第百四十六話 軽剣士と重戦士
魔法王国マーナディアとアクアラング小国連合を繋ぐ港街。その街の名は『ナーヴィス』と言う。
バリアント王国からこの大地に降り立った港街同様、主要国との玄関口だけあってその規模は大きく、こうして落ち着いて見て回ると様々な形の帆船が停泊しているのが眼に入った。船首には立派な女神像が飾られている船も多く、それらを見て回るだけでも中々に面白そうだ。しかし、水の女神だからなのだろうか、施術院にあるような清らかな神衣を纏ったような姿ではなく、どちらかと言うと肌を露出させた蠱惑的な姿をしているものが多い。
まあ、船乗りのほとんどは男だからな。無理もないか。
「ああいうのがいいんですね、やっぱり」
遠目で女神像を見ていると、マルシアが船首を指差しながらうろんな視線で突っ込んできた。よくもまあ、何を見ているのか分かったものだ。女の勘というやつだろうか。
「そうだな、マルシアも着てみるか?」
「なっ!? なに言ってるんですかっ! あんなのを着て街中歩けるわけ無いでしょうっ!」
軽口のつもりだったのだが、予想以上に慌てるマルシア。そんな反応をされると逆に俺も困るぞ。
その言葉を聞いてか、シルヴィアがじーっと女神像を見つめ始める。なんか変なことを思いつかなければいいんだが。
後ろで「ふふっ」と微笑むシャンディに、これ以上煽るなよと視線を向けるが、分かっていると言わんばかりに軽く手を振って応じられてしまった。
気を取り直し、眼の前の通りに視線を戻す。周りにはその船の主な所持者であろう商人たちの姿が見られる。冒険者ギルドの向かいにある商人ギルドへと向かう道には、どこを向いても大量の荷物を積んだ馬車と商人らしき者たちがいた。
大体の港街では、商人ギルドが一番大きな建物だったりする。冒険者ギルドも負けてはいないのだが、やはり様々な商品が行き交うこの場所では、いささか分が悪いと言わざるを得ない。
そんな冒険者ギルドに向かい、俺たちは大通りを歩いている。目的地は既に目と鼻の先だった。
ここに籍を置く冒険者は、主に海上戦に長けた者が多いだろう。港街の依頼のほとんどは眼の前の広大な海原に関するものが多く、船の護衛から貿易品の警備、中には泳ぎを教えるような依頼まであるのだという話だ。
しかし、商人たちが居るからといって賑わいを見せているかというと、それはまた別の話だ。
空にはふたたび雲がかかり、街の活気は昼の明るさと共に鳴りを潜めていた。
その原因は魔物たちによるものに他ならない。
「まあ、大した事がなくてよかったな」
街の風景を眺めながら、俺は独り言ちる。
先日の襲撃で受けた被害は、街の規模からしてみれば然程大きくはない。市街地への本格的な進行は防げたこともあり、船の数隻と倉庫数棟の倒壊だけで済んでいた。まあ、持ち主である商人からしてみればたまったものではないだろうが、そこら辺は商人ギルドが上手く纏めてくれるだろう。
「そうですね」
隣のシルヴィアが同意した。どうやら女神像から興味が離れたようで一安心だ。
人が少ない分、シルヴィアもかなりの余裕を持てている様子で、今度は遥か彼方の水平線を隅々まで見ようとキョロキョロと視線を活発に動かしている。
「海なんざ、後で腐るほど見れるぞ」
ぽんぽんとシルヴィアの頭を叩く。
これから正式に街の警備の任に着くわけだ。この街の平和を守るためには常に海原に眼を光らせておかねばならない。これから先、この景色は見飽きる事になるはずだ。
「楽しみです」
しかし、シルヴィアは実に嬉しそうに応じた。
……まあ、その気持ちをわざわざ壊す必要もないだろう。
「レベル5冒険者のイグニス様にシャンディ様。『フレースヴェルグ』の皆様ですね。改めまして、マーナディア冒険者ギルド、ナーヴィス支部へようこそお越しくださいました」
冒険者証を確認した受付職員が恭しく頭を下げる。
襲撃のごたごたで混乱もあるだろうと、昨晩は簡易報告だけ済ませておいていた。元より緊急時のマニュアルはしっかりと作られていたのか、一夜明けたギルド内部はだいぶ落ち着きを取り戻しており、これならば落ち着いて話を聞けそうである。
「これからよろしく頼む」
「はい。特別試験という形になっておりますが、やって頂くことは普段の警備とほとんど変わりありません。違うことがあるとすれば、高確率でふたたび魔物の襲撃があるという点ですが……」
「それは先日の事で良く理解しているつもりだ」
俺の言葉に、受付職員が頷く。
「詳しいことはこちらの書類に明記してあります。何かわからない点がありましたらお気軽に問い合わせ下さい」
「ああ、わかった」
職員から渡された書類を手に取り、俺は頷く。通常の依頼と変わらないのであれば問題はないだろう。今までに何度も経験しているわけであるし。
「よっ、イグっちじゃないか」
皆の待つ場所へと戻る途中、横から掛けられた声を当然のごとく無視する。少しだけ歩行速度を上げると、俺はそのまま待合席へと進んでいった。
「ちょっ! ちょっと待てって!」
