森鬼が帰ってきた!
バルコニーに通じる窓の前で、ウルクは太陽の光を全身に浴びていた。
そんなウルクに、私はせっせとご奉仕中。
前脚を丁寧にブラッシングして、マッサージにかこつけて肉球をもみもみ。
ウルクの肉球は生活環境からか硬くて、どうにか柔らかくできないかと試行錯誤している。
前脚が終わると、次は胴体の鱗チェックだ。
ムシュフシュは、鱗があるのに脱皮をしないらしい。鱗が傷ついたりしたら、新しい鱗が生えてくる。
魚の鱗方式かと思いきや、まさかのサメの歯方式だったんだよ!
でも、成長時は鱗も一緒に成長するのに、傷ついたら生えるってちょっと不思議だよね。
鱗の感触をたんまりと堪能したら、今度は後脚。
この小さい羽根の密集具合がいい感じ!
烏骨鶏のふわふわした頭やノックスが雛だった頃の羽根に近い。
羽軸はまだしっかりと観察できていないけど、形状的に半綿羽じゃないかなぁって思ってる。
固く絞った濡れタオルで、羽根がある部分を軽く拭いて、趾の裏はしっかりと拭く。
最後に、尻尾を乾拭きして、お手入れは終わり!
抜け落ちた羽根は回収して、竜医長さんへの貢ぎ物にするつもりだ。
「うーん、もっと拡大できるものがあれば……」
拡大鏡というか、ルーペ的なものはある。ただ、そんなに大きくならないので、老眼鏡みたいなんだよね。
顕微鏡くらい拡大できるものが欲しいけど、ないものはどうしようもない。
――ん?
突然、ウルクが頭を持ち上げ、窓の外をじっと見つめた。
「どうしたの?」
――いや、何か光ったのが見えた。
私の位置からは、光るものは見えない。
スピカにお願いしてバルコニーの窓を開けてもらったけど、外に出るのはダメだと言われた。
「何者かがネマ様を狙っている可能性もありますから!」
スピカだけがバルコニーに出て、周囲を警戒する。
ただ、ここ三階なんだよね。宮殿の部屋は天井が高いから、日本の建物の四階相当の高さだと思う。
周りには背の高い木もなく、遠くから狙うとしたらスナイパーライフルじゃないと無理じゃないかなぁ。あとは、壁を登って侵入、もしくは屋根から下りてきて侵入が考えられるけど、こんな真っ昼間にやったらすぐに巡回警備している軍人さんに見つかりそう。
身を屈めて窓際に寄り、外を窺う。そんな私の上を、ノックスが通り過ぎた。
どうやらノックスも不審者探しに向かったようだ。
「……あれ?」
空に羽ばたくノックスを見送っていると、あることに気づいた。
頭を下げていたウルクに見えていた範囲って、ほとんど空なのでは?
「ウルク、光っていたものって、空に浮かんでた?」
――あぁ。本当に小さな光だった。
空に光る物体といえばUFO!
いやいや、さすがの神様でも宇宙人は創らないでしょ。……創らないよね?
地球贔屓なところがある神様だから、ないとは言い切れないのが恐ろしい!
ぶっちゃけ、面白がって創っている可能性もある!!
――ピィィィィーー!
ノックスが猛スピードで戻ってきた。
バルコニーの欄干に留まり、興奮した様子で翼をバタバタさせている。
「ノックス?」
ノックスは何かを訴えているようだが、通訳がいないのでわからない。
「ネマ様!ネマ様!」
今度はスピカが大きな声で私を呼ぶ。
「あれを見てください!」
スピカが指差す先は空。よーく目を凝らすと、何やら光る物体が見える。
本当にUFOが現れた!?
「絶対ディー様ですよ!シンキお兄ちゃんも一緒ですかね?」
スピカに言われて我に返る。
そうだよね。UFOなわけないよね。危うく変なこと言うところだったよ。
徐々に大きくなる光の正体は、スピカの言う通りディーだった。
ディーの鬣が太陽光を反射して、輝いているのだろう。
バルコニーにディーが降り立つと、お兄ちゃんと森鬼もその背から降りる。
「森鬼!おかえり!!」
思い切り森鬼に飛びつくと、森鬼は軽々と受け止め、そのままひょいっと私を抱き上げた。
「帰ってきたときのあいさつはちゃんとしようね」
「……ただいま戻りました?」
なぜに疑問形?って思ったけど、考えてみたら、使う機会がないんだ!
