執事の多忙な日々(パウル視点)
ネマお嬢様が部屋を出られてから、ずいぶん時間が経っている。
今日は宮殿の庭で遊ぶと言っていたが、ダオルーグ殿下からお呼びがかかったので、そちらにお邪魔している……だけではないな。
また、ダオルーグ殿下とマーリエ嬢を言いくるめて、庭で遊んでいるに違いない。
常にシンキやセーゴ、リクセーがいるので、自由にさせてはいたが、見直す必要がありそうだ。
あぁ、ダオルーグ殿下へのお礼も用意しておかないと。
宮殿の調理場へ向かい、調理場の雑用として潜入している我が家の者と接触した。
表向きは、お嬢様の飲み物を調達することだが、本当の目的は情報を受け取ること。
その相手から、少し暑いと感じる季節にぴったりだという、清涼感のあるルル・センアを漬けた水を勧められた。
味見と毒見をして、問題がないことを確認してから、世間話を装った会話をする。
渡された瓶の底には紙が貼りつけてあったので、口に出せない情報が書き込まれているのだろう。
調理場をあとにし、部屋に戻ると、すぐにスピカへ指示を出す。
ルル・センアの水をネマお嬢様のもとへ届けるようにと。
スピカはルル・センアを知らなかったので、実際に少し飲ませて、どういった植物なのかを教えた。
ネマお嬢様も知らないかもしれないからだ。
スピカを見送ってから自室に入り、例の紙を読む。
ヘリオス伯爵がよく宮殿に来ているとのことだったが、ロスラン計画により派閥の勢力図に変化があったのか。
一番要注意なのはマーリエ嬢の母親、マリエッタ・エンレンスだが、このところはトゥーエン殿下の監視のおかげか大人しい。
次に、情報部隊も目をつけているヘリオス伯爵だが、動き自体は活発だ。
ロスラン計画もあるし、他の貴族が利益のおこぼれにあやかろうと擦り寄っているからだと思う。
それもあってか、今までヘリオス伯爵と距離を取っていた派閥も接触しているようだ。
交流を持ったとされる貴族の名前が書き連ねてあるが、お嬢様たちに接触してきた者はいなかった。
この部屋に侵入できる者がいるとは思えないが、見られて不味いものは手元に残さないのが鉄則。
紙は燃やした。
次は、オルファンからの定期報告書を読む。
オスフェ家の皆様は健やかにお過ごしとのこと。
放っている間諜たちからの報告も一緒に書かれており、ライナス帝国とファーシア以外は特に目立った動きはないと。
ライナス帝国には人を増やして情報を集めているのだが、商業組合の一部が闇側と取り引きをしているようだとも書かれている。
国の情勢が悪くなれば、闇に生きる者たちは活発化する。
それに、自分に利益があるならば、相手が真っ当でない人物でも取り引きする商人は少なからずいる。
だが、気になるのが取り引きの内容だ。
証拠は掴めていないものの、人身売買のおそれありとあっては、見過ごすわけにはいかない。
ガシェ王国内で人身売買をやっていたルノハークはすべて潰した。
関わっていた騎士たちも、ヴィルヘルト殿下が主体となって、秘密裏に処理されたという。
人身売買の目的は、魔力の抽出だとされていたが、他にも何かあるのかもしれない。
実際に、ネマお嬢様も狙われたのだから。
売られた人たちが、最終的に行き着く先はどこなのか?
