第百五十四話 原因と対策
「くそっ! またかよっ!」
眼の前の魔物を薙ぎ払い、俺はぼやく。
「あーもうっ! 発射っ!」
掛け声と共に、マルシアの作り上げた飛弾草から種弾が飛び出すと、海上を割るように飛沫を上げて突き進む。
「……本っ当に元気ですね。私たちはもうヘトヘトだっていうのに」
吹き飛んでいった魔物の代わりにドンドンと集まってくる新手を見ながら、マルシアも同意するようにぼやいた。
「――っ! 風刃」
今度はその一団に向かって、風の刃が吹き荒れる。体外魔力で強化された魔術は、見るからに無残な光景を残し、中空へとかき消えていった。
「ぼやいていても仕方ないわ。――ほら、次のお仕事よ」
幸運にもその刃をくぐり抜けた魔物たちを見て、シャンディが俺たちにハッパを掛ける。
「ああ……そうだな。行くぞ、シルヴィア」
ガシャンと中にシルヴィアの入った黒騎士が応じ、俺たちは後方の二人を守るように、ふたたび魔物の前へと向かっていった。
二度目の大きな襲撃を防いだ警備隊だったが、それが引き金となったのか、その後も魔物たちは落ち着く気配を見せなかった。
今までの静けさが嘘のように襲撃の感覚は短くなり、魔物たちの集まる数も次第に増えてくる。
無論、十分に時間のあったこちら側も準備は万全である。多少の被害は仕方のない事としても、初日以降、本格的な上陸を許したことはない。このまま魔物の数が膨れ上がってもまだまだ余裕はあるだろう。
だからこそ、俺たちにも休みをとる余裕はあった。
「なんだかんだで、ここに来るのも久々か」
定期的に訪れる、いつも通りの休暇日。俺たちは港街ナーヴィスの冒険者ギルド前へとやってきていた。
王都でもない限り、その大きさは他のギルドと比べて然程変わりはないが、アクアラングからやってきた兵士を始めとした警備関係者のお陰で、出入りする人数は他と比べて多いことだろう。
当然のことだが、その他にも街道間の魔物を討伐する冒険者はもちろんいるし、貿易を行っているだけあり、商人の護衛などでやってくる冒険者も多い。
……いや、それにしても今日はいつもに増して多い気がする。
「何かあったんですかね?」
マルシアもそれに気づいたのか、額に手を当てながら辺りを見回していた。
「最近は襲撃が多いからな。そのゴタゴタで仕事は多いだろ」
「……確かに、テレシアの時は忙しかったですね」
ため息をつくマルシア。その言葉が示しているのは俺たちの転機でもある、コボルトリーダー襲撃事件のことだろう。当時、ギルド職員だったマルシアは、その忙しさを身を持って経験しているはずだ。討伐自体は俺たち冒険者の領分だが、それが終わってからが職員たちの本番である。詳しくは知らないが、一気に持ち込まれた戦利品の清算や、各冒険者への対応。他ギルドへの連絡等、テレシア支部のギルドマスターであるロウホウの爺さんを筆頭に、皆あたふたとしていたことを思い返す。
「しかしまあ……何で俺たちが呼び出されたんだろうな」
頭を掻きつつ、疑問を呈する。特にこれといった失敗はしていないはずだ。
「それが分かっていたら、こんなところで悩んでいないと思うわよ」
至極当然のツッコミがシャンディから入れられる。
「……まあ、中に入るか」
職員たちに仕事があるように、俺たちも冒険者としての仕事に勤しむとしよう。
忙しそうな職員を横目に、俺たちは受付へと向かっていった。
「こちらになります」
「ああ、案内すまない」
ギルド職員は一礼すると、来た道を戻っていった。
案内されたのはギルド二階にある会議室。二階にある小部屋の一室を使っている為、その広さは名前から受ける印象ほど大きいものではなかった。十人と少し程度の人数が入れば狭く感じてしまうことだろう。