私と別行動するときは、森鬼が先に戻っていることが多いし、森鬼があとのときは「戻った」ですませてたっけ。
「うん、おかえりなさい」
よくできましたと、森鬼の頭を撫でる。
ノックスも森鬼の肩に移り、ピィピィと鳴いて甘える仕草を見せた。
森鬼もノックスの頭を指で撫でてあげたりして、仲良しな姿が微笑ましい。
ノックスだけでなく、私にくっついていたグラーティアもいつの間にか森鬼に飛び移り、森鬼の頭の上で踊っている。
――みゅぅっ!
グラーティアの踊りに気を取られていたら、どこからともなく白が転がってきた。
「やっぱりシンキだ!」
「シンキ戻ってきたー!」
――きゅぅぅぅんっ!!
わらわらと現れて森鬼に集う魔物っ子たち。
「おかえり」
海が森鬼の手を握り、はにかみながらも微笑む。
これには私もびっくりだよ!
他の子たちと比べると、海は喜怒哀楽の表現が大人しく、森鬼も困ったときくらいしか表に出さないタイプだ。
……意外と似たもの兄弟なのでは?
海が森鬼に甘えるという珍しい光景は『遠くにいっていた兄が戻ってきたことを喜ぶ弟。そんな弟になんて声をかけていいのかわからない不器用な兄』という構図に脳内変換された。
そんな場面を間近で見てドキドキ……ん?
私は森鬼に抱っこされているから、二人の真ん中にいるのでは?これは盛大な解釈違いだ!!
素晴らしい場面に私は不要と、森鬼から下ろしてもらった。
「早く帰してあげればよかったな」
魔物っ子たちの和気藹々としたやり取りを見つめながら、お兄ちゃんが呟いた。
「おにい様、森鬼を送ってくれてありがと……って、おにい様っ!?」
お兄ちゃんの変わり果てた姿を見て、思わず両頬に手を当てて叫んだ。
アイセさんよりやつれているではないか!!
「ヴィのせいね!」
「否定はしないけど、承諾したのは僕だから……」
だからといって、こんなになるまでこき使っていいことにはならない!
しかも、治癒魔法によるドーピングをしてまで働いていたらしく、その反動が今来ているそうだ。
「まず、おにい様は寝ること!」
森鬼を送ってきただけじゃなく、何かしらの報告があると言っていたが、今は休むことが大事だ。
「でも……」
戸惑うお兄ちゃんの手を引いて寝室に向かおうとするも、お兄ちゃんはその手を外そうとした。
だが、そんなヘロヘロで抵抗されても、抵抗になっていない。
「パウルー!パーウールー!」
大きな声でパウルを呼ぶ。パウルはお兄ちゃんを見て、状況をすぐに察すると、スピカに指示を出す。
「スピカ、急いで寝室の用意を。ネマお嬢様、わたくしは必要なものを準備してまいりますので、ラルフ様のことお願いしますね」
「任せて!」
お兄ちゃんを寝室に連れていき、パウルが寝間着に着替えさせて、問答無用でベッドへ寝かしつける。
私が子守歌を口ずさみながらトントンをしてあげると、お兄ちゃんはすぐに眠ってくれた。
かなり無理していたみたいだね……。
お兄ちゃんが眠ってからも、私は怒っていた。
「おとう様に言って、ヴィに抗議しなければ!」
オスフェ家からの正式な抗議ともなれば、ヴィも軽視できないはずだ。
そう息巻いて、パパンとママンにお手紙を書いていたら、お姉ちゃんが帰ってきた。
「ネマ、どうしたの?お口に可愛い小山ができているわよ」
私の口元をちょんちょんと突っついてくるお姉ちゃん。
口に小山ができるとは、日本で言うところの口をへの字に曲げると同じ意味で使われている。
だけど、私の怒りを表すなら、小山でも足りないくらいだ。
お姉ちゃんに、お兄ちゃんの状況を説明する。
「そう。ちょっとお兄様の様子を見てくるわね」
そう言ってお姉ちゃんは寝室に向かったけど、お兄ちゃんがぐっすり眠っているからか、すぐに戻ってきた。
「お兄様ってば、目の前のことに集中しすぎて、効率をよくすることを失念していたんじゃないかしら?」
戻ってきて告げられた言葉が予想と違い、私は困惑する。
お姉ちゃんも一緒に憤ってくれると思ったのに……。
「おにい様に全部押しつけるヴィが悪いの!」
私は、諸悪の根源はヴィだと訴えた。
部下の進捗に合わせて仕事を割り振るのも、上司の務めだよね!
「あら。ああ見えて、殿下には優秀な配下がそこそこいるのよ」
お姉ちゃんは、慕われているのが不思議だわぁと、本当に、心の底から理解できないって顔をしていた。
確かに、腹黒陰険鬼畜王子なのに、なぜか慕う人は多い。私が選出した、王宮の七不思議の一つに数えられるくらい謎だ。
「配下に割り振らず、お兄様やアイセント殿下にさせたということは、そういう状況だったのだと思うわ」
そういう状況って……。
国家機密レベルの事案発生!周りには知られてはならない!なぜならスパイがいるから!
