第二十三話 鍛冶師と月見酒
ギルドに新しい資料が入ってきた。
例の事件によって被害が出たことを考慮し、付近に居ない魔物たちの資料も必要だと爺さんが取り寄せたためだ。
職員たちが慌ただしく資料室を整理している。外に放り出されているのは多分マルシアの私物の本たちだろう。どこか見覚えがあるものばかりだ。
そんな中、俺は新しい資料を借り、ギルドマスター室で読み耽る日々を送っていた。持ち出し厳禁だからしょうがない。
雨季に入って一月と少し。ようやく雨季にも終わりが見えてきた。その雨足が遠のいたあとに来るのは炎天の季節。その名の通り、気温が一気に上がることになる。
この季節がやって来ると、アクアリザードの外套は重く通気性のない邪魔な荷物と成り果てる。普段であれば売り払うのだが、今のうちのパーティには黒騎士という前衛兼荷物運びが居る。いざ雨が降った時のことも考え、外套は黒騎士の中に突っ込んでおくことにした。
パチッと何かを叩くような音が部屋に響く。
昼間に日が差す時間も増え、俺は開いた窓の際でシーズとテーブルを挟んで向かい合っていた。
テーブルの上には戦場を模した遊戯、『戦役盤』が置かれている。盤上には歩兵、重歩兵、騎兵、弓兵、魔術兵、大将の駒が並び、一方が相手をほとんど無傷で圧倒していた。
「……どう考えても詰みだろ」
「いや、またれよ!」
真剣な顔をしてシーズが盤上を睨む。
俺はたいして『戦役盤』が強いわけではない。パーティ程度の争いならともかく、軍隊なんて想像が出来ないからだ。あくまでルールではこうだ、と言うことしか知らないので戦略もクソもない。だが、しかしだ。それにつけても目の前のシーズは弱すぎた。
数えるのも飽きるほどに繰り返された「待った」を再び聞き、俺はすることもなく窓の外を見やる。そこには相変わらずの平和な町並みが広がっている。あれ以降、雨季の間に目立った魔物の出現はなかった。
北西の森のソルジャーたちもほぼ狩り尽くされ、閉鎖は既に解かれている。ただし、向かう際にはソルジャーの情報をしっかりと頭に叩き込んでおくようにと、ギルドが口を酸っぱくして説明していることだろう。
ようやくシーズが撤退を宣言した。大将を倒す完全敗北でも構わなかったが、これで俺の勝利だ。
俺は立ち上がって伸びをする。
「雨季の間にだいぶ体がなまったかな」
「じゃあ一緒にトレーニングすればいいんじゃないかな」
何故か俺の部屋の隅で腹筋をしているアルフが言った。なんで自分の部屋でやらないのかが疑問だ。
部屋に居るのは俺と二人だけ。ヨンドはどうやらまた酒を飲みに行っているみたいだし、女性陣には買い物してくるからシルヴィアを貸してと頼まれたので許可を出した。
「……イグニス殿」
「……なんだ?」
「……もう一戦」
俺は頭を掻く。まあ、他にすることもないんだよな。
「……まあいいだろ」
それからこの問答は何度も繰り返されることになった。
その日の夜はなんだか寝付けなかった。
隣で寝ているシルヴィアの髪をゆっくりと撫で、起こさないようにベットから抜け出すと、窓を静かに開けた。
空には満月。上空は風が強いのか、雲の流れが速かった。
俺はマルシア用に買っておいた酒と器を取り出すと、窓枠に腰掛ける。今の雰囲気には甘すぎるが無いよりはいいだろう。
月見酒と洒落込もうとした時、窓下に同じような考えを持った人物を発見する。
俺は何となく笑ってしまった。そして窓枠を飛び越え、宿屋の庭へと降り立った。この程度の高さ、冒険者には屁でもない。
「誰かと思えば……まだ呑むのかよ」
「はっは、ドワーフにはこの程度序の口だわ」
月明かりに照らされ、ヨンドの姿が浮かび上がる。ヨンドは庭に直接座り込み、酒を呑んでいた。
「しかし、折角の月見だというのにそんな甘ったるいものを呑むのか」
俺の持っている酒瓶を見て、ヨンドは呆れたように呟く。
「しょうがないだろ、こんなもんしか無かったんだ」
そんなヨンドの横に俺も座り込んだ。
