第百七話 夜の帳と侵入経路
夜の帳が下りる頃。
俺たちは貴族街の外れにあるバイルシュミット伯爵の屋敷近くへと潜んでいた。
例の誘拐犯たちはここを利用しているらしい。この場所から動かないことを見ると、魔法陣に絶対の自信を持っているのだろうか。
街の中心から広がる魔石灯の光も、この街の端まではあまり届かないらしい。俺たちの背後とは対照的に、目の前には大きな暗闇と屋敷から僅かに漏れる朧げな光があるだけだ。
無論、此方にとってもそれはありがたいことである。リーゼロッテの能力。一般的に隠蔽と呼ばれるそれは、気配は消せても姿は消せないという弱点がある。俺の感覚強化と合わせれば、それでも十分なのだが、念には念を入れるに越したことはない。
実際に見たことがなかったので、昼のうちに試しに使わせてみたが、気配を感じないがために、一目見ただけでは、まるで幽鬼が彷徨い出てきた様な印象を受けてしまった。夜に出会ったらびびるどころの騒ぎじゃないぞ、これ。
やはり説明を受けていたとおり、俺の感覚強化にも引っかからなかった。以前俺が発見できたのは、戦闘前に解除していたからと言うことだ。消耗は少ないと言っても常に展開していると流石に疲れるらしい。
隠蔽の解除と共に「まるで盗賊のようであろう?」と自嘲するような薄笑いを浮かべていたのが印象に残った。やはり、自身の能力をあまり好いてはいないようだ。
「準備はいいか?」
俺は背後を振り返り、問う。そこにはリーゼロッテが同じように身をかがめて潜んでいる。
「無論。何時でもいけるぞ」
逆光の為その表情は見えにくかったが、その瞳に宿る意思は力強く、俺を射抜く。
「それじゃ背に乗れ」
俺は更に体勢を低くする。その背にリーゼロッテの重みが加わった。小さな体躯に魔法銀装備の軽さで、背負って走ったとしても問題は無さそうだ。
「……重いとか言わんだろうな?」
俺が黙っていると、リーゼロッテは若干不機嫌そうな声で呟く。
「逆だ。思ったより軽くて助かったぞ」
「……それはそれで、どれだけの重さを想像していたか問い詰めたいところではあるのだが」
どう言っても納得出来無さそうだ。俺は相手にしないことにする。
「それで、隠蔽は使っているのか?」
「うむ、背に乗ったと同時に発動しておるぞ」
うーむ、自分で使ってないからいまいちわからん。離れれば分かるのだろうが、本人がそう言ってるのだ。大丈夫なのだろう。
基本的な作戦は先ず俺たちが先行してアンネローゼを確保。そして合図とともに、正面から御館様の護衛兵一団が突入するという簡単なものだ。作戦はわかりやすくシンプルな方がいい。即席パーティの連携と同じようなものだ。
「それじゃ、行くぞ。落ちないようにしっかりと捕まっていろよ。手を離すこともあるからな」
今は一応、尻の部分……と言っても鎧の上からだから何の感触もないし、あっても困るが……その部分を支えている。しかし、場合によっては両手を使うこともあるだろう。
「わかっておる。はやくアン姉様を助けに行くぞ!」
「了解した」
返事とともに俺は駆け出した。それと共に感覚強化を発動。周囲の見張りを警戒しつつ屋敷へと近づいていく。やはり魔法陣に頼りきっているのか、外に人の気配はなかった。見られることだけが心配だったので、まずは一安心だ。
隠れていた茂みを抜けると屋敷を囲む柵がある。こんな物はいちいち手を使って登っていられないので、生体活性・脚で一気に飛び越えていった。
「おおっ!? 凄いな!」
耳元でリーゼロッテが感嘆の声を挙げる。出来る限り隠しておくべきかもしれないが、どの道魔術師と戦闘になれば嫌でも使うことになる。今はその心配よりも少しでも早く人質の救出を優先すべきだろう。
ドサリという着地音が聞こえるが、リーゼロッテと会話できることから考え、外への漏洩を防ぐものなのだろう。確証はないが、そうでなければ説明がつかない。
屋敷の壁面へと到達すると、もう一度感覚強化。
人の流れにおかしなところはない。やはり、気づかれていないようだ。正確な人数までは分からないが、人が多いのは一階。そして階層を上がるごとにその人数は減っている。
……さすがに人質を一階に置いておくわけはないよな。地下に幽閉されたりなどしていなくて安心した。敵が多い一階を通るのは危険が大きすぎる。
あたりを見回し、登れそうな場所を探していく。
「リーゼロッテ、飛ぶぞ」
掴まれそうな取っ掛かりを見つけた俺はリーゼロッテに警告した。
「ぬ? 飛ぶとはなんだ?」
リーゼロッテが不思議そうな顔をして聞き返してきた。
「とりあえず落ちないようにしっかりしがみついておけ」
「よくわからんが、了解した」
俺に掛かるリーゼロッテの手に力が入る。金属なので若干痛いが、その分落ちることはないだろう。
先ほどと同じように生体活性・脚を使い、一気に跳躍。取っ掛かりに手を伸ばした所で生体活性・腕に切り替え、一気に身体を引き上げる。
「なっ!?」
リーゼロッテが驚いて声を上げた。柵を超えたくらいで驚いていたのだ。外側から登って行くなど考えていなかったのだろう。
同じことを繰り返し、俺たちが辿り着いたのは四階のテラス。そこは空から降り注ぐ月明かりに照らされ、優雅な雰囲気を醸し出していた。平時であれば優雅に月見を楽しみたいような雰囲気だったが、残念ながらそのような余裕はない。
壁伝いに進み、窓から中を覗き見る。中に人がいるのはわかっているが、それがアンネローゼだと確信するには視認が必要だ。
さすがテラスのある部屋だけあって内部は豪華だ。天蓋付きのベットに貴族の部屋らしい調度品が至るところに存在している。
テーブルについて酒を煽っているのが一人。ローブ姿からして魔術師であることが分かる。
もう一人はベッドの上。上品なドレスを纏い、手足を縛られていた。
「アン姉様!」
リーゼロッテが大きな声を上げた。一瞬、やばいと思ったが、隠蔽のお陰で外には漏れていないようだ。
しかし、最上階の何処かと当たりはつけていたものの、一部屋目で引き当てるとは運がいい。いや、こんなことに巻き込まれている時点で悪いのかもしれないが、悪い方向に考えるのはやめよう。
「突入するぞ。リーゼロッテは俺から降りたら真っ先にアンネローゼの確保。俺は魔術師を一気に叩く」
「うむ! 任せておけ!」
「その後はアンネローゼにくっついて隠蔽。近くの部屋にも敵が居る。そいつらを俺が叩くまで離れていろ」
「ぬ、私は戦わないのか?」
「先ずはアンネローゼの安全が優先だ。いざというときに守れるのはお前しかいない。わかっているな?」
「……了解した!」
俺は手を上げ、順に一本ずつ指を開いていく。五本全て開いた時、リーゼロッテが俺の背中から飛び降りる。
背中の重さが消えたのを合図に、俺は一気に駆け出した。