山は容赦してくれない (フィリップ視点)
アニレーの満月設定を忘れていたので、一部を書籍作業で改稿したものと差し替えています。
カルワーナ山脈の情報を得るために、麓の村へと立ち寄った。
炎竜殿にお願いして、山側に降ろしてもらったので、一度下ることになる。
村では炎竜殿の姿を見た者が多く、騒ぎになっていたが、ヴィルヘルト殿下の聖獣殿を見て静かになった。
ガシェ王国の王子だとばれていないようだが、聖獣殿のおかげで警戒が薄れたな。
「獣人の村に人が何用か?」
体格のいい氷熊族の男たちに取り囲まれる。
さすがにカーナやネマは怯えるかと思い、すぐに庇えるように動いたが、心配はいらなかった。
カーナは上品な笑みを浮かべたままだし、ネマにいたっては目を輝かせて氷熊族を見つめていた。
「最近のドトル山の様子が知りたい」
「山に登るつもりか?」
「あぁ、どうしても必要なものがあの山にあるんだ」
そう告げると、村の長に会わせると案内してくれた。
「いいのか、簡単に重要人物に会わせて」
「長はこの村で最強の戦士だ。お前たちごときでは倒せないさ」
なるほど。
それほど強いのなら、一度手合わせしてみたいものだ。
村の長とやらは、まさしく戦士だった。
他の獣人よりも恵まれた体格に、鋭く俺たちを値踏みする目。
体にはいたるところに傷痕が見られる。
「貴殿らが紫のガンダルか」
「いかにも。紫のガンダルが長、フィリップだ」
相手の威圧に飲み込まれないよう、こちらも威圧で返す。
しかし、氷熊族の長は気にかけることもなく、ヴィルヘルト殿下と聖獣殿に視線をやった。
「そちらは、ガシェ王国の王子では?彼の国の王子は風の聖獣様の契約者だと聞いております」
ほぅ。こんな辺境の地にいても、外の情報を仕入れる伝があるのか。
「我々がガシェ王国のことを知っているのが不思議かな?」
「いや、殿下は有名だからな。誰が知っていてもおかしくはない」
殿下の母君はこの国の出身だ。
しかも、皇女時代は国民からの人気も高かったと聞く。
自国の姫の嫁いだ先でのことを広める者も多いだろう。
「そうか。小さなお嬢さんもそう思っているのかな?」
なぜ突然ネマに話を振ったのかと思ったら、ネマはずっと氷熊族の長を見ていたようだ。
「あの、なんでみなさん耳が白いんですか?私が知っているひゆう族の方はもう少し灰色だったと思ったのですが……」
ネマに氷熊族の知り合いがいたとは驚きだが、灰色も白も似たようなもんじゃないか?
「灰色……。その者は氷熊族と名乗ったと?」
「はい。ラックさんって言うんですけど」
ネマがその名を告げると、長以外の獣人たちから驚きの声が上がった。
どうやら、そのラックという人物はこの村の出だったらしい。
凄い偶然だと思うが、ネマだからな。何かに引き寄せられたのかもしれん。
ラックとやらの話をして、長も少しは打ち解けてくれたようで、聖獣殿に挨拶をしていた。
獣人にとっては、聖獣は信仰の対象だからか。
そこから話は瞬く間に進み、貴重な情報まで教えてもらえた。
登る予定だった経路が、雪崩で駄目になっているとは。
「登るならこちらの経路の方がいいだろう。人には険しいかもしれんが、スノーウルフの縄張りから離れているし、ホワイトムースの群れの気配があれば、安全だと思っていい」
天候もここ数日は崩れないだろうとの読みで、登るなら今しかないと。
雪崩の前兆や天候が崩れるときの特徴まで教えてもらった。
さらに、必要な道具についての助言や拠点に使える場所の情報も。
「ここまでしてもらって悪いな。次に来るときは、美味い酒を用意するよ」
俺がそう言うと、長は楽しみだと笑う。
思ったよりも長居してしまったので、急いで出発しなければならない。
氷熊族に見送られ、炎竜殿と合流して山の中腹に向かった。
装備を再確認していると、ネマが氷熊族の子供からもらったという極悪甲種が嫌う種子を持ってきた。
「フィリップおじ様にあげる」
ネマが俺たちを心配してくれるのは、素直に嬉しい。
「それはネマがもらったものだ。お前が持っていろ」
それだけでは納得しないネマに、どうして俺たちに必要がないのかを説明する。
