ネマを探して。(カーナディア視点)
それは、本当にわずかな間に起きました。
背後にただならぬ気配を感じ振り返ると同時に、セーゴとリクセーが激しく鳴いたのです。
殿下も異変を察知したのか、おいと誰かに呼びかけています。
「ネマッ!?」
いるはずのネマの姿はなく、一瞬で消えたあの気配が妹をさらったのだと嫌でも理解しました。
「どういうことだ!?」
何もないところに向かって叫ぶ殿下。ひょっとしたら、精霊様も防ぐことができなかったのかもしれません。となると、あの気配は異常なものなのでしょう。
「お客人、落ち着いてください。愛し子でしたら大丈夫ですので」
案内人のエルフがはっきりと大丈夫だと言いきりました。
つまり、彼はさらった気配がなんであるかを知っている。
「何をもって大丈夫だと言うのかしら?」
わたくしの怒りの感情に呼応した魔力が視界の隅で揺らめく。
「愛し子は地下の賢者のところへ招待されたのです。彼女が危害を加えることは絶対にありません」
「だがあれは……」
珍しいことに、殿下は言葉を詰まらせた。
そういうことですのね。
あの気配は秘め置かねばならぬ存在。殿下はそのお立場から、わたくしたちより多くの秘め事を抱えておられる。
お兄様になら教えることができても、いずれ外に出るわたくしには言えないのでしょう。
「詳しいことは私も知らないのです。何せ、彼女は私が生まれる以前から地下の賢者と呼ばれる存在でしたから。知りたいのであれば、長に聞かれるのがよろしいかと」
隠さねばならぬ存在をそう簡単に教えるかしら?
聖獣の契約者である殿下になら……とはなるでしょうが、わたくしが足を引っ張ることになりそうですわね。
「確認ですけど、ネマの安全は精霊様が保証してくれますか?」
どうも、慣れない言葉遣いでは威圧がいまいちです。
「それはもちろん」
「不届き者がエルフだとしてもお守りくださるのね?」
精霊様にとって、わたくしたち人の価値観など些細なものかもしれませんが、ネマの心身に害がおよぶことだけが危険ではありませんのよ?
他者とは相容れぬ価値観、主義、信条は時として思わぬ行動に走らせることも。
それは、あの狂信者どもで学びましたの。
精霊様に愛されるネマを自分だけのものにしたいと思うエルフがいるかもしれませんでしょう?そんなとき、エルフを好ましく思っている精霊様はネマを助けてくれるのかしら?
ネマを傷つけないからと、そのエルフのもとにいることをよしとする可能性もありましてよ。
精霊様に好かれているからといって、すべてのエルフが善人とは限らない。
普段なら遠回しに言うところを、今ははっきりと述べてみました。
「精霊様、わたしのもとに妹を帰してください」
そして、わたくしは涙を浮かべて精霊様にお願いしました。
悲しいのではなく、悔し涙です。
お父様にもお兄様にも、ネマを守ると豪語しておきながらこのざまですから。
せめて手を繋いでいれば、強引にでもシンキを伴っていれば、結果は違っていたでしょう。
「知っていたなら教えられただろう」
小さな呟きでしたので、精霊様に対しての言葉なのでしょう。そして間を置かずに、舌打ちが聞こえました。お行儀の悪いこと。
「……カーナを泣かしたと知られたら、ネマが怒るな」
ふふっ。涙は精霊様にも有効かしら?
地下の賢者が、何をもってネマを呼んだのか不明だけど、わたくしたち家族からネマを奪うのであれば、精霊様でも許しませんわ!
◆◆◆
長がいる場所は森の奥深いところでした。
エルフの森の長は、お優しい笑顔が素敵なおじい様です。彼のまとう雰囲気が、オスフェの祖父に似ています。
長は表情を真剣なものに変え、案内役に人払いを命じました。
「天虎ラースの契約者として問う。あれはどういうことだ?」
殿下、いきなりすぎません?
わたくしがいるので、どこまで話してくださるかわからないのに。
「あの子のことはあの子から聞くべきでしょう。お二人にはその資格がおありになる」
「資格?愛し子と関わりがあるからか?」
「いえ、これはお導きでしょうな」
殿下に資格があるというのは理解できますが、わたくしもとなると考えていたことと違うのかもしれません。
わたくしたちに共通するのはネマくらいしか思い当たらないのですが、いったい何をして資格があると判断されたのでしょうか?
