第百八話 リーゼロッテとアンネローゼ
ガシャンと派手な音を立てて窓ガラスが吹き飛んでいく。
光魔石の灯りを浴びて煌く透明な散弾と共に飛び出した俺は、一気に魔術師へと肉薄していく。
「きゃあっ!?」
絢爛な部屋にアンネローゼの悲鳴が響き渡った。いきなり何者かが窓を突き破って侵入してきたのだ、無理もないだろう。
同様に、魔術師も驚きの表情のまま固まっている。知らせもなく敵が襲ってきたことが信じられないのだろうか、俺が振り下ろした片手半剣を呆然としたまま受け入れていった。
悲鳴すら上げる間もなく、魔術師が床へと崩れ落ちる。その身体から流れ出る血が絨毯を赤く染め上げていった。
俺は魔術師の息がないことを確認すると、ゆっくりと振り返る。
「……あ、ああ、あ」
「アン姉様っ! 落ち着いてください! 私です! リーゼロッテです!」
突然の惨劇に怯えるアンネローゼの肩を抱いて、リーゼロッテが優しく語りかけていた。手足を縛っていた縄は既に切り取られ、その残骸がベッドの上に散らばっている。
しかし、身体が解放されてもアンネローゼは動く気配が見られない。
……さすがに刺激が強すぎたか、このままだとマズいかもしれない。
「リーゼロッテ! 落ち着かせるのは後にしろ! 先ずはテラスまで運べ!」
俺は怒鳴った。このままそこにいては魔術師たちとの戦いに巻き込まれる可能性がある。
「了解だ!」
リーゼロッテは一言返すと、アンネローゼに肩を貸してゆっくりとテラスの方へと歩いていった。
俺は再び感覚強化を使用。周りの人間の動きを把握しようと試みる。
しかし、それと同時に部屋の扉が勢い良く開け放たれ、二人の人間が飛び込んできた。両方共、床に転がっている魔術師と同じローブを纏っている。揃いも揃って豪華なローブだ。バイルシュミット伯爵がデザインでもしたのだろうか……しかしこのローブ、どこかで見たような気もするのだが、一体どこでだろうか。
「何者だ!」
先に入ってきた魔術師が俺を見るなり叫んだ。
「こんな時に乗り込んでくる者など、言わずとも知れてるだろう? 人質は確保した。あと少しもすれば兵士たちもやってくる。お前たちに勝機はない、諦めて投降しろ」
「ふざけたことを抜かすな! 我らは魔石派などに屈したりはしない!」
説得は無駄か。
生体活性・腕!
俺は腰から短剣を抜き出し、そのまま全力で投擲した。短剣は一瞬で魔術師たちの間を通り抜け、中途半端に開いていた扉へと命中する。
次の瞬間、大きな音を立てて扉が吹き飛んだ。
「なっ……なんだ!?」
その衝撃に魔術師たちが後方を向く。そして、扉の惨状を見るなり、驚愕の形相でこちらへ振り返る。
「……今のは威嚇だ。これでも投降しないというのであれば、命は無いものと思え」
「くっ! ――っ!」
返答代わりに詠唱を始める魔術師。それに追従するように、もう一人も詠唱を開始していった。
「……させるか!」
生体活性・脚!