お嬢様方の害になるようであれば、即刻潰しておくべきだ。
オルファンに、気になった点とこちらの情報を書き添えて、手紙を送る。
いつになったら、お嬢様方のお世話に専念できるのやら。
一つため息を吐いて時計を見ると、予定通りの時間に報告書を読み終えたが、スピカが戻ってきたという報告はない。また、一緒になって遊んでいるのだろう。
仕方ないので、遊んでいると思われる庭に向かうことにした。
まず最初は自分の目を疑った。
しかし、庭の奥に聖獣様のお姿が見えたので、ある意味納得した。
自分の目の前にあるものは、以前にカイが浴室に作っていたものに似ているものの、大きさは倍以上あった。
ハクやグラーティアがねだったとも考えられるが、一番の原因はネマお嬢様に違いない。
コレでダオルーグ殿下たちと遊んだなんてことはないと切実に思いたい。
ネマお嬢様の姿を探すと、水が溜まった場所で泳いでいた。
これには頭を抱えるしかない。
どこに使用人と一緒に泳ぐ令嬢がいるのか。
しかしながら、オスフェ家の庭にある池で泳いでいたのもネマお嬢様だ。
あのときは私も未熟だったこともあり、お嬢様の突飛な行動についていけず、ただ見つめているだけだった。
その後、オスフェ家の家令を務める私の父に、再教育を施されたのだが……。
オスフェ家には時折、ネマお嬢様のように型にはまらぬ性格の者が生まれるという。
父が言うには、ネマお嬢様は先々代様の血が濃く出たのではないかと。
話題には事欠かない先々代様の血と言われれば納得だ。
「ネマお嬢様、スピカ、楽しめましたか?」
わたくしは微笑んでいるというのに、ネマお嬢様とスピカの顔は強張っていますね。
つまり、わたくしに怒られるようなことをしていたという自覚はあるようで。
「以前、マージェスからオスフェ家のご令嬢としてはしたない行為はおやめくださいと言われましたよね?」
「……はい、言われました」
ネマお嬢様は表情を変えないようにしていても、眉毛が下がっていて気落ちしているのがはっきりとわかります。
「して、お客人として招かれている宮殿で、このように他者の目も気にせず泳ぐ行為はどう思われますか?」
「……けいそつでした」
「はい、そうですね」
こうやって素直に過ちは認めてくれますが、遊びに夢中になるあまり軽はずみな行動を取ってしまうところはまだまだ幼い証拠です。
「お家以外ではやりません!」
約束していただけるのはいいのですが、泳がないという選択肢はないのですか?
「わたくしやラルフ様がいらっしゃらないときもやってはいけません。いいですね?」
「はい!!」
いいお返事です。しかし、すべて奥様へ報告をさせていただきますね。
今までのお転婆も報告しておりますので、国に戻ったら覚悟なさってください。
スピカへのお説教はあとにしますが、ネマお嬢様からの誘いを断る強い意志を身につけさせなければなりません。
お嬢様方のことを知りもしない奴らに、好き勝手言われる隙を作らない。それが、お嬢様方を守ることに繋がるのですから。
「水の聖獣様、ネマお嬢様をお守りいただき感謝いたします」
厚く感謝を述べると、聖獣様は翼を羽ばたかせました。
すると、ネマお嬢様たちが遊んでいたものが一瞬にして消え失せます。
「ユーシェ、サチェ、ありがとう!また、遊ぼうね!!」
聖獣様はネマお嬢様に身を寄せ、少しばかり戯れてからお帰りになられました。
「さて、我々も戻りましょう」
ネマお嬢様はスピカと手を繋ぎ、今日遊んだ内容を楽しそうに伝えています。
やはり、あの水でできたものを、ダオルーグ殿下たちにもやらせたのですね……。
警衛隊の方にも、何かお礼を考えないといけないようです。
部屋に戻る途中、珍しい組み合わせを見かけました。
今は遭遇したくはありません。
「ネマお嬢様は気づかなかった。いいですね」
小さな声でそう告げると、黙ったまま首を縦に振るネマお嬢様。
緊張した面持ちで、短い足をせっせと動かす姿は可愛らしいのですが、もう少し気配を消してください。
魔物たちは言わなくとも理解したようで、上手く気配を消しています。
部屋に戻ると、ネマお嬢様は大きく息を吐き、気を抜いたようです。
「ねぇ、パウル……」
