第百五十二話 再襲撃と防衛戦
明けたばかりの空。その下では海が荒れていた。
高波の間隙を縫い、海上には複数の黒点がゆらめく。
それが魔物だと最初に気づいたのは誰だったのか。響きわたる警告の叫びに、警備を担当している者たちが呼応していく。無論、俺たちもその中の一団だ。
スラリと抜き放った片手半剣が、明け方の弱々しい光を浴びて鈍く輝く。それが寝起きでぼーっとしているような姿に見えたのは、少し前の俺の心境をそのまま映し出しているからだろうか。
当番制ということで、警備前にはしっかりと睡眠をとっている。それなのにあくびが自然と出るのは、身体がそういうものだと認識しているからだろう。
「……さすがに慣れていないのに突っ込むのはマズいよな。足手まといになりかねん」
水上靴を完璧に操ることは未だ無理だった。現状、頑張ればなんとか浮き続けることが出来る程度である。そんなのは格好の的でしかない。
俺たちは互いに頷き合うと、海岸線沿いに陣を敷く。海上戦には参加出来なくとも、魔物の上陸だけはなんとしても阻止せねば。
海岸から沖に向かって疾走る複数の陰。それは水上靴を巧みに操る冒険者たちの姿だ。地上で砂煙を上げるがごとく、その足元からは水飛沫が舞っていた。
その中でも、ひときわ整然と動く部隊がある。あれはアクアラング水兵だろう。その名に恥じぬ見事な連携で、魔物を次々と掃討していく。
「さすがですねー」
それを見たマルシアが感嘆の声を上げた。
「感心してばかりいないで。そろそろ来るわよ、大丈夫?」
そんな彼女を、シャンディがたしなめる。海上の黒い点は徐々に大きさを増し、その全容がはっきりと見える程になっていた。
「大丈夫。準備ばっちりっ!」
マルシアが胸を張る。周囲には魔術で生成された植物が、彼女に合わせるようにうねっていた。なんだかとてもうざったいが、そんな事を気にしている場合ではない。
「……しかし、久々にでかいのが来たな」
一番近い魔物に視線を向け、俺は呟く。
これまでに散発的な襲撃は何度もあった。しかし、それは街道を歩いていたら魔物に遭遇した程度のもので、ここまで大きい魔物の集団はこの街にやってきた時以来だろう。
「よし、いまだ! ぶちかませっ!」
「発射!」
「風の刃!」
俺の合図に、マルシアとシャンディがすぐさま動く。言葉と共に飛び出すは、体外魔力で強化された二つの魔術。それらは陸のすぐ傍までやって来ていた魔物に命中。そのまま海へと沈んでいった。
「引き続き、どんどん打ってくれ。上陸したのは俺たちが処分する」
全員を見回し、最後にシルヴィアの入った黒騎士と頷き合う。
魔物は次々やって来た。
海面から水柱と共に飛び出したのはサハギンたち。それに合わせ、俺は片手半剣を振るっていく。
「数が多いな」
多対一でも負ける気はまったくしないが、全てに対応することは難しい。その穴を埋めるべく、黒騎士が動いた。
質量に物を言わせた体当たり気味の盾での強打で数体のサハギンを纏めて海へと叩き落とすと、その中央で槍を前方に構えたまま旋回。槍の先端に触れるサハギンたちもまた、衝撃を受けて吹き飛んでいった。
相手の数が多い場合、突きでの攻撃は引き抜くのに隙が出来る。俺が教えたことをしっかりと守り、シルヴィアが黒騎士を操っていく。
「よし。よくやったぞ」
賞賛の言葉に、兜をカクンと動かしシルヴィアが返答。
軽傷のサハギンたちはふたたび上陸を試みるが、数に物を言わせられない集団など雑魚と変わらない。
「そのまま、魚の餌にでもなってろ」
一体ずつ確実に屠りながら、俺は叫ぶ。
「魚が魔物を食べるのか疑問ですけどね」
余裕綽々のマルシアが横から茶々を入れてくるが、取り合うことはしない。まあ、確かに疑問ではあるけどな。なんていうか勢いだ、勢い。
そんなことを言っていると海面で魚が跳ねた。こんな時に悠長だなと視線を向けるが――。
「……どうやら、食べそうな魚を見つけたぞ」
魚の名はキラーフィッシュ。外見こそ食卓に上がるような食用魚と似ているが、これでもれっきとした魔物である。
毒もなく、ただ肉を引き千切るだけのレベル1。しかし複数の、それもそれなりのレベルの魔物を相手にしている時には厄介極まりないだろう。さすがに上陸するようなことはないので俺たちが相手にすることはないが、水上の冒険者たちはなかなか処理に苦戦している模様だ。
「なんとか援護出来ませんかね……」
マルシアもそれに気づき、口を開く。
「無理ね。通常時は水底に沈んでいるのだし、私たちのような大雑把な魔術だと皆を巻き添えにしちゃうわよ。風の守護をかけた私の三日月刀なら対応出来るかもしれないけど……さすがにあそこまで刃を飛ばすとなると、こっちに意識が避けないわ」
シャンディが首を振りながら答える。
「俺たちは俺たちの出来る事をするまでだ。また来るぞ、気を抜くなよっ!」
新たなサハギンの接近を確認し、俺は叫んだ。
「――なっ!?」
不意に眼の前の海面がせり上がっていく。
それはまるで海の壁。その中から現れたのは、一体の巨大な蛇だった。
「シーサーペントだとっ!?」
それは、俺たちの目的の魔物。しかし、今の状態では最悪の敵でもあった。
「くそっ! 完全に油断してた!」
漆黒の海の底に這いつくばり、海岸近くまでやってきたのだろう。陽の光も弱い明け方な故、接近すら気づけなかった。
「シャンディっ! マルシアっ!」
俺の大声を聞いて我に返った二人は、ふたたび魔術を詠唱していく。
それに反応したのか、シーサーペントの周りにも水の球が浮かび始めた。
「このままじゃ不味い」
いいとこ相打ちが関の山だ。しかし、陸に近いこんな場所で水砲など撃たれたら、いったいどれだけの被害が出るかわからない。
「シルヴィア、万が一の時は二人を守れ!」
黒騎士に向けてそう告げると、俺は海面に向かって跳躍した。
風陣収縮!
