第百四十九話 戦いと勝敗
修練場内はおかしな盛り上がりを見せていた。
まあ、それも分からないでもない。むさ苦しい野郎どもよりは、綺麗な女性を応援する方がいいだろう。
その反面、必然的に俺たちへの応援はまったくといっていいほどにない。
「イグニスさーん。頑張ってくださーい」
マルシアを始めとした、仲間内からの応援が耳に届く。
……訂正しておこう。少しくらいは身内びいきがあった。まったく無いよりはありがたい。そのお陰で周囲の風当たりが更に強くなったとしても、だ。
「では行くぞ」
俺の正面で対峙する女性が呟いた。暗青色の髪に射殺されそうなほどに鋭い眼光。それは紛うことなく、高級食堂で顔を合わせた女性にほかならない。ポーロやレイモンの治療に当たる神官も、女性の背後から見物している兵士たちも、全て彼女の関係者だった。
「はあっ!」
気合の掛け声とともに、女性は大地を蹴った。
一気に俺の眼の前まで距離を詰めると、拳を撃ち放つ。近接戦を得意とする冒険者たちの無骨で隆々とした腕と違い、迫ってくるその腕は華奢だ。一見、それを受けたところで何も問題ないように思える。しかし、そんな愚行は冒さない。
軸をずらし、その軌道上から逃れていく。
それを認識した相手は大地を踏みしめ、すぐさま拳を急停止。一瞬の溜めをつくると、身体を旋回させた。
その動作を感じ取ると、今度は俺が動く。脚を曲げ、腰を落として体勢を低くとり、襲いかかる回し蹴りをやり過ごしていく。
かと思った次の瞬間、今度は空中で蹴りが止まった。そして、綺麗に縦に裂くように、一直線に振り下ろされる。
「うおっ!?」
俺は慌てて後方へと退く。それとほぼ同時に、相手の踵が俺の前髪に触れていった。なんとか間に合ったようだ。
しかし、相手は止まらない。振り下ろした脚を勢いそのまま大地に叩きつけると、追撃にかかる。
再度振るわれる、正拳突き。
それをギリギリまで引きつけると、俺はその腕を取った。もう片方の手を脇の下へと滑り込ませ、ぐるっと半回転。相手に背を向けると、一気に投げ飛ばす。
いや、敢えて投げ飛ばされたと言うべきか。
相手は流れに身を任せただけだ。空中で体勢を立て直すと、何事もなかったかの様に着地した。
「やはり、そこでノビている二人とは違うようだ」
構え直しつつ、女性は口を開く。
「次は、そうはいかんぞ」
その言葉を口にするや、女性はふたたび俺に向かって駈け出した。その速度は、先ほどの比ではない。それに対応するには、いささか意識が疎かだった。
――躱せない。
そう悟ると、俺は眼の前で両腕を交差させる。そこに襲いかかる、鈍器でも叩きつけられたかのような衝撃。この見た目にそぐわぬ一撃に、ポーロとレイモンは犠牲になったのだ。
押し出される勢いに逆らわず、後方へと飛び退る。
「……それでもこの威力か」
ガードしたうえ、自ら下がって衝撃を分散したというのに、両腕が軽くしびれていた。手に持つ木剣を落とさなかったのは幸いと言えるだろう。
息を整えつつ、相手を見据える。
「言うだけのことはある、か」
正直、俺は驚いていた。女性の戦士といえば、ユーリエやリーゼロッテたちと同様、速度をメインとした戦術をとるのが基本である。もちろん肝心の速度も十分なのだが、見た目の印象もあり、正面からこのような力強い一撃を受けるとはにわかに信じられなかったのだ。
『拳を交える』
その言葉通り、彼女は徒手空拳。元より武器などに頼らない戦闘方法なのだろう。少なくとも俺や犠牲になった二人が使うような、歓楽街で培った我流喧嘩術程度とは比べ物にもならない。
「どうした。前の二人もそうだったが、攻撃をしてこなければ試合にもならないぞ」
「……ああ、そうだな。今度はこちらからいかせてもらおう」
俺の言葉に女性が軽く笑った。いつでも来いということなのだろう。望み通り、俺はこちらから接近を試みた。
こちらが優っているのはリーチ差のみ。出来る限り一定の間合いを維持しつつ、外側から攻撃を仕掛ける。いつも通りの、基本的な戦術だ。
「その程度か」
