第四十二話 帰還と命の洗濯
残ったミネラルアントたちは烏合の衆だった。
討伐隊は時間をかけて、ゆっくりと倒していった。まだ孵化をしていない卵もきっちりと処分しておくことを忘れない。その作業を全て終えるまでにかなりの時間を要することとなる。
皆の疲労もピークに達していることもあり、このまま女王の部屋で一晩過ごすことになった。
ただっぴろい部屋には女王たちの死骸が大量に放置されている。朝から総出で魔石集めをしているのだが、俺は動かない手を理由に休息を言い渡されていた。正直、時間を持て余す。
集められた魔石は一度ギルドが回収した後、参加者たちで等分する。部屋の隅にはミネラルアントたちの食料もあるが、これらは後日に冒険者と鍛冶師双方のギルドが立会の上、換金して分配される予定だ。どれだけのモノがあるのか素人の俺には分からないが、量からしても期待は持てそうだ。
魔石を回収しているヨンドがウズウズしていた。確認をしに行きたいのだろう。
肝心の俺の腕は未だに動かない。いや、直後と比べれば腕の存在は感じられているので、少しずつ回復はしてきているのだろう。ついでに若干の耳鳴りがするが、これについては無視出来るレベルだ。
周りが動いているのに何も出来ない俺は座りの悪さを感じつつ、回収作業を眺めていた。
魔石の回収が終わると、討伐隊は来た時と同じ隊列を作り、道を戻っていく。そのほとんどの者の足取りは軽く、自然と速度も上がっていった。
帰り道にミネラルアントの姿はなかった。女王が倒されたことを知って身を潜めているのか、既に一帯のミネラルアントを討伐出来ているのかはわからないが、今の俺たちにとっては些細な事だった。
二日の行程を終え、魔物の巣の出口が見えてきた。順次抜け出る冒険者たち。一度に出れる人数は限られているため、最後尾近くの俺たちはゆっくりと気長に待つしかない。
何故出入口を拡張しないのかと思わなくもないが、万が一魔物の襲撃があった時のことを考えると安全が確認出来るまではこのままの方がいいのだろう。
魔物の巣を抜けたと同時に緊張感も抜けた所為か、急に催してくる。俺は皆に断ると、坑道脇に設置されている簡易厠へと向かった。
野外ではないので、さすがにそこらで用は足せない。こういった場所では魔石を使った簡易厠が設置されている。
魔物の巣でも同じことが言える。基本的に冒険者たちは、それぞれ携帯用の物を持ち運んでいる。魔石のない時代は魔物の巣内部で疫病が発生することもあり、魔物自体の脅威と相伴り、地獄の入口と呼ばれていたこともあるらしい。
今の時代の冒険者たちは恵まれていると言えるだろう。俺は感謝をし、その魔石の恩恵を享受するとした。
しかし、この後に苦難が待ち受けていることも承知している。
だが――片手が使えないことによる不自由など、昔と比べれば些細な問題だ。
鉱山の外に出る頃には陽もすっかりと落ち、辺りは夜の闇に支配されていた。
最後の冒険者が出てきたことを確認すると、討伐隊は解散した。冒険者たちはランタンに光を灯すと、それぞれの宿へと戻っていった。夜の街道が多くの光魔石によって照らしだされていく。その光景になんとも言えない達成感を味わう。
俺は手を握りしめた。
魔物の巣に乗り込み、その主を倒して帰還する。冒険者にとっては当然のことと思われるかもしれないが、その場に参加出来る資格を手に入れられたと言うことは、俺にとって何よりも大きな報酬だった。
「それじゃ、帰るとするか」
俺の言葉に皆が頷いた。周りに人が居なくなったのを確認するとシルヴィアが黒騎士の中からはい出てくる。久々の外の空気が美味しいのか、シルヴィアは深呼吸を始めた。
「お主たち、感謝するぞ。お陰で趣味と実益を兼ねることが出来たからのう」
最初の分かれ道に到達するとヨンドが振り返り、言った。俺たちの宿とヨンドの工房はここから別の道となる。
「……ああ、助かった。ヨンドが居なければとても女王に挑むなんて気にはなれなかったぞ」
魔物の巣にも一応のケリが付いた。ヨンドと共に魔物の巣に挑む事はもうないだろう。
「それじゃあのう」
「おう、またな」
一抹の寂しさを感じつつ、俺たちは別れた。
それからゆっくりと宵の空気を感じながら歩き続け、ようやく我らが城【鋼鉄の檻亭】へと戻ってきた。荷物を預ける関係上、部屋はそのまま一週間分の料金を先払いしてある。やはり魔物の巣に居るとごつごつした地面で寝ざるを得ず、眠りの質も悪い。久々に宿のふかふかしたベッドで寝れると思うと、若干テンションが上がることは否めない。
「ああ、早く湯浴みをしたいです!」
宿に着くと、マルシアが突然声を上げた。まあ無理もない、五日間は水で濡らした布で身体を清めていたのだ。ゆっくりと温かい湯に浸かりたくもなるだろう。かく言う俺もひとっ風呂浴びてさっぱりしたい気分だ。
「お、遅かったな。おっちんじまったかと思ってたぞ」
受付に居た宿のおっさんが俺たちに気づくと笑いかけてきた。
「きっちりと仕事はしてきたさ」
「……おじさん! お風呂はまだ大丈夫ですか!?」
いきなり会話に割り込み、マルシアが必死に問いかける。
「お? お、おお、これから湯を抜こうかと思ってたが、まだ大丈夫だぞ」
その剣幕に押されるようにおっさんが頷く。