まあ、そんなことはどうでもいい。それよりも。
「さて、今回呼び出した件なのだが」
中央の席を陣取り、偉そうにふんぞり返っているリタに突っ込みたい。
「……その前に聞きたいことがある」
「なんだ?」
俺からそんな言葉が出るとは思っていなかったのか、リタは不思議そうに聞き返してきた。
「お前がここに居るのは分かる。一応、アクアラングからの援軍だからな」
「一応、とつける意図を理解しかねるのだが」
腕を組み、リタは納得いかないように呟いた。
「いやまあ、言葉のあやだ。そこは気にしないでくれ。それで話を戻すが……なんでここには俺たちしか居ないんだ?」
そう、狭い会議室が広く感じるほど、ここには余裕があった。
「なんだか釈然としないのだが……まあよしとしよう。その事は今回の件と関連がある。そう簡単に広めていい類の話ではないのでな」
「それなら、増々と俺たちが呼ばれた意味が分からないんだが……」
関係者内に留めておく、と言う事は分かる。しかし、なんでまた末端の俺たちにまで話が回ってくるのだろうか。人の口に戸は立てられない。知る人数が増えれば増えるほど、漏れ出る可能性は上がるというのに。
「お前はわざわざ騒ぎを大きくしようとする愚か者ではあるまい」
「……そいつはどうも」
言葉の端々から分かるように、こいつは俺たちのことを高く評価しているようだった。しかし、実際は手合わせの時の偶然でしかないわけで……。もちろん、評価される事自体は嬉しいのだが、実力に見合わないレベルまで引き上げられているとなると話は別だ。
「……で、その内容とはなんなんだ? 本当に俺たちに漏らしていいことなのか?」
念を押す俺の言葉に「うむ」と大きく頷くと、リタがゆっくりと口を開いていく。
「ここのところの絶えぬ襲撃。これには原因がある。それは、高レベルの魔物の出現によって引き起こされたことだ」
「まあ、あらかた予想通りの展開だな」
リタの言葉は、冒険者であるならよく聞く内容のものだろう。大体の出来事には原因がある。その中でも、警備担当者たちが暇つぶしがてら話題にしていた内容そのままだった。
「でも、それなら普通に公開しても問題ないんじゃないですか?」
マルシアが小さく手を挙げ、疑問を口にする。その言葉はもっともだ。俺が知っている範囲でも、警備を担当している者の中にはレベル6であるポーロとレイモン、歴戦のアクアラング水兵。そして、眼の前に座るシーサーペントを一撃で屠ったリタが居る。
「……つまりは、普通じゃない相手、ってことか」
そうなると、隠す理由はひとつしかない。
「うむ。その相手とは、レヴィアタンだ」
「レヴィアタン? どこかで聞いたことがあるような名前だな」
今まで、自分たちが遭遇する可能性のある魔物はそれなりに調べてきた俺だ。その片隅に引っかかるものであれば問題はなさそうに思えるんだが……。
「……レヴィアタン。またの名を指定冒険者レベル9、海の王者リヴァイアサン……ね」
俺の背後でシャンディが呟く。その声には、小さな震えが感じ取れる。
「――レベル9っ!?」
思わず大声を上げてしまった。いや、誰だって上げるだろう。
「ええっ!?」
ややあって、事態を理解したマルシアもそれに続いた。いまいちピンと来ないのか、シルヴィアだけは至っていつも通りだった。
リヴァイアサン。ああ、なるほど。そりゃ聞いたことがあるわけだ。それは、冒険王が黒竜の支配する大陸へと渡る際、最大の壁となった魔物の名。海という広大なフィールドを泳ぎまわっているだけあって、様々な書物にその名が記されていたはずだ。その為、書かれた地域によってその名は微妙な差異があるが、冒険者ギルドでの公式名称は冒険王の手記に倣ってリヴァイアサンとなっている。