女性は俺の繰り出す連撃を次々といなしていった。それはまるで、踊るように軽やかに。
……完全に見えている、か。
相手はいちいち読みなどをする必要もなく、木剣が動くのを認識してから躱していた。速度の差からそれは明白だ。
無論、これが俺の全力という訳ではない。だが、それは相手も同じことである。速度といい、破壊力といい、はたして冒険者として見るならどれくらいのレベルなのか。
「……ったく、気持ちよさそうに寝やがって」
俺はぼそっと悪態をついた。ポーロたちが真面目に戦っていれば、その比較も出来たのだが。
木剣は一向に相手を捉えられない。しかし、ここで焦ってしまえば、寝っ転がっている奴の二の舞いだ。まあ、負けること自体に問題はない。勝ったところで余計な問題が付きまとうだけであるし。
しかし、このまま終わってしまえば何の得にもならないだろう。
俺がこれまでふっかけられてきた戦闘。そのほとんどが俺より実力がある者ばかりだった。そして、それらの戦闘で出来る限り、相手の技量を盗んできていた。巻き込まれて損をした以上、得を探すのが人間というものだ。
……なんだか思考が商人っぽい気もするが、この際、それは置いておこう。
故に、今回もそれに倣うとしよう。
感覚強化!
俺は感覚を研ぎ澄ます。これならば、眼に見えての変化はない。更に余裕が生まれれば、何かあった際に誤魔化すのも楽になる。
そのまま、女性の動きを注視していく。
振り下ろした木剣に合わせ、女性が軸をずらした。
相手は読みを使わない。ならば俺は正反対、最大限にそれを利用するとしよう。
木剣を途中で止めると横に薙ぐ。単純なフェイント。だが、その程度で捕まえられるほど容易い相手でないのは百も承知。女性は先ほどからの行動と変わらず、余裕をもってそれを避けていく。
俺はそのまま前傾になると一歩踏み出し、木剣を振りぬいた勢いで自由な左拳を叩きつけにかかる。
並みの相手ならば剣に意識がいき、これをまともに受けるはず。
「ほう」
そう、並の相手であれば、だ。
耳に届くのは、関心したような女性の呟き。そこには焦りなど微塵も存在していなかった。
姿勢を低くして俺の拳を避けると、女性は攻撃に転じる。そこから伸び上がる動きを利用して放たれる一撃。
「まあ、そう来るよな」
そこであえて――俺は木剣を手放した。
「――なっ!?」
突然の行動に、女性の眼が見開かれた。さすがにこれは予想外だったようだ。それもそうだろう、普通はこんな時に自分の武器を手放す馬鹿など居ない。
若干の躊躇いは混じったが、女性の拳は真っ直ぐに向かってくる。それを自由になった右手で左側へと逸らし、流れのまま身体を一回転。淀みなく、裏拳を放っていった。
しかし、これも当たらない。一発当てるのすら至難の業だな。
女性は頭を下げてやり過ごすと、前方へと転がっていった。
木剣を持った際に生じる、俺たちのリーチ差。有利な状況は、一転するとそのまま不利となる。内側に入られれば剣を上手く振るえない。しかし、普通に振るったところで一向に当たらないこの状況。ならば条件を五分にした方がやりやすい。
それに盗むのは、相手の得意技。今回で言えば、素手での戦闘に他ならない。
戦闘の状況によっては、今回のように武器を失う場面もあるだろう。その時に使えるのが我流喧嘩術程度ではたかが知れていた。まあ、そうなったら逃げるのが一番なんだが、そうも言っていられない状況もあるかも知れない。
十分に距離をとると、女性は腕の力で跳躍。空中で体を回し、俺に正面を向けて着地する。
しばしの沈黙。それは突飛な行動に移った俺を警戒しているのか、はたまた武器を拾う猶予を与えているのか。
「……拾わないのか?」
その答えは後者のようだ。
「今までの攻防、そして先の二戦でアンタの実力は分かった……と言うほどではないが、少なくとも俺の手におえないことは理解した。なので、勉強させてもらうとするよ」
俺の言葉に、女性は静かに眼を閉じる。
「――ふっ」
そして、小さく息が漏れた。呼吸を整え、再度襲い掛かってくるものかと警戒したのだが。
