第百六十四話 凱旋と結果
海は平穏を取り戻し、吹く風もどこか穏やかなものに感じられた。
後方に刻まれていく船の軌跡を眺めながら、俺は思考に耽る。
思い描くのはつい先ほどまで行われていた戦闘。甲板にひとりで立っていると、その光景ばかりが頭に浮かんでいく。
伝説級の戦い。
いままでは本の中、もしくはイメージの中でしかなかったそれは、いまやここに現実のものとなった。それを眼にした俺の胸に生まれたのはなにか。感動、憧れ、畏怖。当然浮かぶであろうそれらの感情は、いまいち俺の中でしっくりとはこなかった。
いや、あるにはある。しかし、それ以上に何か違うものが存在しているのだ。
「これは……」
もう一度、始めから思い返してみる。
「……そうだな、嫉妬というのが一番近いのかね」
かか様。
リタの母親である元冒険者は、魔術らしきものを一切使っていなかった。いや、もしかすると見た目では分からない、それこそ俺が隠れ蓑としていた筋力付与のようなものを使用していたかも知れないが、それは俺とて同じこと。
「いや、それ以上に俺は持っている……んだよな」
手を開く。
今回、不思議な縁によって手に入れた対魔水剣。シルフによってもたらされた風陣収縮。俺が手に入れた魔術的な力。
そんなものを使わず、ただただ力によってねじ伏せたリタの母親。
ポーロやレイモンであれば直ぐにとはいかないが、いずれ横に並んでやるとは考えられる。しかし、あの女性の力はなんだろうか。
「……規格外」
俺が想像する人の枠に当てはまらない、人知を越えた英雄たちの能力。それは伝説の魔物であるリヴァイアサンと似たような力。
「いやいや、なんで課程をすっ飛ばして力を求めようとしてるんだよ、俺は」
頭を振る。
現実に見ることが出来た、最高峰の戦闘。それは喜ぶべき事だろうに。
「いままでは絵空事……だったから良かったのかもな」
子ども用の絵本から、大人向けの書籍類。至るところで眼にする英雄譚であれば、自分を重ねて簡単に理想をイメージ出来る。むしろそれに特化している物語。そこにはウジウジした奴もいなければ、挫折する奴もいない。
だが、現実はどうだろうか。圧倒的な実力差。そこから受ける印象は、自分より上の魔物と出会ったときの圧力とほとんど変わらない。
海の王者とレベル9の冒険者。その中に、俺が入る隙間はあるのだろうか。
「……なにを黄昏ているのかしら?」
「ん。ああ、シャンディか。いや、現実と虚構の差を考えていた……ってところかね」
振り返ったところには同じレベル5冒険者。俺はちょっとした仲間意識から、僅かばかりの安心感を覚える。
「そうね、確かにアレを見ちゃうと仕方ないわね」
シャンディは隣まで来ると、船の縁に肘を乗せ、こちらに視線を向ける。その表情から、俺の心情は丸わかりのようだ。
……別に良いけどな。
「ま、出来ることしか出来ないんだけどな」
常套句。それは冒険者を始めてからよく学んでいることだ。
「あっ、こんなところにいたんですね」
更に遅れてやってくる二人組み。マルシアとその手に引かれているシルヴィアは、まるで姉妹のように仲が良さそうだ。
「やれやれ、見つけるのが早いな」
考え事をするから黙って出てきたというのに。
「なに言ってるんですか、こっちも聞きたいことは山ほどあるんですよっ!」
「……聞きたいこと?」
「そうですよ! リタさんのこととかっ!」
「ああ、あれか。まあ、戦闘中だったし説明している暇はなかっただろ」
「それは分かってますよ! だからこうして今、説明を求めているんじゃないですか!」
「……です!」
詰め寄るマルシアは当然だが、隣のシルヴィアもいつの間にやら俺の服の端を掴んで問いつめるような視線を投げている。ああ、実に仲の良いことである。
「……と言う訳なんだが」
これまでのリタの行動や、水上での戦闘の流れを説明し終え、俺は一息ついた。
リタとの契約などについては興味深く耳を傾けていたシルヴィアとマルシアだが、話がリヴァイアサンとの邂逅に及ぶと途端にスケールの違う話となったからか、視線を床に傾けたまま思考の海へと沈んでしまった。
まあ、すぐに理解しろと言う方が無理な話だ。俺自身、いまいち把握しきれていないのだ。今までは知識を元に動いていたのに、今回は感覚を頼りに動いていた。なんというか、少しだけ馬鹿をやっていた昔の俺に戻った気分だった。
「そうですね。よく分かりました」
唐突にマルシアが顔を上げると、頷いた。
「……本当か?」
三人の中でマルシアがいの一番に理解を示したことに、俺は驚きを隠せない。
「はい。私には難しすぎるという事が」
そして、その返答を聞いて納得する。
「……ああ、そうだよな。良かった、安心したぞ」
「――って、どうしてそこでホッとするんですかっ! おかしくないですかっ!」
そうだな。自分で言ったことなのに、俺が同意したら怒ることに関しては確かにおかしいと思うぞ。
「ふふ、そうね。私もあまり理解出来てはいないのだけれど……貴方が体験したというのであれば、それは事実なのでしょうね」
俺たちのやり取りを眺めつつ、シャンディが口を開く。
「……世界の歪み、ですか」
それに続くようにシルヴィアもまた呟いた。
