第百三十九話 現在と仲間たち
「見ているから。イグニスの進む道を」
俺が扉に手をかけた所で、ユーリエの呟きが耳に届く。
一通りの話が済み、そろそろいとましようかというところだった。
思わず振り返り、ユーリエを見る。しかし、彼女は穏やかな笑みを浮かべたまま、それ以上の言葉を紡ぐことはなかった。
「……ああ」
ややあって軽く頷くと、俺はゆっくりと扉を開け、その場を後にした。
入り口に続く長い廊下にコツコツと足音を響かせながら、俺は先程のやりとりを反芻していく。
後半はとりとめのない昔話が主だった。やれ、あの時はこうだっただの、あの時の自分はこう思っていただの。昔話に花を咲かせる――と言う程ではないが、口の動きも最初に比べればだいぶ滑らかに動いていたように思える。
そうして話をしている内に、昔に戻ったような錯覚を感じることが何回かあった。
良くも悪くもガキだったあの頃の俺が現状を見た時、どんな事を思うのだろうか。……ま、認めないだろうな。多分。
ぼんやりと考え事にふけっていると、いつの間にやら入り口近くまで来ていた。広いエントランスに大きな扉。その近くにはメイドの姿が見える。
特に何の問題もない光景だ。……そこにリーゼロッテが居なければ。
「……こんなところまで来て、何してんだ?」
壁に背を預け、虚空を見つめているリーゼロッテに声をかける。
今までの経緯から、てっきり別宅に引っ込んでいるものとばかりに思っていたのだが……まあ、多少大人しくなったとはいえ、中身がそんなに早く変わるわけもないか。
「ん、やっと出てきおったか」
特に驚いた素振りも見せず、リーゼロッテはこちらに顔を向ける。どうやら俺が来ていることは既に知っていたらしい。ユーリエに用事でもあったのだろうか?
ゆっくりと壁から背を離すと、俺の前までやってくるリーゼロッテ。
「ほれ」
そう言って渡されたのは木剣。修練でよく使っていたアレだ。二本あるうちのもう片方はリーゼロッテが握りしめている。
「……なんでこんなものを俺に渡す?」
「そこまで察しが悪いわけでもない癖に、わざわざとぼけるとは感心しないの」
思わず視線を彷徨わせる。
木剣と眼の前のお嬢様の組み合わせは……まあ、答えは一つしかない。
「ユーリエが部屋の中で燻っているのではないかと思い、足を運んできてみれば……イグニスと楽しく談笑しているではないか。邪魔をするのも無粋と思い、今の今まで待っていた私の相手を断るほど薄情な男ではあるまい?」
「……相変わらずの強引さでなによりだ」
まあ、このまま帰った所で特にすることはない。当初の予定ではギルドに話を聞きに行くはずだったのだが……結果は知ってしまったし、話がどこまで長引くかわからない以上、今日のところは皆自由行動という事にしてしまった。
このまま問答を続けていたとしてもリーゼロッテが折れる事はないだろうし、付き合ったほうが早く終るだろう。
「それに……少々、見せたいものもあるしの」
そう言って、リーゼロッテは大胆不敵に笑った。
木剣がぶつかり合い、乾いた音を立てる。この音を聞くのは久々だ。
出会った頃は直線的な動きしか出来なかったリーゼロッテも、今では縦横無尽に戦場を駆ける、一端の剣士となっていた。……いや、思った以上の成長具合だ。俺が教師役をやめてからも、更に修練を続けていた事が簡単に想像出来てしまう。
……まったく、このお嬢様ときたら。
いったん距離を取ると、嘆息混じりに一息つく。
模擬戦が始まってから十分弱。軽い打ち合いから徐々に熱を上げ始めたリーゼロッテは、今では既に全身全霊を使った攻撃に移っていた。
この状態の彼女は油断ならない。才能というものの恐ろしさを感じるその攻めに、ユーリエとの会話を思い出す。
「才能……そして限界、か」
誰にも届かないくらい小さな声で呟く。そして、俺はあることを感じていた。
以前には見られなかった強さ。しかし、その行動にはなんとなく見覚えのあるものが多分に含まれていたのだ。
女性剣士は速さに重きをおいた行動を取る傾向にある。もちろん、リーゼロッテがとる動きもそれから全く外れていない、定石のような行動ばかりではあるのだが……。
「はあっ!」
気合の入った声と共に、リーゼロッテが再び俺に接近。木剣の先端が空気を切り裂き、心臓部へと襲い掛かる。
急所を狙った突き。
それを察すると、ギリギリまで引きつけ、身体を横にずらす。
