閑話 別離の刻
そこにあるべきモノがなくなった時、私の心にはぽっかりとした大きな穴が空いていた。
私が居ることで彼に押し掛かる負担は……きっと、想像している以上に大きいのだろう。
そのことに気づいた時、後ろ髪を引かれながらも、私は別離を決めた。
決めてしまった以上、動かないとならない。
彼ならそうする。
そう思い、私はすぐさま宿を引き払うと馬車へと乗り込んだ。
片手に収まる程度の荷物だったけれど、もとより私の所持品は少ない。冒険者と言えば散財する人が多い印象を受けるのかもしれないけど、女の身には酒も賭け事も、ましてやお金で買う色事にも興味はなかった。その分、身だしなみを整えたり、着飾る女性冒険者が多いのだけど……幸か不幸か、そっちも私の範疇外だ。
私が興味を示したのは――強くなること。
いいえ、これは元々私が持っていたものじゃない。彼から貰ったもの。引き継いだ、と言っても間違いじゃないのかもしれない。
そう思うと、私の胸に痛みが走った。
がたがたと揺れる馬車の中、他愛のない会話を交わす人々。
私はその和を外れ、一人端の席から外を眺め続けていた。
冒険者として活動を始めた頃の私は、特にこれといった想いはなかった。
貧しい村に住む大家族の次女として生まれた私は、お金を稼ぐために冒険者の道へと足を踏み入れる。
王都まで出れば、他にも幾つかの働き口は見つかったことだろう。
しかし、幸運にも私は天から祝福を授かっていた。一般的に感知能力と呼ばれるそれは、この世界に存在するすべてのモノが内包している体内魔力を識別出来る能力。
それを手っ取り早く活用出来る職業が冒険者だった。
女性の冒険者と聞けば魔術師や神官を思い浮かべる人も多いはず。私自身にも膨大な体内魔力があればもっと話は簡単だったのだけど……それは無い物ねだり。
冒険者になろう。
そう漠然と思うようになると、私は少しずつ身体を鍛えていった。
テレシアの街に降りたった私は、しばらく門前広場にひとり佇んでいた。
その原因は眼の前の景色。視界に飛び込んできた街並みはとても大きく、広場を行き交う人々もまた、想像を遥かに超える数だ。
おっかなびっくりと人波をかき分け、予め御者さんに聞いておいた冒険者ギルドの前へと何とか辿り着く頃には、私の精神はだいぶ疲弊していた。
そこに、新たな関門が立ちはだかる。
歳相応に小さな私には冒険者ギルドの扉はとても大きく、とても怖いものに思えた。その為、足を踏み入れるまでの勇気を絞り出すには、かなりの時間を要すこととなってしまう。そんな私の脇を、装備に身を包んだ冒険者らしき風体の人々が不思議そうな視線を向けて通り抜けていく。
「いらっしゃいませー」
やっとの思いで扉を開け、受付の前までやって来ると、私とそこまで歳が変わらなさそうな若い女性が迎えてくれた。
ここに居るということは冒険者ギルドの職員。それくらいは私にも分かる。でも、その女性の外見を見た途端、言葉を失ってしまっていた。
綺麗な金髪にそこから飛び出た細長い耳。話に聞いていた通り、とても綺麗で整っている容姿に、同性の私でも思わず見とれてしまうくらいだ。
彼女は精霊族。一般的に、エルフと呼ばれる種族だろう。
私が育っていた村では、精霊族の姿を見ることは稀。ましてや、こんな近くでなんて初めてのことだった。
それと同時に、小さな村から出てきたばかりのみすぼらしい自分と対比してしまい、何とも恥ずかしく思えてしまう。同性の子が着飾りたくなる気持ちも、ここに来てなんとなく理解できてしまった。
それと同時に、たとえ私が着飾ったとしてもこの人には到底かなわないだろうという気持ちも湧いてくる。
女性は固まっている私を見て、先ほどの冒険者と同様に不思議そうな顔を向けるが、やがて納得いったように頷くと「冒険者志望の子かな?」と優しく問いかけてきた。
私は慌てて頷く。
そしてそのまま流されるように冒険者登録と説明が終わると、女性は誰かの名前を読んだ。
少ししてやって来たのは、大きな熊の様な外見をした獣人族の男性。精霊族ほどじゃないけれど、獣人族もこんな近くで見ることは少ない。獣というだけあって見かけは怖かったけど、その雰囲気は落ち着いていて、とても優しそうだった。
お父さん。
なんとなくそんな印象を受ける人。口に出すことはなかったけれど、もし本人に告げていたとしたら、とても微妙な顔をしていたと思う。あとで知ったことだけど、私と歳がそこまで離れているわけではなかったから。
