第百十七話 躾と名前
もぐもぐ。
冒険者パーティの中で、リーダーに反抗的な奴が居たとする。
そいつはパーティの和を乱し、場合によっては危険を呼びこむ可能性がある。
個人で勝手に自滅するのであれば何の問題もないのだが、他人を巻き込むとなると話は別だ。
もぐもぐ。
基本的にリーダーは一番実力がある者がなる。もちろん、経験も大事ではあるが……そこは、荒くれ共の代名詞である冒険者たちだ。実力が伴わない者の言葉を素直に聞き入れられるほど謙虚な奴は、どちらかと言うと少ない部類だろう。
そして、そういう奴に対し、リーダーが行うことと言えば一つしかない。
もぐもぐ。
つまり、実力で分からせると言う事だ。
眼の前には、相変わらず俺の手を噛んでいる白い馬。その青眼には嘲りの色が浮かんでいる気がするのは、俺の邪推だろうか。まあ、いつまでもこうして食べさせているわけにもいかないし、地味に結構痛い。
俺はもう片方の手を馬の前へと持ってくる。そのまま、鼻っ柱を撫でる――と見せかけて掴んだ。
いきなりの事に、馬は俺を睨んだ……気がする。
生体活性・腕。
腕の力を強化すると、徐々に力を込めていった。馬はその事に気付くと、対抗するように俺の手を噛む力を強めてくる。しかし、強化した腕の前では、その程度の力は何の意味も持たなかった。
俺の手が馬の皮膚にめり込んでいく。じわじわと、じわじわと。
次第に強まっていく力に危険を感じたのか、馬は逃れる為に顔を振ろうとする。しかし、それを俺は許さない。
身動きが取れずに怯んでいる馬に向けて、冷酷な視線を落していく。
そんな静かな攻防が数分間続き、馬は負けを認めたかのように、ゆっくりと噛む力を落としていった。
ようやく解放された手は馬の唾液に湿っている。臭いもかなりきつく、自分の腕なのに遠ざけたくなってしまった。……後で洗わせてもらう事にしよう。
俺も馬の鼻っ柱を解放していく。馬は自由になった顔を「ぶるるっ」と震わせ、体勢を立て直すかの様に数歩下がる。
もう一度、馬に向けて手を伸ばす。すると、馬は少しの逡巡の後、ゆっくりと頭を差し出してきた。
「よーし。いい子だ」
そのまま頭を撫でつつ、笑みを浮かべて俺は言った。
俺たちの姿は、傍目にはさぞかし仲が良さそうに見えていることだろう。しかし、そんな俺たちに声を掛けてくる者がいないのは何故だろうか。
「どうしたんだ?」
馬を撫でるのも飽きてしまったので、俺は何故か黙りこんでいるパーティメンバーに声を掛けた。
「いえ、なんだかよくわからないんですけど……話しかけられる雰囲気じゃないかなって感じて……」
マルシアが躊躇いがちに口を開く。それに同意するように、シルヴィアがこくりと頷いた。
「さすがね。ベテランの教育方法をしっかりと勉強させてもらったわ」
次いでシャンディが言った。その表情から察するに、どうやら面白がっているようである。
しかし、至って平穏に事を済ませたつもりだったのだが……どうやら皆の様子を見る限り、外に漏れでていたらしい。まだまだ修行が足りないな。
「すまなかったね。まさか、いきなり噛むとは思わなかったよ。手は大丈夫かい?」
そんな俺に女性が謝ってきた。まあ、商品である馬が客に粗相をしたのだ。それも当然のことか。
「ん、ああ。大丈夫だ」
自分の手をもう一度確認し、俺は女性に向ける。その手を見て、女性はホッとしたように息をはいた。
「他の子にしたほうが良さそうさね。さすがに主人を噛むようじゃ旅には連れていけないだろ」
女性はそう言うと他の馬を見繕う為か、牧場の奥へと視線を向けた。
「いや、こいつでいい。これくらい骨があるなら魔物にも怯まないだろう。……もう二度と噛まないだろうしな」
