娘には知られたくない父親の働く姿。(デールラント視点)
ミルマ国の侍従に案内された談話室。
その方の姿を視界に捉え、すぐさま外向きの笑みを作る。
「こうしてオスフェ公と対面するのは初めてだったな」
「お目通りが叶いまして、光栄に存じます」
私が恭しく一礼をすると、その方は目線で着席を促してきた。
仰々しいやり取りは必要ないということだろう。
「こんな恋文をもらってはね……」
彼が手にしているのは、私が差し出した手紙だ。
恋文と揶揄されるような内容は書いていないが?
「これについて話す前に、一つ謝らねばならないことがあるんだ。貴方が飼っている優秀な雪狼を殺めてしまい、申し訳ない」
優秀な雪狼ね。
雪狼は隠語だ。犯罪などを犯して逃走している者が、追っ手を示すときに用いることが多い。
獣人の雪狼族は、祖となる動物の特性から優秀な追跡者だと言われている。治安維持に雪狼族を重用している国もあるくらいだ。
「私の側付きは過保護でね」
部下が一名殺されたとの報告をパウルから受けていた。情報を引き出すよりも、主人の身の安全を優先したために殺したということか。
それにしては、彼の言葉に含むものを感じる。自分の側付きにやられてしまうような人員を送り込んだこちらが悪いとでも言うような……。
改めて、彼の様子を窺う。
出入口の扉以外、窓一つない密閉された空間を用意し、互いに護衛は一人だけという条件をつけてくることから、彼はかなり用心深い性格だ。
それなのに緊張は感じられず、どこか寛いでいるようにも見える。よほど、その側付きの腕を信用しているのだろう。
私は、自分が連れてきたオルファンを視界の隅で確認した。オルファンの様子から、側付きの実力が確かなものであることが察せられる。
「アイセント殿下の御身を思ってのこと。致し方ありません」
私は謝罪を受け取った。
「受け入れてくれてよかった。では、本題に入ろうか」
あの手紙に書いたのは、私からの要望。
それは、創聖教への制裁だ。内外から組織を崩壊させるために、アイセント殿下の協力が不可欠だと判断した。
アイセント殿下が秘密裏にライナス帝国内の貴族たちを掌握していることは、以前より情報部隊が掴んでいた。
当時は、帝位を得たときのためだろうと思っていたのだが、ここ最近の動きを見ているとどうも違うらしい。
彼の本当の目的がなんであるかは不明だが、彼がライナス帝国の貴族を動かす力を持っているのは間違いない。
「オスフェ公は本気で創聖教を潰そうと考えているのか?」
「えぇ。腐敗しきった組織なんて必要ないでしょう?」
「その意見には賛成だが、ネフェルティマ嬢に手を出したことが一番の要因だろう?」
創聖教の制裁に私情を挟んでいないかと問われれば、もちろん半分以上はネマを傷つけた怒りによるものだと答える。
「それが何か?」
「いや、噂通りの御仁だと思ってな」
どうやら、私がネマのことを大層可愛がっていることが他国にまで知れ渡っているようだ。
どんどん広まって欲しいと思う。そうすれば、ネマに群がる虫も減るだろう。
「それで、私に何を望む?」
「情報の提供と帝国内から創聖教幹部を追い出すことです」
民から信仰を取り上げるわけではない。腐っている部分を削ぎ落とすのだ。
「できなくはないけど、私がそれをして何が得られる?」
「可能な限り、殿下の望みを私が叶えます……と言いたいところですが……」
「できない約束はしない方がいい。私がネフェルティマ嬢を望むかもしれないよ?」
それを言われることは予想していた。
皇子皇女の中に聖獣の契約者がいない今、もっとも帝位に近づける方法は聖獣の契約者との婚姻。
アイセント殿下が帝位を狙っているのであれば、協力する条件としてそれを告げただろう。
だが、私が娘を手放さないとわかっていて仄めかしてきたのは、帝位狙いではないと示すためか?
