第三十三話 料理と保存食
「……おはようございます」
マルシアがベッドの中で呻く。どうやら昨日の酒が抜けきっていないようだ。いつもと違い、かなりのペースで呑んでいた。つまりこれは自明の理だ。
まあ、ここのところずっと魔物の巣攻略に勤しんでいたので、今日一日は休暇をとる予定だった。
休息も兼ね、街巡りをしながらこれからの準備をする予定だったのだが、マルシアが動けなくても特に問題はないだろう。ヨンドも今日は迎えに来ていない。鍛冶ギルドの方に顔を出しているのかもしれない。
「大丈夫……じゃなさそうだな」
水の入った器を渡して俺は言う。それを受け取り、マルシアはゆっくりと飲んでいった。
「……はい。ごめんなさい」
器をベッドの脇に置き、マルシアは一息つくと申し訳無さそうに言った。顔色は冴えない。
「もともと休暇の予定だ。今日はゆっくり休んでおけ……ああ、ついでに魔石の補給もしてくるから気にするな」
俺の言葉に力なく頷くと、再びベッドに倒れこんだ。その脇に置いてある魔石杖を手にとり、うーんと唸るマルシアを置いて、俺たちは外へと出た。いつもよりゆっくりしていたので、太陽はだいぶ上空に登っている。
最初の頃のようなざわめきも収まり、街は一見いつもと同じようにみえる。魔物の巣へと向かう冒険者は朝早くに出ているし、戻ってくる冒険者も昼を過ぎてからだろう。
そんな時間だからこそ、俺たちはゆっくりと準備を整えることが出来た。
今までは1日で戻ってこれる距離だったので特に気にはしていなかったが、これから先は入念な準備が必要になってくるだろう。ヨンドが居るだけでもかなり助かった。さすがに俺一人では肩の荷が重い。ともすればここで攻略を諦めていただろう。
慎重に慎重を重ねるような、人によっては臆病とも捉えられそうな俺のスタイルのお陰か、ミネラルアントに手傷を負わされたことはない。なので薬草類の在庫は十分だ。他に必要なのといえば……いざというときの魔石だろうか。
時折、マルシアの魔石の補充も兼ね、グラスの店には顔を出している。これから数日間、補給できないので限界まで魔力を満たせておこう。
相変わらず、グラスの店は閑散としていた。もう慣れたが、この店は本当に利益が出ているのだろうか?
「やっほう、ちょうど暇だったんだ。いらっしゃい」
扉を開けてすぐ、グラスが出迎えた。どうやら商品の補充をしているみたいだった。この騒ぎのお陰で、ある程度の客は来ているのだろうか。
「ギルドに大量注文されたものがやっと片付いたよ」
どうやら違ったようだ。どちらかと言うとギルドから金を巻き上げているのか。
「取り敢えずいつも通りこれの補充を頼む」
俺は手にしている魔石杖をグラスに渡した。
「あれ、これこの前入れたばかりだし、まだ魔力残ってるよ?」
杖の状態を確認して、グラスは不思議そうな顔をする。
「長時間篭もることにしたんでな、準備は念入りに、という訳だ」
「なるほど、りょーかい」
納得すると、グラスはさっさと奥へ引っ込んだ。戻ってくるまでの間、暇だからと店の魔石を見て回る。こうやってじっくり見るのは久々かもしれない。最近は鉱山帰りに寄っていたので、ちょうど閉店時間と重なり、店の奥に案内されてばかりだった。
一般魔石は取り敢えずスルーするとして、俺は戦闘魔石の棚を覗いていった。人が居ないことに安心したのか、シルヴィアも黒騎士から出て一緒に眺めている。
基本的な魔石の効果は大体わかるが、珍しいタイプの戦闘魔石は名前から効果が判別しにくい。もともと店員から説明を受けるものなので仕方ないのだろうが。
マルシア用の杖にはめ込んだ魔石はおおよそ金貨10枚。定期的に補給もしなければならないので維持費も馬鹿にならない。