「いや、しかし……伝説級の魔物だろ……。何故、今頃になって……?」
驚いたが、そこまで頭は混乱していない。実際には半信半疑だ。いまいち現実感に乏しいこの感覚は、シルヴィアと似たような状態なのかも知れない。
手記によると、リヴァイアサンは討伐されていない。最高峰に近い魔物であるが故、その知識も人知を超えるレベルにあり、最終的には会話によって向こう側が引いたとのことだ。人と魔物が言葉を交わすなどとは到底想像もつかないが、その後も目撃報告がある為、確かにこの世界に存在しているのだろう。
いや、もしかしたら別の魔物かも知れないが……そんな伝説級の魔物が何体もいたらと考えると、そら恐ろしいものを感じてしまう。
「レヴィアタンの発見は海が荒れてからすぐのことでな。今までは遠く離れた海上に居た為、様子を見るに留めていたのだ。我らがアクアラング小国連合旗の意匠にも使われているように、好戦的な魔物ではない。こちらから手を出さねば問題ないと踏んでな」
ああ、あの旗に記されていた海神らしき蛇はリヴァイアサンだったのか……シーサーペントと似てるなんて思っていたが、そんなものとは比べ物にならないほどに格上の存在だったな。
「……それで、箝口令が敷かれていたわけか」
「……少なくとも街中はパニック、逃げ出す冒険者も居るでしょうね」
俺の言葉に続いてシャンディが呟く。すぐ近くに伝説の魔物が居ます、なんて知れたらそりゃそうだろうな。
「で、それが動き出した……と?」
出来れば、そのままじっとしていて欲しかったんだが……。
「うむ。方向から考えるに、目標はここ、マーナディアの地」
「他の魔物もそうだが……なんで海の魔物がマーナディアに向かって来んだよ……」
ため息混じりにひと言。海上で襲うならまだ話は分かるが、わざわざ陸に上がる意味がさっぱり分からない。
「そんなことは本人に聞いてみなければ分からんだろう」
「……おい、まさか」
リタの言葉に嫌な予感が沸き上がってきた。この流れ、この口振りからすると――。
「私とて、実際にレヴィアタンを見るのは初めてになる。こんな好機は滅多にないぞ。ワクワクするとは思わんか?」
まったくしねえよ、どういう神経してるんだ。
「大体、知能があるからといって話し合えるかどうかはまた別問題だろう。仮に戦闘となったとしたら、ここにある戦力じゃ対抗出来ないぞ」
本に書かれている能力を控えめに考えたとしても、こんな港街ひとつなど簡単に潰すことが可能なはずだ。
「おーい、おい。なーに弱気なこと言っちゃってんだよ」
不意に、俺たちの後ろから声が掛かった。
「あれ、ポーロさんにレイモンさんじゃないですか」
後方に居たマルシアがいち早く声の正体に気づく。
ゆっくりと振り返った先には、二人の冒険者が腕を組んで突っ立っている。
「……お前たちも呼ばれていたのか」
「当たり前だろ、こう見えてもレベル6の冒険者だからなっ!」
誇らしく胸を張る二人。まあ、それは知っているが、なんか納得したくないのは何故なんだろうな。
「警備をしている冒険者たちの中で、信用に足る人物に個別に声を掛けていてな。お前たちは知り合い故、一緒でも問題あるまい」
「……信用に足る?」
思わず聞き返してしまった。腕試しの時の見事なやられっぷりを思い返すと、どう考えてもその評価に辿り着かないと思うんだが。
「うむ。あれから何度も挑戦を受けていてな。最初は口先だけのどうしようもない奴かと思ったのだが、なるほど確かに語るだけのことはあるようだ」
……しつこく再挑戦していたのか。その熱心さは、ある意味褒めるべきところなんだろうな。
