第九十八話 エスコートと古き形式
次の日は普段より暖かかった。
ちょうど良い温度と言えばいいのだろうか、その陽気のお蔭か眼の前を行く人の数も普段より多いような気がする。
「んー、ちょっとこれだと暑いですね」
纏っていた外套を脱ぎ「ふぅ」とマルシアは息を吐く。
「何時もこれくらいなら過ごしやすいのだけどね」
シャンディが空を見上げながら呟いた。
雲は少ししか無く、日差しが燦々と降り注いでいる。陽が昇れば更に暖かくなりそうなので、俺もマルシアと同じように外套を脱いでいく。
「荷物にもなるし、一旦部屋に戻って置いてくるか」
まだ宿を出たばかりだ。戻るくらいは差し支えない。
「そうね」
シャンディも続いて脱ぎ始める。それを見たシルヴィアが、慌てて同じように外套に手をかけた。
「別に問題がないなら脱がなくてもいいんだぞ」
その言葉を聞いたシルヴィアは手を止め、少し悩んでから頷いた。こいつにとっては暑さよりフードが被れなくなるほうが宜しくないだろう。黒騎士の中に入る案もあるが、街中を連れて歩くと邪魔にしかならないので出来る限り遠慮願いたい。
「それじゃ宜しくお願いしますっ」
マルシアが脱ぎ終わった外套を丸め、俺に渡してくる。
「……おい」
「えー。今日はイグニスさんが色々とお世話してくれるんじゃないんですか?」
……ああ、そう言えば昨日そんな話をしていたな。やはり、しっかりと覚えていたか。
仕方なく俺は外套を受け取る。一つも二つも変わらないので、シャンディにも寄越せと合図する。
「ふふ、ありがと」
礼の言葉を背に、俺は宿へと引き返していった。
今回は主にマルシアの案により、隠れた名店なるものを探すこととなった。
先日、リーゼロッテを案内した際に表通りの主だった店をまわっている為だろう。
通りを一つを隔てると、やはり道幅は不安定だ。人は減っているのに通りやすい感じが全くしない。
俺がエスコート役の筈なのだが、結局先導するのはマルシアとシャンディとなった。前の休暇とほとんど変わっていない。ただ、礼も含めて代金は俺持ちなだけである。
それから一見して何を売っているかわからない雑多な店や、一般向けの雑貨を扱っている店など、様々な店をハシゴしていく。
しかし、特にこれといって目ぼしい物は発見出来ず、ただの冷やかし客となってしまう。やはり隠れているものは簡単には見つからない様子だ。
「うーん、結構回ったわね」
主に可愛い小物を取り扱っていた店を出て、シャンディが大きく伸びをする。
「そう言えば、一つ行きたいところがあるんだが」
キリがいいところで俺は口を挟んだ。
「どこですか?」
先ほどまで、ずっと後を着いてまわるだけだった俺の提案に、マルシアは興味深そうに振り返った。
「ちょっと書物を見に行きたいと思ってな、ちょっとギル……」
「あ、いいですねっ! 最近、本を読んでいなかったので本屋さんに行きましょう!」
ギルドに行かないかと続く俺の言葉を遮って、マルシアが食いついてきた。さすが本の虫だ。
「私も最近全く手を出していなかったわね。ちょうどいい機会だし、行きましょうか」
シャンディも賛同することによって、行き先は決定した。
俺たちがやってきたのは、この街一番の大きな本屋だ。ギルドの資料室など比べ物にならない程の書物が並んでいた。
周りは同じように客の数も多く、それに対応するためなのだろう、店員の数も多い。それぞれ担当している部署があるのか、一定間隔毎にカウンターが設けられ、それぞれ個別に応対している様子だった。
入り口で圧倒された俺たちは、我に返るとそれぞれ目ぼしい本のあるところに分かれていく。
「マルシア、シルヴィアの事を任せていいか?」
「あ、はーい。シルヴィアちゃん行きましょうか」
シルヴィアはコクリと頷き、マルシアの側に寄るとそのまま奥へと向かっていった。俺についてきても面白く無いだろうし、マルシアに任せることにした。二人の本の趣味は一致する部分も多いしな。
「それじゃ、また後でね」
シャンディもまた、手を振りながら別れていく。
「俺も行くか」
