第九十九話 目覚めと来客
「おはようございます」
朝起きるとユーリエが居た。一瞬、寝ぼけているのかと目を擦る。しかし、その幻はどうやっても消えそうになかった。
「……なんで部屋にいるんだ、お前は」
それが現実のものだと認識すると、俺はベッドの上で胡座をかき、眼の前のユーリエに訝しげな目を向けていく。
「シャンディさんに迎え入れて頂きました」
俺の無言の抗議を受け流し、ユーリエはいつも通りの対応だ。
「……起こせよ」
シャンディに文句を言おうとあたりを見回していくが、その姿は見えない。
……客を放っておいて何しているんだ。
隣では未だにマルシアが夢の中だ。実に気持ちよさそうに寝ている。俺も数分前はこんな状況だったのだろう。頬を摘んでみるが、起きる気配は全くなかった。
シルヴィアは既に起きているらしく、ユーリエの為に茶の用意をしていた。
「とりあえず立っているのも何だ。茶の用意もしてるし、座ったらどうだ?」
俺が起きるまでずっと立っていたのだろうか。それはそれで嫌だぞ。
「……そうですね。それでは失礼して」
ユーリエがテーブルにつくと、そこにシルヴィアがお茶を運んでくる。
「ありがとうございます」
それを受け取り、頭を下げた。シルヴィアもコクリと頷き、ベッドまで戻ってくると端に座り込んだ。未だユーリエには慣れていないらしい。いや、お茶を出せるようになっただけでも進歩したのだろうか。
俺もベッドから立ち上がると、ユーリエの対面へと座った。それに対して、シルヴィアもまたお茶を入れようと立ち上がるが、手でそれを制する。
「で、こんな朝っぱらから何のようだ? まあ、お前が来ると言ったら十中八九、例の件がらみだろうが……」
口につけていた器を戻すと「ええ」とユーリエは頷いた。
「察しが早くて助かります。あなた方と顔を合わすとなると、この時間に来るのが確実だと思いまして」
窓に顔を向けるが、カーテンから覗く陽の光はまだ弱々しかった。
「……早朝すぎるだろう」
俺は欠伸を噛み殺すとともに、頭を掻いた。
結局、話を聞いたところ、昼頃にまた迎えに来るとのことらしい。
用件をひと通り述べると、茶をしっかりと飲み干し、シルヴィアに向って「ありがとうございました。美味しかったです」と言い残し、さっさと帰ってしまった。
「……几帳面というか、融通が利かないというか」
その程度の事なら、わざわざ俺が起きるまで待たずとも言付けておけば済む話だろうに。
このまま二度寝でもしようかとも思ったが、変に目が覚めてしまった俺はそれを諦め、ゆっくりと風呂にでも入ることにした。
未だにグースカと眠り続けているマルシアを羨ましく思いながら風呂の扉を開けると、そこにはシャンディがゆったりと湯船に浸かっていた。
……ああ、そういや見ないと思ったら風呂に入っていたのか。
「……客を迎え入れておきながら、一人悠々と風呂に入っているとはいい身分だな」
「ふふ、良いじゃない。鍵は掛け直しておいたし、本人もイグニスが起きるまで待ってるって言ってたわよ。別に知らない仲じゃないでしょう?」
俺の悪態をさらっと流し、シャンディは湯船から脚を上げた。
「扉を開けっ放しは寒いわよ。折角だし、一緒に入らない?」
「そうか……それじゃ、遠慮無く入らせてもらうとしよう」
このまま引き下がるのも癪なので、その提案に乗ってやることにする。
宿の前までやってきたのは、いつも通りの豪華な馬車だ。
それに俺たちは乗り込んでいく。今回は俺だけじゃなく、皆も一緒である。シルヴィアは俺の隣におとなしく座り、対面ではマルシアとシャンディが抜群の座り心地に感心をしていた。