極悪甲種が近寄らなくなる種子の存在は知っていた。
しかし、実際に使ったことはない。
使ったことのないものを使うには、まず何度も試し、知らなければならない。
使わなければならない状況の見極めに、種子をまく頃合い。まいたあと、どのくらい猶予ができるのかなど。
それを知らないまま使えば、知らないうちに隙ができるだろう。
危険な場所に赴くときは、使い慣れた装備にするのが鉄則だ。
カーナと同じく、ネマも賢い子なので、俺が言ったことをちゃんと理解してくれた。
「じゃあ、みんなはここで待っててくれ。五日経っても誰も戻ってこなければ、俺たちのことを捨てていけ」
順調に行けば三日、不測の事態が起こっても五日あれば戻ってこられるはず。
そして……。
「十日経っても消息が掴めない場合は死んだものとみなせ」
この厳しい環境で個々の技量で生き延びられるのは最大でも十日くらいだろう。
十日が過ぎて、誰からも連絡がこない、すなわち全滅したということだ。
まぁ、さすがに全滅はしないと思うがな。
「フィリップおじ様……でも……」
「ネマ、俺たちは冒険者だ。必ず戻ってくるとは言えないんだ」
心配そうに見つめるネマの頭を撫でる。
可愛らしい帽子をかぶっているので、髪の感触は伝わってこなかった。
「では、ヴィルヘルト殿下、あとはお願いします」
「あぁ、任せておけ」
ネマたち用の大きな天幕を張った拠点をあとにし、ドトル山の山頂を目指す。
最初は積雪の多い登り道が続く。
雪輪をつけているので、まだ平気だ。
この雪を越えてからが本番だな。
「雪と言えばさぁ、北の山脈でのワーム狩り覚えてる?」
「うげぇ、思い出させるなよ!」
エリドがそう聞いてきたので、思い出してしまった。
ショウが嫌がっているのに、エリドは楽しそうに語り始めた。
「みんな、楽勝だと思っていたワームに、ショウが食べられちゃうんだもん。あれは傑作だったねー」
あの依頼は、冬に利用している狩場にワームが住み着いたから退治して欲しいというものだった。
ワームなら青の冒険者でも退治できるだろうが、冬の北の山脈だ。
雪の量はカルワーナ山脈より多く、その狩場に行くにも一苦労した。
あの雪に比べたら、ここはまだ少ないと感じる。
「お腹からショウが血塗れで出てきてさ」
ワームをおびき出すため、ジャイアントボアの血をまいているときにワームが現れたせいだ。
ショウは足元の雪ごとワームに飲み込まれたが、内側から風魔法で切り裂いて事なきをえた。
しかし、血の臭いを嗅ぎつけたのはそいつだけではなかった。
依頼主からは数匹はいると言われたが、数匹どころではなかった。
その冬は獲物となる動物が少なかったらしく、動物が餌を求めて集まる狩場に何十匹ものワームが地中に息をひそめていた。
今となっては、依頼を受けたのが俺たちでよかったと思うね。
青や赤の階級では全滅していたかもしれない。
「ひょっとしたら、この下にワームが……」
「恐ろしいこと言うなよな、エリド!」
あれ以来、ワームに苦手意識があるショウをエリドが揶揄う。
ショウも数が少なければ、魔法と剣で瞬殺するんだが、多いとおよび腰になる。
あれだけの数のワームに遭遇したのは、あとにも先にもあれっきりだけど。
まぁ、ふざける余裕があるくらいの方が、俺たちにはちょうどいい。
傾斜がきつくなり始めると、今度は氷の壁が行く手を遮る。
雪輪を外し、鉤爪を装着して登る準備をしていると、先ほどの仕返しではない思うが、ショウがエリドにちょっかいをかけにいく。
「エリド、どっちが先に着くか競争しようぜ!」
「負けた方がサンペグリムを奢るなら、受けてたとう」
あの酒は高いだけあって美味い。
爽やかな香りとほのかな甘みと、舌に感じる不思議な感触が堪らないんだよなぁ。
「おしっ!俺も乗った!」
仕事を終えたあとの楽しみがあると、より冒険が楽しくなるってもんだ。
「陽が当たっている場所は避けてくださいね」
俺たちが並んで登り始める前に、コールナンが忠告してくる。
「わかってる。二人はゆっくり来るといいさ」
「もちろんです。滑落に巻き込まれたくありませんからね」
奴の憎まれ口はいつものことなので、笑って流す。