という、下手くそな三段オチが脳裏に浮かんだ。
もし、笑い事ではなく本当だったら……ヴィ、何やってんの!?
ヴィが何をやっているのかはお兄ちゃんに聞かないとわからないけど、ぐっすり眠っているお兄ちゃんを叩き起こすなんてできない。
結局、お兄ちゃんから話を聞かない限り、判断できないよねってなった。
「じゃあ、おにい様が起きるまで、森鬼の話を聞こう!」
魔物っ子たちはようやく帰ってきた森鬼に構って欲しいとまとわりついているが、森鬼からはおざなりな対応をされている。
「はいはーい!全員集合!」
魔物っ子たちだけじゃなく、パウルたちにも集まってもらった。
シェルが新しいお茶を用意してくれているが、私は切り出す。
「レイティモ山のことだから、みんなも聞いた方がいいと思うの」
グラーティアと稲穂を除いて、魔物っ子たちはレイティモ山に所縁がある。
海にいたっては生まれ故郷だ。
森鬼に、レイティモ山に到着してからのことを話すよう促した。
「最初にシシリーに会いにいった。シシリーは、女……アリアベルから話を聞いていて、群れを分けることには積極的だった」
シシリーお姉さんが、閉鎖的な環境による弊害を危惧していることは、報告書にも書かれていた。
本当は、他のコボルトの群れと交流させる計画を考えていたんだよ。
ただ、実行する前に二年も眠ってしまい、起きたらすでにシアナ計画は仕上がっていた。
私がしっかりと関われていたら、そのつど修正し、回避できる問題だったと思う。
それだけに、シシリーお姉さんに余計な苦労をかけてしまい申し訳ない。
「ゴブリンは、希望するものだけで新しい群れを作ることにした。その新しい群れに俺も加われとシュキが言い出したから、戦ってわからせておいた」
森鬼から事前に聞いていたこともあり、ゴブリンに関してはまぁ予想通りだよねって思っていたのに、まさかの展開!
森鬼が私のことばかり構うから、守鬼は上位に立って森鬼を従わせようとした。
守鬼、森鬼のこと好きすぎるでしょ……。
「主の兄たちと話して、最終的な決定は主に任せることになった。それで、主が許可したから、新しい住処に向かった」
うんうん。それで?
……新しい住処に向かう道中のことを話してくれるのかと待っているのに、森鬼は何も言わない。
ヲイ!これで報告終わりにするつもりか!?
「新しいすみかに着くまでに、何かあった?」
「何か?……あぁ、城塞とやらで、獣舎の獣と遭遇した」
森鬼の言う城塞は、前に家族で行ったミューガ領のムーロウのことだ。
ムーロウは国境警備の重要拠点なので、転移魔法陣が設置してあるし、獣騎隊の班が交代で常駐しているらしい。
「主が気に入っている獣だったから、なるべく怪我させないようにはしたが……」
「私が知ってる子だったの!?」
さすがにレスティン並みに獣舎の子たちを覚えているわけではないが、よく遊ぶ子は見分けはつく。
「確か、ベイだったか?」
レスティンの相棒である軍馬のワズに次いで、一緒に遊ぶことの多いベイの名前が告げられて、思わず動揺する。
「けがするようなことはなかったんだよね?」
「おそらく。シュキが別のワイルドベアーに襲われて、助けるために抑えつけて放置したからな」
とにかく、ワイルドベアーたちがビビっている隙に逃げ出したってことかな?
特に攻撃していないのであれば、ワイルドベアーは無事だろう。
念のため、レスティンに確かめる必要はあるけど。
ワイルドベアーに襲われた守鬼も、すぐに治癒魔法をかけたので大丈夫だとのこと。
誰も欠けることなく、新しい住処に到着できてよかった!
「エトカ兄、元気だった?」
「マーチェもついていったの?」
星伍と陸星が森鬼に尋ねる。
私の知らない名前だったので、スピカに聞いてみた。同じ群れのコボルトの名前なら、スピカも覚えているだろうし。
「エトカ兄とマーチェって誰?」
「エトカさんは草の氏長の二番目で、マーチェさんはエトカさんの番です」
あ、星伍と陸星の兄夫婦か。
森鬼が実際に会っているコボルトのことなのに、なぜか私と同様に頷いている。
どうやら、番さんの名前は覚えていなかったらしい。
「エトカの番は新しい住処に到着するなり、オンセンを作ると元気に指示を飛ばしていたぞ」
お、おう。そんなに温泉を気に入ってくれて、私も嬉しいよ。
土魔法では、源泉を探したり、掘ったりするのが難しかったようで、森鬼が精霊にお願いしていろいろ手伝ったそうだ。
なんとかこうにか温泉を形にして、みんなで浸かっていたらお兄ちゃんが来たと。
「温泉と同時にコボルトのお家も作っていたの?」
大工さんな匠の氏を多めに連れていったのかな?
