第四十三話 祝勝会と勝利の美酒
「俺たちの勝利に乾杯を!」
討伐隊のリーダーが器を高々と上げる。それに続き、周りの冒険者たちも歓声とともに器を宙に掲げていった。最早歓声というより怒号に近い。声が大きすぎて、喜んでいるのか怒っているのかすら区別がつかない。俺の耳がおかしくなりそうだ。
ここは冒険者ギルドにほど近い酒場。いつも仕事帰りの冒険者がたむろっているので、まともに利用出来たことはほとんどなかった。『狼虎』ほどになると顔が利くのか予約することも出来るらしく、警備依頼を受けていたときはここでご馳走になったぐらいである。
よくよく聞いてみると元ギルド職員が経営しているらしい。安定の職員からわざわざ一介の酒場の主人になるとはどういう心境だろうかとも思ったが、身近に職員から冒険者になった奴がいたことを思い出し、そんなものかと納得しておいた。
酒場は二階建て、上も下も冒険者で埋まっている。俺は中の騒々しさから抜け出るように、二階のテラスのテーブル席でゆっくりと酒を嗜んでいる。
あちこちから冒険者の注文が上がっていた。その対応のため、中では店員が忙しそうに駆け回っている。何人かは仕事に慣れてなさそうなので臨時に雇っているのだろう。
これは祝勝会だ。そしてこの場は貸し切り、料金はギルド持ち。そう聞くと俄然酒が進むのは、俺がみみっちいからだろうか。
素に戻ると自分の器の小ささに凹みそうになるので、大らかな心で高い酒から煽っていくことにする。いつも呑んでいるような安酒は酔いがまわってからでいい。どうせ後半には酒の味なんぞわからなくなるのだ。ならば舌が正常に稼働している間に普段は味わえない貴重な酒をいただくとしよう。
こっそりと味覚を感覚強化。
勝利の美酒とはよく言ったものである。元からなのか、討伐を無事終わらせて高揚した精神が見せる幻覚なのか、俺にはその区別はつかないのだが、この酒が美味しいことに変わりはない。
塩ゆでした豆をつまみながら酒を味わっていく。そこらへんのテーブルには、高級な肉を使った味が濃そうな料理たちが並んでいるが、そんなものを食べた瞬間に俺の舌は馬鹿になるだろう。そんなことは貴重な酒に対する冒涜だ。
出来ればもっと静かな場所でこの酒を味わいたい気分ではあるが、そんなことが無理なのは誰が見ても分かりきったことである。
周りの冒険者たちは、魔物の巣生活のストレスと女王退治の鬱憤を晴らすように呑んでいる。生き残ったことに祝福している者、失った仲間のために静かに杯を重ねる者、これからはいってくる金にほくそ笑む者。なんでもいいからただ騒ぎたい者。そこにいる冒険者の顔は様々だ。
となりではシルヴィアが俺にくっついている。呼ばれたのは俺のパーティ全員なのだが、黒騎士の中に入っていたシルヴィアはその対象外。しかし、黒騎士を連れてきたとしても飲めもしなければ食べられもしない。場合によっては酔った冒険者が中身を暴こうとするかもしれない。そこで黒騎士は急用ができたと断り、代わりにシルヴィアを伴う許可をもらっておいた。まあ、一応奴隷なので名目上は装備品扱いだ。特に問題はなかった。
しかし、この人数である。シルヴィアは怖がって俺の側から離れようとしない。その姿が珍しいのか、周りの冒険者たちがチラチラとこちらを窺う視線を祝勝会当初から感じている。なんだかまた変な噂が立てられそうではあるが、さすがに宿に一人だけ残しておくわけにもいかない。
「よう、立役者。呑んでいるかい?」
先ほど皆の前で音頭を取っていたリーダーが俺の傍にやってきた。
「ええ、折角の高い酒ですからね、ありがたく味わってますよ」
リーダーは人間族でかなりの年齢だ。少なくとも俺の一回りは上だろう。滲み出る貫禄はそこらの冒険者には出せない味だった。自然と俺の言葉も丁寧になるのは仕方のないことである。
立役者と言われて悪い気はしないが、それよりも変に目立ってしまったことに若干の後悔はある。
「あれは……筋力付与だったかな。珍しいものを見せてもらったよ」
さすがに肉体派魔術師というのは珍しいのだろう。俺自体は魔術師でもなんでもないが、投擲時に叫んだ事によってちゃんと勘違いしてもらえたようだ。狙い通りになってホッとする。
「まあ、一応の切り札ですからね。あまり目立つことには使いたくなかったのですが……」
俺は頭を掻きながら苦笑いをする。
「さすが『狼虎』が言ったとおり、慎重な冒険者だな」
