第百四十八話 兵士と冒険者
悪い予感と言うものは、何故こうも当たるものなのだろうか。
日頃の行いは良いとはいわないが、悪くもないはずである。
一瞬、自分には未来が予測出来るのではないかとも思ったが、良い予感がする時には何も起こらなかったりする。
現実は非情だ。今起きていることを無かったことになど出来ない。諦めろと自身に言い聞かせるが、心はそれを簡単に了承しない。
まあ、問題というのはどこにでも転がっているものである。そして、そのほとんどは自分以外のところから生じるものだった。
言わば、これは事故である。理不尽極まりないが、俺はそう結論づけた。
「げふっ!」
思考を中断させるかのように、くぐもった悲鳴が耳に届いた。それと共に、俺の横を何かがゴロゴロと転がりながら通り過ぎていく。
――ドン!
何かは冒険者ギルドの壁にぶち当たり、盛大な音を立てた。
少々やり過ぎな感じはあるが、俺が立っているこの修練場ではよく見かける光景の一つだ。何もおかしなところはない。
チラリと横目でそれを見る。
そこには壁に沿って崩れ落ちたポーロの姿があった。その近くには似た様な状態のレイモンが転がり、神官たちの治療を受けている。二人はピクリとも動かない。どうやら完全に気を失っているようだ。
戦闘の続行が不可能な事を確認すると、俺は視線を正面に戻した。
当然、そこには二人をボロボロにした元凶が居る。次はお前の番だと言わんばかりに気合を入れ、拳を構えていた。
……はあ、どうしてこうなったんだか。
俺は諦めにも似た覚悟を決め、構えを取った。
事の始まりはいつも通りの日常から。
警備の合間にある休日に、俺たちは街へと繰り出していた。
アクアラングの援軍により、街は徐々に賑わいを取り戻し始めている。主に新顔に商品を売りつけようとする商人たちのお陰と言えるのかもしれない。
同じ宿に泊まるペコも、朝方早くより活動を始めていた。
詳細な人数までは分からないが、援軍はかなりの人数にのぼるようだ。同じく警備からあぶれ、休暇をとっている水兵たちがそこかしこに見受けられていた。
道行く人々の喧騒に紛れ、商人たちの売り文句があちこちから聞こえてくる。そんな中を、俺たちはゆっくりとまわっていく。
「あ、これ可愛いですね!」
ちくいち商品をチェックしているマルシアが、たびたび声を上げる。通りを歩く人数が増えたことによりシルヴィアは少々静かになってしまったが、それを補うかの様に今度はマルシアがかしましい。
「それで、今日のお昼はどうしましょうか。宿の人が言っていた、すっごい美味しいところにします?」
一通りの商品を見終え、満足気にマルシアがこちらを振り返った。その言葉に、心なしかシルヴィアが期待の表情を向けた気がする。
「馬鹿高い、とも言ってただろ。まあ、余裕があるから悪くはないが……って、あれは」
太陽が頂点に達し、そろそろ昼飯でもと思う頃。前から見知った二人組が歩いてくることに気がついた。
「おおっ! こんなところで出会うとは、運命の女神に感謝を!」
進路を変更しようかとも考えたが、どうやら行動に移る前に気づかれてしまったようだ。
いつも通りのポーロとレイモンの高いテンションに俺は呆れる。よくもまあ、毎回出会っただけでここまで疲れさせてくれるものだ。
「……相も変わらず、元気そうで何よりだ。ああ、完全に嫌味だけどな」
この際、無視を貫き通そうかとも思ったのだが、どのみち纏わりつかれる映像しか浮かばない。適度にあしらうとしよう。
俺の記憶が定かであれば、こいつらの休みはまだ先のはずだ。こんなところをのんびりとブラついているということは、早朝から警備についていたのか、はたまた夜からなのだろう。
「いやー、皆のお陰で仕事疲れが吹っ飛んだよ」
ポーロが女性陣に向け、笑顔で言った。どうやら前者の様である。
「そうかそうか。しかし、キッチリと休息をとっておいた方がいいだろう。いざというときに動けないと困るからな」
「何を言ってるんだ、女性のためなら不眠不休で数日間くらい問題なく活動出来るぜ! レベル6冒険者を舐めるなよっ!」
「うむ、その通り!」
もっともな俺の忠告に、ポーロが反論。レイモンも相棒に同意する。
有事の際はわかるんだが、何故こんなところで無駄な労力を使おうとするのか。というか、レベル6でひと纏めにするな。それはお前ら限定だろうに。
「そうかそうか。それじゃ頑張ってくれ」
そう言い残し、俺はさっさと横をすり抜けようとした。
