3巻発売お礼小話「ある英雄の生涯」
彼がオスフェ家に来たのは、生まれて間もないころだった。
母や兄弟と離されて、見知らぬ場所に連れてこられ、不安でいっぱいだった。
赤い人に抱きかかえられ、ぷるぷると震えていると、自分と同じような小さなものが見えた。
もちろん、自分よりは大きいが、それがとても弱いものだと、本能的にわかったのだ。
「今日からディーと呼ぶよ。息子のラルフリードの親友になってもらいたい」
優しく声をかけられ、ラルフリードと呼ばれた小さなものの横に下ろされた。
それは自分と同じように、乳の匂いがして、母や兄弟を思い出させる。
ークキュー
と、鼻を鳴らすように鳴いた。
ディーと名付けられたスノーウルフの子供は、ラルフリードとともに元気よく育った。
彼の方が成長が早いため、ある日外に出された。
お家ではない場所で、母や兄弟と同じ姿のもの、色や大きさが違うけれど近しいものと初めて会った。
「ディー、君はご主人様を守るために戦う方法を学ぼうね」
初めて見る人に言われたが、ディーには理解できなかった。
彼にとって、群れの長は赤い人だ。
父親的な存在と言ってもいい。
ラルフは兄弟であり、遊び友達でもある。
今は四つ足だが、いずれ赤い人みたいに二つ足になるだろう。
追いかけっこができるかもしれないと、そのときを楽しみにしている。
知らない人に言われるがまま、いろいろなことをしたが、楽しいことと楽しくないこと、どちらもあった。
楽しくないことはやりたくないとごねても、おやつを見せられるとつい欲しくて言うことを聞いてしまう。
「ちゃんと戦うことができるようになったら、お家に帰れるよ」
知らない人が言った一言が、ディーを変えた。
ちゃんとやれば、早くお家に帰れる!
また、ラルフと遊べる!
そう悟ったディーはみるみるうちに強くなり、やっとお家に帰ることができた。
「あうあう!」
四つ足で一生懸命歩み寄ってこようとするラルフを見て、ディーはようやく理解した。
敵からラルフを守るために、あれは必要なことだったのだと。
それからは、ちょこちょこと動き回るラルフが危ない所に行かないよう引き止めたり、悪戯をして怒られたラルフを慰めたり、何気ない日々でも幸せに暮らしていた。
ディーも大人になり、ラルフも二つ足になって、念願の追いかけっこで遊んでいたある日。
オスフェ家に新しい家族が増えた。
いつぞやのラルフと同様に小さくて弱いもの。
「ディー、いもうとだよ!カーナディアっていうんだって」
ラルフにとっては初めての妹。
カーナディアの小さな手を握り、ディーに紹介する。
ディーも懐かしい乳の匂いに、ラルフと同じようにこの子のことも守らねばと思っていた。
ラルフと一緒に、カーナディアの子守をしたり、ときには庭で泥まみれになったり、相変わらず幸せはそこにあった。
しかし、オスフェ家に突如として悲しい出来事が起きる。
ラルフとカーナがばあ様と慕う女性が、女神様のもとへ旅立ったのだ。
オスフェ家のものたちは、みな元気をなくした。
彼にはどうすることもできなかった。
ラルフに遊ぼうと誘っても、ただ撫でるだけで部屋から出ようとはしなかった。
カーナに遊ぼうと誘っても、隠れて泣いていた。
ただ二人の側にいるだけの日々が、笑顔に変わった日。
「弟か妹が生まれるんだって!」
「ディーはどちらがいい?わたくしはどちらでもかわいいと思うの!」
妹という言葉は知っている。
ラルフはカーナのことを妹と言うときがあるからだ。
ーワンッ!