慌てて俺の肩を掴む声の主。こっちを向けと言わんばかりの力の強さに、ため息まじりに振り返った。
「……誰だ?」
「おいっ! 最後に会ってからまだひと月も経ってないだろっ! 俺だよ、俺! ポーロだって!」
半眼で一瞥する俺に向かって大声で抗議する軽装の男。
それは試験前の腕試しに選んだ魔窟、『獣の森』で出会った同業者。その見た目と雰囲気から軽薄そうなイメージを受けるが、これでもれっきとしたレベル6の冒険者だった。
もちろん、そんなことは分かっていた。あれだけインパクトのある行動をとる人物なうえ、先の戦闘でもその姿を見ている。これで分からない方がおかしい……のだが、まあ何というか、関わるのも面倒だったりするわけで。
「……ああ、そういえば居たな。そんな奴も」
「あ、ひっでぇ!」
「あれだけ熱く語り合った日々は幻だったというのか……」
ポーロの背後にはやはりと言うか、レイモンの姿もあった。腕を組んで佇んでいるその姿は、身につけている重装備の効果も相まって冷静沈着そうに見えるのだが、中身は相棒とまるで変わらない。
まあ、パーティを組んでいる以上、行動を共にするのは当たり前だな。俺の後ろにも相変わらず女性陣が居るわけだし。
「幻も何も、そんな記憶はまったくないんだが……」
勝手に熱くなっていたのはお前らだろうに。勝手に巻き込むんじゃない。
「まあ、そんなことはどうでもいいな。やっ、マルシアちゃんにシャンディお姉様にシルヴィアお嬢ちゃん。みんな元気?」
「……どうでもいいなら声かけんなよ」
俺のぼやきを無視し、すぐ近くのテーブルに座る女性陣に気がつくと、それぞれ声を掛けていく二人。扱いの差は明白だ。
「お久しぶりですよ。ポーロさんにレイモンさん」
「いつもと変わらず元気がいいわね」
マルシアとシャンディは笑顔で応じるが、シルヴィアは軽く頭を下げるとそのまま視線を落として縮こまってしまった。
「あらら、相変わらずだなあ」
それを見たポーロが苦笑いで一言。
「まあ、お前だから仕方ない」
「どういうことだよっ!」
言葉が耳に届くや否や、すぐさま後ろを振り返るポーロ。
「それがわからないから問題なんだろ」
こいつらでなくともシルヴィアの反応は似たようなものだが、警戒心を必要以上に抱いているように感じる。まあ、その気持ちは十分にわかる。
「しかし、なんでまたこんなところにいるんだ? オッドレストでなにやら張り切っていたじゃないか、お前ら」
「…………」
男二人は顔を見合わせ、うなだれてしまう。
「……聞いちゃうかー、それを」
「いや別に答えなくていいから、そこどいてくれないか」
二人は完全に俺と女性陣を分断していた。これじゃ座れやしない。
「実はだなっ!」
がばっと顔を上げると、ポーロがいきなり話を切り出した。なんだかんだで語りたいんだろ、お前。
「わかった、わかった。どうでもいいが手短に頼むぞ。俺たちはこれから街の警備についての話し合いをしなきゃならんからな」
「あん? なんだ、お前もこの街の警備をしに来たのか」
「こんな状況で遊びに来たとでも思ってんのか、お前は」
「いや。だって、海だぜ? ほら、海と女性といえば、あのっ!」
ポーロの力説に後ろのレイモンがウンウンと頷いている。言わんとしていることはわかるが、俺は同意せんぞ。一応。
「……雨季に海に入りに来るような奴は居ないだろ。それに、この辺りで起こっている魔物の一件が落ち着かんことには誰も遊泳なんてしないと思うが」
「そうなんだよっ! だからこそ、俺たちはこの海辺の平和と女性たちを守るためにやって来たのさ!」
「……不純と言うべきか、いっそ清々しいと言うべきか」
「あら、良いじゃない。私たちの為に頑張ってくれる男の人って素敵だと思うわよ」
座ったまま、上目遣いにこちらを見上げながらシャンディが言う。
「やっぱりそうかっ! よし、俺たち頑張れる!」
ポーロとレイモンは頷き合い、パァンと高々に手を叩き合う。
そんな姿を呆れながら一瞥し、俺は仲間たちに視線を向ける。すると、シャンディが含みのある笑みを返してきた。それに対し、肩を竦めて返す。
「それじゃ、俺たちはこれから警備なんだ。ちょっくら気合入れて行ってくるぜ!」
「ああ! 女性の皆様の為に一肌脱いでくるとしよう!」
そう言うなり、二人はギルドから飛び出していく。あまりの勢いに、周りの冒険者たちが何事かと振り返っていた。
「変なの連れてきて悪かったな。つっても、勝手についてきたんだが」
空いているシルヴィアの隣に座りながら、俺は謝る。
「ふふ、問題ないわ。それに、仲が良いって素晴らしいことよ」
書類を受け取りながらシャンディが言う。
「……別に悪いとはいわんが、良いとも思えんがな」
腕を組み、二人が出ていった入り口を見やる。俺に関わってくる冒険者は大体、一癖や二癖ある者ばかりだ。なんでこうなんだかな。
「そういえば……結局、王都で何があったのか話してませんね。あの人たち」
ふと、思い出したようにマルシアが呟いた。
「ああ、そうだな」
……まあ、聞かなくても大体想像出来るからどうでもいいか。