「ちょおっと、待ったぁっ!」
そこに手を広げ、立ち塞がる二人。突然の行動に、周りの人々がこちらを振り向いた。
「飯、食った?」
「……いや、これからだが」
「そいつは良かった。それじゃ、一緒に食いに行こうぜっ! 折角だし!」
「…………」
俺は無言のまま後方を振り返り、女性陣へと視線を投げる。
「良いんじゃないかしら。ちょうど食事の話をしていたところなのだし、きっと気前の良いところを見せてくれると思うわよ」
それを受け取ったシャンディが、二人に笑みを向ける。
「ああ、任せておいてくれ! 今日は俺たちの奢りさっ!」
ポーロがドンと胸を叩き、レイモンが頷く。
「…………」
言いたいことは色々とあるのだが……まあ、乗っているところに水を指すのも悪いか。
我関せず、好きにさせるとしよう。
金の回りが良くなり、高級宿にも泊まるようになった俺たちであるが、やはり長い年月をかけて染み付いた感覚は中々抜けない。必要とあらば金を惜しむようなことはないが、どうしてもまずは節約ありきで考え事をしてしまう。
『お金は使うからこそ意味を持つんですよー』
なんとなく、ぽんぽこ商人の言葉が頭を過った。言いたいことはなんとなく分かる。それに俺が憧れた英雄たちが実はケチだったら、それはそれで嫌だしな。
『どれだけ他の人のお金を吐き出させることが出来るかが商人の腕の見せどころですー』
などと余計なことも言っていた気がするが、これは頭の隅に置いておくとしよう。
金づる――もとい、ポーロたちを連れて赴いた場所は、食堂と呼ぶには場違いすぎるところだった。
外装は貴族の屋敷を彷彿とさせるほどに立派で、入り口の左右にはお互いに背を向けるように並ぶ女性の像。その手に持つ瓶から流れ出る水は店を囲むように流れ、内部には綺麗な水中花が咲いていた。
規模も各ギルドと比べると小さいが、それでも俺たちが宿泊している高級宿に匹敵するような大きさである。食事をする為だけにこれだけの広さが必要なのだろうか。疑問は尽きない。
「ようこそいらっしゃいました」
店の正面には警備兵の他にキッチリとした服装に身を包んだ店員とおぼしき者が立っており、客としてやってきた俺たちに恭しく頭を下げた。
なんだろうか、食事をしに来ただけなのに貴族の屋敷にでもやって来たような息苦しさを感じる。
「ほら、黙ってないでさっさといこうぜ」
そんな俺の背中をポンと叩き、ポーロたちが中へと進んでいく。その行動に一切の迷いは見られない。
……やはり、慣れなのかね。
俺はもう一度店全体を見回すと、頭を掻きながらその後へと続いていった。
「わあっ! 凄い!!」
前方を行くマルシアが感嘆の声を上げる。その理由は直ぐに理解できた。
俺たちを出迎えたのは、店の中央に置かれた巨大な水槽。底辺部に仕込まれた光魔石の灯りに照らされ、様々な種類の魚たちが泳ぎまわっていた。
「こうして見ると、色んな魚がいるんだな」
「……凄いです」
呆けたように視線を泳がせるシルヴィア。これだけの代物だ、内陸に住むものなら誰もが驚くことだろう。むしろ、これだけで商売になるんじゃないのか?
「おーい、見惚れるのは席についてからでもいいんじゃないか」
じっと水槽を眺めていた俺は、ポーロの声で我に返る。奴の言う通り、入り口付近でボーっとしていたら皆の邪魔になるだけだ。
未だ隣で見上げ続けるシルヴィアの背を「いくぞ」と軽く押し出す。それでもチラチラと横目で水槽を覗き込むシルヴィアが足元不注意で転げそうになるのを支えながら、俺たちは店員の後をついていった。
水槽を中心に円を描くように配置されている横長のテーブルは、どの場所からでも魚たちの姿が見えるように設計されているのだろう。席は一方にしか並んでおらず、俺たちは横並びとなって座っていた。
食事もひと通り食べ終えた今となっては、最初に受けた圧迫感はどこへやら、眼の前に広がる光景と新鮮な海の幸に俺の心は満悦だ。
「さすが、高級なお店ですね。食べ物だけじゃなくて見せ物も素敵です」
食後のプティングをぺろりと平らげ、マルシアが満足そうに呟いた。
詳しい値段を見ずに注文を任せてしまったから何とも言えないが、これだけの料理と場所を用意されている以上、生半可な値段ではないだろう。
「ま、ここまで来て値段を気にするのは無粋か」
たまにはこういったところに来るのも良いものだ。高級宿と同じで明日への活力になるだろうし。
「そーそー。お金は使わなきゃ意味がない。女性が喜んでくれるのならドンだけかかろうと気にしちゃダメなんだぜっ!」