「ふははははっ」
いきなり笑い出した。これには、さすがの俺も呆気にとられてしまった。
「はははは――いや、すまない。しかし――ふははははっ」
なんだかツボに入ったらしい。そんな女性を見て、周りの観客たちも訝しげな表情をつくっていた。
「……おい、大丈夫か?」
何だか心配になり、俺は声をかけた。こんな状況だ。戦闘の続行など、頭からすっ飛んでしまった。
「ああ、問題ない。自分から武器を捨てるのも想像の範囲外だったのだが、更には学ぶと来たものだ」
腹を押さえながら、なんとか言葉を紡ぐ女性。
……そんなに面白いことか? 我ながら馬鹿な行動だとは思うが、笑いの要素が見出だせんぞ。
「いやいや、その根性。気に入ったぞ」
よくわからんが、怒ってはいないようである。ならば、気にするのはよそう。
女性が構えをとったのを確認すると、俺も同様に戦闘態勢をとる。その構えは相手の模倣。左半身を正面にして左手を前方に向け、右手は腰の近く。足元はすぐにでも動き出せるように余裕をもって開き、軸足に体重を乗せておく。形から入るという言葉があるが、これも悪いことではない。これまでの動きをしっかりと見ていた分、この構えの意味を朧げながら感じ取ることが出来た。
手前においた左手は牽制。もしくは先ほどの俺が行ったような防御がメインなのだろう。俺への一撃に加え、前の二人を倒した一撃は、どれも右腕から繰り出されたものだった。
「では、再開としよう」
いままでより若干トーンを落とした声で女性が告げた。その次の瞬間には、俺のすぐ側へと移動している。その速度は更に上がっていた。
俺は後方へと下がり、少しでも距離をとろうと試みる。だが、そんな抵抗も虚しく、俺の後退速度は彼女の前進速度に遠く及ばない。
「――シッ!」
鞭のようにしなやかな軌道を描き、襲いかかる女性の拳。脚と同様、腕の速度も上がっていた。感覚を強化してギリギリか……恐ろしいな。
対応すればすぐさま拳を引き戻し、別角度から次撃。その変幻自在の攻撃に、一息すらつけそうになかった。
しからば、突き出した左手で行動の阻害を試みる。
触れられないのは百も承知。しかし、その攻撃リズムを僅かではあるが、狂わせることは出来た。
相手の連撃を防御一辺倒で凌いでいく。迂闊に手を出したところに一撃必殺の右拳が飛んできては眼も当てられない。なんとか反撃の機会を作りたいところだ。
「――ぐっ!」
女性の左拳が、遂に俺の腹にめり込んだ。しかし、それは耐えられた。逆に今のを無理に避けていたら、相手に右拳を振るわせていただろう。
「簡単には打たせてくれないか」
俺のあからさまな警戒に、女性は笑った。
――ゾクッ。
気づけば、半ば無意識に右腕を顔の横まで引き上げていた。
衝撃が襲いかかる。
それに押しだされるように、俺は左側へと吹っ飛んでいった。
「つうっ!」
遅れてくる痛み。どうやら蹴りを喰らったようだ。
しっかりと大地を踏みしめ、体勢を立て直しにかかる。しかし、受け止めた右腕はしびれ、うまく動かなかった。警戒すべきは拳だけではない。まさにそう教えるかのような攻撃だ。
「まあ、防げただけでも僥倖、か」
手に二刀を持つ相手となら経験はあった。しかし、脚を含めればそれ以上の攻撃パターン。簡単に対応しろという方が無理だろう。
「はあっ!」
縦横無尽に放たれる追撃。
結局、俺は防戦一方のまま、終幕の時間が近づいてきてしまった。
ここで無理をしては警備に支障が出てしまう。それは冒険者として、そして受験者として、問題でしかない。
――ならば、せめて最後に一撃を。
そう決意し、決死の覚悟で前方に足を踏み出した瞬間。
「――なっ!?」
何かを踏んづけてしまった。
その正体が、投げ捨てた木剣だったと気づいた時には既に遅い。バランスを崩し、倒れ込みそうになったところに――意識を飛ばすほどの衝撃が俺を襲った。
「――――」
俺を覗き込む、複数の視線。
ぼーっとした頭では、それがシルヴィアたちだと認識するまでに時間が掛かってしまった。
「良かったわね。無事、眼を覚ましたわ」
