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遅咲き冒険者(エクスプローラー)  作者: 安登 恵一
第五章 第二節 冒険者と昇格試験 後編
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第百五十三話 塩気と猛特訓

 周囲に破砕したものはなく、横たわるのは魔物たちの骸のみ。


 すべてが終わったあとに残されたのは静かな時間。海上の冒険者たちも次々と陸上へと帰還し、お互いを労っていく。


 二度目の大襲撃は然程の被害を出すことなく、防ぎきることが出来た。やはりそれもアクアラングからの援軍の存在が大きいだろう。その名が知られているだけはあり、海上における戦闘では冒険者たちの一枚も二枚もうわてなのは言うまでもなかった。


「あれは参考になるな」


「そうね」


 俺が漏らした言葉にシャンディが同意するが。


「でも、まずは海上であれだけ動けるようにならないと始まらないわね」


 ついでに厳しい言葉も貰ってしまった。




 ――がぼがぼ。


 口から水が侵入し、紡ごうとする言葉を流し去っていく。故に、俺の文句が口から出ることはなかった。


 大体よく考えれば、ずっと内陸で暮らしていた奴とこの辺で暮らしてきた奴の基準など、ずれていて当たり前なのだ。それなのに自分に出来るからと、他者にそれを求めるのはお門違いもいいところである。


「――ほら、どうした。その程度で音を上げるお前ではあるまい」


 頭上から振りかかる声。口だけでは飽きたらず、耳にまで侵入してくる水分が発する雑音に飲まれつつあるが、それは間違いなくリタの発したものだろう。


 それに反骨するように全力で水面へと飛び出すと、そのまま一気に引き上げられてしまった。


「――うおっ、と」


 掴みあげたのはもちろんリタ。軽々と俺を持ち上げるその膂力は、見た目からでは到底信じられるものではないだろう。


「……しょっぱいな」


 ふたたび水上靴を起動してなんとか水面に立った俺は、口内に残った水分から感じる塩気に思わずそう呟いてしまった。


「しょっぱいのはイグニスさんですけどねー」


 そして横から茶々を入れるのはもちろん、マルシアだ。


 それだけならいつものことで、軽く流せていただろう。しかし、今回ばかりは核心を突かれ、俺はうめき声を上げるしかなかった。


 彼女が立っているのはもちろん、俺と同じフィールドである。


「……とっと、と」


 ふたたびバランスを崩しそうになってしまう。安定しない揺れ動く足場。そしてしょっぱい。つまり、ここは海の上だ。海岸沿いからはそれなりに離れ、水深は俺の身長よりも倍近かった。


「ほれ、しっかりと立て」


「お、おい。変なところ触るな」


 全身をまさぐるように、リタが手を伸ばしてくる。お陰でバランスは取りやすくなったが、どうにもくすぐったい。


「面白そうなんで私も参加していいですかっ!」


 そんな光景を見て、マルシアが手を上げた。いいから、お前はそこでじっとしていろ。  


「ほら、集中しろ」


 リタはポンと俺の肩を叩き、ゆっくり離れていく。


 どうにも海上戦での俺の情けなさを見咎めたのか、あの後、リタ自ら水上靴の扱い方を教えてやろうと言ってきた。本人曰く、自分にかかれば一日で問題なく動けるようになるという事なので、その提案に乗ってみたのはいいのだが……。


「誰しも向き、不向きはあるわよね」


 シャンディが笑いながら俺に言う。その隣には黒騎士に乗ったシルヴィアの姿もある。マルシアを含めた三人ともそれぞれ、しっかりと安定した状態で海面に立っているのがとても羨ましい。