「ならばワシの酒を呑んでいけ。珍しくドワーフ用の酒を見つけたんでな、懐かしさのあまり思わず買ってしもうた。折角なので月を肴に一杯やろうと思ってのう」
「おいおい、俺を潰す気かよ……まあ、折角だから頂くとするが」
ドワーフの酒。別名『火炎酒』とも呼ばれるそれは、うわばみのドワーフでさえも酔っ払うと言われている、とてもきつい酒だ。
ヨンドは俺の器に遠慮無く酒を注いできた。試しに一口と味わってみるが、喉が焼けるように熱い。思わず「かーっ」と唸ってしまうほどだ。
「どうだ? ドワーフの酒は美味かろう」
「……味がわからんほどにきついんだが」
「はっはっは。まだまだ子どもだな」
「そりゃドワーフにとっちゃ人間なんて子どもみたいなもんだろ」
ドワーフの寿命は人間よりもはるかに長い。こうして過ごす日々も一瞬のことだろう。羨ましくもあり、悲しくもある気がする。
「まあのう。だが、ワシもドワーフ族の中では子どものようなものだがな」
「そうなのか」
そういやヨンドって幾つなのだろうか。話し方からして爺さん位だと勝手に思っていたんだが……まあ、歳は関係はないか。冒険者は冒険者だ。
しばらくの間、月を眺めながら酒を味わう。キツさに慣れてしまえばかなり上等な酒だった。確かに、言うだけはあるだろう。
「お前から見てアルフたちはどうだ?」
ヨンドは月を見上げたまま聞いてきた。
「ん? どうだと言われてもな……もともと俺とはランクが違ってたわけだし、在り来りだが普通に強いとしか思わんぞ」
「そんなこと言ったら生体活性を使えるお主だって強いのではないかのう」
「ありゃ反則だろ」
「なら能力限界が高い者も反則だのう」
「……なるほど、それもそうだな」
至極まっとうな意見に、俺は言葉に詰まった。確かに強い奴は皆反則だわな。
「お主には精霊契約。アルフとシーズはまだまだ能力の底が見えん。メルディアーナの魔術の素質は突き抜けておる。接近戦さえなんとかなれば、すぐにレベル5になるじゃろう」
「……おい、まさか」
俺は嫌な予感がした。
「想像の通り、ワシにはもう限界が来たのだよ」
ああ、こういうことに限ってよく当たるのだ。
なんとも言えない顔で黙っている俺を見て、ヨンドが酒を注いできた。水鏡に映る月が歪んでいく。
「おいおい、なんて顔しとるんだ。そもそもレベル4になれただけでも、他の奴に比べりゃ上出来なんじゃぞ」
「……彼奴等にはもう話したのか?」
「無論。このような話、後回しには出来んよ」
「そう……か」
俺は酒を煽る。今はこのきつい酒がありがたい気がした。
「しかし、どうにもお主は引退を悲観的に捕らえてりゃせんか?」
「……どういうことだ?」
「他の種族は知らんが、ドワーフの引退とは新たな挑戦じゃ。さっきも言ったように、ドワーフの人生は長い。冒険者だけで終わるような奴はほとんどおらんよ」
「……引退した後のこともちゃんと考えてあるってことか?」
「当たり前だ。丁度リスタンブルグに行く話が出てたからのう、いい機会だったよ。ドワーフにとっての天職くらいは知っておろう?」
「ああ、鍛冶師か」
そういえば、テレシアのそこそこ有名な鍛冶師もドワーフの爺さんだった。ずんぐりむっくりとした見かけよらず、手先が器用な種族だ。主に鍛冶師が有名だが、他にも細工師や薬師などと言った分野でも活躍しているドワーフは多い。
「そのとおり。だからな、これは新しい門出の祝い酒じゃよ」
「……なるほど、そんな目出度い席に失礼だったな」
分かりきっていたことではあるが、どうにも俺は引退に対して悲観的なイメージが大きいようだ。
「あの月に願いを」
いきなりヨンドは月に向けて器を掲げた。そして俺にニヤリと笑いかける。ああ、これは確か冒険王が友人と別れるときに行った月見酒の文句……だったっけか。
……しょうがない乗ってやろう。
「進む者に祝福を」
同じように俺も月に器を掲げた。
「残る者に幸運を」
そして俺たちは器を交わした。




