表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

眠れない夜に①(短編集 2010~)

夜のブランコ

作者: 裃 左右

子供の頃やりたかったこと。

どうしようもなく馬鹿馬鹿しくて。今では簡単に出来ることか、いつだってどうしようもないことか、そのどっちかです。でもやろうとは思えない。

 初めから知っていた。

 こんな日が来ると。


 明日、俺の大切な人は想いが届かぬほど遠くに行く。

 別れを告げる勇気は無い。


「夜ってわくわくするよね」


 そう告げて彼女は、少しはしゃいで夜の公園を駆ける。

 まるで、子供みたいだな。


 いや、子供なのか。


 俺の視線に気付いた彼女が、何が気に入らないのか顔をしかめて口を開く。


「何、にやにやしてるの。いやらしい」


 一瞬、反射的に「誰がだ」と言い返そうとしてやめる。

 正直大人気ない。

 人間は心を広く持つことが大事だって、心の狭い俺の担任が言っていた。


 俺は軽くネクタイを緩める。と、彼女が何か気付いて口を開く。


「いま、大人気ないから止めようって思ったでしょ。私より年下のクセに」


 彼女は、俺に背を向けて歩きだす。


「年下? 何言ってんだか」

 

 ほんの数ヶ月の差だ、と俺はそう笑い返す。

 ……それにしても結構勘がいいな。

 

 しかし、その勘のいいはずの本人は、そういうムキになる所が子供だと言われることに気付かない。


 彼女はいつのまにか、ブランコに座ってこちらを見ていた。

 楽しそうに微笑んでいる。


 いや、あれは彼女がいう所のにやにやしているというのではないだろうか。

 それを見て、俺は世の中は不平等だなと思う。

 もし、ここで彼女に俺が。


「何、にやにやしてるんだ。いやらしい奴」


 などと言ったら、彼女は俺を生かしておかないに違いない。

 あれか、女性の特権というヤツか。


「ねぇ」


 不意に呼びかけられる。

 彼女のほうへ首を向けると、俺に向かって手招きをしていた。

 どうやら、隣のブランコに座れとのことらしい。

 黙って歩いていって、無言で座る。


 そのまま沈黙。


 彼女は話しかけてこない。

 

 もしかして、怒っていると誤解されただろうか。

 常に決して人当たりが良いといえない態度で俺は振舞う。

 それは、えてして誤解を招くことが多かった。


 おそるおそる彼女のほうへ視線を動かす。

 彼女は機嫌損ねていなかった。

 

