第百三十五話 ユーリエと戦闘開始
辺りには、剣戟の音と共に気合の入った声が響いていた。
その発生源は複数に渡る。広い修練場は五つに切り分けられ、それぞれに審査員と数人のギルド職員がついていた。その周りにはもちろん、試験を受けにきた冒険者たちの姿がある。
試験は下位……つまりはレベル3受験者から順に行われる手筈だ。レベル6への挑戦となる俺は、後半にならなければ出番がまわってこない事は分かっていたのだが……。
「まさか、一番最後になるとは思わなかった」
刃が潰してある修練用の片手半剣を手に、俺はぼやいた。
最初は、これもまた仕組まれたものなのかと訝しんでいたのだが……よくよく考えれば、高レベルの受験者の数はそう多くない。
似たような時刻に別の場所で試験を受けているシャンディのことを考えると、俺たちは上から五番目以内に入ってしまったのだろう。
昼から始まった試験もほとんどが終了し、周りに居るのは既に合否が判明している者たちだ。その喜びや悲しみが織り成す雰囲気は、なにやら混沌としていた。
ため息を一つつくと、徐ろに片手半剣を構えていく。
そんな俺の眼の前には、これから戦闘を行う相手である審査員――ユーリエの姿があった。
同じ様にユーリエが構えを取ると、仕切られた戦闘区域の四隅を陣取っているギルド職員たちが手を上げていった。準備が完了したという合図だ。
それに伴い、端にある大きな砂時計がひっくり返っていく。
さあ、試験の始まりだ。
審査員から先に仕掛ける様な事はない。ただ、相手の行動を待っているだけである。
先程から見ていた試合も皆、同じような状態だった。
その理由は簡単だ。実力を示すのは受験者側の役目であり、ただ突っ立っているだけでは、試験に合格出来るわけがない。故にほとんどの者は試合開始と共に、審査員へと攻撃を仕掛けていった。
受験者一人に与えられる時間は約半刻。早い時には一分足らずで決着がつくことがあるとは言え、あまり余裕があるとも考えにくい時間だ。様子を窺っている暇はない……と思うのが、当たり前の思考なのだろう。
しかし、ユーリエの意図が読めない俺は、その足を鈍らせてしまっていた。剣を構え、ユーリエを見据えたまま、じっとその場を動かない。
「……何を考えている?」
思わず、口から言葉が漏れる。
その声は小さく、ユーリエは何の反応も示さなかった。聞こえていないのか、聞こえていて敢えて無視しているのか。その答えはわからない。
しばらくの間、外界から切り離されたかのように、俺たちの周りはしんと静まり返っていた。
その雰囲気に、四隅のギルド職員たちが顔を見合わせている。そして、何やら声を掛けようとしたところで――ユーリエが動いた。
一瞬で間合いを詰めると、挨拶代わりの一撃。
俺は慌てず、片手半剣をそれに合わせて行く。
静寂を裂く様に鳴り響く金属音に、周囲がざわつき始めた。受験者が仕掛けずに待ち、逆に審査員が攻撃を仕掛けたのだ。無理もない話である。
異常とも言える光景に、皆の視線が俺たちに集中していく。しかし、そんなことを気にしている余裕はなかった。
片手剣がそのリーチの差を活かし、連続して襲い掛かってくる。懐に入られてしまえば、短い武器の方が小回りがきく。それに、ただでさえユーリエは俺よりも素早いのだ。その猛攻を凌ぐには、守りに徹する他なかった。
片手半剣を利用して流せるところは流し、それ以外は体の捻りと後方の空間を利用して避けて行く。
コボルトリーダー戦でもそうだったが、無理やりその場に留まり続けても良いことはない。だからと言って、素直に後ろに下がり続けていけば、いずれ端で捕まってしまう事だろう。
その為、基本は後ろに下がっていくのだが、上手く左右に避けられる場合などは、転がるようにして方向を変えていく。
時間が経つにつれ、俺の身体は次第に土に汚れていく。しかし、その程度の事は瑣末な問題だ。身体に金属をぶつけられる痛みと比べれば、何十倍もマシと言うものである。
……さて、どうしたものか。
今のまま防御に徹してさえいれば、時間いっぱいまで避けきる自信はある。しかし、それで試験に合格出来るのかと言われれば、答えは否だろう。
「このままでは落ちますよ」
斬り下ろしの一撃を片手半剣の剣身で防いだところで、ユーリエが口を開く。まるで頭の中を覗いたかのようなその言葉に、俺は内心驚いてしまった。
「……お前は何がしたいんだ?」
それを表に出すこと無く、ユーリエに問いかける。
「貴方と全力で戦いたい。それではいけませんか?」
「……ならば、直接そう言えばいいだろう。戦うだけならどこでも問題はない筈だ」
わざわざ審査員として強引にねじ込んでくる意味が無い。平時の修練場でもいいし、リーゼロッテの屋敷の庭も負けず劣らずに広いのだ。
「そうですね。貴方が……本当に、全力で相手をしてくれると言うのであれば」
「っ……どういう事だ」
俺は言葉に詰まった。
「言葉通りの意味です」
そして、そのまま黙り込む。
ユーリエの言う全力を、契約能力を活用した強さと考えるのであれば……俺はそれに応じる事はないだろう。
「既に貴方も理解している筈です。何故、ここを舞台に選んだのかと言う事を」
「……」
「私に再び見せてください。貴方の目標を、夢を。かつて、語った……あの時と変わらない心を」
何も言い返そうとしない俺を見て、首を小さく横に振ると、ユーリエは一旦下がっていく。それに合わせ、俺も態勢を立て直した。
「……ここからは全力で行かせてもらいます。貴方が応じないと言うのであれば、決着はすぐにでもつくでしょう」
言葉と共に、ユーリエの雰囲気が変わる。いままでの静けさとは打って変わり、内に秘める炎を解放したかのようなその圧力が、俺へと襲い掛かってくる。
ユーリエは剣先を俺に向けると、そのまま加速。
それは速いが、真っ直ぐで分かりやすい刺突だった。
「……殺す気かっ!?」
刃を潰してある意味が全くない攻撃を、俺は体をずらして躱していく。
横を通り過ぎる片手剣を確認し、次の行動に移ろうとした、その瞬間――俺の腹部に衝撃が走った。
「がはっ!?」
硬い棒状の様な物で思いっきり打ち込まれたかのようなその衝撃に、俺は為す術無く弾かれる。その後に残っていたのは、先程躱したと思っていたユーリエの片手剣。
……何故、それがそこにあるっ!?
何がどうなっているのか見当がつかない。確かに俺は突きを躱した筈だった。刺突から横薙ぎに変化させるのは不可能ではないが、それならば俺は気づいていたし、何より攻撃はそれとは逆方向からやってきていたのだ。
まるで思考を鈍らせるかのように、腹部が痛みを発する。それを何とか気合でねじ伏せると、俺は大地をグッと踏みしめていく。
今の攻撃は防ぐことすら出来なかった……正体を見極めなければ対応のしようもない。
俺はちらりと砂時計へ視線を向けた。その中身は既に半分ほどが落ちており、時間に余裕は無さそうだ。
先ほどと同じように、ユーリエが剣先を向けてくる。
いや、このままでは全ての砂が落ちきる前に倒されてしまう可能性の方が高い。
……仕方がない、やるしかない、か。
俺は大きく息を吸い込むと、気合を入れなおした。