「まあ、なんていうか要領の得ない説明で悪いな」
先ほどまでの説明は、あくまでリヴァイアサンが語った一部のことの復唱に過ぎない。
「こればかりは私たちだけじゃどうしようもないわね。いつまで考えても平行線。幸いなことにすぐ近くに新たな巫女とその家族がいるのだもの。そちらの知恵も拝借した方がいいと思うわ」
「新たな巫女とその家族、ねぇ」
その二人の姿を思い起こす。実力という面では確かに十分だ。しかし、知識という点ではいささか疑問符を浮かべざるを得ない。いままでの言動から考えるに。
「まあ、当事者だし、俺たちだけで抱え込める問題じゃないのも確かだな」
なんだかそれが更なる問題を巻き起こしそうで怖いが。
船首には相も変わらず二つの影が立っていた。好きだな、そこ。
「おや、あの時の冒険者一行じゃないか」
俺たちの接近に気づいたその内のひとりが声を上げた。
「ああ、どうも。えっと……かか様」
「おっと。なんだね、いきなり。アタシはアンタのような息子を持った覚えはないんだが……いや、この場合は少し違うか? 義理のってことかね。いやいや、ダーリンが聞いたら黙っちゃいないだろうねえ」
「えっ、ちょ、どういうことですかっ!」
「……そこを突っ込むと話がややこしくなるからやめとけ」
なんだか騒ぎ始めたマルシアを後ろへと追いやり、俺は一歩前へと出る。
「いや、すみません。リタがそうとしか呼ばなかったもので……ついそのイメージが」
「ん、そう言えばそうだったか?」
かか様の横で首を小さく傾けるリタ。
「ま、アタシも自己紹介してなかったね。アタシの名前はナハさ。正確にはもっと長いが……まあ、分かれば別にいいだろう?」
「ええ。それじゃナハ様。まずは助けて頂きありがとうございました」
俺は頭を下げる。
命の恩もそうだが、冒険者としても大それた口を利ける相手じゃない。
「おやなんだ。見た目より堅っ苦しい男なんだね。リタから聞いてたのと少し違うね。まあ冒険者なんだ、気にしないでいつも通りで構わないよ」
どう返したものかと、俺は頭を掻く。まあ、本人がいいってんならいいか。
「では、遠慮なく。まあ、その実力を眼にしたからには、あまり生意気な口は叩けないですが」
「もうちょっと砕けた方がいいかね。やっぱ冒険者足るもの粗暴じゃなければならないし」
「いや、その言葉はどうかと思うわけで……」
別に冒険者の全員が粗暴と言う訳じゃない。もう少し冒険者のイメージを良くしてもらいたいものなんだが、上がこんな考えじゃ無理そうだ。
「それにしても、よくもあれだけの人数を集めたね」
「……討伐隊をですか?」
それなら集めたのは横の娘なんですが。
「いやいや。巫女だよ、巫女。王族もかくやといった充実具合じゃないか」
かか様――ナハは後ろの仲間たちを眺め、最後にリタに意味深な笑みを向けると、ふたたび俺へと視線を戻す。
「いや、なんというかこれは……」
ほとんど巻き込まれに近い。最終的には俺の意思であったけども。
「その点においては、資格は十分だ」
「……資格?」
「ああいや、こっちの話。うちの娘と契約を結んじまった以上、アタシ等は家族みたいなもんだしね。皆、宜しくやってくれるかい」
「ええ、それはもちろん」
「えっと、宜しくお願いします」
「……お願いします」
そんな、なんだか微妙なテンションでの顔合わせの後、ナハとリタにも件の話を告げたところ。
「そいつはまあ、口での説明は難しいね。アンタたちよりは歳を重ねているから、それなりのことは知っているけど……ま、とりあえず激戦の後だ。港に戻るまではゆっくりしているといいよ。詳しい話は落ち着いてからの方がいいだろうさ」
ナハは跳躍して一気に俺たちの上を飛び越え。
「後は若い者同士でごゆっくりね」
そう言い残し、手をひらひらとさせながら遠ざかっていってしまった。
「ま、口で何かを言うよりは身体を動かしたいかか様だからな。説明は後で他の者に任せるのだろう」
やや呆れた感じで補足するリタ。それはお前にも当てはまるんじゃないだろうか……とも思ったが、口にするのはやめておこう。不毛だ。
「……あの、ずっと考えていたのですが」
不意にシルヴィアが言い難そうな表情で俺の服の端を引っ張った。いつになく真剣な表情だったので、俺は思わず身構えてしまう。
「……どうした?」
俺の問いかけに、少しの間逡巡した後。
「……結局、シーサーペントは倒せてない……ですよね?」
意を決したように口を開く。
「――あっ!」
それを聞いた瞬間、俺とシャンディの声がすぐさま重なった。
「……ぷっ、くくっ」
互いに何とも言えない表情で見つめ合っていると、不意にマルシアが笑い出す。
「――ははははは」
釣られてリタも笑った。一度だけ見た、子どもの様な笑い方。そこには凛とした兵士の姿は欠片もなく、無邪気で明るい表情だけがある。
「くく、お前たちといたら、心身共に飽きなさそうだ」
「……いや、その評価はどうかと思うぞ」
結局、俺たちは目的の獲物を狩ることが出来なかった。
「戻ったら再試験だろうなあ……」
しかしまあ、偶にはこんな失敗もいいだろう。決して急いでいる訳じゃない。今までも俺の――いや、俺たちのペースで歩いてきたのだから。