第百十九話 立て札と魔窟に近い村
魔窟に近い村というのは、他の村に比べて規模が大きい。
それは危険が伴う代わりに、得る利益も大きいからと言うのが一般的だ。それを循環させる役割を持つ冒険者。つまり、俺たちを迎える設備も整っている事だろう。
獣の森に程近い村はその例に漏れず、ここに来るまでに経由した二つの村と比べ、かなりの広さを誇っていた。
入り口近くには大きな宿が並び建ち、併設される馬小屋には多数の馬車が停まっているのがよく見える。
「大歓迎だな」
「……大歓迎ですね」
御者台に座っている俺がなんとなく呟いた言葉に、膝の上に乗っているシルヴィアが同意する。
更に村へと近づいた所で、とある物が俺たちの眼に飛び込んだ。それは、冒険者を歓迎するメッセージが書かれた立て札である。
それが一つだけなら、特に何の疑問も浮かばなかっただろう。しかし、最初の立て札を発見したのを皮切りに、近づけば近づくほど、その数は増えていった。
「……なるほど、客の取り合いか」
何となく気になったので、一番近い立て札の内容をしっかりと読んでいったところ、その理由が理解出来た。
改めて、俺は入り口付近へと眼を向ける。
立て札はそれぞれの宿の宣伝なのだろう。宿泊だったらどこそこへという文字とともに、その店の売りらしきものが羅列されていた。
どうやら、予想以上に繁盛しているらしい。
「どうしたんですか?」
立て札を読むため、少し停まっていたことに疑問を持ったのか、馬車の中からマルシアが顔を出した。
「……見ればわかるぞ」
俺は顎で前を指す。何処を見ても看板は眼に入ってしまうので、説明は不要だろう。
「わあっ! 凄いですね!」
目の前に広がる光景に気づき、マルシアが声を上げる。
「なにがそんなに凄いのかしら? ……あら、確かに面白い光景ね」
それに釣られて、更にシャンディが顔を出す。
俺の前に座るのはシルヴィアで、左の肩に手を置いているのがマルシア。それと同じような右のシャンディ。
「と言うか……こんな狭いところに集まるな」
身動きの取れない俺は、小さく呟いた。
「思ったより時間かかっちゃいましたね」
宿の前で大きく伸びをしながら、マルシアが言う。
シルヴィアはユニコルニスの相手。シャンディは宿泊と馬車を停める許可を得るため、宿の中だ。
「お前たちが一つ一つ立て札の内容を確認していくからだろうに……」
俺は呆れた声で返す。
「だって宿は大事じゃないですか。それに、内容もなかなか面白かったですよ」
最初は俺も同じように、立て札を眺めていった。確かに、眼を引くためか、それぞれ異なったアピール方法で書かれた立て札には興味が湧いた。しかし、それも最初のうちだけだ。途中から飽きた俺は、御者台の上で日光浴に勤しんでいた。
まあ、出来る事なら、いい宿に泊まりたいと言う気持ちもあったので、後のことは三人に任せておいたのだが……。
「しかし、こんなに時間を掛けることもないだろう」
そう言って、空を見上げる。村を発見した時は、昼をまわったくらいだった。しかし、それも今では陽の光に赤みがかかっている状態である。
「ほらほら、こんな所で立ち止まっていないで。受付を済ませてきたから、中に入りましょう」
間を取り持つように、シャンディが割り込んできた。どうやら無事、宿を取り終えたようである。ここまでして満室でした、では徒労もいいところだ。
確かに、このまま宿の前で言い合っていても余計に時間を食うだけだし、商売の邪魔と言うのは眼に見えている。
「……そうだな。それじゃ馬車を預けてくるから、先に向かっててくれ」
シャンディは頷くと、部屋の場所を告げ、残りの二人を促していく。それを見送った俺は、ユニコルニスを軽く引きながら、宿の隣にある馬小屋の方へと向かっていった。