「……なんで、なんだろうな」


 周りの状況を確認し、思わずため息がでる。


 そう、つまり俺だけが、未だ悪戦苦闘中だ。


「気合が足らんぞ」


 落ち込む俺を見て、リタが横から口を出してくるが、気合で済んだらこんなに苦労はしていない。


 もちろん、俺は真剣に取り組んでいる。その結果、以前と比べれば海面でも少しは動けるようになっているのだ。しかし、他の三人の成長がめざましすぎて、どうにも霞んでしまうのは否めない。やはり精霊族は何事においても優遇されているとしか思えないのだが、果たしてこの理論は正しいのだろうか。


「余計なことを考えるな、集中しないとまた沈むぞ」


「……へーい」


 俺は揺れ動く海面に対し、ゆっくりと重心を下げていく。だからといって安定するわけではないが、とりあえず意識を地上のものと同じようにしなければ、普段通りに動くことは出来ないだろう。


 最終的な目的は、海上での戦闘行為だ。


「では、行くぞ」


 そう言うと、リタは構えを取った。


「……ああ」


 自信がこれっぽっちも感じられない声で応じる俺もまた、おっかなびっくりと構えを取っていった。


「――はっ!」


 すぐさま海上を水飛沫が舞う。それと共に、リタは俺に向かい、真っ直ぐに走り込んでくる。


 間合いはすぐさまリタのもの。それを認識するのと、左拳が迫ってくるのを感じ取ったのは、ほぼ同時だ。


 しかし、そこからの推進速度は以前の腕試しと比べ、格段に遅かった。普段であれば余裕を持って避けられる程度、と言えるだろう。


 そう、普段であればの話だ。


「うぉっ――とっと」


 俺にはその拳が、腕試しの時より何倍も怖く感じてしまっていた。


 避ける動作と同時に、海面上で上手く身体を支える。言葉にするのは簡単だが、やってみるとなると、それは途轍もない労力を消費する。


 ――シャッ!


 なんとか皮一枚。余裕なく、ギリギリでそれを躱していく。


 その後に残された身体を何とか支えきり、俺はほっとひと安心。


「残心がなっていない。そこで気を抜くな」


 言葉に続くように、パカンと乾いた音が俺の頭の中に響いたような気がした。


 俺の慢心に付け込むように、次いで放たれた拳が綺麗に顔面へと決まる。やはり加減をしているのだろう、そこには思ったほどの衝撃はなく、むしろ不意を付かれた驚きのほうが大きかった。


 ――バシャン。


「ひゃうっ!」


 跳ね上がる水飛沫。次いで、シルヴィアの悲鳴が上がった。


 どうやら、近くに居た黒騎士がそのとばっちりを受けたようだ。なんというか、前にも似たような場面を見た気がする。


「……しょっぱいです」


 顔にかかった海水をぺろりと舐めて発せられた言葉は、そのまま額面通りのものなのか、それとも暗に俺に向けたものだったのだろうか。




「よし、それでは次だ。武器を手に取ってみよ」


 それなりの時間が過ぎ、繰り返す過程の中で、その体さばきを身に染み込ませた頃。リタは頷きながら、そう言葉を紡いだ。


「……武器、ね」


 それを聞いた俺は自身の手の平を見つめ、小さく呟く。


 今までは両手を自由に出来ていた為、比較的バランスを取りやすかったと言える。それを失うというのは、やはりまだ自信がない。


 心に掛かる重圧の原因はそれだけではない。そもそも、俺が水上靴に慣れていないことがリタにバレた原因のひとつに、バランスを崩した拍子に誤って片手半剣(バスタードソード)を海中に落としてしまったことがあげられる。


 水上ならばともかく、水中は完全に冒険者の領域ではない。慌てて飛び込んではみたものの、荒れ狂う水流に翻弄されるばかりで手も足も出なかった。結局、リタの助けがなければ、マヌケな理由で己が半身を失っていたことになる。


