第百十一話 感謝とご褒美
リーゼロッテの剣がラタを貫く。
感覚強化を使った際にあった反応は一つ。その人物は隠れるようにじっとしていた。リーゼロッテが姉を見捨てるとは思い難いし、アンネローゼの脚では今までの戦闘時間内に索敵範囲から逃れるのはかなり厳しいと思われる。
そこから察するにリーゼロッテは隠蔽を使っている可能性が高い。しかし、隠れるために使うのであればアンネローゼの反応があるのはおかしい。そして、リーゼロッテのあの性格である。どう考えても参戦するタイミングを窺っているようにしか思えなかった。
それならば、唯一の弱点である視界で発見されないよう、ラタの意識を俺に集中させなければならない。
一連の攻撃がラタに通じるなら儲けもの。そうでなければ、後は出来る限り時間を掛けるつもりだった。
結果は……なんとか、成功を収める。
隠蔽を使い、後方から忍び寄ったリーゼロッテは片手剣を刺突。俺の攻撃と、そして何故だか魔石に気を取られたラタは、その一撃を躱すことは出来なかった。
衝撃に仰け反るように空を見上げた体勢のまま、ラタは停まっていた。
剣が突き出ている場所は腹部。どうやら急所は外しているようだ。それは捕まえるためか、はたまた無意識に殺すことを避けていたのか、もしくはそのような事を考える余裕はなかったのか。
しばし、時が止まっているかのような静寂が流れ。
「……なるほど、気配を消せるのは貴女の方でしたか」
それを破るように、ラタが口を開いた。
再び捲れ始める魔法陣の書。
「――リーゼロッテ! そこから離れろ!」
俺が言うや否や、ラタの足元に魔法陣が展開。そして、炎を消し去ったのと同じような暴風が吹き荒れていった。
「――なあっ!?」
いきなりの事に抗えるはずもなく、リーゼロッテが空中を舞う。
手足をジタバタと動かしながら大地に落ちたリーゼロッテは、まるで何事もなかったかの様にすぐさま立ち上がった。あの魔術にダメージ自体ないのか、それとも魔法銀の鎧が守ってくれたのか、どうやら怪我はない様子だ。
「……身体に傷をつけられたのは久々ですね」
相変わらずに空を仰ぎながらラタが呟く。
「どうやら、少々驕っていたようです。……駄目ですね、私も人の事は言えないようだ」
そして今度は頭を垂れると、自戒するように首を振った。
ゆっくりと背中の剣が抜けていき、やがて大地にガランと落ちる。そこから血が溢れてきたのか、ローブがじわじわと赤く染まっていく様に見えた。
「……どうやら宴も終わりが近づいているようですね」
その言葉に俺も気付く。遠くから聞こえていた戦闘音も小さくなり、どうやら収束に向かっているようだ。
「そろそろお暇すると致しましょう」
ラタは再び魔法陣を描き始める。
「急所を狙わなかった慈悲に、最大限の感謝を」
ゆっくりと一礼すると、そのままラタの姿が足元から消え始める。捕まえたい気持ちはもちろんあったが、圧倒的な防御力の前にそれは難しく、リーゼロッテと組もうにも武器はラタの足元だ。それに、相手は手負いの状態だ。下手にこちらから手を出して本気になられても対処の仕様がない。悔しいが、ここは黙って見逃しておくべきだろう。
その姿が完全に消えるまで、俺は油断なくじっと見続ける。そしてラタと共に魔法陣が消え、辺りに薄闇が戻ってくると、溜まっていたものを吐き出すかのように、大きく息を吐いた。
「……終わったのか?」
リーゼロッテが俺の側まで歩み寄ってくると、口を開いた。
「……そのようだな」
もう一度辺りを見回して俺は頷く。
「……うむ。なんだか釈然としないが、とりあえずアン姉様のところに戻るとしよう」
「そうだな……まあ、なんだ。戻ってきた事はあまり褒められたことではないが、正直助かった。礼を言うぞ」
「うむ、これで貸しができたな!」
「……貴族様に俺が返せそうなものなど何もないぞ」
俺たちが訪れた平穏に安心したように会話を重ねていると、遠くから誰かが駆けて来る音が聞こえてきた。思わず警戒して振り返るが、それは見慣れた顔の人物たちだった。
「……大丈夫ですか?」
先ず最初にやってきたのは黒騎士。中のシルヴィアが心配そうに声を掛けてきた。
「ああ。少し危なかったが……なんとかな」
