第百二十一話 積もる経験と進みゆく先
魔窟は広い。俺は改めて実感する。
事前の情報や外からの景色で分かってはいる事だが、実際にそれを感じるとなると、内部に足を踏み入れてからになる。地図上で見たものなど、所詮はただの記号でしかない。
いつもの様に慎重に進んでいたのもあるが、入り口からそんなに離れていない浅い場所だと、出会う魔物たちは基本的にレベルが低い。
俺たちの本来の目的はコボルトリーダーとの再戦である。厳密には同じ個体ではないが、そこまで飛び抜けた差はない筈だ。時折、通常のコボルトたちと出会うことはあったが、それは斥候なのか、はたまた群れに属していない一匹狼なのか、リーダーやソルジャーの影は見えていない。
代わりに出会うのはお馴染みのダークウルフや、偶に群れの頭を張っているシャドウウルフに始まり、身体より長い爪を持つラクーンクロー。普段は隠れているが、その近くを通りかかる者を襲うハーミットミンク。通常のウサギに立派な角がついただけのホーンラビット。同じように角を武器とし、一撃は重いが動きも遅いレイジーシープなどと言った面々だ。
魔物たちは獣らしく、それぞれがテリトリーを持っている。基本的にはその領域に侵入しない限り、向こうから襲撃してくるようなことはなかった。特に群れを作っている魔物はそういう傾向にあり、逆に単体で居るような魔物は好戦的な傾向にあるようだ。このお陰で、同時に複数種の魔物と相対することはなく、比較的安全に行動が出来た。
そういった事に加えて、あの食糧事情である。冒険者たちに人気なのも頷ける話と言うものだ。
感覚強化に引っかかるのは魔物だけではない。休憩中の冒険者の話し声や、戦闘中の雄叫びなどが俺の耳に飛び込んでくることがかなり多い。
人の気配に触れる度、俺も負けてはいられないと気を引き締め直していった。
食糧の心配もないお陰で、俺たちはゆっくりと奥部へ向かっていく。すると、次第に魔物の質も上がっていった。
たった今、黒騎士に突進を仕掛けたのは、全身の体毛が剣のように鋭く長いのが特徴の魔物、サーベルライガーである。
それを活かし、全身の毛を逆立てて突撃を仕掛けてくるのが基本的な行動パターンだった。もちろん、その強靭なアギトを使った噛み付きも馬鹿にはならない。ウーツ鋼並の硬度を持つと言われるその牙は、生身の人間の体など、簡単に食いちぎる事が出来るだろう。
レベルは4。二人の相手にはちょうどいいと言えた。
「シルヴィア! 出来る限り盾で受け流せ!」
俺は声を張る。
全身を金属で守られている黒騎士であれば、剣毛に対する注意はそこまでいらないが、だからと言ってそれに甘んじるのは宜しくない。安心感は隙を生み出しやすいし、何より経験にもなり難い。
俺たちが遭遇したのは二匹の番。その片方は俺の担当だった。
シャンディは少し離れた所で馬車の側に寄り添いながら、いざという時の為に風の加護を使って三日月刀を空へと踊らせている。
正面で身を屈めていたサーベルライガーが、突如、爆発したかのような勢いで俺に向かって突進を始めた。
しかし、それは予想通り。
サーベルライガーの突撃自体は見極めやすい。足を沈ませて力を溜めたのち、一気に襲いかかってくるのだ。
ダークウルフ同様、身体をかすめるように躱して切り裂ければ楽なのだが、逆立っている剣毛はかなり長い。片手剣とまではいかないが、攻撃範囲ギリギリから反撃するには少々躊躇われる長さである。
対処法を上げるとすれば、黒騎士のように全身鎧で身を固めるか、パーティを組んでいるのであれば、前衛が相手をしている間に魔術を使って対処すればいい。だが、さすがにこの程度の相手を一人で倒せない様では、レベル6などというのは遥か先の話だろう。
幸い、俺の片手半剣は片手剣よりも一回り長い。
サーベルライガーの突進に合わせ、先端を引っ掛ける感じでギリギリの間合いから刃を入れていく。
もちろん、そんなものは致命傷足り得ない。しかしながら、出血というのは馬鹿にならないものだ。血が不足すれば思考は鈍化し、身体も思うように動かなくなってくる。なにより、打撲や切り傷は回復で補えるのに対し、一度失った血液は補充するまでに時間がかかる事も大きい。もちろん、大量に失えば命すらも落とす要因になり得る。
故に、経験を重ねてきた冒険者は攻撃よりも防御に比重を置くことが多い。
俺もこの例に漏れず、慎重派だった。
サーベルライガーと三度交差をする頃には、自慢の毛並みも赤く染まり始めている。
更に回数を重ねてくると突進速度も遅くなり、その効果は一目瞭然だった。
それでもサーベルライガーは自身の本能なのか、誇りなのか、その突進を止めようとはしなかった。
最早、突進とは言えない程に遅い攻撃を最後に、ゆっくりと大地に平伏せていく。その傍らから流れ出る血が、少しずつ大地に吸い込まれていった。
動かなくなったことを確認すると、俺は再び二人へと視線を戻す。そこには同じ様に、もう一体のサーベルライガーが倒れ込んでいた。その全身は、マルシアの魔術の成果によって穴だらけである。
この魔窟にしては珍しく、その毛の性質上、サーベルライガーの毛皮は使いものにならない。代わりにその牙はそれなりの値で取引できるので、決して不味い魔物と言う訳ではない。
……この毛皮、何かに使えると面白そうなんだけどな。同じように全身に纏って敵に突っ込むとか。
そこまで考えて、俺は頭を振る。
そんなもん街中で着てたら捕まるな。
「派手にやったな」
戦利品の回収を終え、馬車へと収納すると、俺たちは馬車の近くに座り込んで小休止する。
水魔石で水分を補給したり、少ない陽を求めて空を見上げたり。皆思い思いの休息を取る中、その暇つぶしがてらに俺はマルシアに話しかけた。その話題はもちろん、先程見たサーベルライガーについてである。
「毛皮の回収を考えなくていいって聞いてたので、ドーンとやっちゃいました。初めての魔物なので遠慮するよりはいいかと思いまして」
「そうだな、あれでいい。シルヴィアが回復出来るようになったとは言え、遠慮などして怪我でもしたら世話ないからな」
手慣れた相手……例えばコボルトなどを相手にしている時のマルシアは、頭部を狙って一撃で仕留めている。今回は牙だったので、それが出来なかったのだろう。散りゆく間際まで攻撃を仕掛けようとしてくる気概のある魔物だ、マルシアの選択は正しい。
「シルヴィアもちゃんと盾で受けてたな」
隣に座っているシルヴィアもちゃんと褒めておく。戦闘の推移は突進の合間に確認していたが、黒騎士は俺の言いつけ通り、攻撃をしっかりと盾で受け流していた。
この調子であれば、森を出る頃にはレベル4の相手も問題なくこなせるようになるだろう。
「やはり、成長する為に魔窟を選んだのは正解だったな……金も貯まるし」
馬車に溜まっていく戦利品を眺めながら、俺は小さく呟いた。
それから事は順調に進み、魔窟に入って五日目の昼過ぎ。
獣の森に随分と馴染み、日々の行動がパターン化してきた頃。俺たちは、ついに目的の相手に遭遇することになる。