「いや、他は後回しだと言っていたな」
「え?じゃあ、温泉しか作ってないの!?寝る場所は??」
「洞穴があれば問題ないだろう?」
最優先インフラが温泉ってどういうことだよ!!森鬼だって、寝床と飲み水が一番大事だって言ってたじゃん!
レイティモ山以前の生活を覚えている子たちなら、野宿も平気かもしれないけど、まずは気持ちよく寝られる場所を整えようよ。
つか、森鬼もそんなコボルトに疑問を抱かないってことは、お引っ越し中の野宿生活のせいで野生返りしてない?
ゴブリン時代の生活がいいとか言い出さないか不安だ……。
「まぁ、みんながいいのであれば、好きにしてもらっていいんだけど……。精霊さんも手伝ってくれてありがとうね」
精霊たちも、森鬼に温泉を探せと言われるとは思ってなかっただろうなぁ。
地中奥深くの水脈から支流を伸ばして源泉にし、温水が程よい温度まで冷めるよう、支流の長さも調節したというのだから、感謝しかない。
精霊にお礼を伝えると、風が舞い、テーブルの上の食器がカチャカチャと揺れた。
これでも、だいぶ抑えて喜びを表してくれていると思われる。
私は以前に経験があるし、森鬼は精霊が見えているから驚かないけど、お姉ちゃんや魔物っ子たちは突然の異常現象にびっくりしたようだ。
「精霊さんがよろこんでいるんだよ」
そう教えると、お姉ちゃんは驚きに喜びが混じったように目を輝かせた。
そして、急に真剣な顔に変わったのでどうしたのかと思ったら……。
「精霊様のお力……現象を起こせるのは魔力と同じよね?でも、魔力は……」
なんか難しいことを考え始めたみたい。
魔法を研究するお姉ちゃんの琴線を何かが刺激してしまったのだろう。
こうなると、しばらく帰ってこないからお姉ちゃんはほっとこうっと。
結局、お兄ちゃんは夕食の時間になっても起きず、私たちも寝る時間になってしまった。
「お兄様、まだ起きないみたいだし、こっそり寝台に潜り込みましょ!」
どこか楽しげなお姉ちゃん。
確かに、お兄ちゃんに気づかれないようベッドに潜り込むのは、悪戯みたいで面白そうではある。
「ぼく、シンキと寝る!」
「ぼくも!」
いつもは私たちの寝室にある、星伍と陸星用のベッドで眠っている二匹だけど、今日は森鬼と一緒に寝たいと言い出した。
すると、稲穂も仲間に入れて欲しいと鳴き、海が三匹を牽制する。
「全員で寝ればよろしい」
パウルにそう言われて、森鬼と海が使用している部屋に押し込まれる魔物っ子たち。
あららと呆れつつも、お泊まり会みたいでちょっと楽しそうだと思った。
ウルクはお泊まり会に興味を示さず、窓際のいつものポジションから動かない。
ムシュフシュは基本昼行性なんだけど、餌を捕りにいく必要がないときはエネルギー温存のため、休んでいることの方が多いそうだ。
なので、ウルクも動きたがらない。運動不足にならないよう、お庭に連れていったりはしているんだけどね。
みんなにおやすみの挨拶をして、いざ!ベッド侵入チャレンジ!
お姉ちゃんと私は足音を殺して寝室に入り、そーっと掛け布団を捲る。
ディーが不思議そうにこちらを見ているが、シーッて合図をしたらわかってくれた。
「……んん……」
一瞬、お兄ちゃんが起きるかと思ってヒヤヒヤしたけど、なんとかチャレンジ成功!
お姉ちゃんと私で、お兄ちゃんを挟むことができた。
「優しき夜に安らぎを」
お姉ちゃんの囁きに、私も小さな声で返す。
……さすがに三人で寝るとベッドが狭いな。
翌朝――。
飛んでいるソルの背中から落ちるという夢を見て飛び起きたら、ものの見事にベッドから転げ落ちていた。
ベッド横にディーがいてくれたので怪我もしなかったけど……。
もしかしてディー、私が落ちると思ってそこで寝てたの?
GWが明日で終わりってマジですか(´・ω・`)