第百四十五話 魔物と港街
「冒険者だ! 緊急時につき、速やかな入門を希望する!」
俺は懐から冒険者証を取り出し、前方に掲げて見せる。
視線の先には、街の入口たる大きな門の姿。その周囲には、行商人の物と思しき荷馬車が列を成していた。その流れは遅々として進まない。いや、正確に言うと完全に止まっていた。
声に反応し、門番のうちの二人が俺たちの元へと駆け寄ってくる。他の者たちは集まっている人々への説明に労力を割いているようだ。
そんな光景を余所に、門番は冒険者証を確認すると簡易のチェックを行っていく。俺たちの馬車に積んであるのは冒険者の必需品と少しばかりの趣味の品。特に何の問題もない。
門番の二人は頷き合うと、俺に視線を向けた。
「すまないが、頼んだぞ!」
「ああ、任せとけ!」
力強く応じ、すぐさまユニコルニスに指示。わかっているとばかりに嘶きが響くと、俺たちの馬車は勢い良く門を駆け抜けていった。
その先に作られている広場。そして、そこから港へと向って伸びる大通りは閑散としていた。ほとんどの避難が完了したのだろう。
そんな中を、足を止める事なくユニコルニスが疾走る。それは宛ら白い弾のように、目標の港へと向って驀進していった。
異変に気づいたのは、坂の頂点までやって来た時だ。港街はその構造上、そこから海辺へとゆるやかに下った先にあった。
視界に広がる大海原に歓声を上げるのもつかの間、俺たちは異質な空気を感じ取り、自然と押し黙っていく。
門に並ぶ馬車の列はどこの街でもよく見かける光景なのだが、それらを堰き止め、街から逃げ出すように這い出てくるのは同じような馬車の群れ。
その原因は、探すまでもなかった。
俺たちの見ている前で、沖合いに停泊していた船の一つが沈んだのだ。遠く離れた海上ではなく、港の近くで船が沈む。通常ではありえない事態である。
それらを照らし合わせ、導き出された答えは一つ。
――魔物の襲撃だ。
オッドレスト冒険者ギルドからの情報では、既に幾つもの徴候が見られているとの事だ。まさか俺たちが街に着いたタイミングでそれが起こるとは……果たして良いのか悪いのか。
いや、起きないに越したことはないよな。
――ギャギャッ。
海岸にほど近い倉庫の立ち並ぶ区画まで辿り着くと、不意に耳障りな高音が届いてくる。
その発生源を探すべく、俺は辺りに視線を彷徨わせていった。
視界に飛び込んだのは想像通り、魔物の姿。その全身は魚類そのものなのだが、手足の部分は人間のそれに近い。そいつらは漁師が使う銛に似たような武器を持ち、数体からなる隊列を組んでいた。
レベル3の魔物、サハギン。
その容姿はとても分かりやすい。別名『海のコボルト』とも呼ばれており、海上警備などではよく遭遇する一般的な海の魔物と言う話だ。手足が人間に酷似しているだけあり、陸上での行動にも特に支障がない様子だった。
手に持つ武器を振り回し、周囲の破壊活動に勤しむサハギン。今もまたひとつの樽が壊され、中から新鮮な果物が飛び散っていった。
「シャンディ、任せるぞ」
「了解したわ」
俺は手綱を離してシャンディに馬車を任せると、御者台の上で片手半剣を引き抜いた。
血気盛んなユニコルニスは、その自慢の脚力で徐々に距離を詰めていく。サハギンに臆するような雰囲気は微塵も感じられない。
それに伴い、海風が皆の身体を撫でていった。纏わりつく冷たさに気を引き締め直すと、俺は馬車から飛び降りる。
生体活性・脚!
靴底が石畳の大地と接触した瞬間、強化した脚で一気に跳躍。
その一蹴りでサハギンはもう眼の前だ。テカテカと光る鱗がなんとなく生理的な嫌悪感を与えてくるが、そんなものは気にしていられない。
「悪いが、はなっから全力で行かせてもらうぞ」
本来であれば敵の動きを見極めてから行動したかったのだが……街が襲われている現状、そんな悠長な事も言ってられない。情報だけなら既に頭に叩き込んである。敵のレベルを考えれば、それで問題はないだろう。
先頭のサハギンを斬りつけると、そのまま駆け抜けざまに片手半剣を舞わせていった。
コボルトと揶揄されるだけの事はあり、その戦闘能力はほとんど変わらない。気をつけてさえいれば不覚を取る事もない。
反対側に抜け出るときには、サハギンのほとんどが大地へと倒れ込んでいた。俺はそのまま踵を返すと、先ほどと同じ様に片手半剣を振るっていった。
「……ここら辺にはもう居ないか」
周囲に動くものが居ない事を確認すると、皆の元に戻りながら感覚強化で索敵を行っていく。
「これなら深刻な状況にはならなそうだな」
返ってきた反応は、海岸線を沿うように伸びていた。どうやら魔物の進撃は市街にまで及んでおらず、倉庫街で食い止められている様子だった。この街に籍を置く冒険者や船の護衛としてやって来た者、他にも警備兵や船乗りと、戦える者はかなりの数に登るはずだ。皆、それぞれに奮闘しているのだろう。
「街が襲撃されただけでも十分深刻だと思うんですけど……」
呟いた俺の言葉にマルシアが返してくる。
「……それもそうだ。この街の住人からしたら、たまったものではないか」
自分の身は自分で守れ、いざという時にはそのまま逃げ出せる俺たちとは違い、この地に足をつけて生きている人々にとっては大事だ。
「よし、さっさと片付けにいくぞ」
俺が馬車に乗り込むと、ユニコルニスがふたたび走りだしていった。
視線の先には、うねる大きな蛇の化け物。
「……シーサーペント」
それを目撃した瞬間、俺の口からは呟きが漏れていた。
名称と違わぬその全貌は、まさに俺が求めていた魔物に相違ない。
「まさか……こんなに早く出会えるとは思っていなかったけどな」
片手半剣を握る右手に力が入る。今すぐにでも挑み掛かりたい衝動に駆られるが、現状を鑑みて自らに制止をかけた。
まず第一に、相手は海の上に居る。徐々に陸地へと向かってきているのは、単純に進行速度が遅いのか、それとも様子を窺っている為なのか。
接敵にまだ余裕があるという事は周囲に居る魔物の対処を優先すべきだろう。
そう思い、もう一度索敵に取り掛かろうとした瞬間。
――ドンッ!