「それはそれで将来が心配になってしまうのだけれど、ね」
ポーロの熱い演説を耳にしたシャンディが小さく笑いながら呟いた。
「そりゃそうだ。計画性のない出費を重ねていたら、いざという時に困るからな」
同じ声量で俺が返す。
「貴方は貴方で慎重に行き過ぎなのだけれど」
「今さらこの性格を変えろと言われても無理な話だぞ」
「あら、大丈夫よ。その為の私たちじゃない」
「……なんだそれは。あいつらのようにコロっと騙された挙句、手痛い損害を被りそうなんだが」
俺はため息混じりに吐きだすと、ポーロとレイモンを見る。今度は二人して、熱心にマルシアに話しかけていた。
「――む、あれは」
ふと、レイモンが何かに気づき、声を上げた。
「どうしました?」
話し相手をしていたマルシアが問いかける。
ポーロの視線を追っていくと、入り口からやってくる新たな客へと辿り着く。その者たちは俺たち冒険者とは違い、皆揃いの防具に身を包んでいた。
「例のアクアラングの兵士たちね」
隣のシャンディが呟く。ポーロたちと同じく警備上がりなのだろうか、いつ戦闘が起こっても問題のないような出で立ちである。
「……食事をしに来たという割には、あまり和やかな雰囲気には見えないな」
きっちりと歩み、無駄口を交わさない兵士たち。俺たちと比べるのはさすがに失礼だと思うが、こんなところにまでやって来て、いささか真面目過ぎるんじゃなかろうか。
「おおっ! 例のかわいこちゃんじゃないか!」
突如、ポーロが叫ぶ。それに驚いた他の客がこちらを振り返ったりしているが、まったく気にしていない様子である。やはり、どこにいてもはた迷惑な奴だ。
しかしその言葉通り、兵士たちの中にひとりの女性が居た。周りと比べて背も低く、よく見なければ分からないくらいだが、それをひと目で見極めるとはさすがポーロといったところだろうか。本当にどうでもいい能力だが。
「よっしゃ! 飯も食い終わったし、ちょっと挨拶してくるわ!」
ポーロが言い、レイモンと共に立ち上がる。
「おい、話しかけるのはひとりの時じゃなかったのか?」
確か来訪初日にそんなことを口にしていたはずだ。
「なに言ってんだ。折角、チャンスが回ってきたんだ。ここで行かなきゃ男じゃないぜっ!」
「うむ、玉砕あるのみ!」
はなっから失敗するつもり満載じゃねぇか。
「……そうか。まあ、頑張ってこい」
手でしっしっと追い払う仕草をしながら送り出す。言われずもがな、俺の言葉を聞き終わること無く、二人はすぐさま飛び出していった。
「元気ですねぇ」
マルシアがおでこに手を当て、二人の軌跡を追っていく。
「アレでいて実力だけはあるから手に負えん」
俺は椅子に深く沈み込むと、ふぅと一息ついた。
久々に訪れた静寂も、長くは保たなかった。
遠くから耳に届くのは何やら言い争うような声。
「……まあ、当然だよな」
俺はゆっくりと息を吐く。当然、ため息だ。
半ば分かりきっていたことではあるが、こうも予想通りだと呆れを通り越し、最早笑うしかなさそうだ。
「それならとめてあげれば良かったのに」
「あいつらが俺の言葉に耳を傾けるようならそうしていたさ」
「それもそうね。でも、私たちは協力体制をとっているのだし、このまま放っておくのはまずいんじゃないかしら」
シャンディの言葉を受け、俺は問題のテーブルへと視線を移した。そこには席から立ち上がり、二人と睨み合うアクアラングの兵士たち。どうやらまだ手は出ていないようだが、声の応酬だけでも立派な営業妨害だった。
「……そうだな、そろそろ仲裁に入るとするか」
今日はあいつらの奢り。仕事代としてみれば、これは高いのか安いのか。
俺は重い腰を上げ、争論の続くテーブルへと歩み寄る。近づけば近づくほど、どうでもいい会話を交わしているのがよく分かる。
「だからさ! 俺たちは彼女と話がしたいだけなんだって! あんたらに用はないっつーの!」
「いきなりやって来て何を言っているのだ! これだから冒険者という輩は!」
こうして冒険者の評判が悪くなるわけか。ああ、とても良く理解出来てしまう。
「どうもこの馬鹿たちが迷惑をかけているみたいで、誠に申し訳ない」
兵士たちに同意してしまいそうになる自分をとりあえず隅に置き、俺は間に割って入った。
「なんだ貴様は!? また冒険者かっ!」
露骨に嫌そうな視線を向けてくる兵士たち。
「すぐに撤収するので、ご安心を」
兵士たちには取り合わず、二人に視線を向ける。