「オスフェ公、ひいてはガシェ王国に恩を売っておくのも悪くはないが……」
今のところ望みはなく、借りをを返すのに何十巡かかるかわからないよとアイセント殿下は笑う。
それならば、書面に残してラルフやその子供に引き継がせてもいい。陛下を脅して、勅命を出すことも可能だ。
そう伝えたら、アイセント殿下は驚いた表情を見せた。
「陛下を脅してって……ガシェ王国の国王はオスフェ公に弱みでも握られているの?」
「いくつかありますが、それを抜きにしても、ネマのためですからやらせますよ」
別に陛下を軽んじているなんてことは……ほとんどない。アイセント殿下をこちらに取り込むことができれば、ガシェ王国としても利は大きいと説得できるというだけだ。
私の返答に声を出して笑うアイセント殿下。
「ガシェ王国は楽しそうでいいね。ネフェルティマ嬢が羨ましいよ」
先ほどまでとは雰囲気が違い、年相応の顔をしている。
皇族を取り巻く周囲の圧力が異常だと、ネマは手紙に書いていた。あの内容が本当なら、過去にはダオルーグ殿下のように押し潰された者もいただろう。
アイセント殿下も抑圧された感情を抱えているのかもしれない。
しかし、彼も大人になって様々なことを経験すればわかるはずだ。
理不尽だと思っているうちは、己が弱いのだと。
身分の高い者ほど責任を負う立場に就く。
だからこそ、ただ与えられたものを享受するのではなく、与えられた意味を考えなければならない。いつまでも弱いままでは、大切なものまでなくしてしまうのだから。
アイセント殿下はそれに気づいた。帝国内の貴族を掌握したのも、何かを守るための力を求めてのことかもしれない。
だが、理解と納得は別物だ。
彼はまだ、己が身の理不尽を消化しきれていないようだ。
ここで私が諭すのは容易い。
例えば、幼い皇族に警衛隊の編成を決めさせるのは、人を見る目を養うという意味があるのだと思う。
自分の味方だと用意された者たちが、本当に味方なのか。また、その者たちをどう使うか。彼らの性格、能力を自分の目で確かめて、警衛隊を我が物にする。
皇族が一番最初にそれを成すようにされているのは、身の安全のためだろう。護衛がいて安全になれば、外へ行くこともできる。つまり、公務への第一歩というわけだ。
人を疑うことを覚えれば、擦り寄る貴族たちを見る目も変わる。そして、あしらい方を学んでいく。
両親や周りの者たちによってすべて仕組まれているようにも思えるが、自分がその立場になってわかった。
親心というやつだ。
我が子のことを守りたい。しかし、我が子にはたくましく成長してもらいたい。
手取り足取り教えることも大事だが、自らが気づかねば身につかないこともある。だから、それとなく用意しておく。
私が諭してしまえば、彼は両親の気持ちを真の意味で汲みとることができなくなるだろう。
「ぜひ一度、我が国へお越しください。ライナス帝国とは違う風景をお見せできると思いますので」
私が彼のためにできることは、きっかけを与えるくらいしかない。
今後、何を経験し、何を感じるのかは彼次第だ。
成長が楽しみだと思える人材に、久しぶりに出会えた。我が国にとって、厄介な存在になってくれると期待している。
あれに楽をさせたくないのでね。
「オスフェ公は変わっているね。でも、そういうの嫌いではないよ。それで、私はどう動けばいいのかな?」
「まずは、ライナス帝国内での資金源を断っていただきたい。あと、聖主……カルム・アスディロンと名乗っている人物の情報をお持ちですよね?」
遠回しなことはせずに、直に切りかかりにいく。アイセント殿下は軽く肩をすくめると、口を開いた。
「資金源を断つのは、少し時間がかかるだろうけど構わないよ。聖主についてはおそらく、オスフェ公が握っているものと同等じゃないかな?」
それでもいいからと、聖主の情報を求めた。
「現在の総主祭カーリデュベルとヘリオス伯爵が聖主にたどり着く鍵だと思っている。カーリデュベルはライナス帝国の神官長を務めていたこともあり、国内の貴族に顔が利く。そして、ヘリオス伯爵もロスラン計画でかなり勢力が増している状況だ」
両者とも、もっとも聖主に近い人物として我が国でも名が上がっている。
しかし、ヘリオス伯爵については意見が分かれていた。
イクゥ国との国境であった戦いで、敵の野営地からヘリオス伯爵の紋章が入った手紙が発見されたことが発端だ。
