第二十二話 メイドとご奉仕
「ご主人様、お待たせしました!」
ぶほっ!
俺は思わず口に含んでいたお茶を吹き出した。
いきなり部屋の扉が開いたかと思った瞬間、まるで貴族が雇うメイドのような姿をしたマルシアが飛び込んできたのだ。
雨の降る午後の気だるげな気分を一瞬にして遠くへと消し去りやがった。
「……一体何が起こってるんだ」
俺は混乱する頭で必死に答えを導き出そうとする。しかし、そんな答えはどこにもなかった。
「男の人はこういうのが好きって聞いたので挑戦してみました!」
「……そんな情報流したのは誰だ」
「これです」
マルシアが取り出してきたのは一冊の本。そのタイトルは『わたしはメイドちゃん12巻』……どこかで見たタイトルだった。連載物だったのかよ。
「いまこれ大人気なんですよ! 騙されて奴隷になったメイドちゃんがカッコイイ貴族のお兄さんに拾われて頑張るお話なんです!」
頭が痛い。ここのところの雨で風邪でも引いたのだろうか。
「……可愛いです」
マルシアの姿をじっと見ていたシルヴィアが小さく呟いた。
「お前もか……」
「ですよね! 本物のメイド服ですから凄く手触りもいいんですよ!」
マルシアはロングスカートの端を持ち上げると、触ってみてくださいと俺の方向へ向けた。言われるままに触る。確かに手触りはいい。高級な布地を使っているようだった。
「どうですか?」
「いや、まあいい布だな」
「それだけですか……私似合ってませんか?」
「うん? ……そうだな、ああ、似合っている……と思うぞ」
「本当ですか! 良かった!」
確かに似合ってはいる……のだが、メイド服が似合っていると言われて嬉しいのだろうか。お前は召使いがお似合いだって言われているような気がするんだが。
「では早速メイド業しますよ」
「いや、お前仕事は?」
「今日は非番なんですよ。大丈夫です」
なら素直に休んでいればいいものを。
「という訳でお掃除しますよー。こんなにお茶がこぼれているじゃないですか」
それはお前の所為だ……と突っ込みたかったが掃除をしてくれるならやって貰うとしよう。
俺は邪魔にならないようにベッドに寝っ転がると、枕元に置いてある本『英雄の歴史』を開く。内容は当り障りのない英雄についての話だったが、それでも知らないことは結構あった。英雄と聞くと誰もが最強の魔法戦士だと思い浮かべるだろう。天を裂き、地を割り、全ての魔物を一撃で屠る。こういったのが俺が幼いころに抱いていた英雄の印象だ。しかしその歴史を紐解いていくと、普段俺たちが耳にする英雄譚は最後の一部分だけだった。
「英雄は1日にしてなるものじゃないって事か」
本によると英雄が魔王を倒すのは二十代半ばを過ぎてからだった。それまでは各地をまわり、小さな魔物たちを倒して力をつけていったと言う。
「ご主人様、ご主人様」
マルシアの声がする。
「ちょっとご主人様!」
そして俺の読んでいた本が取り上げられた。
「なんで反応しないんですか!」
「もしかしてご主人様って……俺のことか?」
「そうですよ! メイドはご主人様が居てのメイドですし、シルヴィアちゃんだってそう呼んでるじゃないですか」
「いや、シルヴィアは一応俺の奴隷だからな……」
「理由はどうでもいいので了承してください!」
「わ、わかった」
取り敢えず頷いておいた。逆らったところで益もない。好きにさせておこう。
まあ、それ以外は至って普通に家事をしていた。そもそもその仕事は宿の従業員の仕事なのだが……既に宿に許可はとってあるらしい。なんと手回しのいいことだろうか。
一通りの作業が終わると、今度は宿の厨房を借りて夕食まで作ってきた。女将さんにそれでいいのかと聞いたが、ニヤニヤしながら「男ならしゃきっとしな」とどうでもいいアドバイスを貰ってしまった。