 それどころか。

 とても満足そうにしている。

 俺は、ほっとした。


 いつもと違って、自然な笑顔だな。

 公園の外灯が彼女を照らしている。

 黒い服は彼女には似合わない。そう思った。


 また、「ねぇ」と彼女は俺に声をかける。

 この声のかけ方は彼女の口癖みたいなものだ。

 おそらくは、姉譲りの口癖。


「子供の頃にしてみたかったことってある?」


 それを聞いて、頭が真っ白になる。

 また、突拍子も無いことを思いつくものだ。


 とりあえず、なんて言われるかはわかっているが言っておく。


「今でも俺たち、子供なんじゃないか」

「そういうことじゃないでしょ。今の質問は」


 予想通り、間髪いれずに倒置法で突っ込んでくる。

 俺からしたら、彼女のほうが決して人当たりがいいといえない態度だと思うんだが。

 またそんなことを言えば、話がそれてしまうので真面目に考えてみることにした。


 そうだな……子供の頃、子供の頃。

 あれは、小学生の頃かな。


「ブランコに乗りたかったんだ」


 彼女は首をかしげる。


「ブランコ?」


 そう、と俺は言葉を続けた。

 心なしか自分の声が弾んでいる気がする。


「夜にブランコに乗りたかったんだ。星を観ながら、大好きなお菓子を食べて」


 なぜだろうな、そんなの。

 大人になれば。いや、今ならいつでも出来るのに。


 しようともしなかった、したかったはずなのに。

 手が届くようになれば、もう価値はなくなっていた。

 出来るようになってしまえば、やりたいとすら思わない。


「ふ~ん」と彼女は納得できなさそうな声を出す。


「変なの、子供みたいだね。」


 何も考えて無いような言葉を続ける。

 俺は吹き出した、いつもこれだ。彼女は。


「子供だったんだよ」


 自分から言っておいて何言ってんだか。


「そうじゃなくてさ」


 やっぱり納得出来なさそうな様子だ。


「イメージじゃないって言うかさ、なんていうか。……上手く言えないな」


 ああ、そうかよ。

 そんな風に言われたら、言葉が続かないだろうが。


 しばし沈黙。


 そろそろ、時間が気になってきた。

 正直俺は話さないほうが楽なんだが、仕方なくこちらから聞くことにする。

 いつもの自分らしくない。


「じゃあ、お前はどうなんだよ。してみたかったこと」


 彼女は首をかしげて考え始める。

 嘘だ。

 最初から決まってる、コイツの言いたいことなんて。

 自分の意見を聞いて欲しいことを人に聞くんだ、同じ質問を自分にして欲しくて。

 昔からそうだ。


 それを自覚症状無しに彼女は隠す。自分自身に対しても。

 まるで、今思いついたかのように振舞うのだ。

 

 俺は次第に自分の熱が冷めていくのを感じた。

 今まで、いつも通りでない熱に浮かされていたのを知った。

 忘れていたのだ、彼女は彼女じゃない。違うのだ。


 俺は今の今まで、一方的に自分の想いを映し重ねていた。

 ……いや、それも違う。

 

 彼女は俺に想いを重ねさせようと、錯覚させようとして、同じように振る舞っていたのだ。

 それも、自覚症状なしに。

 無意識に。


 もしも、自分が自分でなかったなら、と。

 俺は彼女の表情の変化を見逃さない為に、その裏を見るために、じっと顔を見つめる。

 そして、彼女は口を開いた。


「……夜のお散歩かな。夜遊び」

「嘘だろ。それ」


 冷たく俺は言い放つ。

 それは君なんかの願いじゃない。


 その声を聞いて彼女は目を大きく見開いていた。

 それから、一瞬だけ少し泣きそうな顔になる。


 でも結局最後には、いつもの笑顔に戻った。


「どうして、そう思うの?」


 笑顔は保ったまま。


「理由なんてあるか、実際その通りなんだろうが」


 そうだ、もし理由があるのだとしたらコイツが、本人の方がよく知っている。

 俺の目は節穴だし、馬鹿だけど。

 都合よくは出来ていない。

 

 俺にとっても、彼女にとっても。

 俺は彼女を見つめる。


 その笑顔は顔に張り付いたままだ。

 表情が凍り付いてる。

 

 だけど、時間が経つにつれ氷が解けてきた。

 解けた氷は涙に変わる。

 彼女は立ち上がった。

 泣きながら、俺に叫んだ。


「そうよ、悪い? 嘘だよ!」


 久しぶりだな、彼女の泣く姿は。

 まるで他人事みたいに、俺は冷静だった。


 実際、そうなんだろう。彼女は俺にとって他人でしかない。


「私は、お姉ちゃんみたく病気になって家で寝ていたかったの」


 そうだ、他にあるはずが無いだろう。


「そうすればお母さんだって、お父さんだって私を心配してくれた。傍に居てくれた。参観日の日にお姉ちゃんの看病の為にすっぽかされることもなかったし、お弁当だって自分で作んなくて良かった。ご飯だって一人で食べなくて良かった」