「コールナン、合図をお願い!」
登りやすそうな経路を見つけ、それぞれが開始の位置取りをすませた。
「はいはい。準備はいいですか?それでは……始め!」
合図とともに隣のエリドが大きく飛び上がった。
おいおい。あれだけの荷物を背負っているのに、どんな跳躍力してんだよ。
エリドに先行される形になったが、俺も負けじと壁をよじ登る。
しかし、エリドは荷物の負荷など感じさせない動きで、なかなか追いつけない。
「くそっ!」
結局、エリドが勝った。
「僕の勝ちぃ!」
氷の壁の先は再び緩やかな登り道だ。
氷熊族の長の話によれば、雪崩の多発する場所らしい。
「ショウ、長が言っていた洞窟を探してくれ」
ここら辺までは、氷熊族も狩りで来たりするので、避難用の拠点があると言っていた。
もちろん、使用する許しももらっている。
「へーい。勝ったエリド様はお休みくださいってね」
ショウの奴も、エリドに負けて悔しかったんだな。
まぁ、俺も悔しいけどな。
エリドとは歳もそう変わらないから、歳のせいにできねぇし。
「フィリップ、今日のご飯どうする?」
「んー、あったけぇもんならなんでもいい」
今日の食事当番はエリドなので、献立を何にするか考えているようだが、正直食えればなんでもいい。
「おーい、洞窟あったぞー!」
一段下の岩場からショウの声が聞こえてくると、野営の準備をするために、エリドは先に行くねと言って洞窟へ向かった。
俺の方は、コールナンたちが到着するのを待つ。
待っていなかったら、コールナンがうるさそうだからな。
「遅かったな」
「誰かさんたちが穴を開けまくったおかげで、登るのが大変だったんですよ」
「そりゃ、悪かった」
どうやら、俺たちが力任せに登ったせいで、氷が脆くなってしまったようだ。
「エリドが飯を作ってくれている。行こう」
今日の寝床となる洞窟で、明日からの経路を相談しながら飯を食う。
雪崩が起きやすい場所を避けるとなると、一度崖を登り、氷の道と呼ばれている場所に向かうしかない。
ここは裂け目に注意しないと、落ちたら死ぬ。
氷の道を上に行けば、頂上近くまで到達できるらしい。
そこから尾根伝いに少し下ると、どんなに寒くても凍らない湖が見えてくる。
その付近に洞窟があるらしいのだが、詳しい場所はわかっていない。
「凍らない湖かぁ。魚とか棲んでいるのかな?」
「釣りはするなよ」
エリドなら、食材調達とか言って、釣りを始めそうだから、念を押しておく。
「明日はもっと大変そうね。わたしは先に休ませてもらうわ」
「えぇ。明日はエリジーナの世話になりそうですから」
エリジーナの治癒魔法で、疲労を回復してもらいながらでないと距離が稼げないだろう。
見張りの順番を決めて、エリジーナに倣い早めの休息を取った。
◆◆◆
氷の道に到達すると、その凄さに圧倒された。
「これ、本当に氷なのかよ?」
盛り上がった巨大な氷の塊が、宝石のような輝きを放っている。
それがいくつもあり、場所によって色合いも違っていた。
「フィリップ、この音が聞こえますか?」
「あぁ、氷が動いているようだな」
パキッパキッと乾いた音が時折聞こえてくる。
これは氷が割れる音だ。
昔、オスフェ領にある湖で聞いたことがあった。
あんときはデールと遊んでいて、氷の裂け目から湖に落ちそうになったんだよなぁ。
ってことは、この下に水が流れているかもしれないのか。
だが、裂け目に落ちたら、水に落ちる前に氷に挟まれて圧死しそうだ。
「音に注意しながら進みましょう。裂け目が急に現れることもあるでしょうし」
コールナンの言う通りだ。この氷の道も命がけになるな。
「ショウ、見て見てー!」
氷の道に慣れてきた頃、一際大きな裂け目を発見した。
その裂け目に、エリドが槍を刺すふりをする。
「こうしたら、僕の槍で氷が割れたように見えない?」
「見える見える!俺もやりたい!」
今度はショウが、裂け目に向かって剣を振るった。
確かに、最後だけを見るとショウの剣圧で氷が割れたように見えるが……。
お前たちはエリジーナのこの冷たい視線を感じないのか?
ふざけすぎると、回復してもらえなくなるぞ!
