第百四十二話 中継都市と望まぬ再会
出発から三日目の朝。
空はついに大泣きを始めた。
天から落ちる水滴が、馬車を包み込む幌を激しくノックする。薄暗い車内を照らす光魔石のランタンがふらふらと揺れるたび、生み出された影が踊っていった。
「……そろそろか」
床に広げられた地図を見て、俺は呟く。
タイミング的には、そろそろ最初の街につく頃だ。今まで空がもっていてくれたのは、僥倖と言えるだろう。
「やったーっ! お風呂ーっ! 柔らかいベッドーっ!」
嬉しそうな声を上げたのは、地図を挟んで反対側に居るマルシア。シルヴィアは俺の傍らに寄り添い、シャンディは御者台について、ユニコルニスの相手をしている。
こんな状況である。進行速度に若干の遅れがみられたが、誤差の範囲なので特に問題はないだろう。
俺たちの後方には街間馬車、その後ろに商人の馬車と続いている。
初日の話し合いの後、俺たちが先頭を進むことで皆同意した。前と後ろ、どちらから襲撃を受けても一般人を守りやすいからである。
バリアント王国の王都からテレシア間のように、平坦に続く道にはこれといった脅威は存在しなかった。せっかく決めた取り決めも、あまり意味をなさなかったのだが、何事もなかったのは喜ばしいことだ。
「見えたわよー」
シャンディの言葉に顔を上げ、前方を向く。
雨の幕に遮られ、遠くの景色は朧。しかし、大きな影となって立ちふさがっている人工物の姿だけは確認出来る。
規模は中くらい。一般的な都市、と言ったところだろう。どの道、長いこと逗留しているわけではないので、どんな街だろうと構わないのだが……。
眼の前の都市に不思議と懐かしさを感じてしまう自分が居た。
馬車のチェックを終え、街の中へと入る。
それを追い、後続の馬車も門を潜っていく。狸娘の馬車だけは大量の荷物の為、チェックにかなりの時間を要するようだ。
しばらくの間、俺たちは広場に留まった。
少しの間とは言え、共に協力しあった仲である。別れもきちんとしておかねばならない。既にマルシアたちなど、街間馬車の女性客と会話に花を咲かせている。この三日間、暇を見ては話し込んでいたというのに、未だにネタが尽きないのは凄いな。
門前広場には相変わらずの馬車列が出来ている。
流通は街の生命線。雨が降った程度では予定を変えることなどないだろう。
逆に眼につかないのは冒険者たちだ。臨機応変に行動できるのが俺たちの強みである。必要ならばどんなことも辞さないが、必要のない無理はしない。
元より雨期は休暇の時期だ。グェンダルのように既に穴篭りを決め込んだ奴も多いだろう。いつもであれば、俺も似たような状況だっただろうしなあ。
「すみませんー。時間がかかってしまいましたー」
ようやく事が済み、狸娘の馬車がやってくる。
そのまま俺と護衛たちはねぎらいの言葉を交わし、狸娘は女性たちの中へと加わっていく。
近くの軒下へと場所を移し、女性陣の話は続いた。
何故、女性たちの会話は長いのか。
その難題の答えは、乏しい知識では導き出すことは不可能だろう。
対照的に、護衛たちとのさっぱりとした別れを終えた俺は雨宿りも兼ね、自らの馬車の御者台へと乗り込んでいく。
ポツンと放置され、雨に打たれ続けているユニコルニスが不機嫌そうに鳴いた。お互い、同じような状況になんとなく共感を覚えてしまう。向こうも同じような事を感じているのか、いつもと比べ、なんだかおとなしい。
ユニコルニスの視線は当然、女性陣の元へ。
そういえば不思議なことがあった。
白馬ということで王子様でも想像するのか、女性たちに人気だったユニコルニスだが……当人、いや当馬の反応は薄いものだったのだ。
こいつにも好みがあるということだろうか。馬の癖に面食いな。
……やめとこう。
思うこと思うことが全部自分に返ってきそうなので、俺はそこで思考を止める。
しばらくの間、あぶれたもの同士仲良く、ざあざあと雨音の奏でる交響曲に耳を傾けていった。
「――イグニスさーん。宿はペコさんが紹介してくれるってー」
どれくらい経ったのだろうか、ぼーっとしているとマルシアを先頭に仲間たちが戻ってきた。
ペコと言うのはあの狸娘の名である。名前もその外見同様、なんだか可愛らしいものだ。……決してペット感覚などではない、と思う。
まってました、と一鳴きするユニコルニス。そのまま皆のもとに近づいていこうとしたが、俺への報告のためか、マルシアにさらっとスルーされてしまう。項垂れた姿を見て……何だか可哀想になってきた。