「いやいや、目標が出来るっていいよな! 最近なんだか宙ぶらりんだったから尚更な!」
そりゃ、レベル6の冒険者となると、対抗する相手もそうそう居ないだろう。しかし、そう考えるとリタの実力は如何程のものなんだろうか。基本的な身体能力に加え、シーサーペントを外部から一撃で屠った技術。腕試しの時の不幸なカウンターが決まらなければ、少しはそれも垣間見れたのだろうが……。
「それはともかく、どこまで話してたんだっけか」
俺は頭を掻きながら、話題を元に戻す。どうにもお気楽二人組の登場で、頭から深刻さが抜け落ちてしまったようだ。
「我らではレヴィアタンを抑えることが出来ない、という話だな」
それとは対照的に、相変わらずに冷静なリタが口を開く。
「そうだった、それでどうするんだ」
「それはもちろん承知。だが、時間稼ぎは出来る」
「……時間稼ぎ?」
「レヴィアタンが動き出した事はアクアラング、マーナディア双方に伝わっており、既に対応するだけの戦力がこちらに向かっている。無論、話し合いで済めばそれに越したことはないが、いざという場合は、その到着までの時間を稼ぐしかあるまい」
対応するだけの戦力、か。確かに、各国お抱えの実力者はかなりの数が居るだろう。しかし、相手はレベル9。冒険王でも苦戦したという相手だ。果たして……倒せるのか?
「なに、かか様が居れば案ずることはない」
俺の不安を見て取ったのか、リタが更に続ける。
「……かか様?」
「うむ。我が母上は元レベル9冒険者だからな」
「レベル9冒険者っ!?」
……おいおい。ドンドンと次元の違う話になって来ているぞ。伝説級の魔物に、現在における実質上の最高位であるレベル9冒険者。まるでこれだけで本が出せそうな勢いだ。
しかしまあ、これで少しは希望が見えたといえるのか。
「最近は暇で暇で仕方ないと嘆いておったし、レヴィアタンの情報が訪れた際には真っ先に飛び出そうとしていたからな。今頃は許可が出て喜んでおる頃だろうな。いやはや、我が母上ながら血気盛んで困ったものだ」
……性格は母親譲り、か。鏡を見せてやりたい気分だ。
「レベル9の冒険者って本当に居たんですねっ! 驚きましたよっ!」
その言葉通り、マルシアが驚きの表情を浮かべながら叫んだ。
「おいこら、元ギルド職員。それくらいは把握しておけよ」
「……だって、テレシアの冒険者ギルドなんてレベル4の人が来ただけでも凄いって思いますし、レベル5なんて稀ですよ、稀!」
「……まあ、それはそうだな」
今では俺がそのレベル5、更にはレベル6への試験の途中だ。新人冒険者御用達のテレシアと世間のズレは恐ろしいものだ。
「それで、時間を稼ぐと言ったって、具体的にはどうするんだ? この街で迎え撃つには、壊滅と変わらないレベルの被害が出そうだが……」
「無論、戦場は海上しかないだろう。元々、レヴィアタンが現れることを想定して組んだ船団だ。おいそれとは沈まんぞ」
「なるほどな。それは頼もしい限りだ。しかし、完全な海上戦か……もしかしてお前、俺に水上靴の扱いを教えた理由って……」
「折角の歴史的瞬間に立ち会えぬのは辛いだろう?」
……やはり、そうか。
俺を連れて行く気満々のリタを尻目に、俺は後ろの仲間たちを見やると。
「私はご主人様についていきます」
真っ先にシルヴィアが口を開いた。
「そうね。リーダーはイグニス。私はその決定に従うまでよ」
小さく笑みを浮かべ、同意するシャンディ。
「ちょっと怖いですけど……このまま逃げるというのは格好悪いと思います」
少し考えてマルシア。確かにこのまま知らん顔するのも後味が悪いわけで……。
「……とりあえずは、作戦内容を聞かせてくれ」
俺は向き直ると、小さくため息をつきつつ、リタにそう告げた。