適度にふざけたり遊んだりしながらも、速度を落とすことなく頂上まで行くことができた。
途中、エリドとショウに呆れたエリジーナが、二人に回復魔法をかけないと言い、氷に額を擦りつけながら謝る二人という場面もあったけどな。
「ひゃー、絶景だなぁ」
ショウが口笛を吹いて感動に浸っているが、ここから見える景色がこの山の険しさを伝えてくれている。
北側の山肌なんか、ほぼ垂直の崖だぞ。
雪も積っていないってことは、すぐに落ちてしまうんだろうな。
……もしかして、ここの雪が落ちるから雪崩が発生しやすい場所があるのか?
「ここから尾根伝いに下るんでしたっけ?」
「あぁ、そう遠くないはずだ」
ここも足場が悪いため、ゆっくりと進むしかない。
落ちるなよと俺が言ったとたん、ショウが足を滑らせた。
「うげっ」
「ショウッ!」
すぐにコールナンが反応し、彼の魔法で止めることができたが、2ミノほど滑り落ちている。
「今、足場を作ります」
コールナンは自分の荷物からある袋を取り出した。中に入っているのはただの砂。
こういった険しい山では、魔法を使うことによって現象が悪化することがあるからだ。
崖が崩れたり、落石が起きたり。
このドトル山じゃあ何が起きてもおかしくない。
だから、山のものを使わずに足場を作るには、外から砂を持ち込むしかないってわけだ。
ただ、砂の量も限られているため、二つの足場を交互に使用して登ることになる。
コールナンも場数を踏んだ魔術師だし、ショウだってこういう事態にも慣れている。
ひょいひょいと登るショウの速さに合わせて、足場を作るコールナンの魔法もさすがだ。
簡単な魔法とはいえ、ああも素早く発動を繰り返せる魔術師はそう多くない。
……いや、オスフェ家には何人かいるか。
まぁ、あそこは使用人までおかしいからな、いろいろと。
「あーびっくりしたぁ」
「それはこちらの台詞ですよ」
これ以降も危ない場面があったものの、なんとか湖まで来ることができた。
「ここも美しいわね」
凍りつくことのない湖は、とても透明度が高く、底まで見えている。
しかし、魚の姿はない。
「さて、洞窟を探すか」
まずは湖の周辺を探索するが、洞窟らしきものはなかった。
その代わりにまずいものを見つけてしまう。
「見たくなかった……」
ショウのげんなりした声に、俺も同意だ。
やっぱりいやがったか、極悪甲種め。
「ねぇ、あそこに足跡が集中しているわりに途切れてんだけど」
エリドが示した先には、たくさんの足跡が残っていた。
しかし、忽然と途切れているということは、その崖を行き来しているということだ。
崖の上の方を見ていくと、出っ張りがあった。その下には、いくつか岩が転がっている。
「あそこか?」
「ちょっと見てくるよ」
すでに鉤爪を装着しているエリドは、荷物を下ろして崖を登り始める。
極悪甲種に見つからないようにするためか、大きく迂回して、上から覗くことにしたらしい。
しばらくして、出っ張りが見下ろせる位置に着くと、すぐに戻ってきた。
「あそこで間違いない。入り口には、動物の骨や極悪甲種の死骸があった」
「じゃあ、洞窟の入り口が見える場所で、まずは監視といくか」
極悪甲種の巣の規模を、おおよそでいいから判別するために、対面の山肌に樹幕を設置する。
交代で監視しながら、どのくらいの数の甲種が出入りしているのかを数える。
同じ個体が行き来しているおそれもあるが、活動が活発なほど巣は大きくなるのだ。
休憩用の天幕は、極悪甲種に見つからないよう石や枝なんかで偽装した。
食べ物の匂いも出せないので、あまり美味しくない携帯食を食べる。
慣れたというか、馴染み深い味ではあるが、宮殿で美味しいものを味わったあとなので、正直言って不味い。
みんなが監視の番を終え、話し合った結果、今まで遭遇したどの巣よりも大きいという意見でまとまった。
あんまりよろしくない結果だな。
月の光が湖に差し込み始めたので、俺たちは天幕を片付けて行動を開始する。
「作戦通りにやるぞ」
「了解。まずは俺からだな」
そう言って、ショウが崖を登り始めた。
奴の役割は、入り口の安全確保だ。
風の魔法が使えるショウなら、眠り薬を風に乗せて奥まで届けることができる。
