第百五十五話 軍用船と水平線
「どうだ?」
先頭を歩いていたリタが立ち止まると、後方を振り返った。その表情には自信の程が窺える。
組まれている足場の下は水面。ここは街の突端、海と陸の境界だ。
辺りには数え切れないほどの船舶が並んでいるが、その中でも、眼の前に佇んでいるものは……とんでもない大きさだった。
アクアラング軍用船。
いままで遠目から見ていた為、特にこれといった感想はなかった。しかし、こうして近くでまじまじと観察してみると、その異様さが浮き彫りとなる。
「……ごつい、な」
鋼鉄で覆われた砲台、とでも表現すればいいのだろうか。それが水上にプカプカと浮かんでいるのだ。よくもまあ、沈まないものである。黒騎士なんて投げ込んだら直ぐに沈むというのに。
チラッと横目で黒騎士を見ると、同時にシルヴィアもこちらを向く。そのタイミングの良さに、なんとなく見透かされたような気がしてくる。
「そうね。なかなかの圧迫感ね」
「もうちょっと可愛い方がいいかなあ」
同じ様に全体を眺めながらシャンディとマルシア。いや、可愛さはまったくいらない要素だと思うが。
「……格好いいと、思います」
ひとりだけ肯定的な意見が飛び出る。まあ、その本人が似たような代物にいつも乗り込んでいるのだから、若干の贔屓目が入っているのだろう。
「うむ。格好良いだろう」
いや、もうひとり居たようだ。他の感想は流し、リタが大仰に頷いた。
「……いやいや、外見よりも実用性だろ」
「無論、実力も十二分にある。安心するがいい。信じられぬなら、きちんと説明するのもやぶさかではないが……」
「いや、信じているさ。リタがそこまで言うのだからな」
多分、説明されても分からないだろう。グラスやラーナ、もしくはヨンド辺りなら飛びついたかもしれないが、こんな場所に長々と突っ立っているくらいならさっさと中へと入りたい。
「うむ、ならばいい。それでは中を案内するとしよう」
うんうんと何度も頷くと、リタは甲高い音を立てながら金属で出来た階段を上がっていく。その後を、俺たちはゆっくりと続いていった。
「うわー、高いですね」
マルシアが声を上げる。馬鹿でかい軍用船だ。甲板付近まで来ると、海面からかなりの距離がある。そこら辺の建物なんかよりもずっと上の高さだ。ますます現実感のない光景に、俺は驚くことを諦めた。
それでも軍用船は初めて見る。興味が湧かないわけはなく、キョロキョロと必要以上に辺りを見回してしまうのは仕方のないことだ。
「あ、リタ様。お疲れさまですっ!」
甲板にいた兵士が俺たちに気づくと姿勢を正し、挨拶をしてくる。薄々と理解してはいた事だが、やはりリタはそこそこの地位に居るようだ。実力を重視すると聞いたことのあるアクアラング軍。その点においては、俺たち冒険者とそんなに変わらないのだろう。
「ご苦労。これから客人の案内をするが、気にせずに続けてくれ」
「はっ!」
頭を下げて一礼すると、兵士は作業に戻っていく。今は甲板の清掃中といったところか。忙しなく動いている兵士たちを見ると、物見遊山な気分でいる俺としては、なんだか申し訳なく思ってしまう。
「あれが海上戦の主力となる、魔石砲だ」
リタが指し示した先には大きな筒。それは、下から見上げたときに目立っていた砲台で、甲板から見たそれは更にデカく、砲身の中には人など簡単に入れそうなほどだった。
大きい物だけでなく、その周囲には連座となっている小さい物まで。わらわらと武器がくっついているその姿は、まるで獣の森で遭遇したブレードタイガーのようだった。
「名の通り、魔石を使用する大砲だ。主砲にはレベル7以上。副砲にはレベル5以上の物が使われている。威力を追求した為に消耗は激しいが、アタッチメントタイプで換装も簡単だ」
「……そいつはさぞかし凄いんだろうな」
レベル7の魔石とか見たことねぇよ。
「無論。いざとなれば、前回の魔物たちによる襲撃も、小物を除けばこの船単体で掃討可能だ」
「それは……頼もしいわねぇ」
若干、呆れたようなシャンディ。
まあ、主にリヴァイアサン用にと持ってきたのだろう。おいそれとは使えないと思うが、いざというときの備えがあるのは心強い。
「それで色々とついてますけど……合計どれくらいあるんですか?」
「計、一〇四門ほどだな」
「はえー」
リタの返答に、間の抜けた声を上げるマルシア。それら全てが一斉に火を噴いたとなればやばそうだ。この港街なんか一瞬で壊滅させる事が出来るんじゃなかろうか。そういう意味ではリヴァイアサン同様、恐ろしい存在だ。
「強い力にはより強い力、か」
なんとも皮肉なもんだ。しかし、単純な分、分かりやすい。
「ここから中に入るぞ。頭上に注意してくれ」
リタは小さな扉に手を掛けると、重そうな音を立てて開いていった。
艦内は外側から比べたら偉く狭い。部屋を跨ぐ際には腰を低くしなければ通り抜けられないほどだった。
俺たちの中では一番大きい黒騎士。まずどこかに身体をぶつけるだろうなと予測していたのだが、シルヴィアはなんとか黒騎士を巧みに動かし、中へとねじ込んでいった。
「すまんな。基本的にこの船には我らの一族しか乗ることがないのでな。どうしても我らに合わせた最低限の作りになってしまう」
「道理で獣人族に優しくない作りだと思ったよ」
――ガン。
「あ痛っ」
甲板の時と同じように周囲を眺めながら歩いていると、軽く頭をぶつけてしまった。今し方、注意を受けたばかりなのにこの体たらく。やはり、好奇心には勝てない。