激しい衝撃音と共に、視線の先にある倉庫の壁が吹き飛んだ。それに伴って生じた風に、木片が俺の足元まで吹き飛ばされてくる。
「――きゃあっ!?」
少し遅れ、背後からマルシアの悲鳴が届いた。
「……なにが飛んできた?」
破壊を実行した者の正体はわかっている。その軌道上にはシーサーペントしかいないからだ。
俺は警戒を怠らず、倉庫の中へと視線を巡らせていく。辺りに散乱するのは様々な貿易品の数々。それらはまるで野ざらしのまま降雨に晒されたように濡れていた。
……なぜ、水浸しになっている。今日は波も高くない。ここまで海水が押し寄せるなどという事はあり得ないはずだ。
次にシーサーペントへと視線を向けた。
大蛇は変わらず、ゆったりとした速度でこちらへと向かっている。しかし、よくよく見るとその周囲にある海水が盛り上がり、球状となって浮かんでいるのが眼についた。
「なるほど……今のが水砲か」
先ほどの倉庫を破壊した原因。おそらくそれは、海を縄張りとするシーサーペントが使う水の魔術なのだろう。海を本拠地とする魔物は当然の如く、水を扱うすべに長けている奴が多いという話だった。
「マズいな。命中精度はともかくとしても、乱発されたら港がめちゃくちゃになるぞ」
しかし、俺では手が出せない。二重強化を使えば一撃を加える事は出来るかもしれないが、確実に当たる保証はなく、まだ周りにはサハギンたちがのさばっている。
「――シャンディ、マルシア。お前たちは魔術でシーサーペントを狙え。黒騎士は二人の護衛。俺はサハギンたちを処理しつつ、水砲を風陣収縮で防ぐ」
後方に指示を飛ばして仲間たちの了承を確認すると、俺はふたたび前方を向いた。そこで海上を移動する二つの影が目に映る。
「……人影?」
それは確かに、人の形をしていた。
海上を走る二人の人間。初めは自分の眼がおかしいのかと思った。しかし、それは確実にシーサーペントへと肉薄していく。
感覚強化!
強化した視覚でその正体の確認に入る。
先頭を行くのは重装の戦士のようだ。その後ろには、影に隠れるように軽装の剣士がくっついている。
二人は同じ速度で疾走していた。そこが海上である事の証明をするかのように、足元から舞い上がる海水の飛沫。
それに気づいたシーサーペントが動いた。軽く頭部を振ると、周囲に浮かぶ水砲が二人に向かって次々と襲い掛かっていく。やはり、命中精度はそこまで高くないようだ。そのほとんどが海面にぶつかり、大きな水柱を立てていった。
その合間を縫うように、二人が駆け抜けていく。しかし、弾は膨大な数に及ぶ。纏めて撃てばいくつか命中するのは当然の事だった。
正面から襲い来る砲弾を見て取ると、重戦士が盾を構える。
あれをまともに受けては、いくら堅い鎧に身を包もうともその中身が衝撃にやられてしまいそうだ。
だが、そんな心配は杞憂だった。
重戦士は盾の表面でそれを受け止めると、すぐさま角度を変え、冷静に流していく。斜め後方に逸れた砲弾は他と同様に水柱を立てつつ、海面へと沈んでいった。
その後も巧みに盾を動かし、最小限の動きで次々と水砲を捌いていく重戦士。二人の進撃速度に衰えはまったく見られない。
遂に、二人はシーサーペントの懐まで辿りついた。
そう思った次の瞬間、今度は今まで後ろに張り付いていた軽装の剣士が動き出す。軽く跳躍すると重戦士の肩に乗り、更に勢いをつけて飛び上がっていった。
ここまで来ては水砲は使えない。ならば丸飲みしようとシーサーペントがあぎとを開き、軽剣士へと襲い掛かる。
当然、躱す。そう考えていた俺だったが、その剣士は躊躇いもなく口内へと飛び込んでしまった。
「――なっ!?」
俺が驚きの声を上げると同時に、シーサーペントの喉元が一文字に切り開かれていった。鮮血と共に首が落ち、海面に沈む胴体が大きな波を立てていく。
そして、余裕の表情を浮かべながら着水する剣士。
「……あれから街で見かけないと思ったら、こんなところに居たのか」
そのドヤ顔は、見覚えのあるものだった。