第百十二話 晦凛と迎花
一年の終りと始まり。
その境は氷れるような天が過ぎ、草花が地から芽吹き始める時期である。
人々は年の終わりを晦凛の日。始まりを迎花の日と呼んでいた。
いきなりその寒さが消え失せるようなことはないが、段々と気温が上がり始め、俺たちが駆けていく大地にも新しい芽がゆっくり伸び始めていた。
「いつの間にやら年の瀬か……一年もあっという間だな」
窓から覗く景色を見ながら俺は呟く。
「……暖かくなるのは嬉しいです」
側にいたシルヴィアも、同じように外へと視線を向けていた。
「なにを二人して黄昏れているんですかー。今年最後の日ですよ。パーッと騒ぎましょうよ!」
そんな俺たちに向かい、ふっかふかのソファに沈み込んだマルシアが声を掛けてきた。その向かいにはシャンディも同様に寛いでいる。
俺たちが居る場所はクラインハインツ家の応接室。俺が苦戦したソファも、二人にかかればなんてことはないらしい。実に心地よさそうに身を委ねている。唯一、シルヴィアは俺と同じような反応をしていたので、なんとなく救われた気がしてくる。
マルシアの言うとおり、今日は晦凛の日だ。
人々は挙って街へと繰り出し、大通りには朝まで露天が立ち並んでいる。いつもより輪をかけて混みあうその場所は、シルヴィアは疎か、俺にも耐えられる気はしない。普段のこの日であれば、適当な酒場で冒険者仲間とくだを巻く程度なのだが、今回ばかりは様子が違った。
なんたって貴族様に呼び出されているのだ。ある程度慣れたとは言え、何時までたってもこの場所は落ち着かない。
しかも、今回に限っては当人たちだけではないのだ。クラインハインツ家は魔石派の筆頭だけあり、庭園を開放しての大きな宴が催されることになっている。つまり、他の貴族様方が集まってくると言うことだ。
「そんな窓際で何を小さくなっておるのだ?」
扉を開け、リーゼロッテが入ってくる。
いつもの普段着より……と言っても十分に上質な物なのだが、今回は更に豪華絢爛なドレスを身に纏っている。少々胸元が開けているデザインだが……悲しいかな、逆に哀れみを買うような印象になってしまっていた。こんな時期に寒々しくはないのだろうか。
「……何やら不穏な事を考えておらぬか?」
俺の視線に何やら感じるものがあったのか、リーゼロッテはやや、むっとした様子で聞いてくる。
「……いや、立派な服装だと思ってな」
あまり納得していない様子で「そうか」と呟き、再び俺が沈んでいた理由を問うてくる。
「そりゃ平民が貴族の集まるところに顔を出して平然としている方がおかしいだろう」
「むう、そう言うものなのか? 私は別に気にしないぞ」
「まあ、リーゼロッテは一般的な貴族とかけ離れているからな。……いや、態度は貴族らしいが」
「……褒めておらんだろ?」
「気にするな。これくらいの軽口が叩ける程度に親しくなったってことさ」
「む。そうか、そうだな」
俺の言葉にうんうんと頷くリーゼロッテ。
「イグニス様。そして皆様、今日はようこそおいでくださいました」
お嬢様と戯れていると、今度はアンネローゼが部屋へとやってきた。そのままリーゼロッテの隣に並ぶと、否が応にもその対比を実感してしまう。着せられている感満載の妹に比べ、姉はまるで違和感がない。そのデザインも実に映えていた。
「……やはり、何か納得がいかんのだが」
再び、リーゼロッテが小さく呟いたが、こればかりはどうしようもない事実だった。
事件を起こした魔術師たちは一人を除き全て捕縛、または死亡が確認された。
肝心のラタであるが、その後の足取りは全く掴めず、生き残った魔術師たちからも大した情報は得られなかった。
本人の口からは協力者を名乗っていたが、魔術師たちは同志だと思っていたらしい。首謀者自体は一番上の兄弟子に当たる者ということだが、その実力はあくまでそれなりのものしか持っておらず、鎮圧するのにそこまで苦戦はしなかったという話である。
まあ、そんな情報はどうでもいいのだが……。
「――そして、この冒険者たちの活躍目覚ましく、作戦は無事成功を収めたのだ」
陽も落ちてからかなりの時間が経ち、辺りが暗闇に支配された頃。俺、そして三人の仲間たちは庭園に作られた立派な台座の上に晒し者にされていた。
そこから見下ろす景色は人の山。そのほぼ全ての人物が俺たちに注目していた。更には、ふんだんに使われた光魔石がいらないほどに辺りを照らし、まるで歓楽街に足を踏み入れたような錯覚すら起こす。
シルヴィアは視線を何処にも向けることが出来ず、俺の背から一歩も出ようとはしていない。
両隣にはマルシアとシャンディ。肝が座っている二人にしては珍しく、どうやら動揺している様子だった。
功績を称える――のはいいのだが、これでは体の良い見世物と変わらない気がする。
