血液型と言う常識
「……ねえ、秘密って何?」
とあるホテルの一室。長い付き合いを持つ彼に誘われて入った彼女は、不思議そうに尋ねた。
数年前からこの「町」に引っ越してきたという彼は、いつも真面目で優しく、どう見てもそう言った風には見えない。少々几帳面で頑固な所が珠に瑕だが。
「君の血液型は『B型』だろ?」
「ま、まぁそうだけど……」
少々拍子抜けたような感じで、彼女は彼の問いに応えた。
いつも気分屋でマイペースだが、意外に寂しがり屋な一面も見せると言う典型的な『B型女子』の性格の彼女。怒らせると烈火のごとく騒ぎ立ててしまう所もあるが、彼と一緒にいる時間を何よりも楽しんでいた。
「ねえ、いきなりそう言う事聞いて何の風の吹きまわし?」
いまいち意図が見えない様子の彼女に、彼は静かな口調で言い始めた。血液型で性格が決まると言う考えは、おかしいのではないか、と。
血液型診断と言うのは、科学的には何の根拠も存在せず、ただ統計で生まれた偶然でしかないものだ。そんな非科学的なものを人々は信じて踊らされ続け、様々な企業や政治家は無知な彼らを利用してたんまりと金を儲けている。こんな世の中は間違いなく変である、と彼は強く訴えたのである。
真面目そうに見える彼がそのような考えを強く訴えるのを見て、彼女は驚きの表情を見せていた。だが、彼の言葉はそれだけには収まらなかった。自らの考えを支持する証拠が、自分たちである、と。
「AB型の男とB型の女の相性が悪いなんて、真っ赤な嘘さ」
しばしの沈黙が流れた後、彼女は追及を始めた。以前、彼が見せてくれた自動車免許証にあった血液型の欄には『B型』と記してあった記憶が残っている。身分証明の代わりにもなる重要なものであり、嘘は一切書いていないはずなのだが、これは一体どういう事なのだろうか。
……これこそが、彼の秘密であった。
「……『AB型』だったのね」
「今まで嘘をついてきて、本当に悪かった」
血液型を信じる者たちがあまりにも多い中では、いくら彼の考えが正しかったにしてもそれを公の場に口にするのは困難な事であった。だから、彼はずっと自らの血液型を偽って生活を続けていたのである。
それでも、彼女を愛する心だけは偽りは無い。そう彼は言った。そして、再び沈黙が流れた後……
「……大丈夫よ、大事な『恋人』を見捨てたりするわけないじゃない」
「あ……ありがとう!」
長い間ずっと騙し続けた自分を認めてくれたかのような彼女の言葉に、彼の心は感謝の気持ちでいっぱいになった。
そして、そのまま彼女は、例の「偽造」した免許証をもう一度見せてくれるよう頼んだ。これからもずっとお世話になるであろうB型の記述を、もう一度眺めておきたいと言う言葉に、彼は何の警戒も持たずに財布の中から出し、彼女の手に渡した。背広で決めていた彼の写真の近くに、確かに嘘の血液型が明記されている……。
「でも、本当はAB型なのよね……」
「うん、そうなんだ……」
ふーん、と声を返した彼女は、そのまま同じトーンで彼に告げた。こんな偽造をするというのは、犯罪ではないか、と。
彼の方も、その事に関しては十分理解していたようで、だからこそ秘密の部屋に近いこの場所で彼女にのみ明かしている、と告げた。
……その直後だった。
「犯罪だって分かって、このような事をしたのね」
「……そ、そうだけど……どうしたんだ、急に?」
「報告通りだったわね。『AB型』の男が、長年私たちの中に紛れて活動しているって」
突然の彼女の語りに一瞬唖然とした男だが、次第にその意図が分かるにつれ、その顔に驚愕と恐怖が混ざり始めた。
自らの免許証の偽造とそれに連なる大きな罪は、既に彼女にはばれていたのだ。その理由は一つ、彼女は『恋人』などでは無く……
「囮捜査の甲斐があった、か」
犯罪者の治安を守る警察官である彼女の言葉と同時に、突如扉が開かれ、黒服の屈強な男が部屋に飛び込んできた。双方から銃を突きつけられ、身動きが出来ない状態に陥った彼に向けて、彼女は静かな声で告げた。