マルシアが作っていたのは当り障りのないシチューだった。確か前にも爺さんの家で一度食べたことがある。そこら辺の店の味と比べても遜色ない腕前だ。
「……美味しい」
どうやらシルヴィアの口にもあったようだ。いつもより食べるペースが速い気がする。
掃除、洗濯、料理と休日返上でよく働いてくれたのはありがたい。お礼代わりに酒でも奢ってやろうかと言ったのだが、どうせなら俺の部屋で呑みましょう提案された。確かに部屋で静かに呑むのも悪くはない。
俺は外套を羽織ると酒場に向かい、適当な甘めの酒とシルヴィア用の甘い飲み物を買ってくる。
「おかえりなさい」
光魔石のランタンを挟んでシルヴィアとマルシアが出迎えた。ランタンの近くにはシダ芋に塩をかけて焼いただけの軽いつまみが用意してある。どうやら酒場に行ってる間にマルシアが作ってくれたらしい。買ってきた酒と飲み物を取り出し、それぞれの器に注ごうとするが「それは私たちのお仕事です」と取り上げられてしまった。
取り敢えずされるがままに酌をしてもらい、呑み始めること一刻ほど。最初はメイドというていで振舞っていたマルシアだが、酒が入ればいつも通りになってしまった。酒に弱いわけではないが、メイドを続けるのも疲れるのだろう。
俺とマルシアが他愛のない昔話をして、シルヴィアがそれに乗じて細かく聞いてくる。そんな話の流れでもう一刻ほどが過ぎた。
さすがに夜も更けてきたのでマルシアを送ろうと立ち上がるが、彼女はどうにも動かない。帰るぞと言っても聞かない。
「今日は泊まっていきます!」
マルシアはそう言うと、器に残っていた蜂蜜酒をいっきに煽った。そしてそのままベッドへと飛び込む。
「こら、ベッドは一つしか無いんだぞ」
「なら一緒に寝ましょうよー」
宿の女将さんが余計な気を利かせ、この部屋はダブルベッドだ。三人でも寝られないほどではない。
「お前、俺が男だってこと忘れてないか?」
「片時も忘れたことないですよ!」
顔だけこっちに向けるマルシア。
「じゃあさっさと帰れ、送ってやるから」
「イグニスさん……私を女性だと思ってないんですか?」
「……お前が男だったら躊躇なく外に投げ出すんだがな」
「じゃあなんで……私を抱かないんですか?」
ああ、結局そうなるんだよな。俺はベッドの縁に腰掛け、マルシアの方を向いた。そしてゆっくりと口を開く。
「……俺は冒険者だ。レベル3で燻っていた頃なら今のお前を抱いただろうな」
そこまで言うと、一旦区切り息を吐く。
「だが、もう一度夢を見てしまった。まだ上に行けるんじゃないか、という夢を。今の俺にとってはそれが一番だ。恋だの愛だのは二の次になる。それでもいいのか?」
「……それでもいいんです! シルヴィアちゃんみたいに私も側に居たい! 一緒に歩けるように、その証が欲しいんです!」
マルシアは一瞬たりとも俺から視線を外さない。その決意に圧されるように、ややあって俺は頷いた。
「わかった……女将に言ってもう一部屋取ってくるか」
俺が立ち上がろうとすると、マルシアが服の裾を掴んだ。
「ここで大丈夫です……さっきシルヴィアちゃんと話し合っておきました」
酒の買い出しに行っている間にそんなことを話していたのか。
「……一緒でいいのか?」
「構いません。私たちは対等です」
マルシアの言葉にシルヴィアも頷く。
「……そうか」
そしてランタンをベッドの脇へと移動させると、俺たちは床に就く。
いつもと違い、三人だとさすがにベッドは狭かった。
翌朝。昨晩のことを思い出したのか、マルシアが俺の顔をまともに見てくれない。
女将はニヤニヤしているし、マルシアを送っていけば爺さんもニヤニヤしている。ついでにギルド職員たちもニヤニヤしていた。
なんで俺のまわりにはこんなのしか居ないのだろうか。