強化と同時に床を蹴り、一瞬で懐まで飛び込むと一人目の腹を斬り裂く。そのまま片手半剣を腰だめに構え、一足飛びで二人目に突撃すると、心臓狙いの突きを放った。
魔術師両名は詠唱が完了する間もなく、その生命を散らす結果となる。
片手半剣にだらんと寄りかかるようにして動かなくなった魔術師から、蹴った勢いで剣を引き抜くと、急いでテラスへと引き返す。
走りながら懐から魔石を取り出し、そのまま起動。走りこんだ勢いを利用して虚空へと放り投げていく。魔石は放物線を描き、夜の闇に溶けゆくように落ちていった。
その刹那――大爆発。
盛大な音と共に爆炎を巻き上げ、衝撃によって庭園の噴水が吹き飛んだ。どうやら魔石は噴水の中へと落ちたらしい。
その勢いに高々と吹き上げられた水が、俺たちの居るテラスまで飛んでくる。辺りには水蒸気が生まれ、ただでさえ見えにくい薄闇を更に包み込んでいった。
近くにいるリーゼロッテが目を見開いている。その横にいるアンネローゼも同様だ。
無理もない。俺もその威力に驚いているところだ。この魔石はグラスの店で買ったものである。あの店主はやることなすことが全力だから困る。効率的に威力を引き出すのはいいんだが……もう少し使う側の事も考えてくれないだろうか。
魔石を投げたのは待機している兵士たちへの合図代わりだ。アンネローゼを無事救出した事を分かりやすく且つ、敵の注意を外にも向ける意味合いもある。
「なにやらもう……呆れて言葉が出んぞ」
リーゼロッテがなんとも言えない微妙な表情を向けて口を開く。
「とりあえず、ここを出ることが先決だ。……アンネローゼ。大丈夫か?」
俺の言葉に、アンネローゼは驚いたように顔を向けた。
「え、ええ。……助けて頂き、誠にありがとうございます」
そのまま数秒間、俺の事をじっと見つめていたが、はっと我に返ると恭しく頭を下げた。
「礼は後で頼む。いけるな?」
「……はい!」
アンネローゼの表情を見て俺は頷く。気が弱いように見えて芯はしっかりしていそうだ。これなら大丈夫だろう。
感覚強化で索敵。敵は先程の魔石のお陰で大分混乱しているようだ。慌てて外へ飛び出る者も多数確認できた。
「俺が先頭を走る。二人は後に続いてこい。リーゼロッテはアンネローゼの護衛を最優先。背後に注意しておけ」
「うむ!」
二人が頷くのを確認すると、俺たちは駆け出した。開け放たれている扉から外へ出ると、左右にある階段の内、敵が少ない方に向かう。囲まれれば守りながら戦わなければならず、不利でしかない。出来る限り時間を掛けずに突破する。
テラスから飛び降りられれば楽なのだが、さすがにこの高さでは人を抱えて降りるのは無理がある。風陣収縮をもっと上手く使えればいけるのかもしれないが、残念ながら自分一人で持て余し気味だ。
階段から飛び出てくる魔術師に短剣を投擲。いきなりの攻撃と痛みに魔術師はバランスを崩し、階段を落ちていった。同時にその後方から上がる悲鳴。どうやら後続が巻き込まれたようだ。
勢いを落とさず俺も階段を飛び降りていく。目標は踊り場に倒れこんでいる魔術師たち。態勢を立て直す前に、それぞれにトドメを刺していく。
突如、階下から炎が巻き起こった。そして、それはそのまま俺へと向かってくる。どうやら仲間を助けることは諦め、俺の排除を優先することに決めたらしい。その先には魔術師らしき者の姿が見える。
俺は躊躇わず、炎の中に身を投じる。
風陣収縮!
全身に絡みつく火炎を風膜が弾いていく。その紅蓮を纏い、突っ込んでくる俺に魔術師が怯えたような表情を作った。
赤く照らされた片手半剣が俺の重さと落下する速度を乗せ、魔術師の肩口から一気に斬り裂いていく。
術者が潰えると、炎は何事もなかったかのように消え失せていった。
俺は再び感覚強化。状況把握に努めていく。反対側にはここよりも多い人数が、中心のエントランスらしきところには魔術師がひしめいている。外側にも多数の人間の気配。争う音が聴こえるところから、既に兵士たちとの戦闘が始まっているのだろう。
後ろを振り返り、二人がついてきていることを確認する。
リーゼロッテは俺の視線を受け止め、頷いた。
エントランスを避け、そのまま一気に一階まで降りていく。到達するや否や、廊下の窓ガラスを片手半剣でぶち破り、二人に抜け出すように合図を送る。
こちらは屋敷の裏側だ、魔術師の気配は感じられない。
先にリーゼロッテが外へと飛び出し、若干手間取りながらアンネローゼが続く。こういった事に慣れていないのは仕方のないことだろう。なんとか外へと出ることに成功すると、最後に俺が窓枠を乗り越える。
外へと出ると、後方から争う音がしっかりと聞こえてきた。
「……とりあえずこれで一安心か」
「うむ! 無事、アン姉様も助け出せた。作戦は大成功だ!」
リーゼロッテが嬉しそうに声を上げる。
「はあ……はあ……ありがとう、ございます」
続いてアンネローゼが息を切らしながら感謝の言葉を紡いだ。
「先ずは落ち着いて息を整えろ。しばらくすればこの戦闘も終了する筈だ」
――パチパチパチ。
不意に何かが聞こえてくる。
「誰だ!?」
俺はその音の方向を――見上げた。
そこには中空に浮いている魔術師が一人。俺たちを見下ろしながら、手を叩いていた。