「貴方を、血液型区分法違反により、この場で抹殺します」
――A、B、O、AB、四つの『血液型』でその人の性格や将来、相性などあらゆる事が決まる。
かつて占いや診断などで信じられてきたこの考えは、時代が経つ中でより肥大化し、この国の人々の考えを魅了していった。血液型こそが人生の全てを判断する最高のコンテンツである、とテレビの中でタレントが、新聞の中で評論家が、ラジオの中で声優が、人々を導いていった。
次第に血液型は、就職や入学といった人生の境目においても大きく影響するようになった。会社は性別や性格よりもまず「血液型」を採用基準とし始め、学校でも次第に血液型別にクラスが分けられるようになっていった。学力の差など、血液型から導かれる性格基準の前では大した差では無い、と誰もが考えるようになっていたのだ。
苛めの温床に繋がると言う批判や、そもそも科学的に実証されていないと言う反論も当然出た。しかし、そのような考えは大多数の人々の考えが常識となって行く過程で次々に潰されていった。科学の世界や人間関係など関係ない、『血液型』があらゆる人生の根源にあるものだ。先が見えない社会の中で、人々は自らの血液のタイプを「神様」のように崇めていった。やがて、その考えは政治の成り行きをも左右し始めたのである……
……そんな歴史の流れの行き着く先にあるのが、現在のこの状況である。
「あの言葉は……嘘だったのか!」
恋人だと信じていた存在に怒りの言葉を投げかける彼だが、彼女は全く動じる事は無かった。
「そうよ、私はB型、何を考えているかなんてA型の貴方に分かる訳ないでしょ。
それに、貴方は私の『恋人』じゃない」
この国の人々は血液型毎に町の中に居住地を決められ、大半がそこで一生を過ごす。
特別な許可を得ない限り、一歩でも別の血液型の場所に行けばそれはれっきとした「犯罪」となり、場合によってはその場で処刑する事も構わない事になっている。その考えに真っ向から反しようとしていた彼のように……。
「俺は見たんだ、A型の子供をあっさりと見放すAB型の親を!」
「あら、その怒りでわざわざB型の証明書や治療履歴を偽造してまで紛れこんだ訳?」
「お前も何とも思ってないのか!?自分の子供を……子供を!」
……許可されていない血液型の存在を抹消するのは、国の義務以前にそもそも常識であり、当然のこと。
あの時の親も、彼女も、そして周りを囲む男たちも、その考えは全く同じだった。
「…おかしい!おかしい!絶対におかしい!!」
自らの言っている事が誰にも理解されていない事を嫌でも見せつけられた彼は、とうとう自暴自棄になったかのように叫び始めた。
こうなれば、もう何をやっても無駄である。そう察知した彼女は、わめく彼を見つめつつ、掌で合図をした。
そして、数発の銃弾と共に、必死の彼の叫びは消えていった。
「……」
床に横たわる彼「だったもの」を見つめる彼女に、黒服の男が心配そうに尋ねた。規則を破った者を抹消すると言う正義を成し得たのに、何故そのような悲しい視線を向けているのか、と。
「……ちょっと、可哀想に思って」
「と、言いますと?」
「血液型が絶対だって言う事を理解できなかった彼が……ね」
その言葉に、男も納得せざるを得なかった。
恐らくあのまま説得を続けたとしても、彼は自らの考えを捻じ曲げる事はしなかっただろう。だが、そのように何かを否定すると言うのはとても大変であろう。もしも『血液型』が全てを決める、と言うごく普通の一般常識にいちいち疑問を持つと言う事が無かったら、運命はきっと良い方向に変わっていたかもしれない。AB型の男とB型の女と言う、最悪の相性を持つ二人が巡り合う事も……。
彼に最後の挨拶を交わし、彼女と黒服の男は部屋を出た。
数分後には、肉塊を処理する専門の部隊がここを訪れ、全てを無かった事にしてくれるだろう。
床に飛び散った、AB型の血液も含めて。