第百三十八話 苦悩と笑う少女
馬車がゆっくりと進んでいく。
俺を乗せているのは、いつものユニコルニスが引く旅馬車ではなく、小さく内装の整った街中専用の馬車。その柔らかい座席に腰を下ろしながら、窓から見える景色をぼーっと眺めていた。
この馬車が来る時はいつも決まっている。クラインハインツ家からの呼び出しである。御者台に乗っているメイドともだいぶ顔馴染みになったものだ。最早、視線だけで意思疎通が出来るレベルである。
周囲の人影はまばら。その代わりと言っては何だが、別の馬車とすれ違うことが多かった。
それもその筈、馬車が走る場所は貴族街。当然、全ての馬車の外装は、それぞれの家に合わせて作られており、見ていて中々に飽きない。
と言うより、他にすることがない。
馬車の中は俺一人。つまり、呼び出されたのは俺だけだった。誰かしら居れば会話で暇が潰せるものを。
ここから察するに、パーティを組んで外に出るような依頼ではないのだろう。他にクラインハインツ家が関わっており、頭に浮かぶ出来事と言えば……先日の昇格試験での一悶着ぐらいなものだ。
ギルドにその結果を聞きに行こうと思った矢先のこの迎え。関連がないと考えるには、些か無理があった。
……はてさて、どんな内容なのだろうか。
遠くに見えてきたクラインハインツ本家に眼を向け、俺は大きく息を吐いた。
「急な呼び出しですまない」
メイドに案内されて応接間に入ると、出迎えたのはクラインハインツ家の当主、フェルディナント殿だった。
……急じゃない呼び出しの方が珍しいくらいだと思うのだが、突っ込む勇気は俺にはない。
「いえ、特に急ぐ用事も無かったので問題ありません」
周囲を見回してみたが、他には誰も居ない。てっきり、リーゼロッテやユーリエ辺りが居るものとばかり思っていたのだが……。
御館様と二人っきりと言うのは初めての経験である。リーゼロッテの様なあしらいやすい人物ならまだしも、相手は魔石派貴族のまとめ役とも言える人物。貴族の中の貴族だ。本来ならば、一介の冒険者でしかない俺がおいそれと顔を合わせられるような人間ではないのだ。娘の暴走がなければ、関係を持つことすらなかっただろうに。
当の本人を睨みつけたいところだったが、一体何処に居ることやら。
「生憎とリーゼロッテは外しておってな」
まるで俺の考えを見透かしているような御館様の言葉。
「……いえ、御当主様自らに出迎えて頂くとは思ってもみなかったもので……動揺してしまいまして」
「そう固くなるな。お主たちには散々助けられておる。貴族だろうと冒険者だろうと、恩人は等しく敬うものだ」
「……もったい無いお言葉です」
俺は言葉と共に頭を下げた。
御館様がソファに座るのに習い、俺も対面へとついていく。
程なくして、メイドが茶を運んできた。そして、そのまま高級そうなカップに、多分上等な茶葉で入れた茶を注いでいく。俺の粗末な舌では、茶の善し悪しを判別するのは難しい。まあ、そもそもこの屋敷に居る限り、味を気にしている余裕なんてないしな。
そう思いながら、場つなぎ的に茶をすする。淹れたての茶は暖かい。俺が理解出来るのはこの辺が精一杯だ。横には固められた砂糖が置かれていたが、入れた所で何が変わるわけでもない。正直、茶とかどうでもいいから、さっさと本題に入ってはもらえないものだろうか。
「さて、本題に入るとするが」
やはり俺の内心を見透かせるのか、淀みない進行で御館様が告げる。
……そういう祝福とか持っているわけじゃないよな?