「ご説明しますので、先にお着替えをいたしましょう」
どうして気づかれてはいけなかったのかと聞きたかったのでしょうが、その前にお着替えです。
スピカに手伝うように言い、私はその間にお茶の用意をします。
用意するのはお茶だけ。夕食が入らなくなりますからね。
着替えて席についたネマお嬢様は、お菓子がないことに気づき、落胆と不満、懇願と、器用に瞬く間に表情を変えました。
しかし、私には切り札がございます。
「今日はフッカートットですが、ネマお嬢様の分は減らしておきましょうか?」
私が夕食の献立を伝えると、目を輝かせ……。
「わかった!がまんする!!」
と、宣言された。
そして、お腹を撫でていたので、寄生しているというスライムに話しかけているのかもしれません。
まぁ、お腹の虫が鳴ったとも考えられますが。
「アイセント殿下を監視しておりますが、どうも何かしら動いているようなのです。その動きすら些細なもので確証を得ることができないのはさすがとしか言いようがありません」
手強いとわかっていましたが、ここまで情報を掴めない方も珍しく、逆に怪しいと告げているようなものです。
先ほど見かけた珍しい組み合わせの一人はアイセント殿下。
そして、もう一人は……。
「ヘリオス伯爵にも我が家の者をつけていますが、今、たくさんの方と接触していると。それがロスラン計画に関わる者や領地に関わる者だけではないようです」
フランティーナ・ヘリオス伯爵。
女性でありながら、男性の格好をしている変わった方ですが、伯爵としては領民にとても慕われています。
「でも、伯爵なんだし、知らない人とも交流しなければいけないのでは?」
ネマお嬢様は、ヘリオス伯爵が領民たちのためにロスラン計画に積極的であることをご存知なので、疑いたくないのでしょう。
「ですが、怪しい人物であるアイセント殿下と疑いがかかっているヘリオス伯爵が、今の時期に接触しているのはどうしてでしょうか?」
そう、我が国の国境を攻めた者たちが敗れた今、彼らの物資を調べることはわかっていたはずです。
ヘリオス伯爵のことは、陛下が漏れないようライナス帝国側に伝えたとありましたが、アイセント殿下が知ることができたとしたら?
我々が知らない情報をアイセント殿下がお持ちで、だから、今接触した可能性もありますね。
もういっそのこと、我々がアイセント殿下に接触してみるのも手かもしれません。
「んー、でも、お二人とも怪しいかもしれないけど、悪い人だとは思えないんだよねぇ」
「お嬢様がお二人を信用したいというお気持ちもわかりますが、用心するに越したことはありません。ネマお嬢様が傷つく姿はもう見たくないのです」
あの日、私があんな奴らに遅れを取らなければ、ネマお嬢様に悲しく辛い思いをさせなかったのにと、何度も悔やみました。
どれだけ鍛錬に励んでも、人の身である以上、私の手が及ばないこともあるでしょう。
しかし、私の手の届く範囲のうちは、なんとしてでもお守りします。
「パウル……。心配してくれてありがとう」
「お嬢様方がわたくしを必要としなくなるときまで、お側でお守りするのが役目ですから」
私にとっては必然。
ダウニー家の跡取りとして生まれたからには、オスフェ家に仕えるのも、お嬢様方の専属執事になったのも、すべては父の跡を継ぎ、次へ繋ぐためです。
お嬢様方が嫁がれれば、父は引退し、私が家令となります。
そして私も、ラルフ様のお子様が大きくなり、ご結婚されるのを見届けてから、自分の子へと引き継ぐのです。
「……パウルのことをいらなくなる日なんてこないよ?」
ネマお嬢様は意味がわからないと首を傾げています。
「ですが、お嬢様方が嫁がれたら、わたくしが助けられることはなくなります」
「私はとつがないから大丈夫!きっと、おとう様も許してくれるわ」
確かに、ネマお嬢様に甘い旦那様なら、ずっと側に置いておけるなら嫁がなくていいと仰りそうです。
ご隠居されるときに、一緒に別邸へ連れていけば、ラルフ様のご迷惑にならないでしょうし。
「ネマお嬢様が大きくなり、恋をしたら、考えが変わるかもしれませんが……。旦那様がお認めになる男性がいらっしゃるのかという問題もございますね」
