第百五十七話 王と兵
海の王者。俺たちが眼を奪われていたのはその果てのない巨大な体躯だが、目下に迫った危険はまた別のところにあった。
王を護るように、またはその威光から逃れるように、リヴァイアサンの前方には数え切れぬほどの魔物の群れが存在している。
「半ば予想出来ていたことではあるが……」
これまでに起こった港への襲撃を考えるに、とてもじゃないがリヴァイアサン単体での行動とは思えない。一度であれば偶然と考えられなくもないが、度重なる断続的な行動はなんらかの意志が働いているに他ならない。
対話をするにしろ、戦うにしろ、まずはその周りの魔物たちをどうにかしなければならないだろう。後方に控えているリヴァイアサンはともかく、周囲にいる魔物たちは争う気が満々のようで、遠距離攻撃の準備に入っているのが眼に映った。
俺はリタに視線を戻す。そこには黙ったまま佇んでいる彼女の姿。その落ち着きは、なんとなく見る者を安心させる雰囲気を感じさせる。
さすがは上に立つもの、か。
「対魔水壁、準備」
短いリタの言葉を兵士たちが復唱すると、遂にこちらも動き始めた。船の縁に等間隔で設置されている魔石に触れると、それを起動。すると、魔物たちの周囲に浮かぶ水球と対を為すように、こちら側の船の周囲を水の膜が生まれていく。それはやがて、船全体を包み込み、ひとつの大きな水泡となった。
見た目は薄皮一枚。こんなもので港を破壊した水砲を本当に防ぎきれるのだろうか。いまいち心許ない。
そんな俺の心配を余所に、砲弾は放たれた。大量の魔物から生み出された、まるで驟雨の如く襲いかかる水撃。それが今、船体を包む水泡と接触し――。
なにごとも起こらなかった。
耐え切れずに貫かれることも、防いだことにより衝撃が襲いかかることも、想像していたことはなにひとつ起こらず、水泡の中はただただ、平穏が保たれている。
嵐の中の静寂。外側は変わらずに雨が降り注ぎ、まるで水中にいるかのような錯覚を感じてしまった。
「被害がないのはいいことだが……いったい何が起こっているんだ?」
俺は呟きながら、水泡を観察していく。すると、水泡はまるで海に落ちた雨のように砲弾を吸収していることに気づいた。その際に生じる小さな波紋は、何とも不思議な紋様を形成し、とても自然に出来たものとは考え難い。
「これは解術ね。始めて見るけど……多分、そう」
隣にいるシャンディが、小さく呟くのが聞こえる。
「……なんだそれは?」
「私たち魔術師が紡ぐ魔術は詠唱……つまりは、ああなってこうなれという命令によって魔力を変化させているの。だから、その命令そのものを無効化出来れば……」
「なるほど、元の魔力に逆戻りってわけか。そりゃ凄いな」
「……それって、私たちにも出来るんでしょうか?」
黙って説明を聞いていたマルシアが問いかける。確かに、それが俺たちにも扱えるようになるのなら、そんな心強いことはないだろう。
「扱えるものなら私も使っているわ。でも、無理。……いいえ、出来る人はいるかもしれないけど、そこら辺にいる魔術師では無理ね」
シャンディは残念そうに首を横に振った。
「それに、言葉にするほど便利なわけでもないわ。それひとつですべてに対応できるならとても強力なのだけれど……解除するには相手の魔術を分析して、それぞれに対応した解術を使わないとダメ。とてもじゃないけど、普通の人の反応速度じゃ無理だと思うわ。それに、使われた魔力以上の魔力じゃないと干渉出来ないの」
「……なるほど、クリアすべき項目が多すぎるな」
やはり、それ相応の対価が必要なのか。そうなると、この水膜は海上戦で主に使われる水の魔術に特化させているのだろう。それを高レベルの魔石に仕込む……なんとも金のかかる話だ。それらをすべてクリアしてこそ、このように有効に活用出来るのだろう。
「敵対行動を確認。これより殲滅に移る。第四から第八砲門開け」
前方を見据えたまま右手を前に突き出すと、リタは次の手を打つ。
……って、おいこら。だから話し合いをしろって、話し合いを。
「目標は我らの道を阻むもの。レヴィアタンに当たらぬよう、細心の注意を心がけよ」
そんな俺の突っ込みに応えるように、リタが言葉を続けていく。
道を開く為には致し方なし、か。まあ、このまま攻撃を受け続けるわけにもいかないのは確かだ。
魔力には限りがある。先ほどから降り続けていた砲弾の豪雨も、気がつけば小雨といえる程度に落ち着いていた。
「準備、完了致しましたっ!」
兵士たちが手を挙げて合図する。それを確認したリタは大きく頷くと、ふたたび前方を見据えていく。
「――発射!」
雨が止んだ一瞬を見極め、リタが号令を発した。同時に発生する光。それは玉座の手前、魔物たちが群がる中心へと降り注いでいった。
光はそのまま海面上に広がると、魔物たちを飲み込んでいく。着弾を知らせる轟音が響き渡り、荒れ模様の海が更に機嫌を損ねていった。
「こいつは……とんでもないな」
俺の口から漏れるのは、そんな言葉。
光が去った後、そこにはなにも残っていなかった。骸も魔石も、その存在を示す物はなにひとつ見当たらない。海はふたたび静寂を取り戻すと、穿たれた穴には綺麗に海水が満たされ、痕跡すらぬぐい去っていく。
味方の砲撃だというのに、俺はなんだか寒気を覚えてしまった。
「それでも……あまり減ったようには見えないですね」
マルシアがぽつりと呟く。
確かに砲撃の威力はすさまじいものがあったが、それはたった一部の出来事。全体を見れば、魔物はまだまだ数え切れないほどに存在している。
「でも、道は出来たわね」
シャンディが前方を指した。そこには光が作り上げた道、玉座へと続く航路が見える。
「全速前進」
響き渡るリタの言葉と共に、足場が振動を始めた。そして動き出す景色。ゆっくりと、しかし確実に、船は前方へと進み出していった。
俺たちが進めば進むほど、当然の事ながら相手との距離も近くなる。
速度を上げながら突き進んだ軍用船は、ただいま魔物の群れのまっただ中。眼と鼻の先には魔物たちが蔓延っているのがよく見える。
――バシャン!
