだか話しかけられてしまった。折角思考の外に追いやったのに。
しかし、話しかけられた以上相手をせねばなるまい。
「ああ、ちょっとドジってな」
「……治療しましょうか?」
「いや治療してあるだろう」
「……傷がふさがっていません」
そういえばこの娘は治癒の呪いがかかっているんだったか。
「あーその、なんだ、俺の傷はすぐには治らないんだ」
小さい子に諭すように言ってみる。柄じゃない。
「……私ならきっと貴方様の傷を治せます」
「君が? どうやって?」
確か奴隷商人の話だと自分の傷しか治せなかったはずだ。
「……説明が難しいです」
「治せると言うのならありがたいが」
「……ではやりますね」
シルヴィアは俺の胸に手を乗せると、目を瞑り、何事か呟いた。
手の内がわずかに光り、暖かい感触が俺の全身を包み始めた。
「これは……」
回復魔術。一般人には滅多に見ることが出来ない癒しの奇跡。俺は過去に数度しか見たことがなかった。それなりのレベルの神官でなければ使えないからだ。
光が消えると身体のあちこちから感じていた痛みも一緒に消え去った。
「完全に回復してるな……まさかここまで凄いとは」
軽く腕を回してみたが違和感が全くない。体験したのは初めてだがここまで凄いとは驚きだった。
「……成功しました」
心なしかシルヴィアが俺に向ける視線が柔らかくなった気がする。
「これは誰にでもできるのか?」
「……いえ貴方様だけです」
「俺だけ? どういうことだ?」
「……私と契約できるからです」
「契約? 契約とは奴隷契約か?」
首を横に振り、シルヴィアは俺の耳元で小さく囁くように口を開いた。
「……精霊契約です」
馬車が街に着くまでかなりの時間があった。
その間、俺はシルヴィアから様々な情報を聞くことが出来た。
そのほとんどが表に出してはマズいことらしく、馬車の端で隣り合い、声を潜めて話し合った。
精霊契約を説明するにあたり、まずは精霊族から説明しなければならないだろう。世の中にはエルフ、ドワーフ、フェアリーなど様々な種類の精霊族が居る。これらはそれぞれの精霊を信仰し、その力を分け与えられた元人間であり、純粋な精霊ではない。獣人族も同様にそれぞれの獣神を信仰している元人間族だがそれらに関しては割愛。
精霊族の中でも稀に精霊の力を色濃く受け継いでしまう者達がいた。巫女と呼ばれるその者達は、人の身には余る力を持っている。故に恐れられ、一族の里の中に厳重に封印されるのが一般的だという。シルヴィアもその巫女の一人だったらしい。
肝心の精霊契約だが……精霊族ではなく、精霊自体とする契約となる。自らの魂に精霊の魂の欠片を受け入れて従える契約術だ。これは精霊の力を強く受け継いだ巫女とも可能らしい。契約者は契約相手の能力の一部を扱うことが出来、魂の総量が増えたことにより成長限界が伸びる。ただし、受け入れられる魂の総量は契約者に依存する。魂の許容量が小さい契約者は巫女一人契約するので精一杯だという。
なんで俺にそんなの能力があるのかはわからないが取り敢えず精霊契約ができるみたいだ。先ほどのシルヴィアの回復能力も魂を一時的に繋げ、自らの回復力をただ流し込んだだけという、実はかなりの力技だった。
しかしどれもこれも初めて聞く情報だと思ったら、はるか昔、精霊契約を目的として精霊族の村を襲ったり、無理やり契約を行おうとする輩が絶えず、精霊族と人間族の間で大きな争いが起こったらしい。それからと言うもの、精霊契約の話は里の中でも一部の者達に口伝として受け継がれてきたみたいだ。
ちなみに俺が知る歴史上では人間族が領土拡大の為、精霊族の土地を狙って戦争を仕掛けたことになっている。
「しかしこんなことを俺に教えていいのか?」
「……その、お願いがあります」
「なんだ?」
「……私を買ってください」
なるほど、能力が能力だから変な人間に買われたら悲惨なのは想像に難くない。
「俺でいいのか? そんな情報を得たら俺はお前を利用するぞ?」
「……覚悟の上です、今まで貴方を見ていて決めました」
今までの視線は観察されていたってことか。
「それに、私の事を聞いて、怒ってくれました」
シルヴィアはしっかりと俺を見据えて、はっきりと、力強く言った。
ああ、奴隷商人と話していた時のことか。しかし俺ってそんなに顔に出やすかったっけ……。
「取り敢えず王都に着いたら奴隷商人と交渉してみよう」
その言葉を聞いてシルヴィアは嬉しそうな顔をする。
俺はいつの間にか彼女の視線が不快ではなくなっていたことに気がついた。