第百四話 貴族と冒険者
木剣が宙を舞う。
俺の手から離れたそれはくるくると回り、右手奥の庭木の中に突っ込んでいった。
目の前にはもうひとつの木剣。それが、俺の喉元に突き出されている。
「……まいった」
俺の宣言に、リーゼロッテは木剣をゆっくりと引く。そして自分の手を見つめ、今の手応えを思い返すかのように素振りを繰り返していた。
俺も自分の手を見つめる。この一戦で修練を終いにしようと思い、少し気が緩んでいた所為もあったかもしれない。しかし、それでもリーゼロッテの一撃は鋭かった。いつものように気がそぞろと言う訳ではなく、剣と共に自身の中にある何かを振り切ろうと、一瞬足りとも気を抜かないその迫力はかなりのものだった。
冒険者の実力に換算するのであれば、確実にレベル4相当になっているだろう。
そんな俺たちを、驚いたようにシルヴィアたちが見つめていた。いや、単純に木剣が飛んできたからだろうな。マルシアが魔術を試していた庭木のすぐ近くだし。
飛んでいった木剣の回収も終え、丁度いいと修練の終わりを告げていく。
それと同時にマルシアが「終わったぁ……」と、草木の周りを囲んでいる庭石に座り込んだ。剣を交えていた俺たちと比べて肉体的な疲れはないだろうが、魔術を行使するというのは目に見えない疲労を伴うものだ。皆が復活するまでは俺もしばしの休憩を取ることにしよう。
シルヴィアとシャンディも同じようにマルシアの近くに腰を下ろしていく。リーゼロッテが強引に作ったこの修練場は邪魔な物が一切ない為、休息用の椅子なども当然なかった。
そんな光景を見つめながら、俺は屋敷の壁へともたれ掛かる。
リーゼロッテも同じように隣に来ると、そのまま服が汚れることも厭わずに座り込んだ。その目線はどこか遠くを見るようにまっすぐと外の景色へ向っていた。修練が終わっても、その様子に変化はないようだ。
「……先走るなよ」
その姿を見て、俺は口を開く。リーゼロッテの性格を考えると、このまま例の貴族の元へ突っ走ってもおかしくはない。一応、釘を差しておいたほうが良いだろう。
「……わかっておる。貴族として対処するべきなのだろう?」
いつもと違い、抑揚のない声。膝を抱えるようにし、俯き加減でリーゼロッテが返してきた。
「この場合、冒険者もだけどな。きちんと時間をかければ解決出来ることに、わざわざ一人で首を突っ込む奴は居ない。そのメリットも無いからな」
「……自身で集めた情報ならば、自身の手で解決したいとは思わないのか?」
「その必要があるならするさ。しかし、今回はそうじゃないだろ。俺が受けた依頼は情報を集めることであって、解決することじゃない」
それとリーゼロッテのお守りもだが、これはわざわざ本人の前で付け加える必要もないだろう。
「……そうか」
一言呟くと、リーゼロッテは何かを考えるように黙り込んでしまう。
そろそろ陽も地平にかかる。魔石灯に光が点き始める頃だろう。
「のう、イグニス。冒険者とは、楽しいものではないのだろうか?」
次第に赤みを帯びていく世界を何となく眺めていた俺に、再びリーゼロッテが口を開いた。
「楽しさか……確かに冒険をしていれば達成感やら充実感などを得ることもあるだろう。しかし、大半の人間は楽しさを求めて冒険者を続けているわけじゃないだろうな」
初めは冒険者自体に憧れた奴も多いだろう、俺もその点に関してはリーゼロッテとあまり大差はない。しかし、それも現実を知るまでのものだ。
「では、どうしてだ?」
リーゼロッテが俺の方を向いてくる。
「簡単な事さ。生きるために、だ。お前は何もせずとも食べ物や金が手に入ると思っているのか?」
「そんな事がないことは重々承知しておる……しかし、冒険者をやることとそれがいまいち結びつかぬのだ」
リーゼロッテは首を振るが、その表情は複雑だった。まあ、貴族のお嬢様な上、冒険者の基準をあの魔法剣士シャロワに見立てているのならそんなものなのだろう。金、名誉、地位、権力。そんな欲を持たず、ただ純粋に人々を助ける。なんと理想的な冒険者像なのだろうか。
「……お前は、どうしたいんだ?」
「どうしたいとは?」
質問の意味がわからないと言った顔で、リーゼロッテはそのまま言葉を返してくる。
「このまま冒険者になりたいのか?」
「……冒険者になったとしたら、イグニスたちと冒険出来るのか?」
俺の言葉に少し悩んだ後、リーゼロッテは躊躇いがちに質問をしてきた。
「何故俺たちと、なんだ? 俺たちが否と言ったらお前はどうする。本当に冒険者になりたいのであれば、一人でもやっていく気概を持っているものだろう」
「……そう、であるな」
リーゼロッテは落ち込んだように地面に視線を落とした。
――潮時だな。
俺は壁から背を離し、リーゼロッテの前に立つ。俯いていたリーゼロッテは、陽を遮った俺の影に気づくと顔を上げていく。
「なあ、リーゼロッテ。俺たちと冒険者として修練してみてどう思った?」
「どう、とな……そうだな、魔物と戦えて楽しかった、ぞ」
「……楽しかったか。それならば、これからも同じように時折抜け出して魔物と戦えばいい。周辺の魔物の情報は叩き込んだし、動きも良くなった。俺から一本取れるくらいだからな、自信を持っていいぞ。油断さえしなければ、オッドレスト周辺の魔物なら負けることもない筈だ。それにその程度ならば、きちんと話せばフェルディナント殿も認めてくれるだろう」
「……イグニス?」
リーゼロッテは何を言っているのか理解出来ていない顔で、俺をじっと見つめる。
「現状では……これ以上、俺が教えることに意味は無い」
そう言い終えると、俺はリーゼロッテに背を向ける。
このままの生活を続けていくなら、今のままで十分だ。これ以上の知識は、貴族としては不要だろう。今のリーゼロッテに必要なのは、冒険者としての動きより、貴族としての立ち回り方だ。貴族としての生まれと、冒険者としての才能、そのどちらも持ち合わせているからこそ、リーゼロッテは悩むのだろう。これで全く才能がなければ、もっと早めに諦めがついていたのかもしれない。
……羨ましい悩みだけどな。
才能もなく、冒険者としてしか道が見えていない者にとっては贅沢な悩みだろう。しかし、彼女は彼女なりに真剣だ。その点は、そこら辺に居る冒険者と代わりはない。
「……そうか」
絞り出すようなリーゼロッテの声。背を向けている俺にはその表情は見えない。
「必要最低限の事は教えた。後は自分で整理をつけることだな」
「……ああ、ありがとう」
その言葉に押されるように、俺は手を挙げると門へ向かって進み出す。それに続くように仲間たちも腰を上げていく。近づいてきたマルシアが何か言いたげに口を開きかけるが、雰囲気を察したのか声を発することはなかった。
シルヴィアとシャンディも、そのまま何も言わずに俺の後ろについてくる。
静かな夕暮れ時の中、俺たちは貴族街をゆっくりと歩いて行った。