不意に、海面からなにかが飛び出す音が響いた。それもひとつではなく複数。
「やっと出番だな」
俺は片手半剣を構え直すと、皆に注意を喚起した。先制攻撃まで仕掛けてきた相手だ。黙って通り抜けようとする俺たちを魔物たちが逃すわけはない。
水面からかなり離れている甲板まで一気に飛び上がってきたのはサハギンだった。海のコボルトと揶揄されているだけあり、ここに乗り合わせている者にはなんて事のない相手だ。
「気は抜くなよっ!」
しかし、油断していい訳でもない。半ば自分への戒めとして叫ぶと、俺は早速眼の前に降り立ったサハギンに対し、斬りかかっていく。
周りの冒険者も、すぐさま対応に移っていた。俺と同様に、一番近くにいたものが対処に当たり、他の者は新手が現れた場合の対応に神経を尖らせていく。
「副砲、準備」
そんな混戦の中、リタの言葉が響く。それと同時に、船の側面から振動音が聞こえてきた。おそらくは乗船する際に見た、船体横に設置されていた砲門の開く音だろう。
「――発射!」
次いで生まれる光。それは先ほどの海を裂くようなほどではないが、間断なく降り注いでいく光の雨だ。船を囲むように動いていたシーサーペントを始めとする魔物たちはそれらに貫かれ、大きな音と共に海へと埋没していった。
光をかい潜った小さな魔物が船へと乗り込んでくる。それを待ち受けるのは、俺たち冒険者やアクアラングの兵士たち。
攻守は万全。このまま順調にいけば、群れを抜けることは容易だろう。
「……いや、思っていた以上に襲ってくる数が少ない、か?」
そんな余裕もあり、俺は辺りを見回しながら呟いた。いくら光弾にやられようとも、それは群れからすれば微少な数と言える程度だ。
「どうやら襲ってくるのは近くにいる魔物たちだけみたいよ」
シャンディの言葉が耳に届き、俺は遠くに視線を投げた。そこに映ったのは、俺たちを無視して真っ直ぐに突き進んでいく魔物たちの姿。
「目先の敵より目標を優先している?」
あの港街にそれほどの価値があるとは思えないが……これはリヴァイアサンの命令なのだろうか。
どちらにしろ、このままこいつらを野放しにするのは危険だ。港に攻め込まれれば甚大な被害が出るのは簡単に予測出来る。
「とは言ったものの、向こうは向こうに任せるしかなさそうだが……」
俺は船の縁から身を乗り出すと、後方へと視線を流していった。その視界に入るのは海に壁を作るように列をなした船団。周囲の海面には、兵士や冒険者たちの姿も見える。
それは、真正面から魔物の波を受け止める防波堤。彼らが抜かれれば、あとは港に残る兵士や冒険者たちに頼るしかない。出来ればここで止めたいところである。
やがて届く、仲間たちの雄叫び。どうやら群の先端と船団がぶつかり、向こうでも戦が始まったようだ。
「――っと! 俺たちも負けていられないなっ!」
ふたたび近くに降り立ったサハギンに思考を戻し、俺は片手半剣に力を込めた。
群れに突っ込んでからどれくらいの時が経っただろうか。
甲板上には、数えるのも億劫になるほどの魔物の亡骸が散らばっていた。反面、こちらの被害はまったくと言っていいほどにない。俺たちの完勝と言っていいだろう。
あれから魔物たちの乗船は徐々に数を減らし、今まさに、最後の一匹が倒されたところだった。
それはつまり、魔物の群れを抜けたことを意味する。
「抜けたぞっ!」
誰かが叫んだ。それを聞いた皆が、それぞれ前方へと視線を向けていく。
「よっしゃ、これで――」
次いで発せられた言葉が途中で遮られる。そして、それに続く言葉は生まれない。皆一様に沈黙を貫いていく。
それもその筈。遠目からでも感じていた重圧が、更に凄みを増して俺たちに襲いかかってきたからだ。
『矮小なる人間たちよ。我に何用か?』
頭に響く声。それは畏怖と同時に、どこか懐かしさを感じるものだった。




