第百三十六話 少年と少女
「……いつになったら全力で相手をしてくれるの?」
少女が不満気に言う。
「そうだなー。お前が俺よりも強くなったら……かな?」
少年は笑いながら答えた。
「……必ず、追いついてみせる」
それだけ言うと、少女は少年から離れ、ひとり黙々と剣を振るい始める。
「そんじゃ、俺は追い抜かれないように頑張んねーとな」
そんな姿を見て、少年も少女の横に並ぶと、剣を降り始めていった。
息を吐き出すと共に、俺は片手半剣を構える。
これが今の俺の相棒にして、直接的な攻撃手段。投擲短剣代わりの短い棒状の修練武器も所持はしているが、人間相手……ましてや元高レベル冒険者の上、感知持ちのユーリエに当たる気は全くしない。
そんなユーリエに対抗するには生体活性を始めとした、契約能力に頼らなければならないだろう。
元々、一次試験においてはバレない程度の能力……感覚強化くらいは使う予定だった。
試験時間も短い為、後半に差し掛かった今となっては、常に使用していても問題ないだろう。
そう……問題は何もない筈だ。風陣収縮の様な相手の攻撃を遮断するものや、現在のレベルの域を軽く超える力を得て、相手の武器さえも粉砕してしまいそうな生体活性・腕、目に見えて速度が上がる生体活性・脚等でなければ。
全力。……ユーリエが望んでいるもの。そのままの意味で取るなら、持てる力の全てを使ってねじ伏せろと言うことになるのだろうか。
魔物との命がけの戦いでは、極当たり前のことである。自身の身体能力、魔術、祝福。それだけではない。出来る限り優秀な装備を身につけ、事前に用意しておいた戦闘魔石を使い、時には罠を仕掛け、出来る限り油断しているところを狙う。自らの命を第一として、生き残る選択肢を取る。
これが冒険者の言う『全力』だろう。
俺は周囲を窺う。
しかし、この場における全力とはなんなのだろうか。
試験。それは冒険者の生存能力を試すには制約が多すぎる。魔石の使用は言うに及ばず、慣れ親しんだ武器さえ使えず、正面からぶつかり合うしかない。
冒険者の能力は秘匿する傾向にある。魔術師や神官などであれば、ある程度公開しているようなものだが、使用できる魔術全てを明かしているわけではない。新人などならともかく、共に命をかけるような仲間同士でなければ、その実力を見るのは不可能に近いだろう。
まあ、ギルドとしては冒険者各人の能力を把握したいと言うのは分かるのだが……。
それに俺は、精霊契約による能力を自身の力とは思っていない。それは、仲間によって与えられたもので、俺自身が生み出したものではないからだ。
……いや、能力を手に入れた当初は、そんな考えを持ってはいなかったな。長く鬱屈した生活から解き放たれ、新たな世界を切り開く天から与えられた力。それを甘受し、陶酔していた。
それを、まるで子供の様に喜んでいた俺に冷水を浴びせたのは、同じ契約の能力を持つ人間。
そいつは力を持ち、力に溺れ、更なる力を求めた。
他人から得た力を自らのものと思い込み、その力が失われた瞬間、そいつは何を思ったのだろうか。その答えを聞くことは、もう出来ない。
まっすぐにユーリエを見つめる。俺の雰囲気の変化を察したからだろうか、剣を構えたまま、こちらの様子を窺っていた。
……ああ、そうだ。見せてやるよ、俺自身の実力を。
契約能力の使用を頭から取っ払い、俺は片手半剣を持つ手に力を込めていった。
今度は、俺から前へ出る。
生体活性・脚であれば一瞬で詰められるであろう距離も、自前の脚では一歩ずつ踏みしめて行くしかない。
感覚強化を使っていないのに、自分の速度がえらく遅く感じてしまった。
だが、これが俺の脚だ。これが信じられなければ、一体何を信じろというのか。
先ほどのユーリエの攻撃を模倣するかのような、走り込みながらの突き。当たれば、幾ら片手半剣の刃が潰されていようが、相手の体の奥底まで侵入していく事だろう。
