第百五話 報酬と使い道
翌日の朝。
リーゼロッテは姿を現さなかった。代わりにやってきたのは、いつも御者台で馬車を操っていたメイドが一人。
「今までご苦労様でした。これにて依頼の完了とさせて頂きます。報酬はギルドを通じてお受取りください」
メイドは俺に一枚の書類を手渡すと「それでは失礼します」と一礼し、来た道を戻っていった。
「予想通りだけど、こうして実感するとなかなか寂しいものね」
シャンディが呟く。既にリーゼロッテとのやり取りのあらましは、昨夜のうちに皆に伝えてある。シャンディはそれに対して「そうね。実力だけ見ればイグニスの出る幕はもう無いわね」と俺に同意していた。
「もうあのご飯は食べられないのかあ。残念ですねー」
次いでマルシアが口を開く。戯けるような言い方は、場を和ませようとでもしているのだろう。
「……それは良かったのですけど」
その話題に珍しくシルヴィアが乗る。いや、思った以上にあの食事風景は嫌だったのかもしれない。しかし、そう言う表情はどことなく寂しそうだった。なんだかんだ言って、リーゼロッテにもだいぶ慣れてきていたのだろう。知り合いとの別れの際はいつもこのような顔だ。
「まあ、これでようやくしっかりとした複合式魔術の修練も出来るだろう」
考え方を変えれば、ちょうどいい機会だ。リーゼロッテが居た分、今まで基礎的な魔術の反復ばかりだった。
「そうね、そろそろいい頃合いかもしれないわ。二人共、基本的な魔術は扱えるようになって来たのだし」
シャンディが頷く。
「とりあえず、先ずはギルドに行って報酬を受け取るとしよう」
俺たちは久々にゆっくりとした朝を迎えていった。
「しかし……どうしたもんかね、これは」
のんびりと冒険者ギルドにやってきた俺たちは、順当に報酬を受け取った。
報酬内容は詳しい取決めをしていなかったが、基本的な依頼料に色を付けた程度だと思っていた。相手は貴族だし、それなりのものを期待していてもいいだろう。リーゼロッテたちも報酬を弾むと言っていたのも、その理由の一つだ。
受付処理を終えて受け取ったものを見ると、そこには光り輝く大きな宝石があった。
確かに、貴族からの依頼を完遂すると宝石が報酬として渡される場合があるとは知っていた。しかし、実際にそれを手にしてみると困惑しか浮かばない。俺では宝石の価値など見ただけでは判別がつかない。少なくとも、一般的な依頼で貰えるはずの報酬より遥かに価値はあるだろう。いや、大量の金貨以上か。それ以下ならば現金で渡されている筈だ。
その価値を知るのであれば、単純に装飾品を扱う店に持っていけばいいのだろうが……さすがに目的もなく換金する気はないし、一度行ったら一、二刻はその場から離れない者たちが居るだろう。
そう思いながら、俺は周りを見回す。
すぐ近くには、同じように席に座って宝石を眺めている女性陣。その眼は宝石に釘付けだった。
辺りは静かだ。それもその筈、ここはギルド二階の資料室の隅。そこにあるテーブル席に俺たちはついていた。さすがに人目につく場所でこれを出す気はない。受付では一度見せてもらった後、皮袋に包んで渡されている。その際にも、人目につく所で見せびらかしたりしないように注意を受けていた。わざわざそんな忠告をすると言うことは、よほど俺の表情からこの手の事に慣れていないことを察してくれたのだろう。
「凄いですね! テレシアで職員やってた時はこんな報酬ほとんど見たことなかったですよ。あっちの貴族さんは大体兵士とか、王都の方に依頼を出してしまいますからね」
興味津々でマルシアが言う。やはり、ギルドの規模などでかなり変わるんだろうな。テレシアでは金貨の報酬を見ることさえも稀なのだから、仕方のないことではある。
「さすがにこんな大きい宝石を見ると……逆に怖くなるわね」