小屋の前には、二人の人物が立っている。
「いらっしゃいませ」
俺に気付くと、二人は挨拶と共に頭を下げていく。その言葉と態度から察するに、宿の従業員なのだろう。警備も兼ねているのか、軽い武装をしていた。
「ああ、世話になる」
そこに並んで居た馬車のほとんどは、俺たちのと似たようなタイプだったが、大型の物も幾つか見受けられる。
いくら村が魔窟に近いからといっても、客は冒険者だけと言う事はないだろう。獣の森の主な産出品は、コボルトなどから察せるように毛皮である。商人がそれの買い取りにでもやってきているのだろう。もしくは、冒険雑貨などの補充に来ているのかもしれないな。
先客の馬車と並べるように馬車を停め、ユニコルニスの馬具を外していく。自由になったユニコルニスは小さく鳴くと、体を震わせた。
「お前の宿はそこだ。いくぞ」
そのまま、ユニコルニスの背を軽く押しながら馬小屋へと連れて行く。
「馬はこちらに」
戻ってきた俺とユニコルニスを、従業員が中へと案内していく。宿が大きいだけあり、小屋の中には相応の数の馬房が存在していた。
牧場の時同様、様々な毛色をした馬たちが出迎える。
しかし、まあ……当たり前であるが、馬臭い。ユニコルニス一頭であれば然程気にならないのだが……こうして纏まっていると、やはり鼻につくのは否めない。
その臭いに少々顔をしかめた所で、自分も似たような状態だったことに気付く。水場を見つける度に洗ってはいるのだが、冒険中はある程度仕方ない。……さっさと風呂に入ることにしよう。
従業員に連れられ、ユニコルニスを空いている馬房へと入れる。思ったより快適だったのか、ユニコルニスは気分良さそうに軽く鳴くと、寝藁の上に脚を畳んで座り込んでいった。
「それじゃ、大人しくしてろよ」
従業員に礼を言い、俺は小屋を出て行く。
そこから宿の方へと視線を向けると、申し訳程度に建つ木の門が見えた。そこから先に伸びるのは、俺たちがやってきた街道だ。
反対側には同じように乱立する宿。その奥には、村人たちが住んでいるのであろう、一般的な住居が立ち並んでいた。どうやら、村の前面半分はほとんど宿らしい。元々あった村に対し、隣り合わせるように宿場が作られたと言ったところか。宿の間には小さな商店などもチラホラと見えるが、そこに並んでいるのは冒険雑貨や保存食などがほとんどだ。
魔窟に挑むにあたって、これから世話になるところだ。明日一日は休暇も兼ね、村を回ってみるのもいいな。
とりあえずの予定を考えながら、宿の扉を開ける。その内装は、オッドレストの宿と比べると簡素な作りだった。まあ、向こうは王都にある高級宿だし、村と言う事を考えると、ここも結構上等な部類だろう。
こういう宿も、それはそれで良いものだ。最近は部屋風呂ばかり利用していて、大衆浴場はご無沙汰だったし、こういった作りの方が冒険者らしく、懐かしい気分を味わえるだろう。
シャンディから教えられた部屋の前に立つと、俺は扉を開けていく。
「……」
そして、俺の眼に飛び込んだのは、なんとも見慣れた光景だった。
多少狭くはなっているものの、でかいサイズのベッドに部屋風呂。内装も、ここに来るまでのものと違い、実に立派で豪華なものだった。
「あ、おかえりなさい」
俺に気づいたマルシアが口を開く。
「……なあ、この部屋」
「凄いですよね。王都の高級宿っぽい感じが売りらしいですよ。お値段も相応ですけど」
いや……まあ、確かに良い部屋だろう。王都でさんざん利用してたからよく分かる。しかし、出発したと思ったら、帰ってきていたと言うか……なんか、遠出した実感が湧かないんだが。
その後、ちゃんと大衆浴場もあると言う事を聞き、俺は少しだけホッとした。