「……と、言われてもなあ」
何やら女性に告げられて頭を掻く獣人族の男性。そしてそのまま私と目を合わせる。
「まったく、こういう役回りばかりだぜ。……って、まあ、お前に言っても仕方ないわな。俺の名前はバルドル。ここで冒険者やるってんなら何度も顔合わすことになるだろうさ」
獣人族の男性の名前はバルドルさんと言うらしい。
「とりあえず基本的な事を教えておく。余計なお世話かも知れないが、通過儀礼とでも思って聞いておけ。まずは、自分に出来る事と出来ない事をはっきりと認識しておくんだ。まあ、焦らなくていいさ。ここじゃ滅多なことは起きないからな。つーわけで、ついてこい」
何かを言う間もなく捲し立て、バルドルさんはさっさと外へ向かってしまった。
受付の女性に視線を向けると「頑張ってねー」と笑顔で応じる。
「どうしたー?」
外から聞こえるバルドルさんの声に、私は慌てて走りだしていく。
その日はバルドルさんにつきっきりで冒険者の心構えと技術を教えてこんでもらうことになった。
……スパルタで。
そんなバルドルさんも、連日付き合ってくれるほど暇じゃない。
初日には二人で戦ったゴブリンも、一人で対峙するとなるとその重圧は比べ物にならなかった。
冷静に戦えば問題なく勝てる相手。私の技量を見たバルドルさんも、そう評価をつけてくれている。
ニタニタと笑い、錆びついた武器を手で遊ばせているゴブリンを睨みつける。
運良く遭遇したのは一匹だ。対複数の戦闘も学んではいたのだけど、いきなり二匹以上と出会っていたら、私は逃げ出していたかもしれない。
何も心配することはないはずなのに、足が前に進まないのは何故なのだろう。まるで棒のようだ。
ここに来て、初めて一人ということが怖く感じてしまった。
私が尻込みをしているとゴブリンが動き始める。その襲撃は決して速いとは言えず、見てから避けることは造作もない……はずだった。
でも、躱せたのは紙一重。
本能が身体を動かしたのか、転がり込むようにして私は再び距離を取る。
ゴブリン一匹相手に実に大げさな事だった。
ドクン、ドクンという音が耳に届く。ややあって、それが自分の鼓動の音だと気づく。
ほとんど何もしていないというのに、息は既に上がっている。おまけに、私の身体はまるで数時間修練をした後のような鈍重さを感じていた。
結局、その日の戦果はゴブリン一匹。
何とも情けない結果なのだろう。
何度も積み重ねれば自然と慣れるもの。
ゴブリン一匹に苦戦していた私も、一年近くを経た今となっては、複数を纏めて相手にしても余裕を持てるほどに成長していた。
私はいつも通り、一人で狩りに出かける。
一般的な冒険者なら複数人でパーティと言うものを組むのだけど、そんな気はまったく起きない。
祝福を使えば魔物の位置や数、種類もある程度の判断がつくため、一人でも安全に活動出来たからというのが主な理由。それにパーティを組んだ冒険者同士の諍いを見るたび、またかと辟易してしまう自分も居たのだ。
登録から一定の成果を上げながら一年経過すると、冒険者としてのランクが一つ上がることになっている。それでも、私には特に何の感慨もない。実家への仕送りが増やせるかなと、そんなことを漠然と思う程度だった。
「おう、元気にやってるようだな」
そんな折、ちょうど同じ時間に上がったのか、冒険者ギルドでバルドルさんと顔を合わせた。
「お前がここに来てそろそろ一年くらいだっけか。相変わらず一人なんだな」
その言葉にちょっとだけ、むっとしてしまう。
「……別に、一人でも十分戦えてますよ」
普通にしゃべったはずなんだけど……私の声には、少し棘が含まれていた。
「あーいや、悪い、悪い。なに、別に咎めてるわけじゃねぇんだ。……でもよ、このまま冒険者を続けていくんならパーティ組む経験くらいは積んでおいて損はないぜ?」
頭を掻きながらバルドルさんが言う。
護衛や討伐といった依頼の中では、複数人での協力行動を求められるのはもちろん知ってる。だけど、それらは受けなければいいだけの話……と反論しようかと思ったのだけど、これまでも色々と気にかけてくれたバルドルさんの手前、そんなことを言うのはなんだが気が引けた。
「パーティとか……私には向いてないんです」
そう言うのが精一杯。