落下するかというところで、足元に風幕を作り出す。それを踏み込んだ瞬間、俺は押しだされるように空へと舞い上がった。
「おら、こっちだ!」
腰から短剣を引き抜くと、今度は生体活性・腕。
短剣をシーサーペントに向け、次々と投擲していく。
ひとつも当たることはなかったが、その周囲には幾つもの水柱が生じ、シーサーペントの視界を塞いでいく。それをうざったく思ったのか、相手はこちらを見上げた。
「自慢の水玉。俺に浴びせてみろよっ!」
その挑発が効いたのかは定かではないが、標的は予定通り俺に移ったようだ。水砲が俺に向かって打ち出されていく。
ふたたび風陣収縮。
今度は自身に風幕を纏わせ、迫り来る砲弾に対して防御を固める。しかし、それでも被弾は恐ろしい。出来る限り身を丸め、少しでも的を小さくしておくことを忘れない。
大雑把にしか狙いを取れない水砲には、それでも十分な効果だろう。
一発だけ俺の横をかすめ飛んでヒヤリとしたが、他の弾は目標を捉えること無く、遥か天へと消えていった。少しして魔力を失ったのか、それらは局地的な雨となって周囲に降り注ぐ。
「今度はこっちの番だな」
一撃で勝敗を決したポーロを真似、俺はシーサーペントに襲いかかる――と言うよりも、落下方向に奴が居るだけであるが、この際どっちでも構わない。
目標が近づくにつれ、その大きさを改めて実感した。
「よくもまあ、躊躇いなくあの口の中に入れたものだな……」
前回の時と同様に、大きく開く大蛇の口腔。
どの道、軌道は変えられない。俺は剣を構えつつ、その中へと落ちていった。
すぐさま口が締まり始め、大蛇の肉壁が近づいてくる。ヌメヌメと光るその内部は気味が悪く、出来れば正視したくない代物だ。さっさと切り開いてやる。
タイミングを見計らい、片手半剣を一閃――しようと思ったところで、思わぬ事態に遭遇する。まるで弾かれるかのように、ふたたび口が開いてしまう。
「しまった!」
俺は風陣収縮を解除していなかった。その風幕にシーサーペントの内部が触れた瞬間。当然の如く、口内で風が荒れ狂う。
その勢いに翻弄され、気づいた時には空中に投げ出されていた。
なんとか首をひねり、海岸沿いにいる仲間たちの姿を確認する。しかし、どうにも俺が近くにいることで、魔術を使用するのを躊躇っているようだ。
だが、俺には風陣収縮がある。
「俺に構わず――」
「自らの犠牲を厭わぬその精神。実に見事だ」
宙を舞っている俺に、さらなる高みから声が降りそそいだ。
「――なっ!? お前はっ!」
そこに居たのは見知った女性。アクアラングからやってきた兵士のひとり、リタだった。
「イグニス。後は任せよ」
俺は吹き飛ばされて後方へ。それとは反対に、リタは前方へと突撃していった。その流れのままに繰り出された拳は、シーサーペントの喉元にぶち当たる。
しかし、それだけだ。
衝撃に一瞬仰け反ったものの、大蛇はふたたびこちらへと頭部を向けてくる。
「水滴りて、石穿つ」
反動で俺のもとまで戻ってきたリタが一言。
「なに言って――」
いきなり訳の分からないことを言い始めたリタに向けて、俺が口を開いた瞬間。
――パァン!
盛大な音と共に、シーサーペントの頭部が一瞬にして弾け飛んだ。
残されたのは首から下。むき出しの内部が、その威力を物語っていた。これはリタの技、もしくは能力なのだろうか。眼の前で起きた出来事が凄惨すぎて、うまく考えが纏まらない。
そうこうしている内に、俺たちは海面へと辿り着いてしまった。
慌てて頭を切り替え、靴底に仕込んである魔石を展開。なんとか体勢を整えようと、俺は意識を集中する。しかし――。
次いで落ちてくるシーサーペントの亡骸。それが海面に叩きつけられると、不安定な足場がさらに荒れていく。
「うおっ!」
慣れない俺がその不規則な海面に抗えるわけもなく、大きな音を立てて水の中へと落ちてしまった。肺から空気が漏れる。それを補充しようと、慌てて海面から顔を出したところ。
「なにをしているのだ?」
リタが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「……何も言うな」
ぷかぷかと水面に浮かびながら、俺は早く水上靴を扱えるようになろうと密かに決意を固めた。
皆様の応援のお陰で『遅咲き冒険者』第一巻の発売日を迎えることが出来ました。既に幾つかのご報告も頂いております。
本当にありがとうございます。
ただいま更新頻度が落ちていてしまって誠に申し訳ありません。
これからもweb版共々、気合を入れて執筆していきたいと思いますので
宜しければお付き合い頂けると幸いです。
安登 恵一