 リタには感謝してもしきれないが、その事もあり、海上で片手半剣(バスタードソード)を引き抜くことになんとなく躊躇いを覚えてしまう。


「……なあ」


「なんだ?」


「いったん陸地に戻って……休憩しないか?」


 恐る恐る、俺はそう進言した。


 武器の件もあるのだが……大体、今日は休暇だというのに朝っぱらから叩き起こされ、有無をいわさずに海上に投げ飛ばされたのだ。そろそろ陸地も恋しくなってくる。それに、常に体のバランスをとっているような状態の海上では、休めるものも休めない。


「ふむ。そろそろ昼になるな」


 リタは空を見上げ、小さく呟く。


「そうそう。腹も減ってきたし、うまい飯でも食べに行こうぜ」


 相手が乗り気と見るや、俺は攻勢をかける。


「そうだな」


 俺の提案に、リタは小さく頷いた。


「では、次の課題が終わったら食事にするとしよう。報酬(えさ)があった方が上達も早くなるというものだからな」


「……さいですか」


 大きくため息をつく。


 いままでの経験上、リタはこれと決めたことを曲げるような奴ではない。ここで問答を繰り返すよりは、さっさと彼女を満足させたほうが早いだろう。


 俺は諦めの気持ちと共に、片手半剣(バスタードソード)をゆっくりと引き抜いていった。




 結局のところ、食事を摂るということは、人が生きる上で行われるごく当たり前の活動ある。


 故に、食料が枯渇しているでもない現状では、それを褒美とされてもいまいちやる気が出ないのは仕方のないことだろう。


「まったくもー。いつまで経っても終わらないから、気づいたらこんな時間じゃないですかー」


 料理の注文を終え、しばらくの待機時間。その沈黙を破るべく、マルシアが最初に発した言葉がそれだった。


 俺たちのいる食堂はまるで貸切状態。陽が頂点からだいぶ傾いた今、皆食事を終えて仕事へと戻っていったのだろう。


「……これはこれで落ち着いて食べられるし、俺としては別に問題ないけどな」


 半分はやけくそ気味の言葉だが、隣に座るシルヴィアにとってはいい状況だろう。彼女は注文したばかりだというのに、メニューのデザート欄をじっと眺め続けていた。いつもよりのびのびとしていることを示すかのように、脚はパタパタとリズミカルに動いている。


「ふふ、そうね。そういうことにしておきましょうか」


 シャンディが小さく笑う。何故だか彼女は俺の失敗する姿がツボに入ったらしく、途中で飽きて遊び始めた二人を余所に、じっと見学を楽しんでいたらしい。わざわざ報告なぞしてくれなくて結構なんだが。


「……誰にも向き不向きはあるんだろう?」


 小さな反発心から、そんな言葉を投げてしまう。


「たまにはイグニスのそんな顔を見るのも面白いわね」


 言葉の意味はよく分からないが、ここで何を言っても無駄だろう。俺はこれ以上取り合うことはせず、周囲に視線を彷徨わせていく。


 六人掛けのテーブルに、リタを含めた俺たち五人。シルヴィアの隣の席には黒騎士を座らせているので、外から見れば満席状態だ。


「…………」


「何を考え込んでいるんだ?」


 そんな中、対面の席でなにやら思案中のリタが眼についた。


「いや、食後のトレーニングメニューについて思案していただけだ」


 相変わらず勤勉な姿勢である。それはもう、息が詰まりそうなほどに。


 しかしまあ、そこの精霊族三人組はともかくとして、俺も今日だけで水上靴の扱いはかなり上達していると思う。結局のところ、我流でやるよりかは経験者から直に教えを受けたほうが理になっているということなのだろう。


 これで厳しくなければ最高なんだけどな。


「ま、現状でも十分に満足のいく成果だ。助かってるよ」


「何を言っている。一日でモノにさせると口に出した以上、それを反故にすることは許されん。この後は厳しくいくからな。しっかりと食べて英気を養っておくのだぞ」


 そう言うリタの鋭い視線に射抜かれ、俺は先ほどの事を思い返してしまう。


「あれよりも厳しく……か」


 本日の食事は、どうにも塩気が多めのようだ。

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