「そりゃ、向き不向きは仕方ねぇ。万事滞りなくできりゃ理想だが、人間なんてそんな完璧にできちゃいねぇ。だがよ、やらずに向いてないって言うのは間違ってると思うぜ。やってみて向いてないと思うならそれ以上は薦めんさ。ものは試しに誰かと組んでみたらどうだ?」
「それは……そうですけど」
私は一度もパーティを組んだことはない。だから、その言葉には頷くことしか出来なかった。
「そんじゃ、同じ様にあぶれている奴を紹介してやるよ。既に他の奴らは横の繋がりができちまってるからな。……ま、アイツにとっても勉強になるし、ちょうどいいだろ」
そんな私の姿を見て、バルドルさんは頷く。終わりの言葉は私に向けたものでは無いみたい。そのバルドルさんがアイツと呼ぶ人物のことは……ちょっとだけ気になった。
「連絡ついたらギルドに言付けておくから宜しくな」
「えっ、あ、はい」
その人の事を訪ねようか迷っている内に、バルドルさんは言葉を残して出て行ってしまう。
その日の夜はもやもや感に蝕まれ、なかなか寝付くことが出来なかった。
眼の前には、私と然程歳が離れてないような少年が立っていた。
この人がバルドルさんの言う、私と同じあぶれた人。なんとなく安心感を覚えてしまった。
私には兄も弟も居たため、慣れていたことも大きいのだろう。
「つーわけで、二人共仲良くやってくれ」
こっちに向かって微妙な表情を浮かべる少年。その隣に立っているバルドルさんが、場の空気を払拭するかのように大きな声を出した。
少年は良くも悪くも、今まで見てきた新人冒険者とほとんど変わらない。ただひとつ目を引いたのは、その身に付けている武器だった。
それは大剣と呼ぶほどには大きくないけれど、一般的な片手剣と呼ぶには、少し長く見える。
雑種剣。扱いが難しく、好んで使うものの少ないその剣は、侮蔑混じりにそう呼ばれることも多い。
他の冒険者の格好を詳しく観察することなんてほとんどないから、その剣の種類を思い出すのに少し時間が掛かってしまった。
「よろしくお願いします」
まずは後輩の私から頭を下げる。たとえ、少しの間だろうと組むことになった以上、わざわざ事を荒立てる気はない。頃合いを見てバルドルさんに「やっぱり向いてませんでした」と言えばいいことだし。
「後はお前に任せたぞ」
私の言葉に続くように、バルドルさんは少年の肩を叩きながら言う。
チラリと少年の顔を覗き見ると、何とも難しい顔をしていた。
私の何かが不満なのだろうか。でも、パーティの解散を向こうの方から申し出てくれるなら、それはそれでいいけどね。
言葉はぶっきらぼうだけど、性格まっすぐ。
それが丸一日、少年を観察していてわかったことだ。
あぶれもの同士、少年がリーダーという役目を担うのが初めてなのはわかっていた。しかし先輩としての意地か、それとも経験の差か、数日もすれば立派にその勤めを果たしていた。
バルドルさんと比べると見劣りはするものの、それでも私よりは幾つも先を見ているようだ。的確な指示が飛んでくる。私はそれに従うだけ。
最初は上手くいかないことを前提としていたのに、その考えは一気に反転して、眼の前の少年についていくことに何の疑いも持たなくなっている自分が居た。
お互い慣れていくに連れ、少年は段々と素の表情を見せ始めていく。
自慢の剣は英雄を意識してとのことだとか、いずれ冒険王みたいに竜を退治するだとか、とにかく色々と熱く語ってくれた。最初は正直、そんな事は無理だろうな……と思っていたのだけれど、彼の話を何度も聞いている内に、何だか本当にやってくれそうな気さえしてくるのだから不思議なもの。まるで魔術にかかってしまったかのよう。
感知でわかる少年の体内魔力は一般的なレベルで、魔術師なんかには到底なれるほどのものではないのだけれど……何か、人知の及ばない魔力でも持っているのかもしれない。
そんなことを思う自分にちょっと笑ってしまった。少なくとも、そんな可笑しな事を考えるくらいには、私は少年を信じてしまっていたのだ。
私には、前ばかり見ている少年が眩しくみえる。
自分にはないもの、夢を持っている。
少年と行動を共にしていると、少しずつ、少しずつだけれど、私もその夢を見始めてしまった。
かの冒険王とともに戦った魔法剣士。私もそんな風に彼の隣に居られたらどんなに素晴らしいことだろう。
身のほど知らずな新人冒険者二人が見る夢。これが本当に叶ったらいいな。