「話と言うのは、他でもない。昇格試験についての事である」
予想通り。……まあ、そうだよな。
俺はカップを戻し、姿勢を正して聞く体勢に入る。それを確認し、御館様は軽く頷くと話を続けていった。
「まずは結果についてだが……そちらは問題なく合格だ」
まさか、いきなりここで合否を聞く事になるとは思わなかった俺は、嬉しさよりも驚きの方が大きかった。しかし、その次に続く言葉にそれ以上の衝撃を受けてしまう。
「そして審査員ユーリエは冒険者資格の剥奪、および抹消処分となる」
しばらくの間、俺は黙り込んでしまう。状況がうまく把握出来ない。
「……詳しく、お聞かせ願えますか?」
そして、絞り出す様に口を開いた。
冒険者資格の剥奪。つまりは、今まで培ってきた冒険者としての経歴が抹消されると言う事だ。引退した冒険者でも、その時点のランクは残っている。実際に戻ってくる人物はそう多くないが、何時でも復帰が可能だった。しかし、それが抹消となると同レベル冒険者としての復帰はおろか、再び一からの登録も出来ない。そして、それは冒険者の名に泥を塗った事の証明でもあった。
「昇格試験の審査員は基本的に専属冒険者が務める事になる。専属冒険者とは皆の規範となるべき人物だ。それが問題を起こした時点で弁解のしようもない」
「しかし、それでは……」
俺は口を開くが、続く言葉を見い出せなかった。
冒険者の資格を失った者は『裏』に堕ちる事が多い。現に、そうなった人物と対決した事もある。
「本人も覚悟の上での行動だ。この結果を変える事は出来ない」
「それは……」
「……彼女には世話になった。実力のある冒険者で女性。周囲を感知出来る能力に加え、接近戦を得意とする。我が娘たちの護衛として、これほどの適任者は中々見当たらないのでな」
御館様は目を瞑り、ゆっくりと吐き出すように言った。その言葉は重い。雰囲気から、ユーリエがどれだけの功績を残してきたのか、なんとなく察する。
確かに、高レベルの剣士で女性と言うのは珍しい。女性の冒険者となると大抵が後衛。もちろん、高レベルであれば身辺を守ることぐらいは問題なく出来るだろうが、本職と比べれば見劣りしてしまうのは仕方のない事だ。
「後のことは本人の口から聞くが良い。私が語るべきことではないのでな」
御館様はゆっくりと席を立つと。
「後のことは心配せずとも大丈夫だ。クラインハインツ家が責任をもって対応することを誓おう」
そう言い残し、部屋を出て行った。
俺は残っている茶をじっくりと味わい、混乱する頭の中をなんとか整理しようと試みた。
「こちらになります」
メイドが頭を下げ、廊下の奥へと去っていく。
あれからしばらくの後、茶を下げに来たメイドたちの一人に案内され、俺は使用人が寝泊まりする宿舎へとやってきていた。
クラインハインツ家に仕える者たちが住まうところだけはあり、そこら辺の屋敷に負けず劣らずといった感じの豪華さだ。
……俺が寝泊まりする宿より立派だな。
眼の前には扉がある。正面に掲げられたプレートにはユーリエの名。二階中程にあるこの場所が、彼女に割り当てられた部屋だった。
「はい。少々お待ちください」
ノックをすると返答がやってくる。まあ、メイドに聞く限り謹慎中との事なので、居るのはわかっていたのだが……。
その言葉通り、少しだけ部屋の前で待っていると、扉がゆっくりと開いていった。
そこから現れたのは私服姿のユーリエ。いつもの魔法銀の装備を纏っていないので、一瞬、誰かと思ってしまった。昔は俺と似たような軽装だったので、よくよく考えればこっちの方が馴染み深い筈なのだが……。
「……やっぱり、来たのね」
来訪を予測していたのか、ユーリエはそんな言葉を口にした。
「あー……その、なんだ」
半分、流されるままにここまで来てしまったので、何を言えばいいのかわからない。
「とりあえず、中へ入ったら? 部屋の前で立ち話もなんだから」
「……ああ」