木剣が俺の横を通り過ぎていく。それと同時に、リーゼロッテが大地を思いっきり踏みしめた。その脚を今度は弾かれるように蹴りあげ、軸足を中心に身体を勢い良く回転させる。
……やはり、か。
逆側から襲い掛かる木剣。俺はそれを当然の如く、受けとめる。
先ほどからチラホラと感じていたもの。その正体は、ユーリエの剣技である。さすがに彼女ほどのキレはないが、今の技は試験の時に俺が受けた連撃と同じものだった。
一拍の間をおき、リーゼロッテはどうだとばかりに俺を見る。
「……なるほど。確かに、アイツのほうが俺よりは参考になるだろうな」
木剣を払うと、俺は少し距離を取った。
模擬戦はこんなところで十分だろう。リーゼロッテの様子から、見せるものは全て見せたということは察せる。
「……なに、心配することはない。後のことは我らに任せよ。イグニスたちには、これからクリアすべきもう一つの試験があるであろう? まずはそれをちゃっちゃと片付けてくると良いぞ」
剣を収め、リーゼロッテが口を開く。その口調はいつもとまったく変わらないが、どこか以前とは違った柔らかさを感じる。
「……ああ、そうだな。そうさせてもらうとしよう」
俺は木剣を差し出しながら言う。
「頑張るのだぞ」
それを受け取りながら、リーゼロッテが軽く笑いかける。
「そりゃ、言われなくてもな」
手を上げてそれに答えると、俺はクラインハインツ家を後にした。
そのまま宿に戻るというには時間が早過ぎる。
たとえ戻ったところで時間を持て余すのは目に見えていたし、リーゼロッテの忠告もあったため、次の試験に向けての準備でもと街をぶらつくことにした。
冒険雑貨や武具、魔石店。一通りの店を覗いた頃には陽も傾き始めていた。
当たり前のことではあるが、どの店でも訪れていた客のほとんどが俺と同じ冒険者。
立派な武具を羨ましそうに眺める姿。仲間たちと相談しつつ、雑貨品を買い漁る姿。魔石の値段にため息をつく姿。今日に至っては、何故か新人ばかりが眼につく。
膨大な数の人々が集うマーナディアの王都、オッドレスト。もちろん、冒険者の数も多い。割合から考えれば、たまたま目についたのが新人冒険者、というのは別段不思議なことではないだろう。
ただ……今回に限っては、それがえらく気になってしまっていた。
「過ぎた時は戻らない、か」
ひとりごちながら帰り道を歩く。
茜色に染まった大通りには、帰路につく者たちの姿が多い。仕事からの解放感か、それともこれからの酒盛りでも想像しているのか、その顔は皆一様に明るく見えた。
「あ、おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
部屋の扉を開けると、一番近くに居たマルシアが応じる。それに続き、シルヴィアとシャンディも同じ様に出迎えてきた。俺が一番最後らしい。大体いつも三人で纏まって行動しているのだから当たり前か。
「どうしたんですか? 変な顔してますけど」
「……なんだ、変な顔って」
マルシアは俺の顔を覗き込むように見上げると、不思議そうに顔をかしげた。
こいつだけは昔から変わらないな。ある意味で、ほっとする。
「言いたいことはよくわからんが、お前は相変わらずそうで何よりだ」
「なんですか、それ! 私の方こそイグニスさんの言葉がよくわかりませんよっ!」
馬鹿にされたとでも思ったのか、マルシアが不満声を漏らす。
「いや、なに。お前がそのままで居てくれたのがなんとなく嬉しかっただけだ。気にするな」
マルシアの頭に手を乗せながら、俺は言う。
「子供扱いじゃないですかっ!」
どうやら余計に苛立たせてしまったようだ。しかし、何故か手を振り払うようなことはしない。
「まったく、なにやってるのかしら」
微妙な間を埋めるかのように、シャンディが俺の首に手を這わせる。
「せっかくあれこれ選んできたのに、喧嘩してたら意味ないわよ?」
シャンディはベッドに視線を送る。そこには大きめの革袋がどんと置かれていた。
「なんだ、また買い物してたのか」
「女同士じゃないと行きにくいところもあるのよ」
「ん? 香水とかそんなところか」
女性が使うものと考えると、とりあえず頭に浮かんだのはその程度だ。
「ふふ、それも買ったのだけど……他にも色々とね。今晩は楽しみにしてるといいわよ」
その言葉に、マルシアが恥ずかしそうに目を反らした。
「……なるほど、それじゃ楽しみにしておくとするか」
今の仲間たちを見回し、俺はなんとなく笑ってしまった。