第百六話 実力と祝福
街の大通りを馬車が疾走していく。
勢い良くガラガラとまわる車輪。御者台のメイドは、馬の駆ける音と共に口に咥えた警笛を高々と吹いていた。
通行人たちはその只ならぬ気配と音に驚いたように飛び退き、道を開けていく。
「これはただ事じゃ無さそうね」
前に座るシャンディが、外の光景を眺めながら小さく呟いた。
「……一体、何があったんでしょうね」
その隣に座るマルシアも、同じように逆側から外を覗いている。
「……そうだな。まあ、着けば分かるさ」
服の裾を掴んでいるシルヴィアの頭を撫でながら、俺は荒れる馬車に身を委ねていった。
「イグニス。よくぞ来てくれた! 急な呼び出しですまなかったな」
まるで滑り込むようにクラインハインツ家にやってきた俺たちを出迎えたのは、当主であるフェルディナント殿だった。
その周りには多数の護衛兵たち。その中にはユーリエの姿もある。
「いえ、構いません。……それで、我々に依頼する事と言うのは一体何でしょうか?」
とりあえず依頼内容が先だ。メイドは詳しい事を一切語ろうとせず「どうかお願いします」と頭を下げるばかりだった。同じ宿泊客からは奇異な目で見られ、傍目から見るとどう映るか想像したくなかった俺は、とりあえず受けるのは内容を聞いてからという事を念頭に置いて馬車へと乗り込んだのだ。
「……アンネローゼが攫われたのだ」
その言葉を聞いた瞬間、頭がついていかなかった。それは、リーゼロッテがなにかやらかしたものとばかり思い込んでいたからである。この場を見回してもその姿を確認出来なかったのもその一因だ。
「……誘拐ですか」
それならメイドが口に出せなかったこともなんとなく理解出来た。
「……うむ。相手は例の魔術派の残党だ。協力していた貴族たちは捕らえている。しかし、一般の魔術師たちには中々手が回っていなかった」
「それで要求は?」
「バイルシュミット伯爵を始めとした、主だった魔術派貴族の解放。それと逃亡用の馬車と資金……と言ったところだ」
「なるほど……わかりやすいですね。それで我々には何を?」
「アンネローゼを奪還する作戦に協力して欲しい」
あくまで要求は飲めないわけか。まあ、当たり前か。いくらクラインハインツ家の娘を人質にとった所で、貴族の面子やらしがらみやらで実現は不可能だろう。
「そうなると、厄介なのは……魔法陣ですか」
俺の言葉に、御館様が驚いたように頷く。
「よくわかっているな。さすが手練の冒険者である。……その通り、奴らはどうやら魔法陣を利用して我らの侵入を察知出来るらしい。以前、バイルシュミット伯爵を捕らえようとした際にも、その為にかなりの被害を出してしまった」
……いや、俺も身を持って体験しましたからね。
御館様の表情からは何やら期待がみてとれる。しかし、残念ながら俺はその答えを持ち合わせてはいない。
「……しかし、我々にもそれを破る手段は皆目見当もつきません」
予想通り、その顔色は再び陰ってしまった。
「やはりそうか。もしやと思い呼び付けたのだが……どうやら少し虫が良すぎたようだ」
「……然らば、やはり正面から突破するしかないかと」
護衛の一人が口を出してくる。しかし、それはアンネローゼの安全は二の次という話になる。共に食卓についた程度の知り合いだが、それでも顔見知りが犠牲になるというのは素直に頷けはしない。
「ふむ……しかし」
御館様は口ごもる。娘を犠牲もやむ無しなどと言う選択肢を進んで選べるわけはないだろう。それは親として当然の想いだ。
そのまましばらくの間、議論は平行線を辿った。
ギリギリまで魔法陣の対処法を模索すべきだという声や、敵が油断している今のうちに襲撃をかけるといった声、様々な案が飛び出し、意見は纏まる気配を持たない。
混迷する話し合いの最中、いきなり大きな音を立てて扉が開いた。