糸を引いていたのがヘリオス伯爵だと、手紙だけで断定するのは安易すぎる。ヘリオス伯爵の政敵が、陥れるために策を講じたのではないかと考えている者もいた。
「イクゥ国の武装勢力が、ヘリオス伯爵の紋章が施された手紙を持っていたことはご存じですか?」
「ライナス帝国から物資が流れていた件なら聞いている。ヘリオス伯爵はその手紙に身に覚えがないと陛下に言っていたそうだよ。これほど明け透けだからこそ、賢い者は裏を読もうとする」
つまり、あからさまにライナス帝国とヘリオス伯爵を示すものを置いておけば、こんなにわかりやすく残すわけがないと、勝手に逆のことを想像してしまうということか。
「それに、ロスラン計画そのものが仕組まれていたものだとしたら?私はずっと不思議だったんだ。なぜ、ヘリオス領はあれほどまでの被害を受けたのか。我が帝国には聖獣様がいて、魔物にも即座に対応できる。他の領地でも被害はあれど、聖獣様のおかげで最小限に留まった」
「ですが、聖獣様や精霊は、種の生存競争には関与できないと聞いております」
魔物の被害に遭ったのはライナス帝国だけではない。我が国、特にオスフェ領も被害は相当なものになっている。
魔物の動き自体はラース殿も把握しており、ヴィルヘルト殿下が王国騎士団にその情報を流していた。
魔物たちがかなりの距離を移動していたこともあって、王国騎士団の対処が後手に回ってしまったが……。
人は生活をしていくために、近隣の魔物を討伐する。ネマはこれを、動物の縄張り争いと同じだと言っていた。
食うか食われるかではなく、自分の縄張りを守る行動が生き残ることに繋がる。
人が魔物を倒し、魔物が人を襲うのは自然の営みの一部にすぎないと、聖獣様たちは判断しているようだ。
聖獣様のおかげで初動を早めることはできるが、聖獣様が魔物を退治してくれるわけではない。
なので、ヘリオス領の被害が酷くなったのも、偶然という可能性はある。
「ガシェ王国ではゴブリンとコボルトによる被害が特に多かったとか。我が帝国はほぼオーグルによる被害だ。どうしてオーグルは帝国へ来た?ゴブリンやコボルトと同じように、北へ行くこともできたと思わないか?」
……魔物たちは、南へ逃げようとすると必ず襲撃されたと言っていなかったか?
まさか、逃す方向を魔物の種類によって調整していたとでも?
不可能ではないが、我々が捕まえたルノハークは盲信的な信者たちばかりで、技量を持つ者はいなかった。
まぁ、我が国で活動していたルノハークの目標がゴブリンとコボルトであったのなら、そこそこの技量でも対処できるかもしれないが。
「オーグルを誘導するなら、相応の手練れを用意しないとあちら側にも被害がおよびますよね。ライナス帝国で捕らえたルノハークに、そのような者がおりましたか?」
「そこら辺は軍部が動いているから、軽はずみには口にできないな」
口にはできないと言っていることが答えだ。
「わたくしどもに尋問させていただくことは……」
「私が皇帝陛下から叱られてしまうから、言えるのは一言だけ。軍部のある部隊が、実験体が手に入ったと喜んでいたらしい」
尋問にかこつけて、なんの実験をしたのだか。捕らえた者はもう生きていないだろうな。
ならば、聞き出せた情報をこちらにも流してくれればよいものを。
「まぁ、わかっているのは、奴らはライナス帝国へ牙を向けたということだ。どうも私の家族はのんびり屋が多いから甘く見られているようだけど、早々に後悔すると思うよ」
現状が聖主の思惑通りならば、ネマを手中に収めるためにライナス帝国を利用している。そして、あわよくば弱体化させ、崩壊まで目論んでいると。
ライナス帝国は建国当初から多種族国家で、当然、人以外の種族も尊重する。人こそが至上だと謳う聖主にとっては邪魔な存在であるのは間違いない。
だが、小さな違和感を覚えるのはなぜだ?
最初にルノハークがイクゥ国を狙ったのは、獣人が多く住む国でありながら、統治は人が行っている一風変わった国だからだろう。
獣人の王がいるのに、国政には関わらず象徴として立つだけ。国民の半数以上が獣人なのに、国家機関にはほとんど所属していないそうだ。
奴らがつけ入る隙は大いにあったと思われる。
そうして、他種族を敵に仕立てあげることで、ライナス帝国の根幹を揺るがそうとしているのか?
