こんにちは、僕のロマン
「あーる晴れたーひーるさがりー♪」
竹原は愛車をぴかぴかにしていた。上機嫌であった。
アルファロメオ156。
セダンではなく、スポーツワゴン。159などにも惹かれたが、やっぱり手を離すことができなかった。
26才の夏に新車で買い、もう5年。やっと、ローンの返済は終わり、正真正銘自分の物になった愛車である。
真冬の札幌で洗車をしても、どうせすぐ汚れるのはわかっているのだが、今日は自分の物になったこの車の2回目の車検である。どうせならきれいな方がいいと想い、少ない休日をこうして使っているのである。
ボディーに水をかけ、たっぷりカーシャンプーをつけて丁寧に2回洗う。
たっぷり時間をかけて洗い流し、丁寧に布で拭く。
研磨剤できれいに磨き、高級ワックスをかける。
時間にしてもうかれこれ1時間半は経っただろうか。
早朝から貸し切りのような洗車場で、愛車を見つめ、竹原は満足そうにコーヒーを呑んでいた。
いつもならここで止めるのだが、あまりにも気分がいいので、車内の掃除もすることにした。
車内のマットをはがし、棒で叩いてホコリを落とす。
洗車場の掃除機マシンに金を入れ、車内の隅々まで掃除機をかける。
運転席、助手席、後部座席。
車内の掃除など滅多にしなかったので、おもしろいようにきれいになっていく。
気分を良くした竹原は、運転席と助手席のシートを動かし、徹底的に掃除機をかけることにした。
キラッ
助手席の下から、冬の太陽に照らされて何かが光った。
なんだろう?掃除機を片手に持ったまま、手を伸ばした。
竹原はホコリのかぶった金属片を手に取った。
ピアスである。片方の。
竹原は、目を細め、ピアスを見つめた。
俺は、目を細めて、左耳を見つめた。
金色のピアスが輝いている。
ブランドなんかは詳しくないので、とにかく有名所をねらって買いに行った。
カルティエ。それなら俺でも知っている。
車にしか興味がなく、特にファッション雑誌など読んだことなかった俺が選んだ物はそれだった。カルティエのラブピアス。
「かたっぽってのが、なんかパンクっぽいんじゃない?良かったって事にしよ。ね、結果オーライ。」
左耳を見せるために、髪をかき上げたまま優花は言った。
「…お前がいいならいいよ。全く。」
ため息まじりに言ってみた物の、気持ちは晴れない。
大枚はたいて買ったプレゼントが、5分と持たずに片方消えたのだ。
今日は優花の27回目の誕生日。新車を買ってからというもの、万年金欠の俺だったが、清水の舞台からの気持ちで買ったプレゼントが…
「まぁまぁ、探してればそのうち出てくるよ。ひょこっとさ。」
あっけらかんと優花は言った。ほれほれ、似合う?と左耳を見せている。
「似合うよ。両耳ならもっと良かったんだけどな。」
どうしてもイヤミっぽくなってしまう。
「もう、小さい男だな~。私がもらった物をなくしたんだからいいじゃん。かたっぽだけって方が私っぽくない?いいよ、これ。すっごい嬉しいよ。」
少しだけ優しげな目になった優花を見て、俺も「まぁ、いっか」という気持ちになってきた。
新車で優花を迎えに行き、レストランへ。夜景の見える席で夕食を食べ、車を走らせ山の中腹へ。
夏の夜、蒸し暑い周りの空気の中、虫の声が鳴り響いている。周りに明かりはなく、人気もない。
そんなところで渡したプレゼント。つける時に片方を落としたといって捜索すること1時間。携帯電話の小さな明かりでは、これ以上探しても無駄のようだった。
仕方なく、片方だけを優花はつけたのであった。
「でもさ、洋介。この車買ったばっかりだったのによくお金あったね?カルティエって高いんだよ。知ってて買いに行ったのかな?想像したらおもしろいよ。いっつもユニクロで全身コーディネートのあなたがさ。」
からからと笑いながら優花は言った。
「いっつも金がないみたいに言うなよ。俺だって、やるときゃやるって事さ。…けど、高かったぞ。」
「わかってるよ。ありがとう。」
優花は顔を近づけ、触れるか触れないかのキスをした。
「私のためにがんばってくれたんでしょ?一個なくしちゃったのは、本当にごめんなさい。けど、もう一個は絶対なくさないし、一生大事にするから。」
「…うん。そうしてくれ。俺は、いちお明日探してみるけど。」
「もう、いつまでも小さい男ね!」
辺りに明かりはなく、息を潜めながら二人で笑った。
竹原洋介は、目を細めてピアスを見ていた。
あれから5年、新車だった車は2回目の車検を迎え、今日までピアスは出てこなかった。
隣に座っていた優花はいなくなり、代わりに知子が座るようになった。
優花が「赤がいい。」と言って買った156。
知子は「子どもが出来たときのために車検を通さないで、新しいのを買おうよ。」と言う。
竹原は、車検を通すつもりだった。30を越え、結婚も秒読みだったが、まだまだ乗るつもりだった。
だったが。
掃除機はもう時間切れでとっくに止まっている。
竹原は、ピアスを握りしめ、シートとマットを元に戻した。
ピアスは、助手席のマットの下に潜り込ませた。
エンジンをかけ、走り出す。
「次は何を買おうか?」
口に出しながら、156を発進させる。
「ステップワゴンとかはいやだな…」
ため息をついてアクセルを踏む。エンジン音が心地よかった。