「はいはーい。終わったよ」
てとてととグラスが奥から戻ってくる。俺はその手から魔石杖を受け取った。
「それと魔物の巣で使えそうで、手頃な安い戦闘魔石ってあるか?」
「うーん、ギルドからも結構頼まれてたんだけどね。威力が高過ぎると巣そのものが崩落するから難しいんだよねー」
グラスは困ったように頭を掻く。
「ぶっちゃけ、その杖につけた魔石が一番お勧めだったんだよね。それに安いって言われちゃ、該当するのはないなあ。ま、死ぬよりはマシと思うなら崩落覚悟で爆破系とか使えばいいんじゃない?」
グラスは魔石の棚の前にいくと、その中から一つ取り出した。それは爆魔石と呼ばれる広く一般的に使われてる戦闘魔石だ。戦闘魔石と行っても他の魔石と比べてそれは小さく、精々一般魔石程度の大きさである。この魔石はその名の示す通り、爆散する。つまり使い捨ての一発だ。その分、威力はかなりのモノになる。
シルヴィアはグラスから魔石を受け取るとしげしげと興味深そうに見ていた。まあ、使い方を知らなければ簡単に爆発しないからいいが、もうちょっと警戒して欲しいものだ。
「しっかし、相変わらず投げやりだな」
「そりゃ魔物の巣に乗りこむのは僕じゃないしねー」
おどけた感じでグラスは両手を上げる。
「つっても使い捨て魔石をポンポンと使えるほど金に余裕があると思うか?」
いくら小さいと言っても魔石だ。一発金貨1枚は下らない。レベル4程度の相手に使っていたら一瞬で所持金が消えることになるだろう。
「思うわけ無いじゃん。いざと言う時の保険程度に持っていて損はないんじゃない?」
「まあ……何もないよりはマシか」
そう呟くと、俺はとりあえず三つほど購入しておいた。それと水分補給用に携帯水魔石と光源用に光魔石一つずつ。両魔石とも既に人数分は所持しているし、いざとなればマルシアの魔石もあるが、戦闘用魔石を一般魔石代わりにするのは宜しくない。光魔石は暗闇が支配する魔物の巣、その中で光を無くしたとなれば、道を見失ったと同じことだ。どちらも予備を用意しておくに越したことはない。
「しかしなんだな、最近金銭感覚が麻痺している気がする」
俺は金貨を取り出して独り言ちる。
「まいどあり!」
感謝の言葉を述べるグラスはとても笑顔だった。
さて、次は食料だ。
4人で五日間分の食料となるとそれなりの量になる。野外なら食べられる魔物や野草の類があるだろうが、これから行くのは鉱山だ。鉱石を食べられるミネラルアントならいざ知らず、俺たちにとっては不毛の大地を行くようなものである。
今までの食事ならいつもの食堂でその日の昼食を買えば事足りたし、多少の保存食も売っていた。しかし、数日となるとそれなりの量の保存食が必要だ。
俺は普段利用しない食材屋を探した。場所はグラスに聞いてある。あんな奴だが、意外と自炊派らしい。まあ、自分の家があるんだからそっちの方が安上がりだわな。作るのは面倒って言ってたが。
店の前に行くと様々な食材が並んでいた。普段目にするものは調理済みの料理ばかり。こんなにまとまった食材を見たのは久しぶりのことだ。
俺はその中から保存食を探す。冒険者の保存食といえば干し肉が代表的だろう。
「……えらく高いな」
目当ての品を見つけたのだが、その値段を見て俺は驚き、近くに居た店員に訪ねてみた。
「あー……いま、保存食を求める冒険者の方が多くて」
店員は申し訳無さそうに答える。
「……ああ、なるほど」
俺は頷く。そりゃ皆考えることは一緒だ。他の冒険雑貨の値段が跳ね上がったことを考えればすぐにわかることだった。
「それじゃ仕方ない。取り敢えず、堅焼きパンと干し肉、チーズと乾燥させた果物を貰えるか」