「しかし、ヘリオス領に被害をおよぼすことが仕組まれたものだったとしても、ロスラン計画がどうなるのかはわからなかったのでは?」
ロスラン計画が持ち上がったのは、ネマが目覚めたからと言ってもいい。
ネマをライナス帝国へ避難させる口実として、シアナ計画に似た政策を行うとしたのだから。
ネマがいつ目覚めるのか、炎竜殿もラース殿もわからないと言っていた。聖獣様がわからないことを、人如きが知るよしもないはず。
「だから、前提が違うんだよ。ロスラン計画が発案されずとも、ヘリオス領への長期的な支援は実施されていただろう。つまり、復興のために自然と人員が集まる。そこには人だけでなく、多くの獣人も集まるだろう」
アイセント殿下のお言葉に、すべての事柄が噛み合った。
「だから、その時期に合わせて獣人の評価を落とす必要があった……」
私は情報部隊からの報告を思い出し、自然と口に出していた。
イクゥ国内では、伝達屋が偽りの情報を広めていたそうだ。ガシェ王国、ミルマ国、ライナス帝国が手を組んで、イクゥ国を攻め滅ぼすと。
そして、その原因は獣人が神の怒りに触れたからだと、創聖教の神子がお告げをしたとかなんとか。
信仰深くない者でも、あれだけ災害が続いていれば偽りを信じる者も出よう。
「イクゥ国はいい駒だよね。国を捨てた獣人たちは職を求めるし、体力のある獣人なら長距離の移動も厭わないだろうから、いずれヘリオス領へたどり着く。そして、中央でも獣人の代表たる帝国軍総帥が失態を犯せば、人の貴族たちは獣人の排斥に動くというわけだ」
「軍部から獣人がいなくなれば、国防力も衰える」
「まぁ、帝国を滅ぼしたあと、どうするつもりなのかよくわからないけど。代わりに統治するとしても、そう上手くいくとも思えない」
アイセント殿下がどこまでご存じかわからないが、そこにネマという創造神の愛し子がいれば話は変わってくる。
ヴィルヘルト殿下が言うには、契約者を持つ聖獣がどこまでネマに従うかは不明だが、契約者のいない聖獣ならとんでもない願いでも聞き入れるおそれがあるそうだ。
今のところ契約者を持たない聖獣様は、炎竜殿を除く原竜様たちと南の火山に住む火の聖獣様、目撃情報がほとんどない風の聖獣様だけらしい。
その聖獣様たちをネマが侍らせている姿を見せるだけで、人々は奇跡だと、創造神の愛し子だと信じ、聖主に大義名分を与える。
さらに過去の愛し子たちが国を興している史実が、それを後押しするだろう。
「私は、私のものを他人に触れられるのが大嫌いなんだ」
唐突に、これまでの話題とは関係のないことを告げるアイセント殿下に少し困惑した。
「オスフェ公。ネフェルティマ嬢はただの契約者ではないよね?契約者である陛下方とルイ叔父上、テオ兄上も知っているのかな?」
テオ兄上はなかなか読めないからわからないなぁと軽い口調で言葉を続けるアイセント殿下だったが、これまでのことを考えると確証を得ていると思われる。
「それを教えてくれたら、私はもっと動けるようになる。今の段階では、ネフェルティマ嬢も敵かもしれないだろう?」
「それはどうでしょう?アイセント殿下はヴィルヘルト殿下を大層慕っておいでだとか。ヴィルヘルト殿下が可愛がっているネマを貴方がどうこうするとは思えません」
ここでヴィルヘルト殿下の名前を出すのはとても癪だが、牽制になるのであれば少しは役に立ってもらおう。
「ヴィル兄上に懸想は言い過ぎだと思うけど、尊敬はしているよ。なにせ、血が繋がっているのに、ヴィル兄上はまともだからね。オスフェ公は私の兄弟のことをどれくらい知っているかな?」
アイセント殿下は問いかけておきながら、答える間を与えずに語り続けた。
第一皇子は頭の中まで筋肉でできていると言い、第二皇子は思い込みの激しい視野狭窄症に罹っているとため息を吐き、第一皇女は気分屋の飽き性、第四皇子を気弱ないい子ちゃんだとわざとらしく嘆いてみせた。
ネマから聞いていた様子とはだいぶ違うが、身内からすると違った一面が見えるのだろう。
だが、彼の口調には嘲りはない。それどころか、兄弟を誇らしく思っているように感じられる。
「ご兄弟のこと、大切に思われているのですね」
微笑ましく思っていると、アイセント殿下は沈黙し、視線を彷徨わせる。心なしか、顔も赤みが増したようだ。
「…………そう思いたければ思うといい」
「わかりますよ。私も経験がありますから。妻のセルリアと出会うまでは、愛を語らうなど馬鹿らしいと思っていました。安っぽい言葉を口に出すのは気恥ずかしいですし、何より男らしくないとね」