冒険王の話をなぞるかの様に、二人だけだったパーティにも仲間が増える。
私と少年の他に、男女が一人ずつ。計四人の平均的なパーティ人数となった私たちは、さらに冒険を重ねていく。
それから約一年。私たちのパーティはそれなりに有名になっていた。
自慢するような気はないけれど、私の祝福はとても有効だ。狩りの戦果は他のパーティと比べ、大きく水をあけていた。
すべてが順調。
そう思っていたのだけれど……。
事の始まりは冒険者昇格試験。
パーティメンバーの一人が順調にその資格を手に入れた。
それはとても喜ばしいことだった。酒場で盛り上がりすぎて怒られちゃったくらいに。
興味のなかった冒険者ランクは、今では私の目標の一つだ。もちろん、仲間たちもみな同じ気持ち。
彼に続けと私たちも頑張る。彼も皆で試験を受けようぜと、私たちを待っていた。
次にその資格を手に入れたのは、もう一人のパーティメンバー。彼女も彼と同じように私たちを待った。
それから少しの間が開いて、私の番がやってくる。
だけど……その頃にはパーティの雰囲気は重々しいものとなっていた。
年齢は私が一番下で、冒険者としての経験も一番少ない。なのに、資格を手にしたのは……私が最後ではなかった。
私に向けて熱い想いを語っていた少年。あれからかなりの月日が流れ、ほとんど変わらなかった身長差も、今では私が見上げなければならないくらいに成長している。
だけど、身体の成長とは裏腹に、彼の冒険者としての成長は……停滞していた。
彼が持っていた明るさも次第に鳴りを潜め、こちらから話しかけなければ口を開くことも少ない。
誰もが分かってはいたけど、口に出せない言葉。それは彼自身が一番理解している事だろう。
次第に個別行動が増え、もはや私たちの仲は修復出来ないレベルまで来ていた。
それでも、私は彼の側についていたいと思っている。
彼の夢は、私の夢でもあったのだから。
「……もういいぞ」
彼がその言葉を口にしたのは、パーティから二人が去ってしばらくしてからのことだった。
いつも通りに狩りを終えた、その帰り道。
「……え?」
私は聞き返す。その意味はわかっているのに。それがなにかの間違いだと思って。
「……」
そのまま彼は口を閉ざし、歩き続ける。
「どうして、そんな事を言うの?」
私は食い掛かる。わかってはいても納得は出来ないから。
「……もう、疲れたんだ」
彼はゆっくりと口を開くと、はっきりとした諦めの言葉を紡いだ。
「……そう」
それだけ言って、私も黙りこむ。静かな街道に二人の足音だけが響いていく。彼は俯いたまま、視線を上げようとしない。
そんな彼とは対称的に、私は空を見上げた。
今は芽吹きの季節。そろそろ雨季に入る頃合いだ。そのことを示すかのように、空はどんよりと曇っている。まるで私の気持ちを代弁しているかのようだ。
私は彼とパーティを組んでからの出来事をゆっくりと思い返していく。
初めての顔合わせ、お互いに慣れるまでのぎこちなさ。新しく入ってきた仲間に、みんなで協力して倒してきた魔物たち。
様々なことを乗り越え、私たちは今に至る。
これで本当に……終わりなのだろう。
夢を語り合った日々も、今では遠い過去のよう。
彼が冒険王で私が魔法剣士。そんな夢はもう、叶わない。
負担になっているのはわかっていた。まだ伸び代のある私が眼の前をうろうろしているのだ、酷い事をしているのは……私だろう。
歩みを積み重ね、やがて街の門が見えてきた。
いつも通り門番の人と軽く挨拶を交わし、彼は街中に消えようとする。
「……私はっ!」
そんな彼に制止を掛けるように、私は大きな声を発した。
彼は歩みを止める。しかし、視線は前を向いたまま、こちらを振り返ろうとはしない。
「……貴方の道を引き継ぐ!」
彼の背中に向けて、私は誓う。
「今まで教えてくれたこと……語ってくれたこと……その全部を無かったことになんてしたくない。だから、私は前に進む。いつか、きっと……」
最後の言葉は口に出来なかった。それはきっと、叶うことのない願い。そして、重石。
そんな時、ちょうど雲間から光が漏れ、私を白く包み込んだ。
陽が再び隠れる頃には、彼は既に消えていた。
最後に一度だけ、彼が振り向いて笑いかけてくれたように見えたのは、私の気の所為だったのだろうか。
その答えは……多分、一生わからないままだろう。