「……しっかし。いくら一族専用だとしても、ここは狭すぎやしないか?」
グラスやラーナのような、ハーフリング専用だと言われても納得してしまいそうだ。
「もともと軍用船というのはそういうものだ。居住空間は最小限に止めておく。その空いた分、武力を高めておいた方が安心だろう?」
「……なるほど」
確かに戦闘を考えた場合、快適性などは二の次だろう。まずはやられないこと、それは冒険者の心構えとなんら代わりはない。
「ここが客室だ」
疑問に思ったことを眼の前のリタにぶつけつつ、歩くこと半刻ほど。律儀に立ち止まっては質問に答えてくれる彼女な為、実際にはそこまで進んでいないところに客室はあった。有事の際には即座に甲板に出ることが出来そうだ。……頭をぶつけなければ。
「我ら兵士の寝泊まりするところとさほど離れてはいない。後でそこにも案内しよう。まずは各々、荷物を下ろすといい」
言われるまま、俺たちはそれぞれベッド脇にある棚へと荷物を押し込んでいく。とはいうものの、外で必要な物などは宿に預けたままだ。経費などは冒険者ギルド持ちなので細かいことを気にしないで済むのはありがたい。
「最近はユニーの相手が出来なくて可哀想ですね」
ふと、思い出したようにマルシアが呟く。
黒騎士に代わる俺たちの荷物持ち代表、馬車を引く発情馬ことユニコルニス。残念ながら、その出番は港街に着いて以降、まったくなかった。さすがに厩舎に突っ込まれたままは不憫だと、休暇の折り見て外を散歩させたりもしていたが、あいつの場合は外に出られないことより、女性陣に会えない事の方がフラストレーションが溜まりそうだけどな。ホント、どうでもいいことだが。
「まあ、そこら辺は従業員に任せておくしかないだろう」
皆、男だけどな。ご愁傷様。
「そうですね。帰ったら皆でいっぱい遊んであげましょうね」
無論、その中に俺は入っていないだろう。
見渡す限りの大海原。塩気の乗った海風が、俺の頬を撫でていく。
「気持ちいいですねー!」
近くからマルシアの歓声が上がる。事態は緊急を要しているというのに呑気なものだ。いざ出発となったときの心配な表情はどこへと消えたのだろう。
「貴方は貴方で、ずっと皺が寄りっぱなしよ」
俺の心中を見透かしたかのように、シャンディが俺の眉間をツンと押してくる。そんなに顔に出ていたのか。
「……やっぱり、少し、怖いですね」
そこにぽつりとシルヴィア。
「まあ、そうだな。今さら考えていてもどうしようもないのは確かだ。作戦は既に始まっているし、話し合いも十分に行われている。後は出たとこ勝負だな」
気分を変えようと顔を叩いて表情をほぐすと、俺は船の縁へと移動していく。
風は十分に吹いているが、それに見合わないほど船は速い。その速度を示すかのように、後方に流れていく水面に刻まれた船の痕跡が、まるで荒波のように猛っていた。
「さすが、大型魔石をふんだんに使った高速船だな」
不自然な現象は魔石が発動している証拠。事前に説明を受けていたことを実感し、俺は呟いた。
マーナディア王国の要、オッドレストの王城を浮かせている竜魔石とまではいかないが、この船に使われている魔石は全てが規格外だ。
「いったい、どれくらいの金がかかっているんだか」
「少なくとも、私たちじゃ到底払えない額なのは確実ね」
隣に立ち、シャンディが答える。反対側にはてこてことシルヴィアもやってくると、懸命に小さな背を伸ばして外へと視線を向けていた。
「ほら、落ちるなよ」
そんな彼女を掴み、背に乗せる。最初は慌てていたシルヴィアだったが、その広大な景色を見るや、その虜となっていった。
「いつかはこんな船を持ちたい?」
シャンディが問いかける。
「大海を荒らす大海賊ってか? それまた、子どもが好きそうな夢だな。現実的に考えると維持費だけでカツカツになりそうだ。まあ、それはともかく、俺は冒険者でいっぱいいっぱいさ。自分の馬車を手に入れただけでも、かなり凄いことだからな」
「ふふ、そうね。貴方はそういう人だったわね」
俺の回答に、シャンディは微笑んだ。
「……そういえば、船酔いは大丈夫なの? 前回はそろそろ危ない気配がでていたのだけれど」
「今回はなんでか平気だな。船の女神様は気まぐれなようだ」
そう言って、視線を船首に向ける。
軍用船の先端にも、通常の船と同様に女神像が飾られていた。なんとなくリタに似ているような気がするそれを眺めながら、俺は自身の体調を再度確認していった。
「水上靴で慣れたのかしらね?」
「ああ……そういや、アレは主に不規則な揺れに対応する訓練だったし、確かに効果があるのかもしれないな」
リタから受けた地獄の特訓を思い返し、俺はため息をひとつ。まあ、お陰で揺れに強くなったというのであれば、ありがたい副産物だ。それに、女性陣がすぐに水上靴を扱えた理由はそこにあるのかも知れない。そもそも、なんで揺れに強いのかはまったく分からないが。
「なんにせよ。このまま無事に過ごせるのであれば、それに越したことはないな」
「最大の難関はこれから、だけどね」
「……そうだな」
遙か彼方の水平線。この船が向かっている先に、海の王者が待ち構えているのだろう。
伝説の一端に触れる。リタの言葉をそのまま受け入れるのは癪だが、確かにちょっとした高揚感を覚えている自分が居るのもまた、事実だった。