「よかったあ!」
マルシアが喜びの声を上げる。シルヴィアも小さな声で「よかった」と呟いていたのが耳に入る。
「そんじゃ、さっさと荷物をおいてくるか」
その言葉に賛成とばかり、さっさと部屋へ向かっていく二人と黒騎士。俺はその後にゆっくりと続いた。
火と水の魔石により生じた湯気が視界を白く遮っていく。
浴場には誰も居ない。おっさんの言うとおり時間も遅く、他の客は既に上がった後なのだろう。
俺は湯船から桶で湯を汲むと、それにサイロジの実を浸け、片手で擦っていく。次第に泡が立ち、桶の中は真っ白に染まっていった。
十分に泡だったことを確認すると、それを掬って頭にかける。髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、ここ五日分の油分を落とすように洗っていった。やはり片手だとどうしても雑になってしまうのは否めない。
「――っ」
慣れない片手作業に気が散っていたのか、垂れてきた泡が眼に入ってしまった。俺は慌てて眼を濯ごうと、湯船に向かおうとした時。
「はい、どうぞ」
横から湯の入った桶を渡された。
「ああ、すまない」
まだ他に客がいたのだろうか。俺はありがたくその好意に甘え、桶を受け取る。
ゆっくりと湯で眼を洗い、桶を返そうとその人物の方を向くと、俺は自分の眼を疑った。
――そこにはマルシアが居た。
大きな手ぬぐいで体を覆い、恥ずかしそうにしている。その横には桶を持ったシルヴィアの姿もあった。こちらも若干恥ずかしそうではあるが、特に何も隠そうとしていない。あまりの堂々っぷりにこっちが浴場を間違えたのかと錯覚してしまいかけた。
いや、いつも使っている浴場だ、間違えるわけがない。
「……なんで、お前たちが居る」
色々混乱しかけたが、なんとか絞りだすように俺は声を出した。
当たり前ではあるが、浴場は男女別にある。
「その……どうせ私たちしかいないので一緒に入って来いとおじさんが……」
「……待ってる時間が勿体無いから片方掃除すると言ってました」
シルヴィアとマルシアが説明する。よくわかった、要はあのおっさんの差し金か。
「ちゃんと入口に清掃中の札をかけてきましたし、その、私たちも、いつも見ていますし……問題ありません、よ?」
「……大丈夫です」
確かに今更な気もするが……あー考えても仕方ない。どの道、片方はもう湯が抜いてあるだろう。
俺は取り敢えずおっさんが呪われるようにと念じておいた。
「まあ、しょうがないな」
嫌と言う訳ではない。こういうことは歓楽街ではよくある光景だ。ただ、なんと言うか、気恥ずかしさは否めない。
「それじゃ、お背中流しますね!」
「……頑張ります」
「あ、ああ、よろしく頼む」
いつにもなく張り切っている二人に押され、俺は後ろを向いた。片手は満足に使えないし、洗ってもらったほうが楽ではある。
俺の背中に泡立てられた手ぬぐいが当てられるとゆっくりと擦られていく。マルシアはそつなく、シルヴィアは四苦八苦しながら俺の背中を流していった。その間に自分で出来る範囲は自分で洗っておく。さっさと終わらせないとなんだか落ち着かないからだ。
「それじゃ次は……俺の番、なのか?」
「えっ! いえその、恥ずかしいので大丈夫です! シルヴィアちゃんも居ますし!」
マルシアの言葉にコクリと頷くシルヴィア。
「まあ、そういうことなら先に湯船に入ってるぞ」
俺からしてみても他人を洗ったことなんてない。ましてや自分はいつも思いっきり擦るだけだから加減もわからん。とりあえず手を出さないほうが無難だろう。
二人を残し、俺は十人程度なら一緒に入れそうな広さの浴槽に肩まで浸かった。なんだかんだあったが、こうなると落ち着く。
風呂と言えば、以前は貴族しか入れないものだったらしい。しかし魔石の普及により、湯を張る手間は大幅に減り、庶民の手に届く範囲にまでなった。厠同様、魔石様々である。
ゆったりしているとシルヴィアとマルシアが湯船に入ってきた。まずシルヴィアが俺の隣にくっつくように、やや遅れて反対側にマルシアが遠慮がちに座った。手ぬぐいを湯につけるのは宜しくないことではあるが、場合が場合だし、なにより俺たちが最後だからこれといった問題はないだろう。
しばらく無言の時間が過ぎていく。
熱い湯に身体を放り出していると、徐々に疲れが流れ出ていく気がしてくる。水気を受け、くったりと垂れ下がった冷たい髪も、湯の暖かさを実感するためのいいアクセントだ。
「んー気持ちいい。こうしてお風呂に入ると生きかえるって感じがしますね」
マルシアが呟くように言った。シルヴィアもとても気持ち良さそうにしている。そのまま俺にもたれかかってきた。
「そうだな」
なんとなくシルヴィアの頭を撫でた。まとめられた銀髪が水気を吸ってひんやりと冷たい。
「あーずるいですよ」
マルシアが反対側の腕を取ってくっついてきた。残念ながらそっちの感覚は殆ど無い。
「こうするのも久々ですねー」
さすがに五日間は常に他人の目があったからな。
「……今日は甘えていいですよね?」
マルシアが上目使いに俺を見る。
「……片手は使えないぞ」
俺は眼の前まで垂れ下がってきた前髪を掻き上げると、天井を仰いだ。