「……それじゃ、さっさとその宿に向かうとしよう」
「はーいっ。みんな近場の宿に泊まるみたいなので楽しみですね」
……だったら、宿についてから話せばよかったろうに。
今更文句を言ってもどうしようもないし、そんな気力も湧いてこなかった。
雨は止む気配を見せない。
むしろ、その勢いを強めているようにさえ感じる。
荷物から引っ張りだしたアクアリザードの外套を纏うと、俺は街中を放浪していた。
時は既に夕刻入りし、元々薄暗かった世界が更に闇に染まる。
腰に括りつけたランタンの僅かな明かりが、小さな世界を彩っていく。
三日間の内に意気投合した女性陣は、今頃宿近くにある酒場でだべっていることだろう。
さすがに女性しか居ない中に入っていく勇気も無ければ、そんな空気の読めないことをする気もない。
たまには一人で呑むのも良いだろうと、手頃な酒場を探している最中だ。
周囲の情報はあまり仕入れていないが、迷う気は全くしなかった。
なんとなく似ているからだ、テレシアに。
どちらも王都に程近い中型の都市。バリアント王国自体、そこまで古い国ではない。マーナディア魔法王国と比べれば、まだまだ新興国と言えるだろう。
俺からしてみれば、生まれた時から存在している時点でどちらも似たようなものなのだが、ここまで似ているということは参考にして建てられたのかもしれない。
ふと、俺は立ち止まる。
道のド真ん中に突っ立ってしまった形だが、周囲の人影はまばらで、馬車が駆け抜けるにはこの道は小さすぎた。
目深に被ったフードを少しあげ、暗闇の空を見上げる。
雫が顔にあたり、頬を伝って流れていく。敷き詰められた石畳に落ちた雨は跳ね返り、俺の足元を濡らしていった。
「……テレシアを出てちょうど一年くらいか」
吸い込まれそうな漆黒に俺の呟きが消えていく。
結局、行き着いたのは人の少ない場末の酒場。
ひとり酒を楽しんでいる輩がほとんどで、新たな客にこれっぽっちも感心がない様子だ。
歓楽街の賑やかさとは対照的に、この世界は落ち着いていた。時折、軽く交わされる会話が耳に飛び込んでくるぐらいで、外の雨音のほうが大きいくらいである。
さほど広くない店内だが、空席が目立つ。どこに座るか少々迷ったが、注文した物をすぐに受け取れるということで、カウンター席へとついた。
「とりあえず一杯頼む」
座るや否や、俺はすぐ近くへとやってきた店主に注文をする。
こういう店は酒の種類も少ない。値段も相応だ。そもそも酒を味わいたいのであれば、金貨でも掴んで歓楽街の中心に向かうことをお勧めされるだろう。そんなことしたら、ついでに女を買う冒険者も多いだろうが。
「……」
眼の前に静かに置かれる酒。
寡黙なのか、面倒なのか、店主は一言も語らない。店の雰囲気にあっていると言えばあっていた。
俺も黙って酒を舐める。味は予想通り、酔えれば良いという代物。これはこれで懐かしい。
懐古の味とでも言えばいいのだろうか。酒を覚えたての新人時代、よく世話になったものだ。
……そういえば、冒険者の中には「上等な酒など糞食らえ、この酒こそが至上よ」などと言っていた奴もいたな。
――ギィ。
後方で、店の扉の開く音が聴こえる。
新たな客がやってきたのだろう。静かな分、扉の軋む音もよく通る。
しかし、そんな事はここに居る誰にとってもどうでもいいことだ。
コツコツと響く足音がカウンターへと近づいてくる。
少しして、俺の隣の席に座る一人の影。
……何故、わざわざ隣りに座る?
空いている席は他にも幾つもある。それはカウンターも然り。その意図がわからない。
関しないつもりではあったが、さすがに気になり横を覗き見る。
視界に入ったのは雨具だ。フードに隠され、その表情は窺えなかった。
「ご無沙汰しております」
前を向いたまま、フードの人物が呟いた。声からして、男だ。
……俺の知り合い? 確かに声に覚えがあるような気はする。
「おや、わかりませんか? やれやれ……命を賭けて闘ったというのに、薄情な方ですね」
返答に詰まっていると、男が続けた。
闘った……だと?
男の声と内容を聞き、嫌な想像が頭を過る。
「……まさか」
言葉に応じるかのように、男はゆっくりとフードを取っていく。
「ええ、あの時はお世話になりました」
そこから現れたのは……いつぞやの魔術師だった。