「今は無理だと分かっただろ。このままじゃ店は疎か、食事を楽しんでいる他の女性たちにも迷惑がかかるぞ。お前らはそれでもいいのか?」
「むう……それは確かに」
「女性に迷惑がかかるとなると頂けないな」
単純な分、物分かりがいいのは長所なのか短所なのか。まあ、これで一応収まりもつくだろう。
「――ちょっと待ってくれないか」
踵を返し、自分たちのテーブルに戻ろうとすると背中に声が掛かった。その高く澄んだ声から察するに、言葉を発したのは例の女性だろう。
俺はゆっくりと振り返る。
女性に関わる気など毛頭なかったので、その存在を完全に意識の外に置いていた。しかし、まさかその当人からの接触があるなど、誰が予測出来ただろうか。
「おおっ、その美しい声! まさに完璧と言わざるを得ないっ!」
いち早く反応を示したのは、案の定ポーロである。レイモン共々、一歩前へと足を踏み出した。
今までのやりとりの間、ずっと腰を下ろしていた女性がゆっくりと立ち上がっていく。光の加減によっては真っ黒に見えてしまいそうな深い青髪に、まるでその深海を照らす月のように煌めく金の瞳。邪魔と言わんばかりに頭頂部でくるりと髪を纏め、女性らしさというよりは美しい獣といった雰囲気を漂わせていた。
まあ、援軍としてやってきたのだからおかしな事ではないだろう。ひと目見ただけでも、その強さの鱗片が窺える。
「……まだ、何か?」
一言発したっきりふたたび沈黙を貫く女性に、俺は問いかける。
「いや、すまない。貴方の雰囲気から冒険者と見たのだが、間違いないか?」
「ああ。俺もそこの二人と同じ冒険者だ。お互い警備についている身。顔を合わす機会は何度もあるだろうし、今日のことは水に流してくれると助かるのだが……」
俺の言葉に「うーん」と視線を落とす女性。何やら考え事に耽っている様子で、どうもその間に困ってしまう。テンポが悪すぎるぞ、この会話。
頭を掻きながら、辛抱強く次の言葉を待つ。周りの兵士たちも口を挟む様子はなく、無言のままその場に待機している。
「よし、ではこうしよう。一度、拳を交えてみないか?」
「……は?」
俺の口から間の抜けた声が漏れる。一体、何がどうなってその結論に達したというのか。
「今、同じ警備をしている身と言っただろう。背中を預けることもあるかも知れない。お互いの実力を確認しておいたほうがいいとは思わないか?」
いやまあ、言いたいことは分かるんだが……なぜ、今ここで。
「それならば、ギルドに赴いたほうが早いのでは?」
「先ほどの言い争いを聞いていても分かる通り、我らアクアラングの兵士とマーナディアの冒険者の間には隔たりがあるようだ。しかし、こうしてそちらから接触してきてくれたのも何かの縁。ならばその流れに身を任せるのも面白い」
「しかし――」
「いや、女性に手をあげるなどというのは俺たちの主義に反するっ! もちろん、意図は分かっているんだけど、これは譲れないさ!」
適当な理屈を並べて断ろうとした俺の言葉を遮り、ポーロが大きな声を出す。それを聞き、兵士たちがふたたび厳つい表情をつくった。
……というか、お前の主義に俺も賛同しているような言い方はやめてもらいたいのだが。
「では、貴方たちがここにやって来たのは何のためだ。武を通じて信頼を築くためではないのか?」
眼つきをやや鋭くさせ、女性が言った。こちらはこちらで戦闘する気満々のようである。……周りの兵士たちより血の気が多いんじゃなかろうか。
「無論、貴女のような可憐な女性とお近づきになるために!」
胸を張り、力強くレイモンが答えた。この空気の中、そこまで自信を持って言えるのも凄いとは思う。
「ほう、それは我に求婚するということか?」
「きゅ――!?」
思わず、驚きの声を上げてしまった。いくらなんでも、それは飛躍し過ぎだ。
……いや、流れを読んだ上での皮肉だろう。きっと。
「平たく言えば、その通り!」
そこにポーロが躊躇なく乗っかりやがった。ああ、ダメだ。周りの兵士たちですら慌てたところを見せないあたり、ここでは俺の方がおかしいらしい。
「その意気や、良し。ならば尚の事、我に挑んでみせろ。もし屈服させることが出来たのであれば、そなたのものとなってやろう」
挑発染みた笑みを浮かべる女性。
「おっしゃ! やる気が満ち溢れてきたぜっ!」
ポーロが両腕に力を込める。おい、お前の主義はどこへいった。一瞬で手のひらを返してるじゃないか。
「……もう、好きにしてくれ」
俺はそう呟くと、静かにその場を後にした。