反対側にユーリエがつき、御者に合図を送ると馬車が動き始める。
十日近く通い慣れた道だ。俺はいつも通り、シルヴィアの頭越しに窓の外をぼーっと眺めていた。
しばらくの間、馬車は普段通りに進んでいた。しかし、貴族街に入った所で違和感を覚える。
「……道、間違えてないか?」
明らかに何時も見ていた風景ではない。初めての時に散々迷ったお陰で、リーゼロッテの屋敷までの道程は頭にしっかりと刻まれている。
「ええ、今回、向かっているのは御館様の居る本家です」
その言葉を理解するや否や、俺は眉をしかめる。
「……おい、どう言う事だ? 俺はてっきり、いつも通りリーゼロッテの屋敷に行くものとばかり思っていたぞ」
「今回の件はリーゼロッテ様個人ではなく、クラインハインツ家として対応なされたので」
……考えてみればそりゃそうか。お嬢様一人じゃ荷が重い。しかし、そうなると例の御館様と対面する事になるのか。ドンドン深みに嵌っている気がしてならない。
「……凄いわねぇ」
シャンディが屋敷を見上げて呟いた。
「……そうだな」
隣の俺も同じように呆れた顔で同意する。俺の視界に屋敷の全容は映らない。屋敷も庭園も、基本的なものはリーゼロッテの屋敷と変わらない。しかし、その大きさは圧倒的だった。
屋敷の正面上に掲げられているのは、見慣れた鷹のレリーフ。それを見つめて、俺はなんとも言えない気持ちになった。
辺りには警備も多い。こっちはメイドではなく、しっかりと鎧を着込んだ警備兵ばかりだった。
「……メイドさんが少ないんですけど」
それを見て、一人不満を垂らしていたのはマルシアである。この屋敷よりもメイドの方が気になるらしい。豪胆というかなんというか……その気概を俺にも分けて貰いたいものだ。
「うむ。よくぞ参られた」
激しい既視感。これが親子と言うものなのだろうか。
案内された部屋にやってくると、立派な髭を蓄えた中年の男性が俺たちを迎え入れた。隣にはリーゼロッテの姿もあり、この人物がどうやら件の御館様らしいことは見て取れる。その反対側にはリーゼロッテが成長したような女性が並んでいた。母親……と言うには若すぎる。順当に考えて姉だろうか。
「私がクラインハインツ家の当主。フェルディナント・マグヌム・クラインハインツだ。そなたらの活躍はリーゼロッテから聞き及んでおる。誠に大儀であった」
大仰に手を広げ、俺たちを労う御館様。その動作というかノリは、何処となくリーゼロッテから感じるものと似ている。となると、隣の大リーゼロッテも同じような感じなのだろうか……。
二人に増えたリーゼロッテを想像して、俺はげんなりとしてしまった。一人でも持て余すと言うのに、二人とか確実に投げ出す自信がある。
俺の視線に気づいたのか、大リーゼロッテは微笑んできた。
「そして隣に居るのが……」
「リーゼロッテの姉、アンネローゼと申します」
御館様の言葉にアンネローゼが一歩前へと踏み出し、俺たちに向けて一礼した。そのちょっとした動作さえも貴族のお嬢様らしい淑やかさと気品に溢れており、思わず魅入ってしまう。
「なーに鼻の下を伸ばしているんですか」
後ろにいるマルシアが耳元で囁く。どうやってもそこからでは俺の表情は見えまいに、勝手な想像で濡れ衣を被せてくるのは勘弁してもらいたい。
「いいじゃない。男はそういうものよ」
俺にまで届くような囁き声で、シャンディはマルシアに言う。面白がって煽るな、後が面倒だから。
「父上。詳しい話は後ほどにして、まずは食事にしませんか?」
今まで黙っていたリーゼロッテが口を開く。
……ああ、またあの時間がやってくるのか。
俺は暗澹たる気持ちで頭を垂れた。