「こちらへ。地下の賢者がお二人を招待いたします」
長が示した場所に立つと、おぞましいとさえ感じる気配に包まれ、視界は闇に支配された。
この気配を言葉で表すのは難しい。
突如、喉元に切っ先を突きつけられたときの恐怖と、大量の虫が降ってくる恐怖と、得体の知れない狂気がごちゃ混ぜになったような感覚なの。
でも、この闇の中は何もない。自分以外は何も存在していないと感じるくらいに。
暗闇の中で目をつぶり、己の呼吸の音だけに集中する。フィリップ小父様に教わった通りに。
側には殿下の気配を感じるけど、彼もまた、今の状況に適応しようとしているのでしょう。
体の中で血が巡る音すら聞こえる静寂の中で、この暗闇への対処方法をいくつか思い浮かべる。
「白き炎で灰燼と帰す」
詠唱をすると、かなりの量の魔力が抜けていくのがわかります。
お父様は灰燼炎と短く省略して使っている魔法ですが、今のわたくしにはこれが精一杯ですね。
自分の手のひらにある白い火玉を頭上に浮かせました。
この魔法は高温の炎で、着弾した周囲にあるものをすべて溶かしてしまう火の特級魔法です。
「いきなり大きな魔法を使うな!普通は発光火だろうが」
「でも、それでは遠くまで届きませんわよ?」
下級魔法の発光火では、携帯用の照明魔道具と同じくらいの光ですのに。
しかたありませんわね。
今の魔法を霧散させて、新たに発光火をたくさん出しました。
こちらは無詠唱でできますし、百個くらいなら同時に出せると思います。
実際に百個出したことはないですが、小さい頃に四十八個出したことがありますの。
……制御できずに部屋を焼いてしまいましたが。
訓練場でやりなさいとお母様に怒られたけど、あの頃は訓練場が遠く感じて移動が面倒だったんです。
「数が多い。三つにしろ。あと、できる限り光量も落とせ」
二十個ほど発光火を出すと、またもや殿下は文句を言います。
「フィリップに習わなかったのか?夜戦ではまず暗闇に目を慣らせと。魔法を使う際は場所を考慮して使えと」
忘れていたわけではないのですが、大きな魔法が使える場面が限られているのでつい……。
「暗闇で周囲が見えないとはいえ、ここはエルフの森の地下だ。ネマがいるであろう場所を燃やし尽くすつもりか?」
状況判断の甘さを指摘され、わたくしの未熟さが顕にされました。
悔しいですが、今のわたくしでは殿下に敵わないのも当然で、オスフェ家の娘なのに不甲斐ないですわ。
殿下の指示通りに発光火を減らし、光も最小限に抑えます。
側にいればかろうじて表情がわかるくらいの薄暗さです。
「あら、セーゴたちがいませんわ……」
長のもとに置いてきてしまったようです。
それとも、魔物だから招待されなかったのかしら?
「急だったからな。酷いことはされないだろう?」
どうやら、精霊様にあの子たちが無事かを確かめてくれているようです。
精霊様、殿下にいいように使われすぎておりませんか?
「……鳴いていたようだが、長に説明されて今大人しくなったと。あと、長が二匹を撫で回しているらしい」
まぁ。長が相手をしてくださるとは。戻ったらお礼を言わねばなりませんね。
「どちらに向かうかわかりまして?」
あの子たちが無事であることに安心し、これから進む方向をどうするのか尋ねました。
真っ暗ですから、目印になるようなものも何もありませんし、その地下の賢者とやらがどこにいるのかもわかりません。
「あぁ、精霊に案内させるから大丈夫だ。逸れずについてこいよ」
この足場の悪さでは、灯りを持たない殿下が逸れてしまうとおつらいですわよね。
なるべく足下の方を照らすようにしながら、殿下の後ろをついていきました。
そして、黙々と歩いていた殿下が足を止めたのは、 二、三幾経ったくらいでしょうか。
「見えてきたぞ」
殿下が示した先には、こじんまりとした家がなぜかはっきりと見えました。
何か魔法が使われている気配はするのですが、なんの魔法なのかが不明です。
光を放っているのに、火の上級魔術師であるわたくしがわからないなんて……。
「あれは魔法ですわよね?」
「厳密に言うと、俺たちが使っている魔法とは違う。似ているだろうが別物だと思え」
殿下はなんの魔法かわかっているようです。
精霊術とも違うみたいですし……聖獣様のお力か、神の御業か。
「さて、地下の賢者のもとでネマが大人しくしていればいいが」
「早く参りましょう!きっとネマが淋しがっていますわ!」
「あいつがか?」
ふふふっ、わかっておりませんのね。
ガシェ王国でもこちらの国でも、ネマには常に魔物たちが側におりました。それが急にコクとイナホだけになったのですから、心細く思っていることでしょう。
特にハクとグラーティアは明るい雰囲気を作り、ネマが楽しめるようにしてくれていましたからね。
家の前まで行き、扉を軽く叩きます。
「地下の賢者様にご招待いただきましたの」
キィィと耳障りな音を立て、扉が開くと……。
「おねえ様っ!!」
飛びだしてきた小さな体をしっかりと受け止め、力強く抱きしめます。
この温もり、この匂い。小さな体で精一杯伝えようとしてくれる大好きという好意。
すべてが愛しく、わたくしももらう以上の愛情を妹へ注ぎます。
「ねぇさま……くるぢぃ……」
カーナ、すまん。
ネマは淋しいと感じる暇もなく、地下の賢者の恋バナを延々と聞かされていたんだ……。