 言葉は溢れて止まらない。

 彼女はそれがコントロールできないようだった。

 ずっと、溜め込んでいたんだろう。


 はたから見ていても、出来た妹さんだな。とそう思っていた。

 まぁ、最初の頃は。

 ……それだけの存在だったのだ。


「お姉ちゃんさえいなければ、そう思っていたこともあった。でも、それよりもお姉ちゃんと同じことがしたかった」


 まず奇妙に思ったのは、姉妹が二人でそろっていた時の態度だ。

 明らかな違和感。


 いつも、嬉しそうな笑顔の彼女が時々人形みたいな表情に変わる。

 哀しくも幸せそうにしていた彼女が、最も辛そうな表情に変わる。

 それは、互いに気付いていたからだ。


「そうすれば、何よりも……何よりも!」


 そう気付けばなんてことはない、彼女の表情が凍り付いていたのは最初からだ。

 俺と話す頃には、そうだった。

 凍りついた笑顔でいつも振る舞い、たまに見せた本当の感情があの人形のような顔こそが。真実の、唯一の彼女の本音。


 今だけは凍り付いた笑顔ではなく、僅かな間だけでも本物の自然な笑顔だった理由。

 すなわち、それは。


「あなたは私の傍にいてくれた。そうでしょう?」


 それはもう、押さえ込めない。

 それを抑えていたモノは、すでにここにはない。


「学校に来ない日は心配して電話してくれた。

いきなり入院しても友達もお見舞いに来ないくらいに、それが当たり前に日常になったとしても、毎日がひとりぼっちになっても、あなたは来てくれる。

 私のために笑って話してくれて、私も笑って、そしたら嬉しそうに笑い返してくれて。いつも一生懸命に言ってくれるの」


 一瞬だけ、彼女の息が止まり。

 吐き出すようにして、言う。


「元気になるの、ずっと待っ……てるって」


 それまで、傍にいるよ、って。

 それからも、傍にいるから、って。

 溢れていた感情が止まる。


 風が吹いた。

 冷たい風。


 もう、暖かくはない。

 これから、秋が来るのだろう。

 その風を受けて俺は答える、それこそ最初から決まっていたことだ。


「いや、違う」


 君は気付いていたんだろう、俺は。


「例え、彼女が。君のお姉さんが病気でなくても。」


 例え、君が。妹の、君が病気であったとしても。


「俺は彼女の傍にいただろう」


 彼女はいつの間にか泣き止んでいた。

 涙を拭かずに弱々しく微笑んでいる。


「私の方が先だったのに?」


 先に出会えて、先に話して、笑って。

 私が先に好きになって。

 先に想いを伝えて……。


「……それでも?」


 俺は頷く。


「ああ、俺は君の傍にはいない」


 その笑顔はあの人とよく似ている、それは当然だ。

 だからこそ、彼女がもし元気だったなら、と言う願望と。

 ……もしも、こうなったのが彼女の方なら、と言う倒錯と。

 それを今日という日に、錯覚したのだろう。


 俺はどこまで冷酷に、彼女を好きだった。

 残酷なまでに、妹の方を犠牲に出来るなら、と思っていた。


「……やっぱり、そうだよね」


 俺は、沈黙する。


「知ってた、そんなことは。でもね、言うつもりはなかったの。だって……」

「お姉さんは知ってた」


 彼女は俺の顔を凝視したまま、固まる。

 俺は言葉を続ける。


「何もかも知っていた、君の想いも。俺の想いも。ながくは無い自分の命も。その上で彼女が望んだのは……」

「やめてよ、いい加減にしてよ!」


 彼女は、あの人の妹は、そのまま泣き崩れる。

 俺には何も出来ない。

 泣くことすら出来ない。涙も渇いている。

 もう自分が悲しいのかすら、わからなかった。

 

 泣き崩れている女性を見つめたまま考える。

 愛しい人に瓜二つの女性を。

 

 少なくとも今日言うべきではなかったんだろう。それはわかる。

 では、俺は何をすればよかったのか。

 優しく慰める? 抱きしめればいい?

 ふざけるなよ、真実、どうしようもなくどうでもいい存在なんだ。彼女以外は。


 夜空を見上げる。

 雲で隠れて星は出ていない。


 そろそろ、あの人の所に戻らねばならない。

 黒のネクタイを締めなおす。


 だが、あの人の顔をみる決意もなければ。

 明日、別れを告げに行く勇気もなかった。


どうしようもない。ってなんか好きです。

諦めとかでもなくて、ああ、ただどうしようもないんだな、って言う瞬間が。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