わざわざ保存食を買わなくても保存用魔石があれば問題はないのだが……常時展開していなければいけないし、コスト的にそんなものが使えるのは高レベル冒険者か、またはそれを商売にしてる人間くらいなものだ。それに常時展開型魔石は場所を取る。馬車などに設置するならいいが、持ち運ぶとなるとかなり不便だ。
店員が注文の品を用意している間、他に何か無いかと見回してみる。そこで、隣にいる黒騎士が一点を見たままじっとしていることに気がついた。
「どうしたんだ?」
俺は近づいて小声で聞いてみる。
「……これ、ギルドの資料室で見たものです」
そう言う黒騎士の視線の先には野菜類。ああ、野草か。
「……これがどうした?」
いつまでも目線をそらなさい黒騎士。そこでマルシアの言葉を思い出す。
「もしかして、調理してみたいのか?」
俺の言葉に黒騎士はコクリと頷いた。
確か、マルシアは料理経験があるから覚えやすいとか言ってたな。当のマルシアはダウンしているし、外に食べに行く気力もないだろう。ちょうどいいかも知れん。問題は調理する場所だが……宿の裏手で作ればいいか。どうせなら野外で調理する経験も一緒に積ませておこう。
お待たせしましたと注文の品を持ってきた店員に、更に野菜類を追加した金額を払い、宿へと戻った。
早速宿のおっさんに許可を得ると、一緒に鍋を借りた。部屋に余計な荷物を置いて、裏手へと出る。マルシアは眠っているのか、反応する気力がないのか静かだった。
そこら辺に落ちている石で簡易竈を作ると、火魔石を置いた。そして、その上に宿から借りた鍋を置く。そこから先はシルヴィアに任せ、オレは大地に寝っ転がった。
部屋でゴロゴロしているよりは開放的だが、陽射しが少し厳しい。ちょっと冷魔石を使いたくなる衝動に駆られるが、たまにはこうして季節をじっくり感じるのもいいものだ。
青々と茂った植物の匂いが鼻腔をくすぐる。思わず感覚強化を使って嗅覚を強化した――瞬間、異臭が鼻を襲撃した。
「ぬおおっ!?」
俺は、思わず、悶えた。まるで悪夢から目が覚めたように慌てて飛び起き、その原因に目を向ける。
「……出来ました!」
そこには笑顔のシルヴィア。なぜ、その臭いに違和感を覚えない。なぜ、あの材料からそんな異臭がする。なぜ、空は青いのだろう。
どうぞ、と差し出してきたシルヴィアの料理……とは言えないような代物のお陰で、一気に現実に引き戻された。一見、普通に見える野草のスープだ。いや、それ以外になりようがないので当たり前なのだが。他には塩とかの調味料、うま味出しの肉片、確かそのようなものしかなかったはずだ。
目の前に近づけられてきた異物に思わず――。
「……あー、なんだ。今回の料理はマルシアのためだし、最初にアイツが食べるべきなんじゃないかなあ」
そう言ってしまった。
「それもそうですね」
シルヴィアは頷くと、器に入ったスープを手に宿へと戻っていった。
その姿が見えなくなるのを確認すると、鍋に近づき、少しだけ味見をする。
「――っ」
もしかしたら悪いのは臭いだけじゃないかと期待した俺が馬鹿だった。自分の直感は信用するべきである。いや、勘とかそういう以前に本能が忌避するレベルだが。
俺は生体活性で宿へと戻り、もうひとつ同じ鍋を借り、水を張り、残った野草と肉片を入れ、調味料を適当に振りかけ、煮立てた。そして、なにも考えずにぶち込んだスープの味を確認する。ああ、食べられる。見た目もそんなに変わりない。
素早く鍋をすり替えると、こっそりと木の影に隠しておく。
調理中、マルシアの声にならない魂の叫びが聞こえたような気がするが、それはきっと気のせいだ。