奥様とカーナお嬢様はネマお嬢様の味方をされるでしょうが、ラルフ様も厳しい条件をつけてきそうです。
「ただ今戻りました」
シェルの声がし、ネマお嬢様が即座に反応して、扉の方へ駆けていきます。
「ただいま、ネマ」
「おかえりなさい、おねえ様!」
お嬢様方のふれあいは見ていて微笑ましいですね。
「わたくしにパウルが気づかないなんて、何を話し込んでいたのかしら?」
「おねえ様聞いて!!」
私の様子がおかしいことに気づいたカーナお嬢様へ、ネマお嬢様は先ほどの会話を話してしまわれました。
「パウル、わたくしたちはオスフェの娘なのよ?たとえ嫁いでも、それは変わらないわ」
カーナお嬢様が仰りたいのは、嫁いだとしても繋がりが切れるわけでないということですね。
「お世話するだけが仕事ではないでしょう?」
そんなこともわからなかったのかしらと笑われました。
そうですね。お嬢様方に教えられるのですから、私もまだまだ未熟です。
夕食のときには、カーナお嬢様の学術殿での様子を聞くことができました。
「今日、アイセ様はがくじゅつでんにいた?」
「いいえ。エリザ様が怒っていらしたから、お休みしていたと思うわ」
あの時間に宮殿にいたのですから、そういうことなのでしょう。
しかし、アイセント殿下はそれ以降、姿を見せなくなりました。
どこかに出かけられているとのことですが、行き先はわかりません。
ネマお嬢様が皇帝陛下にお聞きしたところ、しばらく出かけてくると言い残し、警衛隊もつけずに宮殿を出ていってしまわれたと。
皇帝陛下は、そういう年頃なんだと笑っていたらしいです。
どうも、こちらの皇族は放任が過ぎると言いますか、理解できないところがあります。
まぁ、アイセント殿下には人をつけてあるので、もう少ししたら報告が入ると、そのときは思っていました。
数日後。
仲間が物言わぬ状態で見つかった。
アイセント殿下につけていた者だ。
見つかった場所は、ミルマ国に近いライナス帝国の田舎の方。
森の中に捨てられていたので、見るも無残な状態だったが、喉元をかき切られていたそうだ。つまり、背後からの暗殺。
仲間が弱いわけではないので、敵がかなりの手練れだったということだ。
着衣に乱れがあったことから、所持品を漁られたのだろう。
物盗りの仕業に見せる偽装か、何か目当てのものを探していたのか。
だが、仲間の得た情報は奪われずにすんだ。
アイセント殿下はヘリオス伯爵と会っていた翌日、転移魔法陣を使い、どこかの街に飛んだ。
宮殿に潜入している仲間から、アイセント殿下が向かったとされる街を絞り出し、痕跡を探した。
運よく飛んだ先の街を見つけ、聞き込みをした。
アイセント殿下は街を熱心に見て回り、住民たちとは気さくに交流していたと。
宮殿での様子からは信じられないが、さすがに皇族として取り繕ったのだろう。
二日かけて四つの街を巡り、北西方向に進んでいたので先回りをすることにしたようだ。
アイセント殿下の目的地がどこなのか判明したので、さらに先手を打つことにした。
ファーシアへ向かう。
最後の書き込みだった。
アイセント殿下は本当に創聖教の総本山であるファーシアに行ったのか確かめる必要がある。
ファーシアでは今、情報部隊が潜入して動いているはずだ。
大国の皇子が来たとなれば、少なからず噂になっているだろう。
追加の指示を終えたところで、夜もだいぶ遅い時間になってしまった。
シンキとカイとの相部屋に戻ると、カイがまだ起きていた。
「夜更かしするから寝坊するんだぞ」
「うん。……でも、僕はお昼寝してるから」
そうだな。カイは気づけば姿が見えなくて、変なところで寝ていたと、目撃情報が宮殿内に出回っていたりしている。
「パウルは人だから、いっぱい寝ないと……」
「私なら大丈夫だ。ネマお嬢様が早く寝ついてくれる日は、しっかり休めるしな」
魔物たちがネマお嬢様とたくさん遊んだ日は、とても穏やかな夜が過ごせる。
カーナお嬢様もネマお嬢様が早く眠る日は夜更かしされないので、我々の仕事も早く終わるのだ。
「ほら、カイももう寝ろ」
「うん」
カイが寝台に入ったのを確認してから、自分も寝台へと寝転がる。
「優しき夜に安らぎを」