相手を殺すつもりはない。しかし、相手のことを思いやる余裕もない。そんな余裕を持っているのだとすれば、それは全力ではないだろう。
ただ、目の前の敵を倒す為だけの一撃に、ユーリエは微笑んだ……様な気がした。
「しっかし、便利だよなー。祝福って」
周囲に散らばる魔物の死体を見ながら、少年が感嘆の声を漏らした。
「いくら頼まれても、あげられないからね」
少女が笑って答える。
「誰も欲しいなんて言ってねーし! 俺にはこいつがあるからな!」
そう言って、少年は己の武器を高らかに掲げていく。
「それ、大切にしてるよね」
少女が、少年の剣を見ながら問いかける。
「なんてったって俺の自慢の武器だからな! 祝福なんかに頼らなくても、俺はこいつ一本でどんな魔物もぶっ倒してやるさ!」
少年の叫びは、天を貫かんと掲げられた剣の先から、空へと向けて響き渡っていった。
初撃を当たり前の如くに躱された俺は、勢いを落とさずにそのまま前進。相手の攻撃範囲から抜け出ると、すぐさま身体を回し、大地を蹴って連撃を仕掛けていく。
ここに来て、ようやく互いの剣が結ばれた。
高速で迫り来るユーリエの剣に対し、俺が対抗出来るものと言えば読みしか無い。
あらかじめ、何処から攻撃を仕掛けてくるのか予想し、それに対応していく。こちらから仕掛けていったのは、その予想範囲を狭める為である。
突拍子もない祝福などを無視すれば、攻撃に対しての躱し方は数えられる程度でしかない。
と言うのは簡単だが、いざ実践しろと言われると中々に難しい。これが出来るのも、先ほどまでの攻防に加え、つい先日、名ばかりのパーティでユーリエの剣を実際に見ていたからであった。
……何が幸いするかわからんな。あれは偶然なのか……それとも。
「笑うとは余裕ですね」
ユーリエが口を開く。どうやら、俺は笑っているらしい。ユーリエの行動に意識を割いている為、自分の表情すらあやふやだった。
「何、馬鹿なこと言ってんだ。今の俺の何処にそんな余裕が有ると言うんだ? それに……」
さっきはお前も笑っていたじゃないか……という言葉を飲み込んで、俺は目の前に集中する。
肉体も精神もギリギリの状態だ。読み間違えれば即座に一撃貰ってしまうだろう。
「なんで当たらないのっ! 他の人なら、ちゃんともらってくれるのに!」
少女が振るう剣を、少年は軽々と躱していく。
「ちゃんとってなんだ、ちゃんとって」
武器を肩に担ぐと、少年は呆れたような声を上げた。
「……実は祝福持ちだったりするんじゃないでしょうね」
「変な言いがかりつけんな。お前の技のレパートリーが少ないんだよ」
「……だったら、躱せないようにもっと速くする」
そう言うと、少女は少し離れ、素振りを始めていく。
「……だから、俺の話を聞けよ」
ユーリエが一歩引く。
そして身を屈めると、伸び上がる勢いを利用して突きを放つ。
――速い。
それは空気を裂いて、俺へと向かってくる。
だが、予備動作からその攻撃は読めていた。俺はその剣先から逃れる様に、身をひねって躱していく。
次の瞬間、逆側から衝撃が襲いかかってきた。
それを受け止めたのは俺ではない――武器である片手半剣だった。
驚きと戸惑いの色を持ち、ユーリエの瞳が開かれていく。
「……こういうところは、昔と変わってないのな」
相手の左側を狙っての突き。最初は心の臓を狙っているのかと思ったが、これは躱させる事が前提の一撃だった。これで相手の視線を剣に集中させ、外側に向けて一気に身体を一回転。そのまま片手剣を滑らせ、勢いのついた横薙ぎが相手へと襲い掛かる。これが、俺が先ほど味わうこととなった攻撃だ。内容は実に単純。しかし、それを一瞬で行うユーリエの速度があるからこそ、脅威となる連携だろう。
俺は言葉を口にしながら、拳を握り、身体を回転させる。
それにユーリエが気づき、回避行動をとろうとするが間に合わない。
同じ様に勢いのついた拳が、ユーリエの腹部へとめり込んでいった。