促されるままに、俺は中へと足を踏み入れた。部屋の中は、ユーリエらしいと言えばいいのか、元から用意してあった調度品ばかりで、私物の類はほとんど見当たらない。ベッドの脇に置いてある魔法銀の装備品も、元はと言えばクラインハインツ家から渡されたものだろう。なんだか、ここに住んでいると言う気配は感じられず、部屋を借りたばかりといった印象を受ける。
「ぼーっと立ってないで、そこにでも座ってたら?」
入り口から数歩進んだ所でぼさっと突っ立っていた俺にそう言い残すと、ユーリエは部屋の奥へと消えていく。
御館様との対面で固くなった身体をほぐす様に肩を回し、俺は言われたままに二人用のテーブルへとついていった。
「……これは、懐かしいという感覚なのだろうか」
小さく呟くと、そのままぼーっとユーリエの向かった先を見ていく。
今までと比べると、その口調は昔の感じに戻ってきている。しかし、その間には何年もの隔たりがあるわけで、なんとなく微妙な差異も感じられてしまった。
……まあ、向こうから見れば俺も同じか。
アイツにも色々とあったのだろう。こうして貴族に仕えているだなんて思いもしなかったし。
視線を窓に向け、クラインハインツ家の庭園を眺めていると、ユーリエが奥から茶を運んできた。今回は、ゆっくりと味わえそうである。
「それで、ここに来たのはお嬢様の差し金? それとも、御館様なのかな?」
残りの椅子に腰を下ろしながら、ユーリエが問う。俺がそれに返答すると「そう。やっぱり」と呟いた。
「あの方たちは、貴族とは思えないほどに色々と世話を焼いてくれるから……」
「フェルディナント殿は自分たちの方が世話になっていると言ってたぞ?」
ユーリエは首を横に振った。
「お世話になっているのはこっちの方……目標を見失って彷徨っていた私に意味をくれたのだから」
「……目標を、見失った?」
今度は縦に振るユーリエ。
「そう、この街にやってきてようやく」
そして、そのまま俺をまっすぐに見る。思わず、茶を取ろうとした手が止まってしまった。
「――イグニスの苦悩を理解出来た」
「俺の……苦悩?」
「冒険者としてただ前に進んできて、それが限界だと知った時。私は他に何も持っていないことに気づいた」
限界……ああ、限界か。大半の冒険者が行き着くところであり、終着点。
「自分が贅沢な事を言っているのは自覚してる。これまでに何人もそういう人を見てきたし……それでも、どこか頭の片隅では思っていた。自分だけは特別じゃないかって。遥か高みまで登れるんじゃないかって……」
そこまで言うとユーリエは徐ろに茶を取り、一息つく。同じ様に、俺も引っ込めた手をもう一度伸ばしていった。
ユーリエの言いたいことは良く分かる。誰もが自分の可能性を信じているものだ。
「でも、ここに拾われてからは落ち込まなくなった。このまま、私の力を必要としてくれるここで働き続けるのもいいかなって思っていたから」
テーブルにカップを戻し、ユーリエが話を続けていく。
「そんな時、イグニス……貴方に再び出会ってしまった。最初は冒険者を続けていたんだなって、なんとなく嬉しかった。でも、それはお嬢様に言われて貴方の最近の情報を集めるまでの事。貴方は……いつの間にかレベル5になっていた」
ユーリエは窓の外に視線を向けた。
「それを知った時、私が何を考えていたのか……あまり良くは覚えてない。多分、何故? とか、どうやって? とか思っていたんじゃないかな。……貴方と別れた時の事がどうにも強く印象に残っていたから」
その言葉を聞いて、当時の事を思い出そうとする。しかし、あの時の俺は荒れていた為、細かい部分はどうにも朧げだ。
「でも、最後にはそんな事どうでもよくなった。貴方が頑張っているのは分かったし、昔みたいに先を見ていたから。……ただ、仲間が全員女性というのは甚だ疑問なのだけどね」
俺は頭を掻く。その点に関しては何も言えない。
「そして……奇しくも貴方はここ、オッドレストで昇格試験を受けることになった。私と同じ、レベル6になる為に」
追いつかれ、追い越される。それは昔、俺がユーリエに感じた事だ。
「だからもう、色々とスッキリする為に、ね。あんな事になっちゃった」
そう言って、ユーリエが笑う。
その屈託のない笑みは、懐かしい少女の姿と重なった。