二人は笑顔を取り戻し、お腹が大きくなっていく母親を気づかいながら、新たな命が生まれてくるのを待った。
元気すぎる産声が上がると、オスフェ家のものすべてが笑顔になった。
ラルフは女神様に感謝の祈りを捧げ、カーナは嬉しくて泣いていた。
母親がディーに新しい家族を見せたとき、彼は宝物だと感じた。
一番の宝物。
みんなの宝物。
それまで、ラルフやカーナにも内緒にしていた宝物が霞むほどに、小さなものは輝いていたのだ。
「ネフェルティマというのよ。ディー、一緒に遊んであげてちょうだい」
ぱたぱたと尻尾を振り、顔が見えるようにと近づけられたネフェルティマを軽く舐める。
それからの彼はネフェルティマから離れなかった。
もちろん、ラルフとカーナも側にいた。
日に日に大きくなるネフェルティマは、二人よりも活発で、目を離すと怪我をしてしまうことが増える。
この頃になると、ラルフとカーナは勉強や習い事で側にいることが減ってしまったが、二人の分もとディーは頑張った。
ネフェルティマが怪我をしないように我が身で庇い、ネフェルティマが泣いたらすぐに宥め、ときには背中に乗せて冒険もした。
ノックスという友達も増えた。
夜中にこっそり、ノックスと遊んだりもしていた。
ネフェルティマが長い時間お家にいなかったときは、ディーは寂しさを紛らわすように、隠した宝物の場所に行った。
ネフェルティマのようにきらきらはしていないが、大切な家族からの贈り物だ。
遊びすぎてぼろぼろになった玩具、カーナが作ってくれた小さな人形、ご褒美でもらった大きなお肉についていた骨。
これらもやっぱり宝物だと、彼は再び隠してしまう。
ネフェルティマが戻ると、変な生き物たちがいた。
足がいっぱいあるのと、ないの。
ノックスとは違うものだと、すぐにわかった。
でも、悪い感じはしない。
足がないのを鼻でつつくと、ぷるんと揺れた。
人とは違う柔らかさに驚いた。
こんな生き物がいるのかと。
足がいっぱいあるのは、おかしな動きをしていた。
でも、楽しそうだ。
ノックスが警戒していないから、大丈夫だと思った。
変な生き物たちと遊ぶと、ネフェルティマが嬉しそうにするから、ディーは一緒に遊んだ。
楽しいけれど、なんだか違う。
ディーは、ラルフとカーナがいないことを寂しいと感じたのだ。
ネフェルティマは宝物だけど、ラルフとカーナだって大切な人。
三人が一緒にいるときが幸せ。
赤いお父さんとちょっと怖いお母さん、みんないたらもっと幸せ。
今までと違うことに戸惑っていたら、なんか大きなものがやってきた。
ネフェルティマが仲良くしてと言うと、大きなものがじっと彼を見つめた。
怖いけど、怖くない。
自分と同じような感じがする、そう思ったディー。
「ディー殿、よろしく頼む」
自分よりも強い。でも、宝物は同じ。
シンキと呼ばれたものの視線から感じたものだった。
ーワンッ!
通じたかどうかはわからないが、仲間を歓迎した。
残念ながら、ディーは同列で迎え入れたにもかかわらず、シンキには通じていなかった。
ネフェルティマとたくさん遊んで、寂しいと感じていたのを忘れた頃。
ネフェルティマのお出かけを見送り、庭で日向ぼっこをしていた彼は、言いようのない不安に襲われた。
彼には見えていなかったが、精霊たちがずっとネフェルティマの危険を訴えていたのだ。
すぐに本能に従う。
ラルフを引っ張るようにして連れ出し、幾度も吠え、ネフェルティマのもとへ行くぞと伝える。
今までに見せたことのない態度に、ラルフは何かあると、ディーを外に放った。
駆けるディーのあとを、見失わないよう馬で追う。
ほんの微かな香りを頼りに、彼はネフェルティマを探す。
その香りも、風の精霊が届けていたものだということは知るよしもない。
ラルフがついて来ているのを確かめると、またすぐに駆け出した。
ディーにとっては、足場の悪さや障害物など些細なこと。
ネフェルティマの匂いをたどると、嫌な匂いを放つ人が出てきた。
瞬時に敵だと判断した彼は飛びかかり、その体で押し倒すと首に向かってその牙を突き刺す。
しかし、抵抗されたために、牙は首ではなく肩へと逸れた。
本来なら、ここでとどめを刺さなければならないのだが、彼はネフェルティマのもとへ行くことを優先した。
口周りを赤く染め、開いた扉の向こうへと跳ぶ。
もう一人の嫌な匂いに、威嚇をしてネフェルティマから遠ざけようとした。
敵との距離を測り、いつでも飛びかかれるようにと身構える。
そんな彼を退けるために、男が剣を抜く。
あれは危険なものだと、ディーは知っていた。
だから、うかつには近寄れない。
ごそごそという音とともに、ネフェルティマの声が聞こえた。
よかった、無事だと思った一瞬で、状況が変わってしまう。
男がディーではなく、ネフェルティマの方へ駆け出したからだ。
考える間もなく、体が動いた。
すでに習性になっていたのかもしれない。
危険なネフェルティマの前に立つことが。
それと同時に、もう一つの危険にも気づいていた。
それでも、彼は止まらない。
宝物を守るためには、その凶刃を身に受けなければならないとわかったからだ。
襲いくる痛みは熱く、彼は最後の力を振り絞る。
一番の宝物を守れた誇りと、幸せを噛み締めて。
心地のよい風が吹く草原で目覚めた彼は、目の前にいる人を不思議そうに眺める。
「よくやった。褒美に最後の時間をやろう」
よくわからないが、嗅ぎ慣れた匂いがした。
その匂いのもとへ、全速力で駆ける。
匂いが濃くなると、視界に宝物が目に入った。
ーワンッ!
喜びを隠すことなく、そのふさふさな尻尾と体で表す。
ネフェルティマも嬉しそうに、ディーを受けとめた。
あるべき光景がそこにはあった。
ネフェルティマは先ほどの人と話していたが、ディーはネフェルティマの側にいることで安心したようだ。
彼もわかっているのだろう。
もう時間がないことを。
だから、いつも通りの時間を選んだのだ。
「ディー、またね!」
そう言って消えていく宝物を見つめ続けた。
ーアオォォーン
悲しげな遠吠えは、草原中に響き渡る。
「さぁ、ディーよ。お前は何を望む?」
その問いの、彼の答えは…。
ーワンッ!
ディーのお話の希望が多かったので、ディーにしてみました。
しかし、思った以上にくどくなってしまった…。
あと、慣れない三人称で読みづらかったらすみません。
今さらですが、お礼になっていないような…。