その言葉通り、シャンディは恐る恐るといった感じで宝石に指先で触れている。
「これはこれで、無くした時を考えると何処にしまうべきか悩むな」
何気なく腰にある貨幣袋に手を延ばすと、ジャラっと音を立てて重みが伝わってくる。これだけ纏まっていれば、無くした時には重さで気付くし、たとえ穴が開いていたとしても音でも分かる。
「せめて装飾品ならな」
俺が着けても似合わないのは確実だが、身につけられると言うのは便利だ。
「イグニスさんもオシャレに目覚めちゃいましたか?」
マルシアが俺を見て笑いながら言う。どうせ酷い想像をしているのだろう。
「男性でも宝石は似合うと思うわよ。クラインハインツ家のご当主様だって指輪つけていたじゃない」
「……ああ、そう言えばそうだったな」
確かに御館様の姿を思い起こせば、その手には幾つもの指輪が煌めいていた。まあ、貴族と言うのはそういうものだろう、みすぼらしい外見じゃ誰も信用しない。
「しかし、宝石で飾った冒険者というのもどうなんだかな」
魔法銀や銀糸などのデザインを考えれば、おかしくはないのかもしれないが……そんなもの男にとっては二の次だ。
「その発言は女性を敵に回すわよ。女はいつだって美しくありたいものだもの」
「……そうだな。お前たちを敵に回すつもりはないさ。俺にとっても、そうであったほうが嬉しいからな」
「あら、煽ても上手になってきたじゃない」
「……お陰様でな」
「そこで肯定しちゃうのが減点ね。精進しないとダメよ」
シャンディが笑い、マルシアも同意するように頷いた。
まったく、いつになっても話が進まない。
「で、使い道なんだが……何か案は無いか? 無いならこのまま持ち歩くことになるが」
「一旦お金に変えて、ちゃんとした装飾品を購入するとかですかね?」
マルシアが提案してくる。
「さすがに報酬を別の宝石に変更するのはあまり気が進まんな。しかし、これを装飾品に加工するのは考えに入れておこう」
「そうねぇ……それじゃ馬車を買うのはどうかしら?」
シャンディが窓から外を眺めながら呟いた。そこには街中を走る馬車の姿が見える。
「なるほど、馬車か」
「あの馬車の乗り心地は良かったものね」
「……さすがにあのレベルの馬車は無理だと思うが」
馬車自体いくらするのかもわからない。俺が知っているのは貸出料くらいなものだ。
俺は宝石をじっと見つめて考え込んでいく。
維持費はかかるが、効率を考えると悪くはないのかもしれない。野営の準備も楽になるし、運べる荷物も増える。索敵に歩く必要性もなくなる上、移動しながらの休息も可能になる。総じてメリットが大きいな。
「そうだな、それも悪くない」
「それじゃ、早速見に行きましょう!」
ガタンと勢い良くマルシアが立ち上がる。
「……まだ買うと決めたわけじゃないぞ。それに購入するとしても、ここを出ると決めてからだ。その時期はお前たちの勉強の結果次第だぞ」
皆が魔術師として形になってからじゃないと、ここに来た意味も薄れる。
「……はーい。頑張ります」
勉強と聞いてあからさまにテンションの下がったマルシアは、ゆっくりと椅子に座り直していった。
それから俺たちはいつも通りの日々を過ごしていく。
件の魔石がらみの事件は穏便……と言うと語弊があるが、無事解決したらしい。例の貴族はクラインハインツ家を主とした魔石派貴族たちにより捕縛され、魔石の流通も滞り無く行われるようになっているとの事だ。
これで全てが済んだと思っていたのだが……どうやら俺とクラインハインツ家の縁はまだ切れていなかったらしい。
宿に飛び込んできたメイドの姿を見て、俺はため息を付いた。
「イグニス様。手が空いていらっしゃるのであれば、依頼したい事がございます。至急クラインハインツ家へと赴きください」
言葉は丁寧だが、その表情には焦りのようなものが浮かんでいた。