ショウは出っ張りの真上から眠り薬を落とし、煙を洞窟の中へ送り込む。
少し時間を置き、入り口に下りると、さらに眠り薬を焚いていく。
ショウからの合図で、俺たちも入り口へと向かった。
極悪甲種は、巣を迷路のように複雑にしてしまう。
この洞窟の中もそうだろう。
全員、口当てをして洞窟へと入る。
すでに数匹の極悪甲種が転がっており、月明かりは頼りにならず、暗闇が続いている。
灯りの魔道具を出して奥へ行くと、もう一度眠り薬を使う。
これを繰り返して、巣の中を探索していくのだ。
いくつかの空洞を見て回ったが、今のところ収穫はない。
先に進もうとすると、カサカサと音がした。
しかも、数が多い。
「二つくらいまとめて使え」
眠り薬の効果で、徐々に音が小さくなっていく。
完全に音がしなくなってから、次の空洞に入るとやばい場所だった。
「なんで、ここに集まってんだ?」
「あれを守るため、かしら?」
エリジーナの先には、白い繭みたいなものが。
大きさからして、極悪甲種の卵かもしれないな。
「つまり、深部に来たのかもしれませんね」
コールナンの考えでは、卵などの大切なものは巣の奥深くで守るだろうと。
卵の部屋を出て、もう一つ奥の空洞に入れば、アニレーと思われる花を見つけた。
山の構造のせいか、この空洞の天井は開けていた。
月の光を見て、こんなことなら炎竜殿に頼んで、上空から観察しておくんだったと後悔した。
月明かりを浴びている花は、花びらも大ぶりで、上空からでも目視できたに違いない。
「あれだろうけど、まだ起きているやつがいるな」
「特異体が元気に動き回っていますね」
極悪と言われている理由の一つに、魔蟲なのに特異体がいることがある。
本来なら、魔物にしかいないとされていた特異体だが、巣を作り群れで生活をする極悪魔蟲でも発見された。
しかも、特異体なだけあって、普通のものよりも強いときている。
「あいつら花に群がって何してんだ?」
「おそらく、蜜を食べているのかと。もしかしたら、あの蜜のせいで眠り薬が効いていないのかもしれません」
なるほどな。
魔生植物だから、何かしらの効果があっても不思議じゃない。
いや、効果があるからこそ、エルフの秘薬に使われているのだ。
それに、一際大きな特異体も起きているようだが、動く気配がない。
その個体に他の特異体が蜜を口元まで運んでいて、世話をしているようにも見える。
「どうする?駄目元で、眠り薬を使うか?」
「ここは作戦その二の出番では?」
エリドが自慢げに引きずり出してきたのは、極悪甲種の死骸の一部。
「前にやり合ったとき、体液かぶったら襲われなかったこと覚えてる?あれ、仲間の匂いがしたらだと思うんだよね」
死骸は腹の部分で一抱えほどあるんだが、エリドの奴、どこから持ってきやがったんだ?
その前に、勝手に作戦その二とか作ってんじゃねぇよ!
「だからって、その得体のしれないものを体に塗れと!?」
死んでからさほど時間は経っていないのか、死骸から何やらとろみのある液が染み出ていた。
「俺とエリド、コールナンで行くぞ」
謎の体液の量も限られているので、最低限の人数でやるしかない。
エルフから預かった魔道具はコールナンに任せた方がいいし、身軽なエリドなら魔道具を持って逃げることができる。
俺の選出からもれたショウは、よっしゃぁっと喜んでいるが、そう楽はさせねぇよ。
「逃げるときはショウが先頭を走れ」
なんとしてでも道を作り、エリドたちを外に逃がす役目だ。
それぞれの役割を明確にしたところで、謎の体液を体に塗りたくっていく。
「うへぇ。なんだこの臭い……」
臭いと有名な果物、ボンポンみたいな臭いがした。
「無事に出られたら、ちゃんと綺麗にしてあげるから」
エリジーナにそう励まされ、俺たちはアニレーを取りに向かう。
気配を消し、足音を立てずにゆっくりと進み、アニレーの側まで行くと、さすがに極悪甲種に気づかれた。
頭についている触覚が俺たちに伸び、何かを確かめるように触れてくる。
動かずにいたら興味を失ったのか、極悪甲種が離れていった。
「ほら、なんとか誤魔化せた」
「しっ」
エリドが声を出すと、触手が反応した。