俺は馬に向かって「なあ?」と言葉を掛ける。それに対し、馬は「……ぶるっ」と小さく鳴いて返答した。言葉を理解出来てはいないだろうが、雰囲気は察せるらしい。その辺も含めて、確かに名馬かもしれないな。
「そうかい? ……それならいいけどさ。お詫びに少し負けとくよ」
「そいつはありがたいな。俺の手を餌にした甲斐はありそうだ」
俺は女性に向けて、笑いながら言った。
「そういえば、こいつの名前はなんて言うんだ?」
馬車を購入する段取りを全て終えた所で、俺は女性に聞いた。いつまでも馬のままでは呼び難いし、格好もつかない。
「一応、こっちでつけた名前はあるけどね。どうせなら、アンタたちが新しくつけたほうが愛着も沸くんじゃないかい? これからのパートナーになるんだしさ」
「いいですね! かっこいい名前をつけましょうよ!」
女性の言葉にマルシアが乗ってきた。
「……お前がつける気か?」
俺はマルシアに微妙な視線を送る。以前、パーティ名を考えた時もそうだったが、マルシアのセンスは……まあ、好意的に言ったとしても、独創的である。俺も人の事を言えた義理ではないが、マルシアに任せると更に酷くなりそうだった。
「なんですかっ! 何か不満があるんですか!?」
「……まあ、とりあえず言ってみろ。皆が批評してくれるだろう」
ぐいっと身を乗り出すようなマルシアの勢いに圧されるように、俺は一歩下がりながら言った。
「えっと、そうですねー。……白いですし、ホワイトスターとかどうですか?」
「……白いのは分かった。だが、スターはどこからきた?」
「いえ、なんとなく」
「……そうか。で、周りの反応だが」
俺は辺りを見回す。女性は客の事だから口を出さないのはわかっているが、なんとも言えない顔をしていた。
「そうねえ……少し安直じゃないかしら?」
シャンディは遠回しに否定する。
「……えっと、他には何かあるのですか?」
珍しくシルヴィアが問いかける。無言にならず、更には今の名前に対する感想は述べずに回避するとは……成長したのだろうか。
「他に、ですか? そうですねー……シロタマとかどうでしょう?」
「……丸くないぞ?」
再び、俺は突っ込む。
「違いますよっ! 種弾のように飛び出すイメージです!」
「……お前は馬車に突撃させる気か」
どう考えても馬車が魔物に向かって突進し、粉砕していくイメージしか沸かない。
「……まあ、お前の提案する名前はわかった。それじゃ、シルヴィアとシャンディには何か名前の候補はあるか?」
「そうね……私はそういうのは得意じゃないし、イグニスに任せるとするわ」
シャンディは俺に丸投げする。しょうがないので、シルヴィアに一縷の望みを託すことにした。
俺たちの視線を一斉に受けて、シルヴィアは縮こまるように身体を竦ませた。
「シルヴィア、何か候補あるか?」
もう一度、俺はゆっくりとシルヴィアに問いかける。
「……えっと、ユニコルニスと言うのは、どうでしょうか?」
少し考え込んだ後、シルヴィアは小さく口を開いた。
「よし、それでいいだろう」
その言葉が終わるや否や、俺は決めた。とりあえず、マルシアのよりは真っ当な名前だ。正直に言うなら名前なんてどうでもいいが、人の居る前で「ホワイトスター」だの「シロタマ」だのは口にしたくない。シャンディも俺に決めろと言っていることだし、三対一で圧倒的大差だ。
「ちょっと待って下さいっ! なんで即決なんですか!?」
当然、マルシアは異議を唱える。
「……と言う訳で、お前の名はユニコルニスだ。わかったな」
俺の言葉に、馬――ユニコルニスは了解したと言わんばかりに「ぶるるっ!」と鳴いた。
こいつもマルシアの名前だけは回避したいと思っているのだろう、多分。
先ほどまで敵対していた相手に、ちょっとした連帯感を覚えてしまった。