俺の返答に、黒騎士が安心したように兜を上下させた。
「いきなり裏庭の方で大きな音がしたから驚いたんですよ! でも、持ち場を離れるわけには行かなかったので……」
次いでマルシアが小走りにやってくる。その後ろには当然、シャンディの姿もあった。
「ごめんなさいね。話に聞いていたより、敵の数が多かったものだから時間が掛かったわ」
「いや、よくやってくれた。問題はないさ。こっちも何とか無事に解決したしな……まあ、リーゼロッテのお陰でな」
「うむ! 私が居て正解だっただろう!」
俺の言葉に、気分よくリーゼロッテが胸を張った。
「……ああ、そうだな。その成果を噛みしめるために、とりあえずアンネローゼを迎えに行くとしようか」
リーゼロッテは「そうだな!」と大きく頷き、俺たちは揃ってアンネローゼが隠れている場所へと足を運んでいった。
先頭を走るリーゼロッテを見た瞬間、アンネローゼの表情が今までで一番綻んだのが印象的だ。そのまま側までやって来たリーゼロッテを勢い良く抱きしめていった。
「リーゼロッテ……良かった!」
心細さや心配などと言った、様々な感情がアンネローゼの中でひしめいているのだろう。その手は何時までも離れそうになかった。
妹にくっついたままのアンネローゼを連れ、兵士たちの元へと戻っていく。
場は既に落ち着きを取り戻していた。生き残った魔術師たちは縄で縛られた上に口を塞がれ、兵士たちの足元に転がっている。
辺りの大地は抉り取られたような痕を残し、庭木は炎に焼かれたのか、真っ黒な消し炭となって燃え落ちていた。中央に設置されていた噴水も破壊の限りを尽くされ、今では見る影もないが……まあ、コレは俺の所為だ。
その全てが戦闘の激しさを物語っていた。
そんな中、さすがに娘が心配なのだろう、フェルディナント殿も自ら前へと出てきている。その周囲を守るため、ユーリエを始めとした護衛たちが付いていた。正直、奥に引っ込んで居てくれた方が皆も安心して戦えるだろうに。
「アンネローゼ! よくぞ無事だった! リーゼロッテもよくぞ成し遂げたな!」
御館様は二人の娘を見つけると、アンネローゼと同様に顔を綻ばせ、すぐさま二人に走り寄っていく。そして親子の対面は姉妹同様、やはり長々と抱き合っていた。
「……なにはともあれ、これで御役御免だな」
「そうですね。あー、早く帰ってお風呂に入ってベッドに飛び込みたーい」
マルシアが大きく伸びをしながら言った。
「そうだな、疲れを癒やすにはそれが一番だ。明日は休日にするとしよう」
「やったー。これで今夜はゆっくりと寝れますね!」
更にマルシアは手を上げて喜んだ。シルヴィアとシャンディもそれに同意している様子だ。
「……もう夜も更けたし、これ以上私たちに出来る事は無さそうね。挨拶をして宿に戻る?」
「ああ、そうだな」
俺たちも御館様の側まで足を運び、先に戻る事を告げる。
「おお、そうか! お主たちには世話になったな! 礼を言うぞ! 事の決着がつき次第、いつも通り迎えを出そう。先ずはゆっくりと疲れをとるがいい」
御館様は大きく頷き、俺たちを一人一人労っていく。
「イグニス様」
その光景を見ていると、アンネローゼが俺に声を掛けてくる。それに対し「ん、どうした?」と口を開いた次の瞬間――何故か、抱きしめられた。
「此度は本当にお世話になりました。感謝の言葉もございません」
「……あ、ああ」
そして、耳元で礼の言葉を紡がれる。声と共に吹きかかる息もあって、俺はかなり動揺してしまった。
いや、それはいいんだが……なんで抱きつく必要があるんだ。リーゼロッテや御館様とは家族だからと思っていたが……もしかして、感極まると抱きつく癖でもあるのだろうか。
同時に香水の甘い香りが俺の鼻腔をくすぐった。
……まあ、ちょっとした役得と思えばいいか。貴族のお嬢様に抱きしめられるなんて、これが最初で最後だろう。
「本当に……本当にありがとうございました」
アンネローゼはゆっくりと離れると、もう一度頭を下げた。
人肌の温もりが遠ざかると、その代わりに飛び込んでくる寒気になんとなく気恥ずかしくなり、俺は頭を掻きながら振り返る。
……そこには仲間たちの冷たい目線が待っていた。