その勢いに場が静まり返り、皆の視線が入り口へと集中していく。
そこに立っていたのはリーゼロッテ。
「父上! 私に行かせてください!」
そして、叫ぶような声と共に御館様の元まで詰め寄っていった。
その表情は決意に満ちている。無理もない、実の姉が攫われたのだ。今までのリーゼロッテの性格を考えれば、何も言わずに飛び出して行きそうなものだ。しかし、ここに留まり、父であるフェルディナント殿に意見しに来るというのは成長した証なのだろうか。
「リーゼロッテ……いや、しかし」
一刀の元にリーゼロッテの提案を却下するものとばかり思っていた御館様だが、意外にも悩む素振りを見せていた。
……どういう事だ。リーゼロッテは確かに戦闘能力はある。だが、それはあくまで一般冒険者よりは、という程度だ。さすがに周りの護衛と比べては見劣りする筈である。しかも、実の娘を助けるために実の娘を派遣すると言うのはどう考えても腑に落ちない。
「私の能力であれば感知の眼は誤魔化せます! アン姉様を助ける方法が他にないのであれば、私に行かせてください!」
俺がその理由に疑問をもっていると、リーゼロッテが畳み掛けるように進言する。
感知が出来ない? そう言えば初めて出会った頃、ユーリエがそんな事を言っていたな。その所為で抜け出しやすいとか。……それが祝福だとするなら、正面から突っ込むのを是とする気性のリーゼロッテが持つものとしては、なんとも皮肉の効いた能力なのだろう。
もし、その祝福が魔法陣による感知にも効果があるのであれば、確かに有効な手札だ。ただの魔術師であれば接近戦には弱いだろう。リーゼロッテの速さを考えれば決して悪い案ではないが……。
「……やはりダメだ。お前一人で何人いるかもわからぬ魔術師の相手が出来るわけがない」
当然、御館様は首を振る。
「……一人でなければいいのですね?」
そう言ってリーゼロッテは周囲を見回す。そして俺と眼が合い、そのまま視線を固定した。
おい、ちょっと待て。
「イグニスを供に着けます。それならば安全でしょう」
リーゼロッテの言葉に、周囲の視線が俺に向いた。
「……待ってください。自分が供をすればバレるのではないですか?」
一応他人の眼もあるので、比較的丁寧な言葉で俺は反論する。
「なに、私に触れている者ならば問題ない。イグニスが私を背負っていけば万事解決だ」
なるほど、それならばいけなくはないが……。
「しかし、何故自分なのでしょうか? 他の護衛の方の実力は存じていませんが、そこに居るユーリエでも問題はないかと思うのですが……」
「イグニスは以前、一人で二十人近くの魔術師を相手に無傷だったではないか。それに既に魔法陣を使う魔術師とも相対しておる。何の問題があろうか?」
ちょっとまて、色々と盛っているぞ。俺が相手にした魔術師は三人だし、他はただの剣士だったぞ。それも合計十三人だ。
「あの、お嬢様。それは……」
俺が慌てて訂正しようとすると口を開きかけるが。
「そうか! それならばいけるやもしれん!」
御館様が見事に説得されていた。周囲の護衛たちも俺を見る目に驚きと畏怖が混じっているような気がする。
……なるほど、ここまで計算済みか。
「ならば、それを主軸に策を煮詰めるぞ、皆の者!」
その言葉に、部屋の中がにわかに活気づいてきた。
「私も護衛をするならイグニスがいいと思うわ」
どうしたものかと悩んでいる俺の側にシャンディがやってくると、耳元で囁いてくる。
「……どうしてだ?」
同じような小さな声で俺が問う。
「例え実力はユーリエさんの方が上だとしても、貴方には祝福があるわ。魔術に対しては風陣収縮が効果的だもの。それに……」
シャンディは一旦言葉を区切ると、俺を見つめて「ふふっ」と笑った。
「どの道、イグニスなら放って置けないでしょう? ……私の時みたいに、ね」
何も言い返すことが出来ず、俺は頭を掻いた。