言葉なくして気持ちは伝わらないが、言葉だけでは伝わらないこともある。セルリアはそれを教えてくれた。
そのおかげで、苦労をかけた両親にも素直になることができた。
セルリアと出会わなければ、私は親不孝者のまま、ろくでもない人生を歩んだに違いない。
「話を戻すが……」
気恥ずかしいのか、アイセント殿下は強引に元の話題へ話を持っていく。
「私がオスフェ公に協力する条件は、ネフェルティマ嬢の秘密を明かすこと。ただし、その秘密がライナス帝国並びに皇族を脅かす可能性があるなら、協力はしない。この場合、オスフェ公の判断で話さなくてよい」
アイセント殿下が愛し子について、どこまで知っておられるかが問題だ。
愛し子についての情報はほとんどないと言っていい。
聖獣様や精霊が語ったことを、ネマやヴィルヘルト殿下を通じて教えられる程度だ。
そして、その内容は判然としないものばかり。
他種族には語ることができないのか、創造神にしかわからないのかもしれない。
「まず確かなことは、ネマがライナス帝国と皇族へ何かしらの害を与えることは決してありません」
私は話すことを選んだ。
「ネマは『愛し子』です。それゆえに、ネマの力を狙った者たちがライナス帝国で悪さをすることは考えられます。ルノハークのように……」
そこまで告げて、アイセント殿下の様子を窺う。
しかし、返ってきた反応は想定していたものではなかった。
「ネフェルティマ嬢は愛し子だったのか!それはさぞ……苦労したことだろう」
驚きよりも哀れみを向けられるとは……。
「苦労、ですか?」
「皇族だけが読める、ロスランの手記があるのだが……それに『愛し子は神の玩具だ』という記述があってね」
「……は?」
こちらの困惑などお構いなしにアイセント殿下は語る。
ライナス帝国の初代皇帝ロスランは、不遇な環境で育ったために、とても口が悪かったそうだ。
水の聖獣と契約し、表舞台に立つようになるとまともになったとされている。しかし、その手記には、日頃の鬱憤を発散させるかのように、罵詈雑言が書き連ねられているらしい。
また、それでも収まらないときは精霊宮へ行き、精霊王たちにそれを聞かせていたという。
神に愛されたゆえの苦労による、創造神への罵倒も多く書かれていたので、アイセント殿下はネマもそうだと思われたようだ。
なんというか、歴史書で読んだロスランとは真逆の事実にとても興味をそそられた。
叶うなら、その手記をぜひとも読みたい。
「その手記をお読みになった殿下なら、ネマが愛し子であることに気づいていたのではないですか?」
「ロスランとネフェルティマ嬢は違いすぎて、他の兄弟もわからないと思うよ。あの手記には、契約者のいる聖獣を強制的に従わせる能力というふうに書かれていたからね」
「そうでしたか。……もしかして、暗号か他の言語で書かれていたりしませんか?」
「いや。ロスランの直筆はすべて、マカルタ語で書かれている」
マカルタ語は、魔族やエルフ族が使っていた古代言語の一つだ。現在のラーシア語の原型であり、翻訳はさほど難しいものではない。
ひょっとしたらと思って聞いてみたが、外れだったか。
「ネフェルティマ嬢が愛し子であれば、我が帝国の聖獣を従えることができるわけだ。本当に、彼女は我々に敵対しないと誓えるか?」
「もちろんです。ネマは聖獣様たちのことが大好きですから。ネマが……我々が敵対するとしたら、そちらが先に仕掛けたときのみ。名に誓いましょうか?」
本当に名に誓えば私にとって大きな枷となり、アイセント殿下にとって大きな安心材料となるだろう。
しかし、これは駆け引きだ。
誓いの文言に他者の名を含めるのであれば、その人物が立ち会わなければならないの道理だが、親が子を信じて行うこともまれにある。
その場合、子が誓いを破ると堕落者の印は親に現れる。子は綺麗なままでいられるのだ。
しかし、私が持ちかけた誓いは『ネマがライナス帝国と皇族に敵対しない』という内容。
どういう経緯でネマが敵対するのかまでは含まれない。つまり、ネマが何らかの策にはまり、敵対してしまった場合などでも名の誓いは発動する。
名の誓いを破ったと精霊が判断すると、必然的にライナス帝国は愛し子の敵となる。
それは、誓うことによって大きな危険も潜んでいるというわけだ。
さぁ、アイセント殿下はどちらを選ぶ?
コミカライズ9巻のお礼小話は只今執筆中です。
もう少々お待ちください。