その名を聞いて、俺の微妙な表情が更に歪む。
「あいつら……なにか余計なこと言ってませんでしたか?」
「ははは、いやなに、仲の良いことは素晴らしいことだぞ」
リーダーの面白がった表情で理解する。言ってたんだな、余計なこと。
「しかし、その慎重さには感心するぞ。力あるものはすぐに驕るからな。もちろん、実力が伴っているのでそれも仕方のない事なのだが」
そう言うと何かを思い出すように遠い目をした。
「失敗を重ね、やがてそれを悟る。その時点で生き残っている奴は少ないがな……最初からそれを理解しているならこれ以上にない武器になるだろう」
これはリーダーの体験談なのだろうか。どうやら俺を『狼虎』と同じように実力がある冒険者だと思っているのか、力に溺れないように注意しに来たのだろう。
「……はは。すまないな。つい余計なことを言ってしまったようだ。長いこと冒険者生活をしていると色々思うことが多くてな」
「いえ、俺も先輩たちに言われて気づくことも多いです。ありがとうございます」
俺は礼を言い、頭を下げる。実際に先達の教えで今まで冒険者としてやってこれたのだ。感謝の念は絶えない。
「そう言って貰えると少しは気が楽だな。どうも歳を取ると説教が多くてイカン」
後は楽しんでくれとリーダーは手を上げてその場を去っていった。俺はリーダーの言葉を胸に刻みながら、再び酒を嗜もうと――。
「イグニスさーん。呑んでますかぁー?」
気分をぶち壊しにマルシアがやって来た。その隣にはフゥが伴っている。
確かマルシアは仲良くなった神官と話をしにいっていたはずだ。神官の居るテーブルの方を向くと――大きなジョッキを直角に立てて麦酒を煽っている神官の姿があった。しかも余裕そうだ。ドワーフ並みじゃねぇか……信仰しているのは酒の神様かなにかなのだろうか。
……ってよくみりゃヨンドも参加している。姿を見ないと思っていたらそんなところに居たのか。
再び視線を戻すと、マルシアはだらしのない笑顔を浮かべている。あのペースに巻き込まれた結果、このへべれけ状態と言う訳か。
肩を貸しているフゥの顔も何故か笑顔だ。
「おう、イグニス。呑んでるか!」
見て分かることを聞かないでいただきたい。
俺は口を開く気力もなく、酒瓶を持ち上げた答えた。
「なに高そうな酒で気取ってんだよ。男なら麦酒の一気飲みをだな」
そう言うといきなり俺の器に麦酒を注ぎ始めた。折角の酒が、安い麦酒と交じり合っていく。
「おいこら! 貴重な酒に何をする!」
俺は抗議の声を上げる。お前らのどんちゃん騒ぎに巻き込むな。
「はーい、イグニスさん。あーん」
マルシアはもの凄く味の濃そうな肉にフォークを勢い良くぶっ刺し、俺の目の前に付きだしてきた。
「いや、片手は使えるから」
俺は露骨に嫌な顔をして断る。どう見ても笑いものにしかならない光景だ。周りの奴らは酒のツマミに楽しんでやがる。
マルシアの攻撃に逆らうように反対側を向くと、そこには同じようにフォークを持ったシルヴィアがいた。
「……」
何故、対抗する?
「折角のお祝いの席ですから素直に好意は受け取るべきだと思います!」
俺の背後からマルシアが大きな声を上げる。どうすりゃいいんだ。
「……なに贅沢なこと断ってんだ、お前は!」
オマケに先ほどとは打って変わり、フゥは不機嫌になっていた。気分の上下が激しすぎだろ。
「しかも俺の酒が呑めねぇってのか!?」
更にフゥが酒瓶を突き出してくる。何も言ってないのに勝手に怒るなよ。
半ば強制的に飲食を進められ、俺の意思とは無関係に腹は満たされていくこととなった。
勝利の気分も何もあったもんじゃない。
ベッドには情事の残り香。そして微かな酒の匂い。
酔っ払ったマルシアは箍が外れ、色々とやらかしてくれる。祝勝会という場の雰囲気に酔ったのか、シルヴィアもやけに積極的だった。
そんなため、早めに床についた俺は夜中に目が覚めてしまった。隣の二人は平和そうに寝息を立てている。
しょうがないのでベッドの脇に置いてある戦利品を取り出した。例の高級な酒だ。断りを入れて土産に一本貰ってきておいたのだ。
こういうものは静かな場所で呑むに限る。
開け放たれた窓の際で器に酒を注いでいく。炎天の季節も終わりが近い。夜には気温も下がり、冷魔石の世話になることも少なくなった。
ここに来てから一つの季節が過ぎようとしている。
その間に起こった様々な事を思い出しながら、俺はゆっくりと酒を嗜んだ。