意識の覚醒を告げるように、シャンディの声がはっきりと耳に届く。それは俺にではなく、どちらかと言えば周囲のシルヴィアたちに対して告げているように聞こえた。
「頭、大丈夫?」
「……ん、ああ」
言葉に応じてゆっくりと上体を起こし、自らの頭に手を乗せてみる。シャンディの口振りからすると、最後に一撃を貰ったのはココらしい。
痛みはなかった。
俺の横でちょこんと座り込んでいるシルヴィアが治療にあたってくれたのだろう。礼代わりに頭を撫でると、くすぐったそうに瞳を閉じた。
「どうやら問題はなさそうだ」
「それにしても見事でしたねー」
マルシアが含みのある笑みを浮かべながら、俺に向けて口を開いた。
「なんだ。俺の負けっぷりが、か」
「え、違いますよ。勝負は引き分けじゃないですか」
「……は? 引き分けって、どういう事だ?」
あの状況で、どうしたら引き分けになるというんだ。
「えっと、覚えていないんですか?」
「そりゃ、意識飛んでたからな。覚えているもなにもないぞ」
「それもそうですね。あれだけ勢い良く頭突きをしたらそうなりますよね。相手の人も意識を失っていましたし」
「……頭突き?」
そういえば、心配されていたのは頭だったな。それに俺の意識が飛んだのはバランスを崩した直後だった。踏み込んでいたし、相手との距離は間近。
「……ああ、なるほど」
納得し、ため息混じりに呟く。はからずとも一撃加えてしまっていたわけだ。いや、喜びも実感もまったくないが。
頭を掻き、その犠牲になった哀れな人物を探すべく、視線を彷徨わせる。
目的の女性はすぐに見つかった。なんてことはない、こちらに向かってくる最中だったからだ。
「気づいたか」
眼の前に立ち、すぐさま一言。
「ああ」
俺も簡潔に返す。
「いやはや、見事な一撃だった。どうやら、我は慢心していたようだ」
「いや、あれは――」
「模擬戦ということで決死の覚悟のことなど頭になかった。いや、戦闘中に相手の実力を認め、学び取ろうとする者だ。それくらいの事をすると考えて当然だな。誠に申し訳ない」
女性は深々と頭を下げた。
「負けを認めよう。しからば――」
「待った! ちょっと待ってくれっ!」
どんどんと自己完結し、勝手に話を進めていく女性に、俺は慌てて制止をかける。
まあ、あれだ。少ししか言葉を交わしていないが、眼の前の人物のことは大体理解していた。口で語るよりは行動で示すタイプ。そして、一度口にしたことは曲げることはないだろう。ここで俺が勝ったとなると更に面倒なことになるのは明白だった。
「俺たちは互いに意識を失っていた。ならばこの勝負、引き分けだ」
咄嗟にマルシアの言葉を流用し、説得にかかる。普通に考えれば劣勢を強いられ、偶然がなければ確実に負けていたのは俺だ。心情的には負け一択なのだが、それを口にしたところで女性は認めないだろう。ならば、妥協点として引き分けに持ち込むしかない。
「むっ」
女性が言葉に詰まり、考え込む。よし、ここは一気に攻勢に出る。
「決死の覚悟。つまり、そこまで追い込まれていたのは自分の技量不足。それを棚に上げて勝利を誇れるほど、俺は馬鹿じゃないさ」
「しかし……いや、確かにその気持ちは分かるのだが」
女性には迷いが生じている。それは傍目からもよく分かった。
「という訳だ。互いの実力はよく分かっただろう。冒険者は他にもいる。強そうなのを見繕って同じ様に闘ってみたらどうだ?」
辺りを見回しながら俺が呟く。しかし、観客たちは遠巻きに眺めているだけで、後に続こうなどという気概の奴はいなさそうだ。
「いや、今日はこれ以上の戦闘行為を続けても無駄だ。今の戦闘の反省をし、納得した上で次回に望まねばならない」
「そうか。なら、この辺でお開きだな」
言いながら、俺は立ち上がっていく。大地に寝っ転がっていた所為で全身が土っぽかったが、こんなの日常茶飯事だ。帰ったらさっさと風呂にでも入るとしよう。
「ああ」
女性は頷く。
「それで、次回はいつにする?」
「――は?」
俺の間の抜けた声が、空へと消えていった。