辺りを見回し、手の空いている店員を探す。以前と違い、今回は一応目的もある。それならば店員に該当する本の場所を聞いたほうが早いだろう。
「ちょっといいか? 魔術書……と言うか魔力自体について詳しく書いてある本はあるだろうか?」
ちょうど近くを店員が通りかかったので、俺は呼び止める。
「魔力に関する書物ですか? そうですね……それですとあちらの棚にあるものが該当すると思われます」
「すまない。助かった」
軽く頭を下げ、俺は店員が指し示した場所へと移動していく。
何故、魔術書というのは凝った装飾がされている物ばかりなのだろう。ずらっと眼の前に並ぶ本は、どれもこれも立派なものだ。その分、価格にも反映されているのか、その値段を見てため息が出る。
しかもよく考えれば、本屋で中身をじっくりと見るようなことなど出来ない。
どうしたものか……ここは諦めて、ラーナに聞いたほうが早いような気がしてきた。帰りに顔を出してみようか。
「何か、お困りですか?」
本の前で立ち往生していた俺を不思議に思ったのか、いつの間にか隣に来ていた男が声を掛けてきた。
一見して魔術師風とでも言えばいいのだろうか、全身を覆う豪華なローブはかなりの値打ちがありそうだった。まあ、魔術書を参考にするような者は大体魔術師だろう。そんな中、俺のような場違いな男がいれば興味の一つも湧くわな。
「あー、いや。ちょっとした参考程度に魔術書を買おうかと思ったのだが……どうにも素人には判別が付き難くてね」
「なるほど。因みにどのような物を探しているのでしょう? 差し支えなければ私も一緒に調べますよ」
「うーむ、具体的には説明し辛いのだが……こう、魔力溜まりを任意で発生させるような?」
我ながら、説明下手である。これで通じるとは思っていないが、他に説明のしようもなかった。
「魔力溜まりを任意に……ですか? 魔力溜まりとは、言ってしまえば体外魔力が濃い場所の総称なので、任意につくり上げるのは無理だと思いますが……」
魔術師は困ったような顔をする。なんだか自分が間抜けに見えて仕方ない。知識というものの大切さを改めて実感する。
「いや、なんと言うか……以前、普通の場所で魔力溜まりと似たような感覚を受けたものでな」
「魔力溜まりに似たような、ですか。そうなると空間を魔術で包むと言うことでしょうか。……それならばこちらが当てはまるかもしれませんね」
本棚を見回して、魔術師は一つの本を取り出す。そのタイトルは『魔法陣について』というものだった。
「魔法陣?」
「ええ、今は魔石が主流となっていますが。それより以前に使われていたものですね。違う点は色々ありますが、簡単に言ってしまえば魔術師にしか使えない魔石、でしょうか。予め周囲に陣を描いておき、その流れに沿うように魔力を走らせて発動させるものです」
「魔石より以前……と言うことはかなりの昔の話だな」
「ええ、古い遺跡などでは偶にこういった魔法陣が残されていたりすると聞きます」
「なるほど……助かった。俺が求めていた答えに近いかもしれない」
「お役に立てたのであれば良かった。これを機会に、少しでも魔術に興味を持って頂ければ幸いです」
魔術師は笑みを浮かべ、一礼して去っていった。
俺は手にした本をパラパラと捲っていく。そこには以前、ラーナが書いた魔導路の様なものがズラリと並んでいた。
……どうやら俺の頭で理解するのは難しそうだ。とりあえず、頭の片隅に入れておくとしよう。
その後、皆それぞれ一冊ずつ欲しい本を買い、帰り際にラーナの店へと赴いたのだが、どうやら留守のようだった。例の魔石の件で出ているのだろうか?
仕方ないと踵を返そうとするが、何やら店員と女性陣の会話に花が咲き、宿につく頃にはすっかり陽も暮れていた。
ようやく一日が終わったとベッドに座り込んだところ。
「まだ今日は終わっていませんよ」
ドンと酒瓶をテーブルに置いて、マルシアが宣った。
ああ、帰りにそれを買っていた時点で察しはついていた。普段であれば、俺も喜んで迎え入れたことだろうに。
「それじゃイグニス。お酌をお願いするわね」
「えへへ。逃がしませんよー」
それは日付が変わる頃まで続くこととなった。