せっかく離れていった極悪甲種がエリドを囲む。
今が好機だ。
コールナンに目で合図を出し、エリドに注意が向かっている隙にアニレーの蜜を取らせる。
蜜を取ったのか、コールナンがアニレーから離れたのを視界の隅で確認してから、俺はゆっくりと移動し、奴から魔道具を受け取る。
動きを察知した極悪甲種が、今度は俺たちの方へ来た。
コールナンが、やつらを刺激しない程度に動いて注意を引きつける。その間に、エリドに魔道具を渡すことにした。
魔道具を受け取ったエリドは、小さく頷くと気配を殺して俺たちから離れる。
俺とコールナンは極悪甲種に囲まれて、体のあちらこちらに触覚が触れてきた。
仲間なのかを確認しているのかと思っただが、どうもおかしい。
一匹がカチカチと歪な形をした牙を鳴らしたとたん、空気が変わった。
「気づかれたようです」
エリドはあと半分ほどでショウたちと合流できるというのに、ついてないな。
「ショウ、エリド、走れ!」
俺が大きな声を上げたことで、極悪甲種たちは仲間でないと確信したようだ。
警告音なのか、牙を鳴らしながら、俺とコールナンに迫り、数匹はエリドたちを追った。
「コールナン、跳べ!」
極悪甲種の弱点と言うか、頭上が死角となっているのだ。地を這う魔蟲なので、壁だろうが天井だろうが、足場があれば移動できるのだが、上を見上げることはできない。
大きく跳んで、極悪甲種の体を足場にし、包囲から抜け出す。
エリドたちを追っていた数匹は、コールナンの魔法によって焼き殺された。
「この穴を塞げ」
先を走る三人の気配を捉えながら、中にいる特異体が追いかけてこないようにする。
空洞から出るときに、コールナンは無詠唱で壁を出現させたが、すぐにゴツンと凄い音がした。
頭突きでもして壁を壊そうとしているのだろう。
「ショウ、薬を!最初のやつらが起き始めている!」
「わかってる!」
ショウは眠り薬を手にしたまま焚き、煙を強風で広めようとしていた。
薬を持っている方の手は、酷い火傷を負っているだろうに、けっして離そうとしない。
これまで来た道には目印を置いているので、迷うことはないが、今はとにかく走るしかない。
「駄目だ!前方に多数!」
エリドの報告にコールナンが動いた。
「ショウ、風を!」
コールナンが短く詠唱を唱え、エリドがいるところまで行くと、さらに魔法を放った。
ショウが放った風魔法と相まって、凄まじい爆発が起きた。
爆風は壁の魔法によって遮られたが、それでも衝撃が強かった。
「洞窟自体を魔法で固めましたが、崩れる可能性があります」
火の魔法を放つ前の詠唱は、爆発で崩れないようにするためのものだったのか。
「お見事!」
前からの極悪甲種を処理する間に、後ろから特異体が追いついてきやがった。
「やべっ!走れ走れ!!」
鋭い棘がついた前脚を振り下ろしてくる特異体。それを剣で受け流し、関節部分を狙って攻撃する。
ショウの重たい一撃でも脚は折れず、二、三発当ててようやくだ。
殺すのは諦めて、躱すことに専念する。
「見えたよ!」
「そのまま飛び降りろ!エリジーナは治癒の準備!」
出っ張りから地面まではそこそこの高さがあるが、死ぬほどではない。
すぐに治癒魔法をかければ、走って逃げられる。
「飛べっ!」
外の光が見え、走っている勢いのまま大きく飛ぶ。
『セレーテ・デュサヘ・クレシオール!』
降下中に治癒が始まったため、地面に着くと同時に衝撃と酷い痛みが襲った。
魔法の発動がちょっと早いって。
俺だけでなく、ショウも間に合わなかったようで、うめき声が聞こえた。
「体中がいてぇ……」
「俺もだ」
なんとか立ち上がろうとしたが、鋭い痛みのせいで上手くいかない。
どこか骨が折れているのかもしれねぇな。
エリジーナが急いで治癒してくれたが、洞窟から出てきた極悪甲種が迫ってきている。
「早く!」
このまま元来た道を戻っては、足場の悪い尾根で追いつかれるだろう。
「こっちだ!」
来た方向とは逆に逃げると、凍っていたのか豪快に滑り落ちてしまった。
みんなに忠告をする間もなく、全員仲良く落ちた。
ネマ、悪い。
戻るのが遅くなりそうだ。
2ミノ=約5メートルくらい
ボンポン→ドリアンみたいに匂いに特徴がある果物