殆ど聞き流していた俺たちの紹介が終わり、拍手喝采の中、俺たちは壇上から降りていく。それに続き、フェルディナント殿の「皆、ゆるりと寛いでくれ」との言葉に、来場者たちは皆思い思いの者たちと会話を始めていった。
貴族たちの服装は派手だ。光魔石により更に輝きを増した装飾品の類が、俺の目に眩しかった。
なんだかんだで俺以外のパーティメンバーもめかし込んでおり、以前買った装飾品やら服やらを着込んでいた。一応、事前に冒険者として皆に紹介するとのことを聞いていたので基本的な装備をつけてきたのだが……なんだか俺一人場違いな気がしてならない。マルシアやシャンディはそれぞれ己の武器を持ち、シルヴィアは黒騎士を連れているくらいなものだ。
そんな中、御館様の言葉もあって俺たちを優秀なパーティとして見ているのか、話しかけてくる奇特な人物もちらほらと見受けられた。そして興味本位からなのか、俺たちの冒険話を所望する女性の数も多い。
メインの客人として来ている身では、そんな彼女たちを無視するわけにもいかず、当り障りのない話を聞かせていく。しかし、そんな話にも女性たちの食いつきは良かった。
まあ、貴族と言えば普段は屋敷に篭っているものだ、刺激などは殆ど無いのだろう。俺の想像する貴族像はとても貧困なので、娯楽といえば華やかな舞踏会くらいしか思いつかない。果たしてイメージがあっているのかはわからないが、リーゼロットを見る限り、あまり間違っていない気もする。基準としてはいささかアレだけどな。
「ふふ、モテモテね」
会話も一段落ついたところで彼女たちと別れ、ようやく休めると一息ついていると、シャンディが声を掛けてきた。側にはシルヴィアもちょこんとくっついている。
「……そっちも、モテて仕方がないだろう?」
俺が女性陣に囲まれていたように、三人もまた男性陣に囲まれていた。女性ならまだ可愛げがあるものの、貴族の男から垣間見えるプライドの高さは何故だか鼻につく。やはり、同じ男だからなのだろうか。
「そうね。でも、さすがに代わる代わる来られると相手にするのは疲れちゃうわね」
シャンディが小さくため息をついた。こういう事にそれなりに慣れている彼女が言うのだ。やはり、貴族の相手は大変なのだろう。
「……それで、マルシアはどうしたんだ?」
近くに居ないので俺は問いかけた。
「今は私が休憩中。交代で貴族様の相手をしているわ」
シャンディが奥を指した。そこには男性陣に囲まれたマルシアの姿がある。シャンディもそうだが、マルシアも冒険者ギルドの受付をしていたのだ。そういう輩の対処に多少は慣れているのだろう。外から見れば、実に手慣れた感じで捌いているようだ。
問題はシルヴィアだが、こうしてどちらかについていれば大丈夫だろう。
「交代が出来て羨ましい限りだな」
「良いじゃない。貴族のお嬢様に囲まれるなんてなかなか無い体験よ」
「……もう十分堪能したさ」
これ以上は食あたりを起こしそうだ。
「そうね。そろそろ夜も更けてきたのだし、皆落ち着いてくる頃でしょうね」
辺りを見回してみると、始まりの頃よりはだいぶ勢いが削がれているようだ。仲の良い者たちで固まっているのか、ある程度グループに纏まりつつある。
「……そろそろ明けの音が響きそう」
そう言ってシャンディは空を見上げる。
明けの音。それは、年跨ぎの際に月が真上に来た時に鳴らす、新たな年の知らせ。
空に浮かぶ月を見てみると、そろそろ中天にかかる頃合いだった。
「それまではゆっくりしましょ。飲み物、取ってくるわね」
そう言うと、シャンディはシルヴィアを俺に預け、手近なテーブルへと向かっていく。
てくてくと側まで走り寄ってきたシルヴィアの頭を撫でながら、俺はもう一度空を見上げた。
もうすぐ年が終わる。長く付き合った冒険者仲間との別れから始まったこの一年間、実に様々な事があった。
シルヴィアとの出会いと契約。長年伸び悩んでいたレベルの上昇。初めての魔物の巣にマルシアの参戦。シャンディや様々な高レベル冒険者たちとの邂逅。それまでの十年間と比べ、まるで一気に時が加速したかのような怒涛の年だった。
――ガラーン。
物思いに更けていると、不意に鐘の音が響き渡った。
一つ目が聞こえたかと思うと、それはどんどんと呼応するように増えていく。街の至るところにある鐘堂が一斉に鳴り響くその音色は、まるで世界の全てを目覚めさせていくような力強さを感じる。周囲の皆も話すことを止めると耳を澄まし、それぞれ空を見上げていった。
新しい年がやってきた。
今年はどんな事が待っているのだろうか。期待と不安が入り混じった想いが胸中に渦を巻く。
黙ったまま寄り添ってくるシルヴィアの温もりを感じながら、俺は静かに鐘の音に身を委ねていった。